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第十二話


 あれから、弁護士さんはお寺の中にある客間へと通された。


 催しの準備をするときに使っているらしいそこは、夏だというのにひんやりと冷えた空気が広がっていて、凛と冴えるような部屋だった。


 木板作りの床の中央で、縁川天晴のお父さんと向かい合って座る弁護士さんは、歩積(ほづみ)さんというらしい。 おそるおそる縁川天晴が、おとといの朝の墓地について何か知っているとこはないか訊ねると、おまんじゅうや花を潰したことをあっさりと認めた。


「担当していた依頼主……国選なので依頼とは違うのですが……その、私が弁護を担当していた方の、お墓参りがしたかったので……」


「担当って、もしかして遠岸楽ですか?」


 自分の父の後ろに立つ縁川天晴が問いかけると、弁護士さんは小刻みに頷いた。墓の主である遠岸楽は、後ろのほうで歩積さんをじっと見つめている。


 かつて脅迫を行った相手への瞳は、憐憫や焦燥が複雑に絡み合い、憤りなんて入る隙間はないように感じた。


「声をかけられ気が動転して逃げてしまって……すみません。持ってきたお花やおまんじゅうが手元から消えていたことや、転んだ時に嫌な感触がしたことは分かっていたんです……」


 そう言って、彼女は通路を汚した理由を語りながら、居心地が悪そうに視線を彷徨わせている。額からは汗がいくつも流れ落ち、顔色も悪い。


「じゃあ弁護士さんが自分の担当した人間のお墓参りを、こっそりしに来た理由ってなんですか……? 誰かに追われているってわけじゃないのに」


 縁川天晴が首をかしげる。私もそこは気になった。芸能人でも、警察に追われる犯罪者でもないのだ。隠れたり逃げたりする必要なんてどこにもない。


 すると歩積さんは、「これは、私の見間違いかもしれないんですけど……」と弱弱しく前置きをした。


「最後に、遠岸が死刑判決を受けたときの顔が、忘れられなくて」


 歩積さんは未だ、滝のような汗を流している。でもその声音はしっかりとしていて、ゆるぎない確信を帯びていた。


「笑ったんです。あの子。一瞬だけ優しく。まるで安心したみたいに。その後はすぐ、私や裁判官に罵声を浴びせて強制退出にはなったのですが……」


 判決を言い渡された後、遠岸楽は、弁護士の女性を侮辱した。「なんで俺が死刑なんだ」「お前が地獄に落ちろよ」と罵り、絶叫した。


 裁判官が死刑を伝えた後、言葉をかけようとしたものの、遠岸楽は退場の運びとなり、最終判決で被告人不在で閉廷する異例の事態となった。


「でも、彼が私を脅迫するのは、暴れるのは、決まって裁判の時だけだったんです」


 歩積さんはハンカチで汗を拭いながら、俯きがちだった顔を上げる。遠岸楽は、じっと彼女を見つめたまま、視線一つ動かさない。握りしめられた拳は、耐えるように震えている。


「雨の日だけ、彼は面会を受け入れてくれました。でも、何も話さないんです。ずっと黙ったまま」


 雨の日だけの面会。


 いったいどんな理由があるんだろう。遠岸楽は気分で動くと言ったけれど、とてもそんな風に思えなかった。何か理由があっての行動だ。それは歩積さんが一番感じているのだろう。彼女は悲痛そうに、今自分の後ろにいる遠岸楽と同じように。手のひらを握りしめた。


「私、公判が終わってもなお、事件について調べてるんです。でも何も出てこない。すべての証拠が彼を犯人だと示してる。裁判での言動も、全部、私は彼が怖かった。弁護士である以上依頼人を第一に、法の下守るべきです。私は困っている人を助けたくて弁護士になった。でも、彼の国選弁護士に選ばれたとき、どうして私があんな人の弁護をしなくちゃいけないの。こんなことのために弁護士になっちゃんじゃない。あんな人、裁判なんてせずとも死刑でいいって……」


