第十話
遠岸楽の裁判が起きるたび、ネットでは「もう死刑でいい」という言葉がトレンドに上がった。彼は元々、強盗殺人を行い無期懲役が求刑され、死刑にならなかった被告の息子だった。家を出て仕事にもつけなかった彼を、被害者の工場社長が雇い、自分の息子のように可愛がった五年後に、惨劇は起きた。
その凄惨な犯行や衝撃的な出自に対して逮捕時、朝の報道番組のコメンテーターの俳優が、「血は争えない」とコメントし、加害者家族の人権問題を指摘され、出演予定だったドラマを降板するなどその影響は芸能界にも及んだ。
そんな遠岸楽は、裁判になっても世間を騒がせた。法廷で被害者への言葉を促され、出てきた言葉はほかならぬ侮辱だった。
被害者の妻──工場長の妻に対しても、「どうでもいい」から始まりひどい言葉を浴びせかけ、挙句の果てに自分を弁護した女性に、「俺のこと無罪にしねえならぶっ殺す」と脅迫まで行った。
そんな相手とはいえ、なんとなく今までの犯行と、これまでの行動が噛み合っていないように感じる。そう思いながら夜、縁川天晴が寝静まったあたりで墓場を見回りしていたものの、不審な人間も見なかった。
それから週が明け、私は縁川天晴と一緒に学校へ行った。彼の変貌にクラスの人間は完全に彼の見方を変えたようで、アドレスやSNSのIDを聞かれていたけど、本人は「スマホ持ってないんです。お寺の跡継ぎなので俗世のことはちょっと……」なんて大嘘をつき、笑いを取っていた。
「もうしばらく学校はいいです。疲れるので。引きこもりに週休二日制は無理があります」
そうして訪れた放課後、憎々しい土砂降りの中で、縁川天晴はげっそりした様子でため息を吐く。
心なしか顔色も悪い。
よほど引きこもり生活が長かったのだろう。「みんなは五日間通ってるんだよ」なんて安直な言葉も、今の彼に発すれば殴りつけたも同義だ。
私は「家帰ったら休みな」と彼に声をかけた。
「推しに心配されるの嬉しいですけど、ファン失格ですね……もう二度と学校行かない」
そこは同意しかねる。とはいえ、縁川天晴がどれだけ引きこもり生活を続けているか知らないけれど、この体力のなさは異常だ。二日連続ならまだしも、昨日はずっと家にいた。今日は休みが必須だろうけど、果たしてこのままでいいのか不安を覚える。
「っていうか、私は濡れないから、いいよこっちにまで差さなくて」
縁川天晴は、私にまで傘を差している。だからか肩が濡れていた。雨に降られる概念なんて、暫定幽霊にはないのに。
「推しとの貴重な相合傘ですよ」
縁川天晴はただ真っすぐと私を見た。
「入っててください」
諭すような声に、私は俯く。「行きましょう」とかけられた声があまりに優しい。
「知ったかぶりヲタクムーブをしちゃうんですけど、あかりちゃん、雨、嫌いでしょう」
「え……」
「雨の日のブログやツイッターは言葉が固いですし、そのわりに絵文字が多くなってましたし、雨の日だと、明るくなるから。素の貴女は──すごく静かで、落ち着いている人だってわかってから、確信しました」
縁川天晴の推理に、私は思わず立ち止まった。地面にはぽつぽつと水紋が出来て、私たちの足元を濡らしていく。
好き嫌いなんて、自分が伝えない限りは、知られないと思っていた。
彼はゆっくり私を振り返る。私を傘に入れて、自分の肩を濡らしている。
その瞳は、ただただ優しいものだった。
●●●
私がリークしたとされる遥は、梅雨の、旅行ロケで初めて話をした。
春夏秋冬、季節の折に放送される特別番組で「いつも忙しい芸能人に休暇を!」というコンセプトのもと温泉街など観光地をゆっくり歩いて、そこの名物を食べたりする。
映画やドラマの撮影と異なり大規模に交通整理はしない。休暇の雰囲気を大切にする番組だった。
街全体に撮影に協力してもらう分、宣伝にもなれればと思うし、「アイドルの自然体を!」と道中の発言も制約がないから不用意な発言で街全体のイメージを落とさないよう気を引き締めなきゃいけない。
その特別番組の、さらに特別版。紫陽花の見える観光地で、憂鬱になりやすい梅雨こそ旅行へというコンセプトのもと、その撮影では私と、遥、そしてドラマの宣伝のためキャスティングされた後輩のアイドルの七星まつりと三人で出演することになり、私は進行役を担った。
