反抗期のさなかに人生二度目だと気づいたその後
今作はカクヨムの公式企画のお題「未知」用に書き下ろしました。
「小山さーん、ドイツ語また一位じゃん。おめでとー」
前回の試験結果の貼り紙の前で、クラスメイトの山下登夢が俺の背中をバシバシと叩いた。
俺の名前は小山蓮司だが、おやっさんとかおやじさんと呼ばれることが多い。いわゆるニックネームだが、最近では年上の先生たちにも呼ばれたりする。数学の先生が言うには、俺にある種の貫禄があるということらしいが、特に異論はない。よっぽどのベテラン先生でもない限り、俺から見れば、先生だってまだまだ十分「若者」だからな。
東森高校では合計点数や全体の順位は貼りだされないが、科目別にテスト上位5人分の名前が貼りだされる。今時珍しいともいわれることがあるが、生徒間では通称「表紙入り」と呼ばれるこの貼り紙は、けっこうゲーム感覚で好意的に受け入れられていた。定期テストだけじゃなく小テストも出るため、一科目だけなら表紙入りできるかもって、けっこう目標にしやすいからな。
公立高校では珍しく第二言語が複数選べるここで、俺は入学以来、ドイツ語だけは一位をずっとキープしていた。
「いてて。お前力強すぎ。ていうか、山下も英語一位じゃん。くっそ、あと一問正解だったら同率だったのに」
手加減なしに叩かれた背中をさするふりをすると、山下はテヘッといたずらっぽく笑う。背は俺より頭一つ分くらい小さくてかわいい顔してるくせに、こいつ、力だけは強いんだよ。(しかもこの怪力と人懐っこさでモテるらしく、高校入学してからの告白してくれた女子は同高だけでも五人はいるらしい。くっ)
「へへっ。次も逃げきるぜ。ていうか、小山さん、冬休みに中国語の短期講習受けるんだって?」
「ああ、よく知ってるな。二年の特別コースも考えてるから、とりあえず受けようかと思ってる」
二年からは第二言語を特別枠で増やすことが可能なので、ロシア語か中国語を増やそうかと考えていた。受けなくても単位は問題ないし、放課後も削られるけど、大学受験はかなり有利になるそうで、受ける生徒は多いと先輩に聞いた。
「やっぱりな。さすが目標十か国語を喋れる男。俺も受けることにしたからよろしくな」
「おう」
そんな俺たちのところへ、自分も受けるのだと可愛い女子が数人集まってくる。
年末年始にお互いモノ好きだよな、なんて笑いあう俺の奥で、大人の俺が目を細めた。
小山蓮司は中一の夏から中二の冬にかけて引きこもりだった。
そんな俺が、こんなリア充な高校生活を送るなんて、あのころ想像もしなかったんだ。
***
前世を思い出したのは中二の冬休み直前だった。
とはいえ絶賛不登校中だった俺は当時、もうすぐクリスマスだから冬休みになる頃だろうという感覚しかなかった。
ただ毎日イライラしてた。
一つ一つは小さなことだけど、少しずつ積みあがっていった何かに息ができなくて、毎日家族に当たり散らしてた。
小学校の時は楽しかったんだ。
休み時間も放課後も校庭を走り回ってたし、ゲームも好きだった。雨の日の読書だって好きで、成績もよかったし、友達も多かった。
初めての制服に緊張と期待でいっぱいだった中学の入学式。うちの学区が友達とずれてたせいで、まわりはほぼ知らないやつばかり。それでも友達なんてすぐできたし、最初は楽しかったんだ。
でも歯車が狂った。
得意だと思っていた算数が数学に変わったとたん、がたんとテストの点数が落ちたのが最初だっただろうか。答案用紙を見た母親が、ほんの少し眉をひそめたのを見たときだっただろうか。
声には出さない声が聞こえた。
責められた気がした。
たぶん、そんな小さなことから始まった。
その後、自分の中に少しずつイライラが積もって積もって、学校でもだんだん口をきかなくなると友達も離れていき、学校へ行こうとすると吐き気に襲われるようになった。
