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針路を北へ、森を抜けて

 血の気が、頭の頂点に冷気を浴びせられたように引いていくのがよくわかる。

 愛子はスマホを一生懸命に天にかざしている。静もスマホを片手に、文字通りぐるぐる回っている。電波を捕まえようと必死だ。

「だめ、繋がって・・・・・・・・」

 半分泣きかけている愛子がいる。

「お願い、捕まえて」

 祈りを唱えるように口走る静香がいる。二人とも、必死だった。

 通常、地図上では圏外でも、標高が高ければ通信可能不可能はあるにしても電波を捕まえることができることがある。登山客が遭難したときに使えそうも無い携帯電話が使えるのはそのためだ。が、ここでは電波の「で」も得られないらしい。

「どういうことなんだよ、説明して!」

 静香が大声を張り上げ賢治に食って掛かった

「落ち着け落ち着け、俺だってわからないんだわっ」

「わからないで済むかこのスカタンっ!天測でもなんでもやって今どこにいるか調べろ」

「今は昼だぞ。星も出てないのにできるかっ」

「っるさい、やれったらやれ!今の位置がわからんかったらシバクぞ」

 お互いデットヒートしていく。クールビューティーな静香がとりみだすのは珍しい。そんなふたりを尻目に愛子の視線は二人を通り越して、山の向こうを指している。

「勇治だって、なんで安易に水路を出ようとしたの?オフィシャルが梯子をもって来るのを待てば良かったじゃない!」

怒りの矛先は賢治から僕にも向き始めた。

しかし、あの暗渠の向きはどう考えてもフィールド端の出口に通じているとしか思えないし、オフィシャルが持っているかどうかもわからない梯子を待ち続けるのか。

「安直だったと思うよ。でも、こうなるの、誰もわからないじゃん?」

「だとしても、よくわからない道を進むからこうなるんじゃない」

「いや、そうなんだけど・・・・・・」

こちらとしては言い返せない。

「静香さん、オフィシャルのところにはあの穴を昇ぼれる脚立はないよ。せいぜい2m程度だよ。」

トシさんに言われ、一瞬静かになる。

「それに、足場の悪いところで脚立を使うと倒れるからなおさら危ない。落ち着こうよ。」 

 ふと目を遠くへそらすと遥か遠くの山に異形の月が白く輝いていた。三日月でも半月でもない、ひどく形のゆがんだ、形の悪いジャガイモのような月。何かがおかしい。何かが狂ってる。


「とにかく、星が見えないのに、見慣れた景色が無いのにどうやって天測しろってんだ。頭おかしぃぞ、落ち着けビッチ」

 山麓から強い風が僕達を突き上げ、さらに賢治の余計な一言で静香は怒髪天を突いた。

「ビッチってなんだってぇ・・・・・・・・・?髄液精液男が何を言う?頭かちわ・・・」

 愛子は物騒な言葉をはきかけた静の喉にすかさず左腕を巻きつけ、右腕を左腕に交差するように、スペシウム光線を発射するポーズをとる。そのまま右腕で左腕を押さえつけ、果物からジュースを搾り出すように静の喉をぎゅ~っと締め上げる。愛子が、静を落としにかかってる。 が、すぐに緩め、静は咳き込みながら崩れ落ちた。

「なにすんだよ愛子ぉっ、この状況、わかってんの!?」

 静香の怒りと金切り声は愛子にも向けられた。静は遠慮介錯なく愛子の胸倉をつかみ上げる。しかし、愛子は静香の剣幕にも微動だにせず、右腕を山の向こうの、得体の知れない月に向けた。

「何ふざけてんだよ」

「月・・・・・・・・・・・・・・ジャガイモみたいな月が・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 愛子の口調は氷のように冷たく、ドライアイスみたいな言葉が途切れ途切れに吐き出されていく。

「月がどうしたって?ウサギが粉ふき芋でも食ってんのかよ?」

「いや、見て、いいから。私を叩くのならそれからでいいから」

 静は脊椎をねじ切る勢いで、愛子が指を指してる方向を向き、そしてその状態で固まった。それにつられてデッドヒートしている賢治も同じ方向を見る。

 ジャガイモみたいな月が一個、山を這い出て空に腰を据えようとしている。さらに、山陰からもう一個の月が顔を出しかけていた。

 次第に愛子の胸倉をつかむ静の手が緩んでいく。


 --なんじゃこりゃ


 風が何事も無かったのように、いや、それがあたりまえだよと言わんばかりに流れている。 

 どこまでも続く青空を散歩する雲も、What's happen?と語りかけてくる。

 太陽は廃工場のときと同じように強烈な可視光線と赤外線と紫外線を放ちつづけている。その光線は相変わらず肌に剣山となって突き刺さる。


 僕達5人の存在そのものが当たり前ではないような。その場にいた全員がそのように頭に浮べたに違いない。何が起きた?あの洞窟はどこにつながっていたんだ?月は幾分楕円だけどほぼ球体じゃなかったのか?そして、なぜ2個ある?ただ、ひとつだけパニック状態の頭で理解できたことがある。「ただごとじゃねぇ」


