第十七話
徐々に夜に浸食されていく夕焼けを眺めながら、ゆっくりとお寺に向かって歩いていく。ライブを終えた私たちは、三人並んで帰ることになった。
遠くでは烏の鳴き声が聞こえて、人々は両手をこすり合わせながら帰路を急いでいた。
「なんか、結構良かったわ。歌とかダンスとか」
ぽつりと遠岸楽が呟く。「エェ〜? 上からすぎません!?」とつっかかろうとする縁川天晴を押さえつつ、私は二人にお礼を伝える。
「今日はありがとう」
「全然! 最高でした!」
「おー」
遠岸楽は、どこかぼんやりしていた。何か話題を変えたほうがいいかと、私は縁川天晴に声をかけた。
「結局、先生のことどうやって説得したの」
「秘密です。男同士の約束なので」
「なら、遠岸も知ってるの?」
彼に問いかけると、遠岸楽は得意げに「まあな」と返した。
私だけが知らないのか。
わずかに寂しさを覚え、「そっか」と目を細める。
「でも、本当にありがとう。ライブさせてくれて。さくらちゃん、手術受ける気になってくれたし、本当によかった」
でも、出来ない約束をしてしまったことが、心残りだ。
気を落としていることを悟られないよう、私は夕日を眺める。
「はい。あっ、俺も次のライブ、楽しみにしてますからね!」
追い打ちをかけられ、今度は声も出せずに頷いた。さくらちゃんも、縁川天晴も、遠岸楽も、私を生き返ると思っている。そのことが心苦しい。
死のうとしたことは、間違っていたのかもしれないと思ってしまうから。
「俺さ」
誰も言葉を発さず寺に向かって歩いていると、遠岸楽が呟いた。さらさらと風が吹いて、遠岸楽の身体が透けて見えた。目を凝らす前に、彼が続ける。
「たぶんそのうち、消えるっぽいんだよな」
「え……」
突然の告白に、時が止まったような錯覚を受けた。どうしてと考えて、ここ最近の、彼のらしくない言動を思い出す。
「最近、ちょっと透けててさ。指とか。すんげー眠いし。なんとなく分かるんだよ。そのうち消えるって」
遠岸楽の焦りは、こちらに踏み込んでくる態度は、自分に残された時間が少ないから。
縁川天晴は、黙ったまま、言葉を紡がない。
「だから、お前ら二人に礼を言っておこうと思って。いつ消えるか、分かんねえからさ。俺、お前らと違って完全に死んでるから」
完全に、死んでいる。
確かに、もう彼の身体は焼かれ、骨になって納められている。
でも、目の前にいる遠岸楽は。
今ここに、いるのに。
「ありがとな。色々、お前らのおかげで、ただその辺り彷徨うんじゃなくて、すげえ色々考える時間が出来た」
「……」
夕焼けを背に、屈託のない笑みが視界に映った。彼は、こんな風に笑うのか。いつも彼は、平然としながらも悲しみの気配を纏っていた。
物言いは粗暴ながら落ち着いていて、夏が終わった秋の日差しのような人だった。
「お礼を言うのは、僕らだけでいいんですか?」
それまでずっと黙っていた縁川天晴が、口を開いた。
含みをもたせた声音に、私も遠岸楽も縁川天晴を見る。
「まだ、いるでしょう」
縁川天晴はそっと墓地の中、遠岸楽のお墓へ指をさす。そこには、七十歳くらいの柔らかい色のセーターを着た女性が立っていた。
「貴方は、あかりちゃんを助けてくれた」
縁川天晴の言葉を受けながら、遠岸楽は、女性へ視線を向けた。
「ばあちゃん」
答え合わせをするように、遠岸楽が呟く。女性は彼が見えていないようで、視線を彷徨わせながらも必死に何かを探していた。
「いるのかい。楽」
切なげな声色は、遠岸楽に憎しみなんて抱いていないことをはっきりと示していた。
女性はもがくような足取りで、私たちの立つ方向へ視線を向ける。大切なひとを探す瞳をしていた。
「なんで……」
「歩積さんが、墓参りしないかって会いに行ったらしいです。見知らぬ男子高校生も会いに行って、楽がお婆さんのこと心配してるって言って、ついてくるほどには、貴方のことを想っているようですよ」
