第三話
縁川天晴の言う通り、病院の駐車場には彼とそっくりな男の人が立っていた。
助手席の扉が開いたのに、彼は私の腕を掴みながら素知らぬ顔で後ろの座席乗り込むと、そっけなく彼の父と話をして、車は発進した。
それからというもの、会話はない。
小学校のころ、明るい性格の男子生徒が授業参観で静かになる様子を見たことがあるけれど、それかもしれない。
あれほど饒舌に話をしていた縁川天晴は、ただ私の手を掴み、ネットで私が転落したとされているニュースを見ている。画面に映りこんだ「炎上」の二文字を見て、私は反対側の車窓へ振り向いた。
知り合ったとはいえど他人に連れられ、さらに知らない車に乗り込む。生きていたらありえない。
両親の車に乗ったことだって、数える程度しかない。
仕事では基本的に車移動だったけど、マネージャーの運転するワゴン車だったし、「乗る」というより運んでもらうことに近かった。
こうして車に乗った時は、私の身体がすり抜けて車だけ過ぎ去るんじゃないかとも思ったけれど、縁川天晴に腕を掴まれているからか、今もこうして彼と揺られている。
車窓を見る限り、家は都心から離れたところにあるらしい。高層ビルやマンション、飲食店が立ち並ぶ通りを抜け、次第に木々が風に揺れる光景が増えてきた。
景色が見慣れないものに変貌していくたび、降り積もるような息苦しさが募る。
どうしてついてきてしまったんだろう。
考えると同時に、病室から逃げたかったのだと思い至る。
病院に留まることは、私の身体を前にする人々を見なくてはいけないということだ。それから逃げた。死にぞこなっているくせに。
一番恐ろしいのは、私の意識が戻ることだ。
それだけが怖い。生きて戻って、死に直すことが出来るか分からない。
私の意識があの身体へ戻っても、目を覚ましてそのまま死ぬことが出来るか分からない。意識だけ身体に宿り、動かせないままかもしれない。
救急車に運ばれる間、お医者さんや看護師さんが懸命に治療してくれたのは分かるけれど、それでも死にたかった。
死ぬべきだった。
炎上は続いている。私を叩く声だって、死ねてないのだから納まるはずがない。
「もうすぐ到着ですよ!」
縁川天晴がこっそり声をかけてくる。
夢に、自殺に──唯一無二の、私の居場所。
私はいつも、あともう少しのところで目的地に辿り着けない。
●●●
いくつか遠くに山々が見えてきた頃、車はゆっくりと速度を落としていった。やがて車のドアが開かれて、私は促されるまま外に出た。
電灯に照らされた山門に、堂々とした木造りの社。石畳がすっと並ぶ先には枯山水が広がり、その周りは竹藪が茂っていた。そして隣には、黒い長方形の群れが並んでいる。墓地だ。
どこからどう見ても、ここは──、
「うち、お寺なんだ。だからだと思う。あかりちゃんが見えるの」
淡々とした声音で囁かれ、さっと前へ飛びのく。さっきまで私が立っていた真後ろに、縁川天晴がいた。
「び、びっくりした……」
「でもほら、俺しか見えないわけだし……」
「耳元で言う必要はなかった」
「でも……小さい声がいいかと」
縁川天晴は納得いかない様子だけど、さっき完全に二の腕同士がぶつかっていた。
そんな至近距離は、アイドル同士でしかしない。ファンに嫌な思いをさせてはいけないし、疑われる行動をとってはいけないと、ただでさえ異性には極力近づかないようにしていたのだ。
「一人で何ぶつぶつ言ってるんだ。車戻してくるから、先帰ってなさい」
彼のお父さんは首を傾げる。
困った様子で縁川天晴は私を見た。ばつが悪くなり、「ごめん」と友達相手のような謝罪が口をつく。
やがてお父さんは車を運転してお寺の裏、茂みの奥へと入っていく。お寺の裏に駐車場があるのだろう。
「家こっちなんだ。お寺の横。ほら」
縁川天晴が指さす先には、一軒家があった。彼はそこへ向かってゆっくり歩いていく。歩幅が小さくて、のんびりした足取りだ。
手ぶらで歩くなんて何年ぶりだろう。
出演するドラマの台本を読むだけじゃなく、原作があればそれをチェックするのももちろんだけど、SNSでファンの評判をチェックして次に生かしたりとか、事務所の人と連絡を取ったりとか……行儀が悪いけどスマホは手放せなかった。
ただ車に乗っただけなのも、久しぶりだ。
大体雑誌の取材をしたり、ファンクラブ限定の日記を考えたり……誰かが傷ついたり迷惑がかかる表現はないように何度も見直して、使ってる言葉に差別用語とかが無いよう何度も確認したり。お店のことを書くなら、そのお店の人や通っている人にデメリットが生まれないように。