 これからどうしようか、それだけが話題であり課題でもある。

「アルプスで遭難しかけたときみたいだな」

 トシさんの思わぬ発言に一同が凍る。

「そのときは来た道を何とか戻れたんだけど、今回は戻る道すらねぇからなぁ。」

 トシさんはボヤきながらバッグから煙草と携帯灰皿を取り出し、火を点けた。肺から勢い良く吐き出された空に煙が上がって行く。

 いや、それ、今する話じゃないだろう。

「どうします?あの洞窟の前まで戻ります?」

 自称・人生ビバーグ中の賢治が尋ねた。

「ちょっと休憩しようや。飛行機かなにか通るかもしれない。あ、そういえばラジオもあったような」

 またバッグをゴソゴソとほじくりかえす。なかなか出て来ない。

 僕らも荷物を置いてその様子を観察する。まるで四次元ポケットの中をさがすドラえもんだ。

「確か底の方に転がっていたような・・・・・・・あった」

 バッグから出てきたのは小さな灰色の変哲のないラジオだ。アンテナを伸ばしスイッチを入れる。そして、ラジオ局の自動選局だ。しかし、ノイズばかりで何も聞こえる様子はない。FM、AMはもちろん短波も聞こえない。次第にトシさんの咥え煙草が短くなって行く。ラジオを一旦地面に置き、灰を灰皿へ落とす。うーん、と悩む。ぼくらはどうすれば良いのやら。

「そのラジオ、エアバンドは受信できます?」

 そう聞いたのは愛子だ。

「エアバンド?航空無線?」

「そうそう。あの無線って結構飛ぶから、聞くことができれば何かの手掛かりになるかなぁなんて思って」

「ああ、なるほどね」

 トシさんはまたラジオの設定をいじり、自動選局にした。

「航空無線の周波数なんてわからないからスキャンを繰り返すモードにしたよ。」

 ラジオの液晶画面では数字が目まぐるしく変化していく。しばらく見ていると118から136の間を往復しているようだ。しかし、一向に飛行機の会話を捕まえる気配はない。

「飛行機なんていつ飛ぶかわからんしねぇ」

 トシさんが2本目の煙草に火を点けた。

僕らもバッグから飲み物を出し、一息つく。ここは待ちの一手らしい。時計を見るともう2時を過ぎている。そして、待つこと30分。ラジオからノイズ以外が聞こえることはなかった。


「トシさん、もう一度反対側に行ってみません?もしかしたら、なにかしらの道に出るかもしれないし」

 言いだしたのは賢治だ。

「え、でも、林がどこまで続いているかわからないし」

「だとしても、この斜面は降りられないし、これに沿って進んでも良くわからない場所にでるんでしょ?だったら、フィールドに近い場所に出るかもしれない、反対側に進んだほうが希望があるのでは?」

「下手に動いても状況が悪化するかもよ。」

 またトシさんと賢治が相談を始めた。確かにどちらの選択肢を選んでも状況が良くなることはないだろう。

「どっちにしても、私たち、遭難したんでしょ?ラジオも聞こえないんでしょう?更に、月が二つもあるんでしょう?」

 口を挟んだのは静香だ。

「確かに迷ったら下手に動くと状況が悪化するとは聞くけど、もう既に最悪の状況じゃない?ここで助けが来るまで何日も過ごすの?そもそも、今いるここって、私たちが知る場所なの?」

 さらに続ける。声が震えているようだ。

「こんなこと言うもんじゃないとはわかっているけど、今流行りの異世界転生状態なんじゃないの?」

 今、なんて言った?

「死んでないから転生じゃなくて、転移だけどね」

 ツッコミを入れる愛子。

「なに馬鹿なことを言ってるの?」

 賢治が不安気にツッコンで来た。

「私も馬鹿なことを言ってるんだろうなと思ってるよ。でも、ラジオってFMはともかくAMは受信できる範囲はめちゃめちゃ広いでしょう?それでも受信できないってどういうことよ? それよりも重要なのは月が2個あるってこと。しかも球形じゃないんだよ?」

 確かに異世界転生のくだりは差し置いて、静香の言うとおりだ。

「もしかしたら、夜になれば聞こえて来るかもしれないよ。でも、見知らぬ林の中でテントもないのに夜を過ごす?それこそ、危なくない?せめて山を下だってからにしたほうがよくない?」

 静香の言うことは間違っているかもしれない。それは本人もわかっているはずだ。でも、ここで過ごしていて大丈夫なのだろうか?

「トシさん」

 愛子が口を開いた。

「トシさんは山登りが好きで野営もするからここでもテントなしで過ごせるかもしれないけど、私と静香はキャンプ場で、しかもテントとか準備された状況でしか経験がないの。しかも、ここ、水場がないでしょう。せめて、流れる川が近い場所まで移動しない?」

 うーむ、と考え込むトシさん。確かにキャンプの準備も無いし、飲み物も残り少ない。更に言うと、賢治はわからないが、僕もキャンプ場以外での野営は経験がない。

「わかった。とりあえず山を降りよう」

 トシさんはそう言うと取り出したラジオをしまい、バッグを背負った。それに倣って僕らの出発の準備をする。そして、元来た方向へと進み始めた。


 しばらく歩くと斜面に僕らが出てきた洞窟の入り口が見えてきた。それを脇目にひたすら進む。20分ほど歩くと林が途切れて空が現われた。ジャガイモの月は2個そろって仲良く空中散歩をしており、風も雲も相変わらず悠然と流れていた。更に歩くと緩い下だり斜面が現われ、足を滑らせないように注意しながらゆっくりと足を進めた。遠くには道らしい一筋の線が見える。途中幾度も足を滑らせ転びそうになるが、そのたびに足を踏ん張り、他の人の助けを得ながら慎重に下った。眼下にはススキが群生しているような草原が広がる。この藪を突破することになるのだろう。

 山を降りきる。目の前にはススキというか、ガマの穂というか、ネコジャラシというか、初めてみる植物が壁を作っていた。皮を剥がされた因幡の白兎がみたら喜んで飛び込んでいるだろう。細い茎の先にはトウモロコシみたいな粒々の実が青々とした葉に包まれており、その葉の先は幾分そとへ反り返っている。背丈はおおよそ150~170cmであり、ちょうど僕達の目線と同じ高さとなる。