縁川天晴の返答に、遠岸楽は声を震わせる。
「どうしてそんなことを……」
しかし、「楽」と呼ぶ女性の声に、すぐそちらへ顔を向けた。
「わたしなぁ、絶対おかしいって、ずっと思ってたんだよ。本当は、あのひとが殺したんだろう。お前、なぁ、お前、お父さんの罪を被ったんだろう。虫一匹殺せないお前が、出来るわけないって、だからあんな、今まで聞いたことないような言葉でわたしたちのこと、守ろうとしたんだろう! なぁ!」
女性は、とめどなく涙を溢れさせながら、ぺたぺたとお墓に触れる。墓石を通じて、彼に触れているみたいだ。
遠岸楽はそんな様子を眺めながら、目に涙を溜めている。
「ばあさんいいんだよ。俺は、いいんだ。もう。そんな泣かないでくれよ」
「お前、未来あったろう。いくらでもやり直せただろう。なんで死刑なんか。なんで、若かったのに。何でも、何でも戻れた。間違ったってよかったのにお前、私たちのことなんて守って死んじまうなんて、おかしいだろ。何でお前、生きててくれなかったんか」
「ばあちゃん……」
「わたしも父さんもどんな形であれ、お前に生きてて欲しかった……! 死んでほしくなんてなかった……! どんなお前でも……! 私たちはお前を、お前が好きだったのに……」
お婆さんは腰を丸め、墓石の前で蹲る。
震える手を合わせながら、祈るように目を閉じている。遠岸楽は、そっとお婆さんに近づいて、目の前にしゃがんだ。
「ごめん……死んで、ごめん」
遠岸楽は、頭を下げる。親に叱られた子供のあどけなさを残しながら、静かに、何度も。
「ごめんな」
そうして、そっとお婆さんの手に触れた。すると、お婆さんが、ふっと顔を上げる。
「いるのかい」
「え……」
お婆さんの瞳は、遠岸楽を捉えていない。けれど気配は感じ取っているらしい。「いるんだろう」と、優しい声で呼びかける。
「お前、とんでもないことして……馬鹿な子だ……」
「ばあちゃん」
「役に立てなくて、ごめんね……」
弱弱しい声に、遠岸楽は首を何度も横に振った。そんなことない。そんなわけあるかと繰り返しながら、お婆さんの手を取る。
「そんなことない。じいちゃんもばあちゃんも、すごい良くしてくれた。役に立てなかったのは俺の方だ。何にも恩返しが出来なかった。何にも、俺は返せなかった」
「あの世で、幸せになってくれ。頼む。次生まれ変わるとき、幸せでいてくれ。誰よりも、何よりも、自分の幸せだけ考えて、生きてくれ」
言葉もなにも、噛み合っていない。
一方通行だ。
お互いそのもどかしさを堪えながら、お互いに別れを告げる。
「私も、あとどれくらい生きられるか分からないけど、そっちに行くからな」
「ばあさん、長生きしてくれ。幸せでいてくれ。頼む。こっちには来ないでくれ」
「さみしい思いはしないでくれよ、また、会いに来るから」
「元気で、地獄になんて来ないでくれ。さよなら、ばあちゃん」
女性は別れの言葉を告げると、しばらくその場に蹲っていた。やがて夜が近づくと、自分の目元を掌で拭いながら、力強く立ち上がる。
そのまま女性は、墓場から遠のいていく。
残された形になった遠岸楽は、ただただ涙を流している。私と縁川天晴はそっと彼の隣に立ち、その背中に触れる。そうして気付いた。
遠岸楽の背中は、わずかに発光して透けている。本人も分かっているらしい。口に出す前に、首を横に振った。
「時間みてえだな」
遠岸楽は、ため息を吐きながら こちらへくるりと振り返る。
「俺が成仏できないの、未練だったみてえ。俺、やっぱ。ばーちゃんにさよならって言えなかったの、心残りだったっぽい。女々しいけど」
柔らかく、困ったような笑みに、わざとらしいくらいの明るい声だった。今まではっきりと見えていたはずの肩は、ところどころ透けている。