あとはちゃんとファンの人が楽しんでもらえるよう、お金を払って見ようとしてくれてるんだからと沢山書いて文字数がオーバーになってしまって、文字数を削る作業を一番していた。
そこまで考えて、自分がまだアイドルであるかのような思考をしていたことに気付く。掌に爪を立てて、考えを改めた。
「……隣にある平屋は?」
「お父さんのお弟子さんが寝泊まりしてるんだ。俺も今入院しているお兄ちゃんもお寺継がないからさ、あそこで寝てる誰かが、このお寺継ぐんですよ」
家がお寺で居住区が墓地に囲まれている。
初めて彼と出会ったとき線香の匂いが強かったから、幽霊だと誤解したのか。これだけ墓が並んでいたら、嫌でも線香の香りなんてつくだろうに。
「お寺、継がないんだ」
「はい! 僕は一生をかけて、あかりちゃんを推していきますから! 住職もいいですけど、俺が心も身も捧げるのはあかりちゃんなので」
宣言しながら拳を上へと突き上げる縁川天晴をちらりと見てから、私は一軒家を見据える。車に乗っていたときは見えなかったけれど、霧雨が降っていたらしい。石畳は微かに濡れ、一軒家の光を反射していた。
「推しが実家に来てくれるなんて感動ですよ。俺しか見えないの勿体ないっ!」
ぴょんぴょん跳ねながら、海外のアニメ映画みたいな動きで彼は引き戸を開く。ガラガラと音を立てて現れたのは、時代劇で武将とかが暮らしているような玄関だった。
靴箱の上には木彫りの置物があった。仏像だろうけど、詳しくないからどういうものかは分からない。
確か、色々厄除けとか、それぞれ意味があるらしいけど……。
「聖観音って言います。かんのんって響き、いいですよね。かのんって感じで、2ndシングルを思って僕は拝んでますよ」
ニタァ……と音が出てきそうな言葉に、罰当たりという言葉が思い浮かぶ。
「僕の部屋はこっちですよ。あっ手洗わないと、手洗いうがいっ!」
一方、縁川天晴は浮かれた様子で廊下を進もうとし、すぐに立ち止まってこちらに振り向いた。
「うがいの音、推しに聞かれたくないので! ここでお待ちください」
では! なんて走り去っていく背中を見送る。
奥に人がいるらしく、ただいまと縁川天晴が挨拶する声とおかえりと少し年上の女性とおばあさんくらいの声もした。
彼のお母さんとお婆さんだろう。廊下に突っ立ってるのも気後れするけど、どうせ透ける。障害物にはならない。かといって真ん中に陣取るのも嫌で、そっと隅に寄る。
廊下の途中、障子戸で隔てられているらしい部屋は居間になっているらしく、テレビがついていた。食卓の上は夕食の準備がしてあり、落ち着いた色味の野菜料理が並んでいる。
ここで食事をとっているのだろう。ご飯はまだ並んでいないけど、食器を見るに入院しているらしいお兄さんを除けば、彼と、お父さん、お母さん、おばあちゃんと人数ぴったりだ。
『先月末に死刑執行となった遠岸楽死刑囚の件を受け、国選弁護士の制度の見直しについて、国会で議論が行われました』
つけっぱなしになっているテレビでは、私が見た時と同じように、最年少の死刑囚について報道されていた。
さっとニュースで見ただけだと、高校を卒業した人が、自分の友達のお父さんと、その取引先の従業員をお金目当てで殺したというものらしい。
高校の同級生で仲のいい友達の家族を殺したこと、お金目当てだったこと、そして犯人のお父さんが強盗事件で捕まっていたことから、かなり報道されている。血は争えないとか、トレンドでかなり見た。
小学校の頃、私にも友達が確かにいた。でも、芸能界に入って疎遠になってしまった。私は毎日学校に通ってるわけじゃない。「あかりちゃんが休みの時、グループ組む授業のときとか、つらい」と他の子に相談しているのを聞いてからは、二人組の友達にはならないよう意識するようになった
私は毎回授業を受けるわけじゃない。でもグループを組むことは頻繁にある。修学旅行や行事ごとは、誰とグループが一緒なのかということに直結する。成績も関わる。学校生活のあらゆることで迷惑をかけてしまう。
だから、特定の友達は絶対に作らない。芸能界で友達はいた。お互いドラマが初共演だった子や、年の近いお笑い芸人の先輩。でも、二人とも進路を考えたり、結婚を機に辞めてしまった。
つらいことがあったらいつでも連絡してと言われたけど、迷惑をかけたくない。心配させたくないし。炎上してからは、なおさらだった。
「手洗ってきました! ぴかぴかですよ!」