 一瞬、強行突破を躊躇った。この藪を突っ切るのか?迂回路もなさそうだ。賢治の指示でゲームのときに使う保護用のゴーグルを装着し藪へ突入した。

 行く手を阻むススキモドキ(賢治が仮命名)と不安を手でなんとか押し分けながら、文字通り道なき道を進む。分けた先には希望があるように思えて仕方がない。それが絶望かもしれないのに。分けきれなかったススキモドキ(仮)の葉が顔や首筋の皮膚に小さな傷をつけ続け、不安という名の葉は心の緊張の糸を張りつづけた。後ろで鼻を愚図る音が聞こえた。音の主が誰か気になったが、見ないであげるのが親切かもしれない。他には息を吐き出す音と、ススキモドキ(仮)を踏みつける、ざくっざくっという音だけだ。賢治がかき分けたススキモドキ(仮)の穂が茎の復元力で僕の顔面に直撃しようとも、藪をかき分けて進んだ。未舗装の道を目指して。


 藪が開けたとき、僕達を迎えてくれたのは、しっとりとした適度な湿気を含む風だった。まるで、食器を幾分冷たい水道水で洗い上げ、水をタオルで拭い去った直後の女の子の手の冷たさと、ほのかな暖かさがある風。お疲れ様、と優しく頬を撫でてくれる風。風の感触を一人で思い切り堪能し、ふと後ろを振り向くと大きめのビニール袋をバッグから取り出している愛子がいる。バッグから昼の残りの水筒を取り出している静香がいる。目が赤いよ。仁王立ちで煙草を風になびかせるトシさんがいる。そして、時計と太陽と道を見つめる賢治がいる。みんな揃ってる。


 腰を下ろすと旧に眠気が襲ってきた。


 目が覚めていつもの癖で腕時計をみた。もう3時半だ。

「またうなされてたよ。大丈夫?」

 ひょいと視界に入った愛子が聞いてきた。

「いつもうなされるよねぇ。大丈夫?」

寝ている自分がどうなのかは自分で知るよしもない。

「ただねぇ」

 不敵な笑顔を見せる愛子。

「居眠りしている人をみると、額に肉って書きたくなるんだよねぇ」

「ああ、解かる。なにか落書きしたくなるよね」

 静香が悪ノリし始めた。

「私も、居眠りし始めた時間をメモしたくなる」

 思わず額を手でごしごし擦る。額からは古い角質が消しゴムの消しカスの如く転げ落ちる。その瞬間、二人はのた打ち回るが如く笑い転げ、その様子は賢治とトシさんの注意を一心に集めた。賢治とトシさんが零下30度の冷たい眼差しと長さ1m程度の氷柱の如く鋭い目で僕らを見ていた。零下30度で固まったバナナで殴る真似はしないでほしい。


 とは言え、いつまでも休んでいられない。僕たちはまた荷物を手にし、道らしき筋へ向けて歩き始めた。その道はまもなく現われた。 未舗装の田舎道。しかし、砂利も敷かれておらず、軽自動車なら普通に通れる程度の広さしかない。しかし、道に出ることができて人里にようやく降りて来られたという安堵感に包まれた。

「さて、目標としていた道には出たとして・・・・・・・・どちらに行こうかねぇ」

 思案に暮れるトシさん。左を見ると、少し先に森が見える。右を見ると、しばらくは何もなさそうだ。何気にスマホを覗く。相変わらず電波はない。コンパスアプリを立ち上げ方位を確認する。僕らは若干西へ進んでいたようだ。これから南へ進路を取るのだろうか。

「こういうときって、登山ではどうするの?」

 愛子もスマホを覗きながら尋ねた。

「山の形と地図を見て今の位置を確かめるんだけど、ここは平野だし、知った形も無いし。」

 トシさんもコンパスをのぞき込みながら続ける。

「そもそも、登山のときって登山道から外れちゃだめなのよ。確実に遭難するから。」

「でも、さっきは遭難しかけたときがあるって言ってたじゃない?」

確かに。

「登山道って、ここが道だよって蛍光色のテープやらロープやらで教えてくれるんだけど、俺が遭難しかけたときは登山道の整備が行き届いていなくて、途中でテープやマーキングが無くなってたの。それに気付かずに進んでいったから迷ったんだよね。」

 なるほど、人が関わる場所は何かしらのマーキングはされてある。でも、そこから一歩でもはみ出せば、そこは人の世界ではない。肝に命じよう。

「トシさん、北の方向へ進みませんか?しばらく森もないみたいだし、民家があるかもしれないし。」

 賢治もトシさんのコンパスを覗きながら言った。

「そうだなぁ。そうしようか」

 北は右方向だ。僕たち迷彩服一行はヨロヨロと、でもとりあえずの道路をゆっくりと進み始めた。


 先ほどの道無き道を歩くよりは数十倍は楽なのは解かっているが、それでも足の疲れは溜まっていく。最初に音をあげたのは静香だ。静香のバッグを愛子が、ガンケースは僕が持つことにした。更に歩くこと30分。初めは会話があったが、次第に誰も話さなくなった。疲れもある。でも、この道を進めばどうなることか、それが解からないから不安なのだ。

更に30分。途中、何度か小さな森のトンネルをくぐった。僕が音をあげた。そして休憩だ。ペットボトルのお茶に口をつける。残り、ふたくち、みくち程だ。

「ただ休むんじゃなくて、靴を脱いで少しマッサージするんだ。」

トシさんが地面に座り靴を脱ぎ始めた。僕らもそれに倣い、靴紐を緩める。靴の脱ぐと、むわっとした汗臭さが漂って来た。それが5人分だ。

「うわっ、くさっ」

静香が顔をゆがめながら靴下を脱ぐ。

「部活のあとの道着よりはマシかなぁ」

 愛子が靴下を抓みながら風に晒す。

 靴下も脱ぎ、風に晒して汗を乾燥させる。その間、両足の土踏まず、ふくらはぎをゆっくりともみ、最後は脛を両手でつかんで膝の方へと力を入れて滑らせる。多少のむくみ対策になる。