「女々しいは失礼な表現ですよ。女性的なことは悪いことじゃない。むしろ兼ね備えている」
ぴしゃりと、縁川天晴が指摘する。
「悪い。ちゃんとアレする。アップデートしていく。次は無いだろうけど」
「あるよ。絶対に」
私が付け足すと、遠岸楽は首を横に振った。
「いや、どう考えても俺は地獄行きだろ。じいちゃんの死体も、じいちゃんが殺した奴の死体、もめちゃくちゃにしてんだから」
死体損壊は罪だぞと、念押しまでしてくる。
環境のせいにしたら、いけないんだと思う。でも彼は、環境さえまともであったら、普通に彼の恩人と出会えていたら、今もなお楽しく暮らしていたんじゃないかとどうしても思う。
もっと、自分のことだけを生きていけるような場所で、生まれていたら。
「さくらに言っておいてくれねえか」
改まった声色に、彼とこうして会話をするのは最後なのだろうと実感した。
「なんて」
「将来変な男に捕まるなよって」
「親面?」
軽く返すと、遠岸楽は冗談交じりに否定した。
「違う。俺みたいなのがかっこいいって、明らかに男の趣味終わってんだろ。将来思いやられるわ」
「善処する。見分け方とか、わからないけど」
「ああ、アイドルだもんなお前。男っ気あっちゃいけねえもんな」
思い出した様子で、遠岸楽は鼻で笑ってくる。不快には思わなかった。
「で、アイドルさんよ」
「何突然」
「炎上の鎮火目的で死ぬの、まぁそうするよなって言ったけど撤回するわ」
まっすぐ見つめられた瞳に、ただ黙って言葉を待つ。
「お前は生きた方がいい。死なない方がいい。少なくともお前はやり直せる。お前の為に生きたいやつ、絶対いるだろ。そいつだけ見とけ。お前の隣に、お前は絶対リークもなんもしねえって、妄信信者がいるわけだし」
私は、縁川天晴を見る。
痛いところを突かれた。言い返せない。遠岸楽は矢継ぎ早に訴えてくる。
「お前まだ人も刺してないし、冤罪なんだろ? 遅くねえじゃん。絶対死ぬな。生きろ。お前が生きてるだけで、お前のこと叩いてるやつが苦しむなら、思う存分苦しませろ」
苦しませろ。
そんな暴論を言い放っているのに、その表情はどこまでも清々しいものだ。
いつもより早口で力のこもった言葉に、終わりが近いのだと感じる。
「生きて、生き続けて、ずっとずっと生き残ってやれ。お前のこと叩いてる分だけ、そいつらは自分に時間を使えない。誰の為にもならない。惨めに死んでいくんだぜ。完全犯罪じゃねえか。何があってもしぶとく生き続けて、お前を叩くやつら全員自滅させて殺して、堂々と天国に行くんだよ」
ばーか! と笑い交じりに、彼は光の泡になって消えていく。
空に昇り、一面の青色に溶けていった。
それまで彼が立っていた場所は、影一つなく太陽が照らしている。
「成仏、なのかな」
ざあっと吹き荒れる風が風車を回しているのを横目に、縁川天晴に問う。
「間違いなくそうでしょう。あんな笑顔初めて見ましたよ。彼ずっと、お婆さんにお別れを告げられなかったことが、心残りだったんですね」
大切な人に、お別れが言えなかった。
その気持ちは、痛いほどわかる。行ってしまう前に、お別れが言いたかった。
何で突然私の目の前から消えたの、どうして私のことを連れて行ってくれなかったの、残していくくらいなら行かないでよと、責める気持ちも、そんな自分に嫌気がさすことも。
そして、何も言わず去りたくなる気持ちも、よくわかる。
成仏したのだろうから喜ばしいことなのに。心の中に穴が空いたような、世界から取り残された喪失に駆られる。
「せめてあちらの世界では、安らかに在れるといいですね」
「そうだね」
私は自分が消えるとき、きちんとお別れが言えるだろうか。
縁川天晴を見た後、私は遠岸楽が消えた空を眺めていた。