 裁判なんていらない。


 お金の無駄だ。


 人を殺したんだから死刑でいいじゃないか。


 遠岸楽に関することで、何十回と目にした言葉だ。軽くタップしただけで、彼の死を望むコメントがあふれていた。


「でも、今ふと思うんです。本当に、彼の判決は正しかったのかと……すみません。こんなこと、話すべきじゃないのに」


 歩積さんは、こぼれる涙を汗と誤魔化すように拭って、また俯いた。


「どうしてそこまですんだよ……」


 やるせなさを滲ませ、遠岸楽が呟く。その声は、私と縁川天晴にしか聞こえていない。しんとした静寂があたりを包む。みんな、何も言わない。ただただ黙っている。


 幽体ではなく私がこの場にきちんといたとして。どんな言葉を彼女にかけるのだろうと想像した。


 でも、何も言葉が浮かばない。今と同じだ。部屋の中は静かで、微かに聞こえる木々の音だけが、今、決して時間は止まっていないのだと教えてくれる。


「僕は」


 しかし、静寂を断ち切るように縁川天晴が口を開いた。彼は立ち上がると、そっと歩積さんの前に座りなおす。


「何も知らないですけど、担当してくれた弁護士の方がそんな風に考えてくれて、ありがたいなって思っていると思いますよ。遠岸楽は」


「え……」


「僕は彼についてよく知りませんけど、もし幽霊として逢ったなら、貴方を見て複雑そうに顔を歪めて、どうして俺のためにそこまでするんだよって、言っていると思います」


 その言葉は、まぎれもなくさっき遠岸楽が言ったものだった。歩積さんはハッと目を見開いた後、はらはらと散りゆく花びらのような涙を流す。すると、ぶっきらぼうな声が室内に響いた。


「適当なこと言ってんじゃねえぞ」


 その悪態は彼女に届かない。


 やがて遠岸楽は大きくため息を吐いて、居間から出て行った。



●●●



「俺の知り合いが悪かったな」


 すべてを話した歩積さんが寺を後にしてから遠岸楽の姿を探すと、彼は自分の墓の前にいた。大理石のプレートに名前が彫られた小ぶりの墓石と相対する彼は、視線をこちらに向けない。私と縁川天晴は、彼を挟むように隣に立っていた。


「まぁ、いいですよ。あかりちゃんが危険な目に遭いませんでしたし、怨霊もどきから助けてもらった恩もありますから。あかりちゃんを暗がりに連れ込んだのは許してませんけど」


 縁川天晴は得意げに鼻をならした。この状況でもそんな受け答えができるなんてどうかしている。


 しかし、遠岸楽は軽く相槌をうってから、呟いた。


「俺は、恩返し出来なかった」


 遠岸楽はいつも、鋭い視線で私たちを威嚇していた。


 でも今の遠岸楽に、そんな雰囲気はない。こちらを睨む一方で、神経を尖らせていたのだろう。そしてその理由は、おそらく……。


「工場長……じいちゃん、世話になったのに」


 ずっと誰かを庇って、守ろうとしていたからだ。


「俺の父親が事件起こしたのは、俺が小2の頃だった。その時は親父のしたことよくわからなかったからさ、家に訳わかんねえ張り紙がされんのも、悪いやつやっつけてやるって出会い頭に殴られたりするのも、全部貧乏なのがいけないって思ってた」


 彼は、地面を睨む。


 芸能人で調子にのっているからというだけで、その実家に嫌がらせをしていた人がいた。


 そんな些細な理由ですら、度を越したことを行う人がいる。


 その理由が、悪い人間を退治することに変われば、きっともっと、酷いことが出来る。


「でも、歳食うにつれて分かるじゃん。あいつが何やったかって。でもそれでも生きていかなきゃって仕事探しても、普通に切られてさ。そんな俺を助けてくれたのが、工場長とおばさんだった。俺のこと雇ってくれて、飯まで食わせてくれて、絶対恩返ししなきゃって思ってたんだ」