「スナック菓子かなにか持ってるか?それも食べてね。」

 賢治がバッグからチョコレートスナックを取り出し口に放りこんだ。

「ハンガーノックを起こすと大変だから、なんでも食べてね」

トシさんも砕いた板チョコを口にした。僕もそれに倣いバックの中をあさる。そう言えば、お菓子はもってきてなかった。

「お菓子ないの?あげるよ」

愛子がそう言うとバッグからチョコレートと塩飴を何個かくれた。ありがたい。空を見ると、日がだいぶ傾いて来た。急いでこの先にあるだろう民家を目指さないとどうなることやら。そもそも、あるかどうかもわからないけど。


少しの休憩のあと靴を履き、また進み始めた。まだ明かるいとはいえ時計は午後5時を過ぎている。思考も止まるが、それでも歩みは止まらない。

また目の前に森が現われた。先頭を歩いていたトシさんが足を止めた。

「ここで野営しようか、突っ切ってみようか」

帽子をとり、頭をかきながらつぶやいた。

「水場はないですよ」

賢治もヘルメットを外し、周囲を見渡す。水場はないにしても、このタイミングで森に入るのはリスクが高いのではないかと思う。

「まだ明かるいけど、ここをキャンプ地にしたほうがいいんじゃない?」

思わず口にしてしまった。

「焚き火をするにしても開けていたほうが安全だろうし」

「でもさ、飲み物はどうするの?どれだけ残ってる?川か何かないと火も消せないよ」

 静香がイラッとした表情を見せる。確かにそうだ。疲れで思考も余裕をなくしている。

「いや、勇治さんの言うとおりなんだけどね。」

 トシさんのフォローが入る。

「森の中で火を焚くのはかなり注意がいるからやりたくないんだけど、ここにも水がないから静香さんの言うとおり、火は消せないんだよね。」

 トシさんも迷っているみたいだ。

「勇治さん、辛そうだから荷物を持つよ。俺はまだ大丈夫だから。水場まで進めよう。」

 トシさんは僕のバックを受け取り前側に持った。銃はガンケースがリュックのようになるので背負った。

「それでもきつくなったら俺が持つから、言ってくれ」

 賢治も相当きついだろうに気を使ってくれる。しかし、静香の銃も持っているし、愛子は彼女のバッグも持っている。意を決して水場を目指して森へと足を進める。これまでの森と違って木の密度が若干小さいらしく、空が十分に見える。しばらく歩いていくと射す日の光がオレンジがかった白からオレンジへ推移していき、赤へ近づいてきた。日は西に傾くと、定時が近い会社員が元気を取り戻す勢いで沈み始める。あれよあれよという間に赤が濃くなり東側から濃い青が追いかけ、仕舞いには星がちらほらと始業前の体操を始める如く瞬きだした。ピンチである。僕達はサバイバルゲームをしにきたのであって、間違ってもサバイバルをしに来たわけではない。勿論食料は昼の食べ残しだけであり、夜ご飯などの準備は一切ない。晩御飯は必ず家で食べるマイホーム高校生である賢治がこの場にいることが何よりの証拠だ。途中、水場はあったものの水量が極度になかったり、にごった泥水みたいな状態で、火を消すには使えるけど飲用には向かないものばかり。足は悲鳴すらあげなくなり、足取りは鉛の重りを着けたように重い。何度、地面から顔を出している石や木の根につまずいたことやら。

「とりあえず、明かりが必要だよな」

 賢治はバッグからモバイルバッテリーを取り出した。

「太陽光パネルで充電できてライトも点灯するやつ」

 スイッチを入れる。周囲がまぶしいくらい明かるくなる。それでも照らせるのは極一部だ。空は完全に星と月の支配下になり、道は月明かりを頼りにすすむ。2個のジャガイモはいい仕事をしてくれる。街灯のない道とはこんなに暗いものなのか。足元をはっている木の根を跨ぐ。愛子が足を引っ掛けて転びそうになるのを支えてやった。

 何気にポケットから取り出したスマホは、相変わらず「圏外であるっ」と主張している。この森はいつになったら抜けられるのだろうか。使える水場はまだか。いいかげん、足が痛い。


「足がいたぁぁぁぁぁぁいっ」

 静香が音をあげた。背負っているガンケースを投げ出しそのまま木の幹に体を預けてしまった。

 ここは幅が1メートルもない小川の辺。水量もほどほど。見上げれば幾分空が開けている。川は漆黒の闇からすり足で流れ出て僕達の目の前の木製の橋をくぐり、また漆黒の闇へすり足で流れ込む。

「もう嫌、歩くの嫌、疲れた、おなかすいた、眠い」

 声には半べそが入っている。月明かりに照らされる彼女の顔には大量の汗と土と疲労がべっとりと塗りたくられている。他の人も月明かりのせいで顔色がまともではない。午前中のゲームから始まり、午後はひたすら歩きっぱなしだ。ここまでよく持ったほうだと思う。皆、僕も足がつらくてつらくてたまらないのだ。