毎日ベッドでゴロゴロして動画を見て、好きだった本もゲームもできなくなって。
(これがゲームやお話の中なら、リセットしたり過去に戻ったりできるのに)
そんなくだらないことばかり考えて、ただ惰性で過ごしていたんだ。
「うるっせえんだよっ!」
ある日何でもない母親の言葉にブチッと切れて、手元にあったマグカップを投げつけた。母に当てるつもりはない。まだ暴力を抑えるだけの理性はギリギリ残ってた。
だけど母の横を飛んで行ったカップが壁にあたったとき、壁にかけられた鏡に映った自分に驚いた。
血走った目。
伸ばし放題で、くしも入れないからぼさぼさになった髪。
この一年でずいぶん背も伸びてたらしく、髭も伸びてたその顔は、全く自分とは思えなかった。
砕けたカップを見て、泣きそうな母親の顔を見、もう一度鏡を見る。
その時自分の中で何かがはじけた。
(おい小僧。ずいぶん甘えてんなぁ)
その呆れたような野太い声が前世の自分の声だと気づいたのは、それから少し後のことだ。
前触れもなくそのままばたっと倒れた俺は、それから三日三晩高熱に浮かされた。
今思えば、あふれ出す前世の記憶を処理するための知恵熱だったんだろうと思う。
それは異世界かもしれない。あるいは失われた地球の古代文明時代かもしれない。
記憶は鮮明なものも曖昧なものもあったけれど、自分がクーという男だったことを思い出した。享年は五十五歳くらい。
目が覚めたときは見慣れぬ病院のベッドの上で戸惑ったけれど、意識が戻った後は健康に問題がないということですぐに退院した。
「まるで憑き物が落ちたみたい」
とは母が父に言ってた言葉だが、どちらかと言えばむしろ憑いたほうに近いんじゃなかろうか。それでもその日を境に反抗期が終わったんだから、親からすればそう見えるのも仕方がないだろう。
冬休みの間は冷静に今の自分について、そして前世について考えた。
「ようは俺、暇だったのか?」
あえて声に出すと妙にしっくり来て、自分の状況に苦笑する。
もちろん反抗する理由は自分なりにあったとはいえ、やってたことは今でいう黒歴史に他ならない。
「クーの時代には反抗期ってなかったよな」
というか、あのころの反抗期と言えば、物心つく前の幼児があれヤダこれヤダ言ってる時代のことだったと思う。
前世の世界は生きるのに必死だった。働かないで文句垂れてるのは、死にたいと言ってるも同然だったからだ。
働かないやつに分けてやれる食い物なんて皆無だったし、今みたいにスーパーやコンビニもない。手軽に狩れる動物だっていないし、そもそも狩りができるなら働けるということだ。解体だって簡単じゃない。
十三歳なんて大人の手伝いが十分できる年で、前世なら必死に働いてたから、なにが嫌だのコレが嫌だの言ってる余裕なんてまるでなかった。
もちろんあのころだって、体が大きくなっていく過程でのイライラはあった。
けれどそれは思春期のホルモンのせいらしく、親離れのために必要な過程だったのだろう。収穫期が終わった後の祭りが過激だったのは、これを発散するためだったのかもな。
そんなことを、こちらで調べた知識なんかと合わせて考えた。大人の記憶がよみがえったとはいえ、今の身体は未熟な子ども。無性にイラつくことはやっぱりあったからだ。
でもこれはホルモンのせい、成長している証拠だと思えば、自分で押さえることなど造作もなかった。
親のこともそうだ。
蓮司の父も母もまだ三十代。まだまだ若い。というか、クーの記憶で考えると、本当に若くて驚く。
しかも村全体で子育てをしてたクーの時代とは違って、両親どちらも一人っ子。産んだ子も俺一人とくれば、勝手がわからないのも当然すぎて責められやしない。
だってさ、クーのころはみんな子どものころから弟妹や近所のガキどもの面倒を見つつ、大人に交じって働くのが当たり前だったんだぜ。怪我もトラブルも山とあったけど、それは経験として積みあがっていく。
