第4章:「揺れる秋、目覚めのしずく」
秋の風が、街路樹の葉をゆっくり揺らしていた。真希は2年生の秋学期、ゼミや語学の課題に追われながらも、静かに、自分なりのペースで夜尿症と向き合っていた。
夜ごとのオムツはまだ手放せない――けれど、少しずつ、確かに変化はあった。
1. 秋の進歩と不安
夏の終わり頃から、真希は「濡れていても、量が少ない」夜が増えた。以前のように重く湿った感覚ではなく、朝の違和感がわずかなもので済む日もある。
アラームで目覚め、トイレに向かう頻度も増えた。
「あの日から、一歩ずつだけど前に進んでる」
そんなふうに、少しだけ自信を持てるようになっていた。
しかし、完全に“濡らさない”夜は、まだ一度もなかった。目標が近づくほど、その壁の高さが際立って見えるようになっていた。
2. 突然の事故
そんなある日、真希はキャンパスの図書館で講義の課題に取り組んでいた。徹夜に近い睡眠不足。柔らかな秋の陽射しが差し込む閲覧室のソファで、ふと意識が遠のいた。
――気づけば、うたた寝をしていた。
「あっ……」
目が覚めた瞬間、背中に冷たい感触が広がっていた。真希は顔をこわばらせながら、そっと腰を上げる。
スカートの下のタイツ、その内側――。オムツなど何も着けていなかった午後の時間、真希は下着を濡らしてしまっていた。
一瞬、頭の中が真っ白になった。見られていないか。染みていないか。心臓がバクバクと音を立て、視界が滲む。真希はバッグを膝に乗せ、なんとか立ち上がった。
3. トイレの個室にて
トイレに駆け込むと、鏡の前で深呼吸。個室に入って、濡れた下着を確認した。量はわずかだったが、はっきりと「起きている時間に、漏らした」という事実があった。
「……どうして、まだこんなことに」
涙がこぼれた。春からの努力、入院治療、オムツを濡らしながらも続けてきた毎晩の記録――それでも、昼間にまで事故が起きるなんて。
4. 弥生先輩との通話
その夜、真希は久しぶりに弥生先輩に電話をかけた。声を聞いた瞬間、抑えていた感情があふれ出す。
「……今日、学校で寝てて……濡らしちゃったの」
「……そっか」
「夜だけじゃなくて……昼間まで、なんて……もういや……私、戻ってる気がして……」
静かに話を聞いてくれた弥生先輩は、少しだけ言葉を置いてから、優しく答えた。
「ねえ、真希。濡らしたって、全部が“戻ってる”わけじゃないよ。前に進んでるから、今の場所にいるんじゃない? 春の頃の私たちと、今の私たち、全然違うよ」
「……違うかな」
「違うよ。だって、今日もちゃんとトイレに駆け込んだ。誤魔化さなかった。誰にも見られなかった。冷静に処理できた。それって、真希が今まで積み上げた力でしょ?」
真希は黙って聞きながら、そっと頷いた。あの日々は無駄じゃない。小さな“戻り”があっても、自分は確かに、ここまで来たのだと。
5. 秋の終わりに
その夜、真希はあえてノートにこう記した。
10月23日:昼寝中に失敗。だけど、慌てず処理できた。落ち込んだけど、ちゃんと電話もできた。今は泣いてもいい。だけど、また明日、進めばいい。
翌朝。秋の風がカーテンを揺らす。真希は静かにベッドから起き上がり、オムツを外す。
――湿りは、やや軽い。
「……今日からまた、やり直そう」
小さく、けれど確かな決意が、胸に灯る。