「ちょうどいい水辺だな。ここをキャンプ地としよう。」

トシさんは道の脇に荷物を置き、枯れ木や葉などをよけ始めた。愛子も道脇に荷物を降ろ、トシさんの手伝いを始める。賢治も、うっすらと弛緩した笑みを浮べた。多分、僕も浮べていただろう。誰かがそう言い出すのを待っていたのだ。それと同時に早く家か水場にたどり着きたいとも誰もが思っていたから口に出せなかっただけ。早く家に帰りたいからいつのまにか我慢大会になっていたのは否めない。賢治は静香にライトを渡し、トシさんと愛子の方向を照らす。ちらっと静香の顔に光があたったが、さすがに虚ろである。


こちらはこちらで焚き火を囲う使う石をさがすことにした。実は僕もライト付きモバイルバッテリーを持っている。賢治ほどのものじゃないけど、太陽光パネル付きだ。

「勇治、お前も持っていたとはな」

「賢治、お前を真似しただけだよ」

軽口を叩き合いながらは沢から適当な大きさ、直径5~10cmくらいの石を集めてきて円を作るように囲いを作る。次にちょっと太めの木を太ももに勢いよく叩きつけて折り、炉の大きさに合わせていく。その真中に折った木を櫓状に積み上げていき、愛子とトシさんがまとめた枯葉や小枝を放り込む。バッグから昼食事のゴミを取り出し、あとはそれにトシさんのライターで火をつけた。見る見るうちに枝が白煙を上げ始め、バチバチと水分がはじける音が飛び出す。そして、枝の先端が小さな炎を上げながら燃え出した。しばらく白い煙が出つづけるが、ノートを団扇にしてささやかな風を送りつづけ炎を元気付ける。それに答えるように白い煙から次第に炎が元気もりもりと頭角をあらわし、遠赤外線による心地よい熱線が汗で冷えた僕達の体を優しく包んでくれた。野郎どもは沢で手を洗い、焚き火を囲うように座り込んだ。テントとシュラフがないキャンプでは、やっとのことで火を起こした焚き火が唯一のシュラフであり、焚き火を囲んでのキャンプファイヤーだ。火に照らされるみなの表情は、鉛塊のように重く、思わず落としてしまい炭酸でパンパンになったペットボトルのように表情が硬い。

火が安定したタイミングで、昼間食べ残した食べ物をそれぞれのバッグから焚き火の前に広げた。僕のおにぎりと焼きそばパン、愛子の重箱、トシさんの未調理のラーメン。あとはお菓子が少々。明日の朝飯分を考えるとすべては食べられない。おにぎりを5等分、重箱の中身はそれぞれ一個ずつ。残りは明日の朝と昼だ。とても少ない晩ご飯だ。二口で終わる。

 ぎゅるるるる~・・・・・・・・。

 胃袋は主張する。早く食い物をもってこい。さもなければ強烈で耐えがたい空腹感を発し、胃袋は癇癪を起こしてハンガーストライキを起こすが如く縮こまり腹痛を誘発するであろう。猶予は3日間だ。それ以後は仕事をしちゃらん!ペプシンで胃袋が融けてしまっても、ガスター10の世話になろうとも知ったこっちゃない!

 炎越しの皆の顔は汗と土と擦り傷でぎらついている。こんなところで何をしてるんだろう、そんなことを皆が考えているに違いない。気が付くと皆の手にはスマホ。何気に開く。今の時間は午後10時半。相変わらず電波強度を示すグラフは「圏外であるっ」と主張している。


「体を洗いたいなぁ」

 と言い出したのは愛子だ。思えば午前中は走り回って汗を流し、午後からはひたすら歩き回って汗を流した。疲れてしまって何もしたくないのは皆同じだが、汗のべたつきは気持ち悪い。

「少し下がったところに川が合流してるところがある。もうひとつの川の水は結構ぬるいからちょうどいいかもな。近くに温泉が沸いてるところがあるのかな。」

 焚き火の脇でゴロネをしている賢治が口を開くのがやっとという声で言った。

「でも歩くのが面倒だなぁ。どうしようかなぁ・・・・・・」

 もう一歩も歩きたくない、というのが正直なところなのだが、べっとりと肌に張り付いた汗もいただけないのだろう。

「あるなら行ってくるわ」

 と口を開いたのは静香だ。

「やっぱ、この汗は何とかしたい。愛子も行くでしょ?」

 静香は疲労が溜まり墓石のように重いであろう体をなんとか引き起こし、カバンを漁りだした。取り出したのは一枚の日本赤十字社のタオル。なるほど、血を貢いできたらしい。いや、もしかしたら血を貢がせたのかもしれない。

「ほら、愛子、起きて!」

「ふぇ~~いくのぉ~?」

「汗が気持ち悪くないの?」

「ん・・・・・んきもちわるい」

 愛子は重量物を持ち上げるクレーンの如くゆっくりと立ち上がり、バッグからフェイスタオルを取り出すと、戦場で傷つき仲間に支えられて野戦病院へ向かう兵士の如く静香に肩を抱かれながら暗闇へと消えていった。草を掻き分ける音だけが残された。

 残されたのが男だけなら男だけの話が始まるのは世の常。こんなに疲れているのに、ふと浮かび上がるのは修学旅行の思い出。なぜに女風呂を覗く事が頭に浮かぶのだろう。ある者は胸の小さなふくらみを、ある者は股間でささやか己の存在を主張する柔毛を、ある者は女同士が裸でじゃれ合う姿を、それが皆の頭に浮かんでいるらしい。女風呂までの道のりは険しい。幾多もの廊下を越え、目を光らす教師達の監視を掻い潜り、幾多もの犠牲を払いながらたどり着ける桃源郷。辿りついても安心はできない。女風呂は防犯上物理的に覗き込むことが不可能な位置にあることが多い。僕達はさまざまな困難のために沈んでいった多くの勇者に敬意を表すのであった。