昔のことを思い出していると、縁川天晴がこちらに手をかざしながらやってくる。水滴でも飛ばしているのかと思えば、丁寧に水気を取ってから手を振っているらしい。
「じゃあこっちが俺の部屋です!」
縁川天晴はぎしぎし足音を立てながら歩いていく。廊下の角を曲がれば中庭が出てきて、庭園を囲うような廊下を進んでいけば、突き当りにドアがあった。ずっと障子が並ぶ景色を見ていたからか、ドアノブがあるだけで違和感を覚えてしまう。
「部屋はいつも完璧にしてるんですよ! 推し部屋です! ど、どうぞ!」
通されたのは、バラエティ番組で紹介されるようなヲタク部屋だった。壁一面に私のポスターやブロマイドが飾られている。本棚にはCDと、雑誌が所狭しと並べられていた。余ったスペースにはアクリルスタンドが並んでいる。たまに初回限定版、A版、B版が未開封の状態で並んでいた。
「もしかして、観賞用と聴く用で分けてる?」
「そのとーりです!あかりちゃんがどこにいても推しますけど、自担がグループに入ってたりすると、こういう時大変そうだなって思いますよ。観賞用といえど、推しがセンターにいないのは寂しいので」
グループを組んでいるアイドルは人数が多い分、どうしても写真を撮るとき目立たない人間が出てくる。たいてい人気があったり事務所が一押しの子が正面……センターの位置で映るけれど、グループ内で人気がわりと同じだったり、全員をプッシュしてるグループは、この子がセンターのA版、あの子がセンターのB版という売り方もしている。
でも、うちの事務所は、私がソロであることからも場所を変えずに表情やポージング、雰囲気だけ……Aはかわいい系で、Bは大人っぽいとかでバリエーションをつけたりして、とにかく枚数を買ってもらう戦略だ。
「でも、揃えるの大変じゃない? 同い年……くらいだよね?」
縁川天晴は、だいたい私と同い年か、年下あたりだろう。そう思って言ったけれど、「一歳年上ですよ!」と、距離を縮めてきた。
「じゃあ、高校三年生? 受験じゃないの……?」
「まぁ。受験もありますけど、卒業できるかすら微妙で。だから心の隙間を推しに埋めてもらってて。それに、推しにお布施出来るのって超最高じゃないですか? 俺の何かが、推しに関わってると思うとそれだけで最高ですよ。新曲出るたびに、ヤッター! って思います」
その笑顔に、きゅっと胸が切なくなった。
私はソロだけど、同じ新曲でもプロモーションビデオのバージョン違いで売ったりとか、初回限定版では動画をつけたりと、とにかくいっぱい特典をつけることで売っていた。
音楽性も大事だし、CDは音楽で勝負すべきだとは思うけど、発売した週のランキングに乗らないと次のCDが出せないし、売れないとライブ会場も借りれなくなる。
儲かる儲からないじゃなく、皆の前に出る機会が消えるのだ。だけど、好きな曲じゃないのに無理やり買ってもらうわけにもいかないし、映画のブルーレイとか小説とかも同じようなシステムになっているらしいから、皆同じように戦っていると言われればそれまでだ。
いいお知らせはしたいけど、負担に思ってしまう人もいるかもしれない。沢山買ってもらえるのは嬉しいけど、大丈夫かなと不安になる。でも番宣はあるし、何人ものスタッフの人が関わって、CDは出来てる。宣伝はつきものだし、私が宣伝しなきゃいけない。
だから私は、見えない人の頑張りを、時間を代表していた。なのに。
一瞬にして、燃えて灰になった。
「あかりちゃん?」
「……ありがとう」
第一声に迷った末に出てきたのは、この世界で何百回と繰り返されていそうな、月並みとしかいえない言葉だった。
「こんな、並べて。学校の人とかその、遊びに来るときとかどうしてるの?」
「普通に入れますよ! 友達がいたら!」
「いたらって?」
「ネットは他担の友達とか……いるんですけど、学校は……推し活で忙しくて、あんまり」
卒業できるか不安というのは、学力の意味合いじゃなかったのか。だとすると、思い当たる理由は──、
「不登校……?」
「いくらあかりちゃんでも直球すぎますよ。傷つきます。たまに、たまには行きますよ。あ、明日とか行きますし」
縁川天晴は心臓を押さえて、さすって見せる。不登校、言われてなるほどとも思ってしまった。彼は、なんというか浮世離れというか、制服を着て学校に通っているのがイメージしづらい。
部屋に視線を向ければ、ブロマイドに重ならないよう、真新しい制服がクリーニング店のタグを付けられたままかけられている。
おそらく新学期からそのまま学校に行ってないのだろう。
男の挙動不審な態度は、ファンとしてだけじゃなく元々人付き合いが得意じゃないからなのかもしれない。