「じゃあ、やっぱり、貴方は……」


 人を殺してない。


 直接的否定されずとも、痛いほどわかる。


 だって、殺意が感じられない。


「優しすぎたのかな。おじさん。人を疑うこと知らなくてさ、やばい取引先と契約しちゃって、工場明け渡す、それが嫌なら女の社員売り飛ばすみたいなふうに脅されて、相手、刺したんだよ……いや、人殺す相手が優しいとか、ないかもだけど、俺にとっては、神様みたいな人だった」


「遠岸さん……」


「おじさん男殺したあと自殺しちゃってて、遺書とか置いてあるの。おばさん宛に。それでさ……家族でも何でもない俺にも、頑張って、こんなことになってごめんって謝ってんの。謝る必要なんてないのに。俺さぁ、俺に、俺に言ってくれたら、俺がさ、おじさんの代わり、どんな仕事でもやった。どっか国出て、出稼ぎでもなんでもしたのに。おじさん、おじさんそんなこと一言も俺に言わなかったんだよな。俺まだ何にも、恩返しできてないのに。なにひとつ、なにひとつできてないのに」


 遠岸楽は口元を押さえ、涙を流す。身体を揺らして、今もなおここにいない彼の恩人へと向かって、問いかけているようだった。


 彼はきっとおじさんを尊敬していた。恩返しがしたいと思っただろう。


 でもおじさんは、人を殺した。そして自分の命を絶った。手紙を残して。


 事件を起こした人間の家族がどうなるか、その身を持って知っている遠岸楽だ。残されたおばさんがどうなるか、想像したのだ。鮮明に。


「おじさんの周りでこれから何が起きるか、手に取るようにわかるんだよ。だから俺はおじさんを刺した。何度も、何度も、何度も。俺が刺せば、おじさんは加害者じゃなくなる。少なくとも世間からは被害者として扱われる。人を見る目がないって思われるかもだけど、おじさんの家に落書きされたり、無言電話でおばさんが攻撃されたりは、絶対されなくなる。あとは、警察が来るのを待って、恩知らずの化け物を演じるだけで良かった。捕まるまでおばさんに見られなかったことだけが救いだった。死刑になることだけが望みだった。おばさんにとっては俺が仇なわけだし……でも、裁判ってどんな極悪人で、嫌がられるような人間にも弁護士つくようにできてんだよ。国が勝手に決めちまうの。冤罪とかも、あるわけだから」


「だから、法廷で何度も暴れて……」


「可哀想だろ。俺なんか弁護するの。真面目に仕事したらした分だけ、あいつはディスられるだろ」


 遠岸楽は、笑った。笑いながら、自分を殺す過程を話す。


「弁護士には申し訳ないなって、ずっと思ってた。俺なんか弁護してディスられるのなんか目に見えてるし……。すっげえ酷いこといっぱい言った。不細工とか、見た目のこととかも言ったし、裁判官に何回注意されたか分からない。退出を命じられるたび、ほっとした。これで酷いこと言わずに済むって」


 俺のことを無罪に出来ないなら殺す。


 死刑囚はそう言って、退廷を──法廷から出ることを命じられたらしい。弁護士、そして被害者家族への罵詈雑言により退廷を命じられた数は、最も多かったと報じられていた。


 さっさと死刑にしろ。そんな声で溢れていた。まさかそうなることを、自分から望んでいたなんて。


 救われて──間違いを犯してしまった恩人を、守ろうとしていた。


 死後の世界があるのなら、彼のおじさんは、一体どんな気持ちで、彼を見ているのだろう。なにか言葉をかけた方がいいのに、何も言えなかった。簡単に彼を量れない。


 縁川天晴も、私も、ただ黙って遠岸楽の隣にいた。やがて話をしていたらしい歩積さんが、寺からそっと出ていくのが見えた。


 遠岸楽は、祈りを捧げる眼差しで、 姿が消えていくのを待っている。


「……どうして雨の日だけ、面会に応じたんですか」


 私は遠岸楽の祈りの邪魔にならないように、訊ねた。


 彼はずっと弁護士を守ろうとしていた。秘密を暴かれることを拒んでいた。それなら、ずっと会わないほうが目的は達成できていたはず。


「雨、すげえ寒いじゃん。靴濡れるし、靴下気持ち悪いし、絶対片手塞がるし。足元悪いのに、来てもらって悪いなーって。硝子隔てても、人殺しと対面するなんて怖いだろうし、話す気なんてさらさらないから、黙ってそっぽ向いてたらいいかなって。それが間違いだった」