「この中で覗きに行く勇者募集。」

 焚き火の薪を弄りながら、生気の失せた顔で提案する賢治。手を上げるものは誰もいない。薪が賢治に穿り返される度にバチバチと音を弾けさせる。

 今回の難易度は意外と高い。

 草は意外と音が出る。さらに、折れた木の小枝があちこちに散乱しているために、枝を折る音が大きくでるのであり、気付かれないで近づくことは不可能に近い。また、ちかくに動物がいればごまかすことが可能だが、都合よく遭遇するわけも無く、またそれが安全な動物であるとは限らない。

 さらに大きな問題がある。それは、僕達は疲れきっているのでここから動きたくないし、気分は「そこにいるのは霊長類ヒト科のメスであり、サルが幾分進化したものである。よって、サルの裸を見ても萌えるわけがない」、とてもじゃないが、分身は元気になれそうも無い、見つかったら卒業するまで学食のランチを奢らされる 、いや、学校帰りのオヤツまで奢らされる、そして、眠いので女の裸なぞどーでもえぇ。 疲れてはいるけど、それなりのリスクヘッジはできる。


 アーマーを地面に敷きゴロンと仰向けに身を転がす。地面はしっとりと冷たい。目先は生い茂る木の葉の隙間から見えるわずかな空。そこには満天の星空と、見慣れぬ2個の輝くジャガイモ。思うことは二つ。

・ここは一体どこなんだ?

・腹減ったなぁ・・・・・・・・・・・・。今日の晩御飯はなんだったんだろう


「疲れたろ。寝ればいい。」

 重い声を出したのは賢治だ。当人もかなり疲れているはずなのだが。

「火の番は俺がしばらくやるからあとで交代してくれ。そのときになったら起こすわ」

「ああ、頼みますわ」

 トシさんが冬にストーブの前に陣取る猫の如く背中を火に当てるように体を転がす。そして、間髪いれずに鼾が聞こえてきた。よほど疲れていたのだろう。画く言う僕も睡魔ーが大挙して押し寄せてくるのが瞼に感じることができる。きっと瞼にはたくさんのロープがついており、それにたくさんの睡魔ーがつかまっているに違いない。


「・・・じ、ゆうじ、交代だよ、起きて」

 誰かが僕の体を揺する。目をうっすらと開けると、愛子が覗き込んでいた。焚き火の鋭い光が目に痛い。思わず睨み付けるような眼つきになる。

「んぁ、交代?火の番?」

 脳挫傷を起こしそうな勢いでぶんぶんと首を縦に振る愛子。

 寝ていたのと寒いのとで粘性が限界まで大きくなったグリスのおかげで動きがすこぶる悪くなったブリキ人形のようなぎこちない動きで体を起こす。この時期はまず着ることのない、アーマーが無ければ寒さで動きはもっと悪くなっていただろう。寝つけていたかどうかもわからない。皆も、ゲームのために着てきた迷彩服が簡単な防寒具となることが夢にも思わなかったに違いない。

「賢治の寝ているところの後ろに焚き火用の木があるから、適当に足して。退屈しのぎの雑誌やらはそこにあるわ」

 愛子の指差した先には、1冊のファッション雑誌と幾分厚いB6サイズの洋書。どうやら賢治のものらしい。

「今朝コンビニで買ってきた服の雑誌に、あと賢治のだと思うけど、ぼろぼろの英語版聖書。賢治のバッグを漁ると他にも物理の教科書にポケット公式集、応急処置の手引き。なんでこんなのがあるんだろう」

 ふぁ~ぁと喉ちんこを惜しげも無く見せつけるような特大のあくびを愛子が披露する。焚き火の光に照らされた喉ちんこは気持ちよさ気にぶーらぶら、その影もゆーらゆら。僕もつられてふーらふら。ばたんきゅーぅ。

「起きろ」

 愛子のドスの効いた声と共に平手が勢いよく頬にばちん。。。。。。。。。

 はい、ごめんなさい。目が覚めましたです。


 そんなわけで、僕が火の番をし、愛子は僕の脇ですーすー寝息を立てて寝ている。膝枕をしてくれ、と言われればやってやらないわけではないが、この疲労度では御免被りたい。

 水揚げされた冷凍マグロの如く寝ている賢治の後ろから冷凍鰹を運ぶが如く焚き火用の木を抱えて自分の場所へと運ぶ。暇つぶし用アイテムを僕のテリトリーへ運び、腰をどっかり据える。

 初めに開いたのは女の子向けファッション雑誌。今は初夏が近いのであり、特集はやはり夏物だ。真夏にあわせた、白や青が基軸となる色をした服を着た読者モデルが思い思いの視線をカメラに向けている。撮影したときは春の初めのはずなのに見かけは夏。しかし、茶髪のロン毛でカール巻きの名古屋嬢スタイルは未だに頂けない。本を読んでいても眠いときは眠い。眠気をそらすために体を動かしたり、水を飲んだり。水が無くなれば空になったペットボトルに川の水を汲み、喉を潤す。生水だから腹を壊す心配もあったが、それどころではない。

 火の勢いが弱まる。細い木の棒で焚き火をかき回し、空気の通りを良くしてやる。次に気道をふさがないように木を燃えっぷりの良いところを中心に配置、火力を高めた。炎は水を得た魚の如く、いや、酸素を得た線香の如くパチパチと踊りだす。


 次はぼろぼろの英語版聖書。ガリ版刷りの簡易製本のような印象を受けるのはアメリカではデフォみたいなものだ。勿論値段も$10程度で手に入る。聖書は随分長い間使われてきたらしく、手垢で背が汚れている。ぱらぱらと捲る。日本語の聖書は縦書き2行だが英語版は横書き2列だ。ところどころ蛍光ペンでマークされていたり赤のボールペンでメモ書きが英語でされていたり。大半は賢治の字ではない。