「知り合いで、このこと知ってる人はいるの」
「このこと?」
「貴方が私を推してるって、知ってる人」
「家族とかいろいろ……?」
含みのある声に、不安を抱いた。
今私を応援していて叩かれてる人も、もちろんいるだろう。その人たちに私はどうすることもできない。死ねていれば同情されて、なんとかなったはずだけど。
でも。
「ひ、引きました?」
沈黙が長すぎたせいで、彼は不安に思ったようだ。ちらちら私を見ている。
「なんていうか、すみません、普通のファンじゃなくて……」
「別に」
特に、ファンの生活に引いたりとかはない。普通にごはん食べて、健康に生きてくれたら嬉しいと思う。あと飽きないでほしいとか。でも飽きさせないのはこちらの仕事だし──と思いつつ、私が今アイドルとしての目線でものを考えていることに気付いて、喉のあたりが苦しくなった。
「やっぱり引いてますよね!?」
「引いてないから。まぁ、学校に通ったほうがいいとは思うけど、私が言えた義理じゃないし」
アイドルの中には、高校に通わず通信制の高校を受験したり、高卒認定試験を受ける子も多かった。
仕事が忙しくて通えないという理由以外にも、通えたとしても休みがちになってクラスから浮いてしまうとか、早い話がいじめられるとか。芸能系の高校に行くのが一番だけど、どうしたって定員はある。中々ままならないようだった。
「あかりちゃんはあれですよね。高校すごく偏差値高いところですよね! 俺そこに編入したかったんですけど、頭悪くて駄目で……」
私は、普通科の高校に入学していた。芸能系に行く手もあったけど、色んな経験をしてアイドル活動に役立てるべきだと前のマネージャーがずっと話をしていて、私もそう思って受験した。
勉強と仕事の両立は大変だったし睡眠不足とかのレベルじゃなかったけど、歌詞を書いたり作曲するとき、普通の学校生活を観察できるのはありがたい。通えてよかったと思っている。友達は……うっすら、移動教室の時に話しかけてくれる子はいるし、仕事が忙しくなるにつれ芸能活動に無関係な知り合いはどんどん減っていったけど、普通の学校生活に身を置けるだけでも新鮮で楽しかった。
「でも、まさか兄のお見舞いに行ったら、あかりちゃんに会えるなんて」
縁川天晴は私ではなく、壁に一面に並べた私に語り掛けた。コラボした栄養剤が飲まずに並べられ、CDはそれぞれ五枚ずつ本棚にしまわれている。
「これ全部バイト代で?」
「いえ、バイト禁止されてるんで」
バイトが禁止の高校は珍しくない。お小遣いで買っているのだろうか。親がいるし、下のリビングの様子から見ても食事はきちんととっているだろうけど、不安にはなった。
不登校だから、その分買い食いとか学校の後どこかへ出かけたりしない分、浮くものはあると思う。
でもなんとなく、働いてもない、バイトも禁止となると──。
「お小遣いとかお年玉を、全部グッズ代にしたりしてない……?」
「もちろん! 全投入です! 俺あかりちゃんと会うまで欲しい物とか趣味とか全然なくて、全部貯金してたので!」
そうガッツポーズをするパーカーの袖は、だぶだぶに伸びきってしまっている。私が陰気そうだと思っていた悉くが、推し活動の犠牲故だった。
心苦しくなって、私は「少しは自分に使えば」と呟く。
「えっ……ああ確かに握手会とかライブの時は整えてますけど……生きてる分にはいいかなって……あっでも、今目の前にいるんですよね……き、緊張してきた」
彼は私の言葉を別方向に受け止めたのか、顔を青ざめさせた。なんだか致命的に間違えられている。
「もうさ、これからは自分の為にお金使いなよ」
「そんなことありませんよ! これからも俺は推し続けますよ! 一生! 次のライブに向けてお金もまた貯めますし!」
縁川天晴は、長い前髪をたらしながらも、屈託のない顔で言ってのけるせいで、どう返していいか分からない。
「あっ、寝るときはこのべ、ベッド使ってください! や、疚しい意味は当然ありません! 俺はえっと廊下とかで寝るので!」
黙っていれば彼は効果音がつきそうな挙動でベッドをすすめてくる。私は首を横に振った。
「ある日突然自分の家族が廊下で寝たら怖いでしょ。普通にベッドで寝て。私は適当にしてるから」
「推しを適当に寝かせるなんて、お、ヲタク失格ですよぉ!」
縁川天晴は泣きつくように首を横にふる。彼は果崎あかりが絶対なのだろう。
果崎あかりに未来はない。この先なんてない。
私を推してても、彼は傷つくだけなのに。
延々と。




