第四話
毎朝、一杯の水を飲むことから始めていた。太らないよう体型維持の為に、食事はあまりしない。
でも栄養が偏っても見目に響くから、サプリで補強しつつ野菜を食べる。
好きか嫌いかで言えば、野菜は全般的に苦手だ。でも食べる。小さい子のファンもいた。私の真似をして食べないなんて言わないように、旅番組やCМが来ても大丈夫なように、苦手も嫌いも絶対表に出さない。
筋力と体力がないと、完璧なライブは出来ないから、時間がある時は走っていた。
家の周りを走ると家バレして近所の人に迷惑がかかるから、事務所と提携している会員制のジムへ行ったり、家の中でストレッチしたり。
出演するバラエティ番組の資料を見たり、過去の放送分を見ることも欠かさない。他の出演者の人に迷惑をかけたりしないよう、出演する人たちのことはちゃんと調べる。
ドラマの仕事がなくても、いつどんな仕事が来ても大丈夫なよう演技の練習だってするし、自分の関わるCDのパッケージのデザインのチェック連絡を返信したり、トークメッセージのやりとりで忙しい。
朝はいつもばたばたしていて、忙しない。だからやっぱり、疲れてしまう時はある。
そんな時にファンレターを読んだり、応援コメントを見ると元気になった。良かった、頑張ろう。応援してもらった分、恩返しが出来るように、皆に元気になってもらえるように、尽くそうと思う。
コメントに返事をする時は、誰かを特別扱いしてるように見えないよう注意した。だって誰かを特別扱いしてると知ったらいい気はしないだろうし、それに「果崎あかりに特別扱いされている」とその人が標的になってしまう。何度も何度も見直してから、返事を送るようにしていた。
炎上してから、朝のルーティーンはめちゃくちゃになった。
家から出ることは許されず、本当にこの先必要になるのか分からないまま映画やドラマを見て、更新されるかも分からないブログを書いて、止まないダイレクトメールの罵詈雑言を眺める。
自分のアイドルの終わりが、はっきり見えた。
でも炎上の終わりは見えなくて、そのわりに走ることやストレッチの習慣は抜けなくて、きょう一日自分が何をしたか分からないまま、一睡も眠れず朝を迎える。
気が付いたら寝ていて、気が付いたら起きている。その繰り返しだった。
でも、縁川天晴の部屋では何もかもが出来ない。結局あれから、彼は私の為に布団を持ち出して敷き、そこで寝た。
私はベッドで寝ることになったけれど、そもそも死に損なった私に睡眠が必要なのか分からず、適当に目を閉じていたら「推しの寝顔だァ」なんて声が聞こえてきて、気づけば朝になっていた。
それから朝ご飯を食べるため一階に降りた縁川天晴を見送り、窓の外を眺めていた。今日も変わらず世界は霧雨に包まれていて、泥混じりの雨の匂いがきつい。
「お待たせしましたぁ!」
しばらくして戻ってきた彼は、昨日クローゼットのふちにかけられていた学ランに身を包んでいる。
「行くの、学校」
「はい!」
彼は勉強机に並べていた教科書やノートをせっせとリュックに入れていた。ぼさぼさの髪で、スラックスをギリギリまで上に上げた格好をしている。
私は学校に行く機会が少なかったけれど、それでも同い年のクラスメイトを見たことがないわけじゃない。男子たちは少なからずワックスで髪を整えていたし、仮に同じクラスに彼がいたら、浮いていたんじゃないかと思う。
ただでさえ私を推しているのだ。
いじめられないか、不安だ。
「私も行っていい?」
「え……」
縁川天晴は、戸惑いを見せた。彼についてまだ全然知らないけれど、「推しが学校に!?」くらいは言いそうな気がする。
拒否を示しているということは、なにかあるんだろう。
「学校、興味があって」
正しくは、縁川天晴の生活に、だ。学校で嫌な目にあってないか気になる。そこだけ確認すれば、さっと立ち去る。彼は考え込んだ様子で、「でも、学校に行ってる間にここからいなくなっても嫌ですもんね」とぞっとする声色を発した。
「はい?」
「あかりちゃん、なんだかぱっと消えちゃいそうですもん。桜に攫われるタイプですよね。今この時間だって、奇跡みたいなものですし」
縁川天晴は暗い顔で呟くと、うっそりと微笑みかけてきた。私は一抹の不安を抱えながら、学校へと向かったのだった。
●●●
縁川天晴の通学路は、ほぼほぼ畑と獣道だった。彼はそれなりに顔が知られているようで、畑で作業をしているおじいさんやおばあさんに声をかけられ、照れながら会釈で返していた。
この辺りは、自然豊かで田舎に近しい性質を持った土地なのだろう。
前に地方ロケへと行ったけれど、そこと雰囲気が似ている気がする。小道にはさらさらと湧水が流れ、空も高い。まれに見る自販機は古びていて、瓶の飲み物が売られている。別に幼少期こういった場所に住んでいないのに、懐かしさを覚える。