 栞が挟まれているのに気付いた。マタイ書、18章。群から逸れた1頭の羊を探す羊飼いの例え。羊飼いは逸れた1頭のために他の羊をその場に残し、探しつづける。ようやく見つけたときの喜びは残された多くの羊の群を見るより大きいという。全体のために少数を見捨てないよという例え。解釈はいろいろだけど皆仲間なんだよ、ということ。


 寒さとたらふく飲んだ水のせいで、膀胱という廃水タンクが満タンになっていることに気付いた。体の重さはフル装備の背嚢を背負った状態までになったのだろうか、起きたときよりは幾分軽やかに立ち上がることができた。茂みの奥に入り、社会の窓を開き、男のドレーンホースを引き出す。適当な木の根元を2個のアイボールセンサーが三角法にて距離とドレーンホースの向きを瞬時に定め、命令を両手に伝える。手は指という微調整機関により微調整を実施、排水準備は完了した。

 排水5秒前~ 

 気分はダムの水門運転員だ。

 4、3、2、1、排水作業開始。

 股間の筋肉という安全弁を開放し、廃水はドレーンホースを一気に下り、体外へと排水される。


 じょばばばばばばばぁ~


 牛には負けるが、犬には勝った見事な排水。いずれは象に勝ちたい。膀胱の内圧が徐々に下がり始める。人間、「出す」作業が一番快感を覚えるという。その流れはとどまることを知らない。

 そして背後、強烈で迫り来る壁のような圧迫感、擦れる金属音? 獣? 人?

ガツン。


気がつくとまぶた越しの眼球に光が突き刺さった。

顔に手をあてゆっくりをまぶたを開ける。体が冷えてさびついた機械のように動きが渋い。周りには誰もいない。


 -矢が頭を貫いた。

 ような痛みが頭を貫いた。

 

 -後頭部に50度ほどの湯を掛けられた。

 ようなヒリヒリした痛みがあった。


 -熟睡し快眠快調

 の勢いでぱっちり目が覚めた。


 空は明るく、いつのまにか2個の月はどこかへ行ってしまった。その代わり、太陽の強烈な光が木漏れ日となってスポットライトの如く地を所々照らしている。

 朝か昼になったらしい。

 たしか僕は火の番をしていて、小便をしに茂みに入った。そのときは真っ暗で、焚き火の光だけが頼りだった、それだけ暗かったはず。何かがものすごい速さで近づいてきて頭を殴られ、気が付いたら空を見上げてるんだろう?


 冷たい風が頬を撫でる。後頭部に熱気を感じる。手を当てながら体を起こした。愕然とした。


 -誰もいない


 焚き火の跡はあるものの、地面はかなり荒らされており、焚き火も蹴散らされたように燃え掛けの薪が散乱している。荷物が一個、萎んだバッグが、しかもそれは賢治のものだ。でも賢治の姿が見えない。僕の荷物もない。愛子も静もトシさんもいない。荷物もない。僕の銃もバッグに入れておいたスマホも財布も本もお茶も、そのバッグもない。


 首がねじ切れそうな勢いでぐるりと周囲を見回す。というより走査する。木の根元に、粘性の高い液体を大量にぶちまけたような染み。たしか、そこはトシさんが寝ていた場所。 木には無数の穴があいている。まるで弾痕の様。

 

 足音。

 草を掻き分け、小枝を踏み折る音。

 音は一定の間隔でこちらへ向かってくる。

 後頭部が気配探知機となり、両耳は三角法で「脅威」の位置を探る。音で後ろを見る。

 背骨に一本の緊張が張られ、本能が「警戒せよ」と囁く。

 視線を動かさないまま、手で何かを探す。

 何か武器になるものはないか。

 夢の中の僕は実弾入りの薬莢を、手が震えてうまく掴めないながらも何とか弾倉に押し込んだ。

 現実世界の僕は、近くにあった木の棒をつかもうとするが手と腕は小刻みに震え、うまく握れない。手に力が入らない。

 思い通りには行かないものだ。どこかで冷静にその状況を見ている自分もいる。

 

 その音は僕が背にしている木の後ろで止った。

 背骨が、肩甲骨が木の陰の気配を探る。

 誰だろう?

 

 -ふぅっ


 人だ。賢治だろうか。


「あれっ、いねぇ」

 足音の主は呟く。足を進める。そして、主は顔を出した。

 

 顔には無数の傷。

 服もナイフで切られたような個所がいくつかあり、いずれも血と土で汚れていた。でもいつものようににっこり。

「おはよう」 

「・・・・・おはよう」

力なく応える。

「お前、繁みの中でちんこ丸だしで倒れてたけど、大丈夫か?」

「え、なにがあった?」

賢治の問いに思わずそう返してしまった。

「後頭部にもコブがあったから、誰かに殴られたんだろうけど。痛みはまだある?」

後頭部に手をあててみる。鈍い痛みとともに確かに不自然な硬い塊ができていた。

「吐き気はあるか?」

「ない。のどは乾いているけど」

「自分の名前と俺の名前、フルで言えるか?」

なんで?と問うが「いいから答えろ」と言う。

「僕は村山勇治。お前は静香に時々回し蹴りと跳び蹴りを食らっている三戸賢治。」

「静香のくだりは余計だ。」

むっとする賢治。次に指を2本たてた。ピースマークだ。

「これは何本だ?」

「2本だ。何を始めた?」

「いいから。次に指を変えるから本数を答えて。」

僕の疑問をよそに賢治は指を1本ずつ広げ、僕がそれを読み上げた。

「ふむ。ここまでは良しだな・・・・・。次は指を動かすから目で追って」

目の前で人差し指を立てて僕の顔の前で上下左右に動かす。僕はそれを目で追った。

「見えないところはないな?」

「ない」

アクション映画なんかでみることがある、簡易的な診断なのか?