 間違いじゃない。


 間違いだとしても、いいはずじゃないか。


 そう口にして、果たして遠岸楽は救われるのだろうか。今歩積さんが墓参りをしていることは、彼の望みとは遠い。私たちはそれから、遠岸楽が墓を出て、弔いの場所から立ち去っていくのを縁川天晴と一緒に見届ける。


 僅かに土と冷たさが滲む雨の気配がしていた。



 遠岸楽(とおぎしがく)は、歩積(ほづみ)さんが完全に去ったのを見届けると、雨の始まりとともに墓地の奥へと消えていった。成仏したかはわからない。降り出した雨が窓を撫でるのを眺めた後、常夜灯に照らされた寝台へ視線を移す。


「起きてる?」


「当然ですよ!」


 それまで掛け布団にくるまっていた塊がぐるりと回転して、ぎょろりとした目が二つこちらに向く。


 あれから私と縁川天晴(えんがわあまはる)は部屋へ戻ってきて寝ることになった。彼はいつも通りの調子で、「あかりちゃん寝ないと! もう夜遅いですよ!」と私のために丁寧に客人用の布団を床に敷き、自分はベッドに飛び乗り寝に入っていたところだった。


「遠岸さん、成仏したのかな」


「どうだか。でも、わりと普通に墓地のほうに戻って言った感じありますよね」


 幽体の存在は、なにか心に一区切り付いたら消えるのだろうか。仕組みがわからない。幽霊は、私はいつこの世界から消えることが出来るんだろう。


 自分が消える瞬間を想像してから、私は縁川天晴に顔を向ける。


「かっこよかったよ」


「あいつがですか?」


「貴方が」


 縁川天晴は、遠岸楽の想いを代わりに伝えていた。言葉を聞いたことで、確かに歩積さんは救われていた。


 人を救える人は、すごいと思う。


「ヒョァァァァ」


 しかし、縁川天晴は、笛みたいな声を出す。


 私は呆れながらも付け足した。


「貴方が遠岸楽の気持ちを伝えてなかったら、たぶん歩積さんずっともやもやしていたんじゃないかな。貴方のおかげで、前が向けるようになったと思う。希望が入ってるかもしれないけど」


「なるほど……俺なんかでも誰かを助けることが出来るものなんですね……」


 まるで他人事のような返答に、少し呆れた。


 いじめられて、自己評価が低くなってしまったのだろうか。それともただの謙遜か。


「私も、救われてるところがあるよ」


 救われては、いけない。本当は私が彼を救わなきゃいけない。


「全然救えてないですよ。ずっと僕が、貴女に救われてます」


 縁川天晴が、ぽつりと呟く。返事が出来ない。


 私はもう歌で元気づけることも、アイドルとして彼の背中を押すこともできない。


 だからこそ手遅れになる前に、果崎あかりへの信仰を、羨望を私から逸らさないと。


「どこまででも、応援します。ついていきますから」


 かけられた声にハッとした。縁川天晴の方を見ると、暗がりの中こちらを見つめている。黒い瞳は常夜灯に反射して、猫みたいだった。ただ猫だと茶化せる隙間はどこにもない、真剣なまなざしだ。


 だからこそ、果崎あかりを忘れてほしい。


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遠岸くん誰か庇ってそうとは思ってたけど工場長だったんですね…まじで、自分がどんな目に遭ってきたかわかるから亡くなった工場長や奥さんがどうなるかもありありとわかって、そんなことになるくらいなら自分がって…
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