撮影自体は、なんの滞りもなく出来ていたと思う。
でも、問題はその後だった。
アイドル三人の中で、クイズを行い最下位だったらお土産や名物が食べられないという企画があり、番宣で来た後輩がたくさん映るため彼女の敗北はあらかじめ決まっていた。だからこそ休憩時、彼女だけお昼を食べることになった。
撮影準備の待機も兼ねて私とも同行することになり、近くの和食屋さんに入ることになった。
メニューを眺める七星まつりを見ながら、飲み物を選ぶ。年は二つしか変わらないといえど、七星まつりが私や遥に気を遣っているのは明白だった。
私が飲み物を決めてしまったら、後輩を急かしてしまう。様子を伺っていれば、遥はすぐフルーツジュースにするとメニューを置いて、七星まつりが慌てて蕎麦にしますと続いた。
遥とはその日初めて関わったとはいえ、事務所も同じだしある程度の人となりは知っていた。
朝レッスン室にいると、大体どちらかが事務員さんから鍵をもらって部屋を開けていたし、先生に無理を言ってボイストレーニングを追加してもらうと、あっちもいた。
彼女のマネージャーはやる気のある人で、よく彼女のことを売り込んでいた。
私が注文をお願いして、この空気がカメラの向こうに伝わってしまわないよう考え、後輩である七星まつりのパフォーマンスが下がらないよう、なるべく口数を増やすことに努めた。七星まつりは、笑っていたと思う。遥も、距離はあれど後輩に酷い態度をとることはなくて、安心していれば料理が運ばれてきた。
「うち、撮影禁止だから。それと、食事するときはスマホしまいな」
店主のおじさんは料理をテーブルに乗せると、厳しい顔つきで去っていった。もし現場から連絡が来てもいいよう、スマホは三人ともテーブルに出していて、ひとまずしまおうとすると遥が店主のおじさんのいなくなった方向をじっと見ていることに気付いた。
「あのおじさん、感じ悪くない? なんであんな最初からキレてんの?」
遥は店主のおじさんの姿を探すように視線を動かした後、スマホをタップし始めた。
「嫌なそば屋って書こ」
「ど、どこに」
「ツイ」
簡単な宣言に、心の奥がひやりと冷たくなった。遥のフォロワーは、96万人いた。そんな人が一斉に特定のお店のことを発信してしまったら、間違いなくお店に影響があるだろう。当時はそう思った。
「だって私たちは、こう……芸能界にいるわけだし、影響とかあるじゃん。こうやってお店のこと悪く書いて、お客さん来なくなったら、お店の人困るし」
「でも、うちらだってディスられることだっていっぱいあるし。お店やってんだからさ、仕方なくない? それに嘘書くのも違うじゃん」
遥の目は、どこまでも真っすぐだった。嘘を書く。そんなつもりで言ってない。なにを言えば彼女を説得できるのか。言葉を選んでいるうちに、遥は出されたフルーツジュースを飲んで、机にがつんと置いた。
「っていうか、ちょっと入所先だからっていちいち言ってくるのウザいよ。二週間くらいしか変わらないじゃん。先輩面?」
遥はお金を置いてお店を出た。七星まつりはおろおろしたまま私を見ていて、その場はそこで終わった。
結論から言えば、遥はお店について書くことはしなかった。ただ、私への態度は決定的に変わった。仕事ではこれまで通りだったけど、レッスン室で一緒になると、露骨に避けられるようになった。
でも止めなければあのお店に影響が出ていた。せっかく頑張ってお店を開いて、営業しているのを台無しにする拡散力──凶器を私たちは持っている。
止めたことに後悔はしていない。ただ、もっと言い方があったと、今は思う。
前はフォロワー数の多いことの影響力について思い悩んでいた。
SNSのフォロワーの数が増えるたびに、何を呟いていいかわからなくなった。じわじわハードルが上がっていって、この表現は誰かを傷つけないか、こういう風に受け取られたらどうしようと悩んで、更新も減った。失敗するのが怖かった。間違えたくなかった。
けれど、そもそもフォロワー数なんて関係ない。私はただ一人に言葉を伝える場で、失敗した。
間違えたのだ。