次に体中を触ってきた。最初に肩、次に腕、手、腹部、太股、足だ。

「触られているのはわかるか?」

「わかる」

「次は立ってくれ」

 一通り触り終えると立つように促された。冷え固まった体を起こすのは難儀だ。賢治に手を引いて立たせてもらった。

「次に少し歩いてみて。橋を渡ってすぐに戻ってきて」

 言われたとおりに小川を跨ぐ橋を渡り、すぐに戻った。ふと川を見ると水が何事もなかったように流れている。

「大丈夫そうだな」

 賢治は僕の歩いた様子を見て安心したようだ。

「脳震盪を起こしてないかと思って、簡単に確認させてもらったよ。俺は医者じゃないからなんとも言えないけど」

 はあ、としか言えないが、まあ良しとしよう。確かに賢治の特技に応急処置があるから、これくらいは覚えていても不思議はない。

「随分と手際がいいな。」

「ほら、俺って悪いことをしていないのに学校でよくオテンバ静香に殴る蹴るの暴行を受けているだろう。そのたびにヤバいことになってないか自己診断の方法くらいは知っておいたほうがいいかと思って覚えた。」

 僕は知っている。静香の目の届かない場所で他の女子生徒を口説いて手を出そうとしているのを。そして、感の鋭い静香に何故か見つかって助走付きの飛び蹴りと回し蹴りを食らっていることを。賢治のスキルは「雨降って地固まる」系が多いのかもしれない。


「さあ、行くぞ」

「どこへ?」

「この先に村があるみたいだから、そこへ」

 賢治は何事もなかったようにバッグを背負うと、僕に立って自分の後に続くように促した。僕の荷物は愛子とトシさんが持っていったらしい。自分の荷物だけでも結構重いのに僕の荷物も持っていったのか、何故先に3人は発ったのかの説明がないままその言葉をなんとなく信用することができなかったが、自分の荷物もなにもないままこの場所に居続けるわけにもいかず、多少渋る気持ちはあったものの、賢治に付いていくことにした。男2人で森の散策、といえば聞えは良いが、実際は自分がどこにいるのか、どこへむかっているのかがさっぱり分からない遭難状態だ。昨日夜まで歩いていたように今も土を踏みしめながら歩く。長く睡眠(?)を取っていたせいか、体の疲れも幾分取れ、足取りも昨日よりはマシである。とはいえ、柔らかい布団で寝ていたわけではないので、体は朝方の冷気で固まってしまい、グリスが固まってしまって動きが極端に悪くなってしまったカメラの如く動きが鈍い。鳥が鳴き、虫が舞い、風が流れる。風は汗を少しずつ拭い去るが、漠然とした不安までは拭い去ってくれない。


 紆余曲折の道を小一時間歩いただろうか、ようやく緑のトンネルを抜けた。さっきまでは木の葉を避けて地面まで届いていた柔らかい日光が光のシャワーとなる。空は昨日と同じ雲がまばらにあり、太陽が元気に働いている晴天だ。遠くに集落が見えた。ようやく人のいる場所が見えた。火の見櫓らしき塔もある。どうやら人が上がっているようだ。集落への道は畑の中を通っており、体の良いあぜ道みたいなものだ。でも、結構人の交通量があるらしく、地面はそれなりに踏み固められている。

「飯が食える。」

 着いたらコンビニか商店に突撃して弁当を買おう。

 ポカリの2リットルボトルを買ってぐびぐび飲み干すのだ。

 こんな山奥にある集落だから温泉か銭湯があれば汗を流し、体をほぐすのだ。

 第1村人を発見したら、ここはどこなのかを聞き出そう。

 そして、家に電話して迎えにきてもらおう。


 心なしか賢治も僕も歩く足が早くなる。足が痛いのだって関係ない。


 急ぎ足で歩き、村が近づいてくる。

 そして、違和感があった。

 みえる範囲で、村は木で作った柵で囲まれている。境界というか結界というか、垣根のつもりだろうか。

 でもそんなことは言ってられない。とにかく、村に着くことが先決だ。


 村の入り口には、詰所みたいな建物があり、そこには歩哨みたいに人が何人か立っていた。また違和感があった。人の様子が違う。顔立ちが日本人っぽくない。とはいえ、どこの系統かは見当がつかない。

「ちと待ってて」

 賢治は荷物を僕に預け、彼らにぐんぐんと近づき、何かを話している。僕は少し離れたところでぼーっと彼らの様子を見ている。建物の入り口には看板がかかっているが、読めない。消えかけて読めないのではなく、見たことがない文字だから読めない。漢字でもハングルでもアルファベットでもアラビアでもキルリでもない。横書きだからモンゴル文字でもない。

 違和感はそれだけではない。

 ゲートには電灯らしきものがない。そして、電線も無く電柱も無い。

 柵の中に続く道も舗装されておらず、電線はおろか電柱も無い。

 そして、自動車が見えない。バイクも見ない。

 賢治と詰所の人との会話も、言語が幾分違う。方言、というわけでもなさそうだ。

 いろんな「無い」「違う」が頭の中をパチンコ弾のように弾けまわる。脳と思考を挽肉にする。

 突然膝が抜け、体全体が落ちた。

 気が付いたら頬を地面に擦りつけ、遥かかなたの畑と森と山と空と、そして2個のジャガイモ月が視界に入っている。

 音と感覚が遠くなる。

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