田畑を区切るよう伸びたアスファルトの道を歩きながら、私は縁川天晴へ振り向いた。
「このあたり、いいね」
「そうですか? 娯楽も少ないですし、食べ物は商店街にありますけど、ほかの買い物はみんな電車ですよ」
縁川天晴の言う通り、確かに買い物は大変そうだなと思う。歩いている限りスーパーやコンビニも見ない。立ち並ぶ店の代わりに木々が茂り、蝉たちが大合唱をしている。
「どっか遊びに行ったりも出来ませんし、僕の救いは貴女です」
真剣な声に、聞こえないふりをした。
だって、果崎あかりに、彼は救えない。
「あれ、もしかしてあの建物が学校?」
私は道の先に見えた、四階建ての建物を示した。彼は「はい!」と元気な返事をする。
「結構生徒数多いんですよね、いろいろ芸術科とか音楽科とか、進学科とかあって」
「貴方は何科なの?」
「僕は普通科ですよ。何のとりえもないので。本当は進学科入りたかったんですけど、普通科ですら結構ギリギリだったんですよね。だから進級も危ういくらいで」
私は仕事で勉強の時間が取れていない。空き時間になんとか詰め込む形だから、人と比べて劣っている。でも、縁川天晴があまりにも偏差値が低いなら教えられることはあるんじゃないかと思った。
悩んでいると、下駄箱に到着した。
彼は自分の靴箱を探し、ひとつずつ名前を確認してようやく自分の靴箱を見つけた。
「覚えてないの?」
「まぁ。あはは」
明らかに誤魔化しの笑みを浮かべてきて、つい怪訝な目を向けてしまう。
これは新学期どころか、かなり学校に通っていないのではないか。
ふつふつと嫌な予感がして、彼の様子を窺いながら廊下を歩いていると、後ろから「アッパレくんじゃん!」と絶叫が聞こえた。
振り返れば、馬鹿にしたような笑みを浮かべた男子生徒三人が、こちらに向かってくるところだった。縁川天晴は、彼らから逃げるように足を早める。
「逃げんじゃねえよ」
しかし男子生徒は走ってきて、縁川天晴の肩を掴んだ。
「全然学校来てねえじゃん。つうか聞いたんだけどお前小学校からずっとずる休み続けて恥ずかしくねえの? 何で今日は学校来たの?」
「相変わらずキモい前髪だな、俺たちが切ってやろうか」
下卑た声を無視をして、縁川天晴は教室へと入った。けれど彼らも同じクラスなようで、 席に座った縁川天晴を囲み、げらげら笑い始める。
「なんで無視すんだよ、俺らのこと見えてねえの?」
「つうか行事全部蹴って打ち上げ前日に学校に来るとかキモいんだけど」
「おーい。聞こえてますかぁ?」
教室にまばらに揃っているほかのクラスメイト達は、複雑そうな表情を浮かべていたり、止めに入ろうか迷っていたり、男子生徒たちと同じように笑っていたりと様々だ。
止めたいのに、止められない。
私の声は、男子生徒たちには届かない。
「あぁ、あれか、お前好きなアイドル死んで、ショックで声出せなくなったとか?」
一人の声に、縁川天晴はぴくりと反応を示す。それまで無視を貫いていた彼が反応を示したことで、男子生徒たちは煌々と目を輝かせ、囃し立て始めた。
「つうかアレ? アッパレくんもしかして、アイドル自殺して失恋したから学校来たん?」
「あかりちゃんは死んでない!」
縁川天晴は立ち上がり、男子生徒の一人を突き飛ばす。すると残り二人が顔を見合わせ、縁川天晴の胸ぐらをつかみ始めた。
「何だこいつ」
「もういいわ。ゴミ捨て場に放り込んでおこうぜ」
「女子トイレにでも閉じ込めておくか」
縁川天晴はあっという間に抱えられ、教室から出されそうになる。縁川天晴は抵抗するけれど、男子二人の力にかなわない。
助けないと。
私のせいだ。
なんとかしなきゃ。
なのに男子生徒の腕に手を伸ばしてもすり抜ける。止められない。嫌だ。
助けたいのに。
そう思った瞬間、ガタッと音がした。視線を向ければ、私のそばにあった机が倒れていた。
机の近くにいたのは、私しかいない──誰もいない場所で机がひとりでに倒れたことで、教室がしんと静まり返る。縁川天晴を抱えていた男子生徒も動きを止め、机に注目していた。
「今別に誰かぶつかってないよね?」
「音したんだけど、こわ」
「え、何? 坊主の呪い?」
男子たちは冷やかしながらも、目の前の超常現象に恐怖を覚えていた。じりじりと縁川天晴の周りから離れていく。やがて教室は静まり返った。
「あかりちゃんの悪口、言ったら許さないから」
いつの間にか抜け出していた縁川天晴は、胸元を抑えながら周りを睨み、座席に座る。
結局そのまま、縁川天晴はその日誰とも話さず、学校で一日を過ごしたのだった。