でも蓮司の親はそういう経験ができなかったんだ。もちろん俺も。
ネットや本で知ることがあっても、やっぱりちょっと違うよな。
クーの時代は、出生と乳児の生存率を上げるために十代の子作りが禁じられていた。先々代の長が決めたことだったけど、掟ってやつは全員が生き抜くためにできたルールだから甘くはない。
だからクーが所帯をもったのは二十歳の時で、二十五で結婚した両親とはそれほど育児の年齢では離れていないと思うんだ。けれど、一人しかいないという差はすごいのだと思う。
(まだ若いもんな。失言だって失敗だってするよな。当然だわ)
以前の自分が、若くて未熟な両親に多くを期待しすぎていたのだと気づいた。大人だって子供が思うほど大人じゃないんだよな。それでも子供、つまり蓮司一人を一人前の大人に育てるため、二人とも必死だったことが理解できた。
そうして大人の記憶を自分の中に芽生えさせた俺は、三学期から学校に通うようになった。
冬休みから猛勉強し、授業についていけるように頑張った。
最初は腫物扱いだったクラスメイトも、中三になるころには気にならなくなったらしい。なにせ俺がなんでも面白がるもんだから、クラスに図体のデカい弟ができたみたいな感覚になったようだ。
だってさ、令和の日本は面白かったんだよ。正直言って夢中になった。
クーの時代は自分の村だけが世界の大半を占めていた。
隣村に行くのだって徒歩で半日かかるようなところで、たまに訪れる旅人だっていいやつもいれば悪いやつもいるから、常に警戒は必要だった。
王様や魔法の話も聞いたけれど、それが本当なのかおとぎ話なのか、今となっては知るすべはない。
家族を守るために生きて、最後は獣――ファンタジーに出てくるような魔獣だった――に襲われ家族を失い、末の息子を守って死んだクーは、今の日本から見れば狭い世界で生きた不自由な男だったのかもしれない。
でも今は職業選択の自由がある。
隣村どころか日本中のどこにだって行けるし、外国にだって行ける。いずれ宇宙にだって行けるかもしれない。
学校に行くのに授業料も教科書も無料とかありえないだろ?
もしあの頃もそういう学校があったら、うちの子らにも通わせてやりたかった。特に好奇心旺盛だった四女と五男なら、学校にどれほど喜んだろう。今みたいな時代だったらきっと、二人とも十になる前に病気で亡くすことだってなかったかもしれない。
十まで生きられる子供が少なくない時代だった。
息子が八人、娘は四人いたけれど、生き残れたのは半分以下だった。みんな可愛い子たちだったんだ。
だからあの子たちが生きていたらと考えたら、今の時代に生まれたこと自体がチートとしか言えなかった。
剣も魔法もないけれど、すごい力もないけれど、それでも自由が尊かった。
外国に興味をもったのは、自分が生きた土地が世界のどこかにあるかもしれなかったからだ。いや、単純に未知の世界に触れてみたいと思っただけかもしれない。
外国に行くなら、その国の言葉を話せたほうが絶対楽しい。
それに、前世の家族は外国に転生している可能性はゼロじゃないだろう。
十か国語を話せることを目標にしたのは、そんな単純な理由。
最初にドイツ語を選んだのは、ネットで見た風景がクーのいた世界に少し似ていたからだ。
どうせ生きるなら好奇心旺盛に学ぼう。
今もまだ無性にイラつく日はあるけれど、それも成長の証。
クーの記憶が少しずつ薄くなっているから、いつか消えてしまうかもしれない。
それでもすべての経験は、きっと俺の中の宝になっていくだと思う。いや、そうしたいと決めた。
***
「おやっさーん、語学講習の後、みんなでカラオケ行こうってー」
「おう、行く行く!」
冬休みに入り、もうすぐ今年も終わる。
来年も楽しみだ!




