第1章:「春休みの入院治療」
真希が大学1年の春休みを迎えた頃、夜尿症の専門クリニックから入院治療の案内が届いた。これまで自宅での自己管理や通院によるトイレトレーニングを続けてきたが、夜間の覚醒反応を強化するために、短期間でも集中的に治療を受けることが推奨されたのだ。弥生先輩も同じクリニックで治療を受ける予定と聞き、真希は心強さを感じながら、入院の準備を始めた。
病院での初日
クリニックの個室に到着した真希は、淡いパステルカラーのカーテンが掛かったベッドと、小さなナースステーションを見回す。そこに弥生先輩も案内され、ふたりは互いに小さく会釈した。担当医からは、
夜間感覚を鈍らせないアラーム併用療法
行動修正を促す「オムツ着用+排泄記録」プログラム
夜間トイレ誘導訓練
のスケジュールが説明される。恥ずかしさはあったものの、「これが治る一歩」と思い、真希は深呼吸して前向きに頷いた。
オムツ着用と夜間トレーニング
初日の夜、真希は処方された専用オムツを渡される。わずかに震える手でパッケージを開けると、ナースが優しく使い方を教えてくれた。
「オムツは“安心感”を高めるためのツールです。夜中の不安で覚醒できないとき、これがあることで心理的抵抗が減り、アラームで起きやすくなりますよ」
そう聞いて真希は、自宅での自己否定感とは違う、非難されない温かな配慮を感じた。その夜は慣れない感触に戸惑いながらも、設定されたバイブレーションアラームが鳴るたびに自分で起き上がり、ナースステーション横のトイレへ向かう訓練を行った。弥生先輩も同じタイミングで部屋を出入りしており、廊下ですれ違うたびに励まし合った。
心の支えと小さな変化
数日続けるうち、アラームへの反応は徐々に早くなり、夜間の覚醒時間も短くなっていった。真希は毎晩、隣の部屋から聞こえる弥生先輩の足音を安心の合図のように感じていた。
ある朝、看護師さんに記録ノートを見せたとき、思わず口をついて出た。
「私……怖くなくなってきました」
真希の表情を見た看護師さんは微笑み、そっと背中をさすった。弥生先輩も隣室から顔を出し、
「私も同じ。最初は恥ずかしかったけど、ここまで頑張ってよかったね」
と声をかけてくれた。ふたりの心は、ただ症状を克服するためだけでなく、「誰かと分かち合う安心感」を育んでいた。
自宅への帰還とこれから
入院生活は一週間で終了。退院の日、看護師さんから「次は通院でのフォローを続けましょう」と告げられ、真希はオムツを外す日が近づいている予感に胸を高鳴らせた。大学の春休みも残りわずか。帰りの電車の窓に映る真希の顔は、初めて病院の玄関を出たときよりも穏やかで、どこか自信に満ちていた。
下宿に戻ると、待っていた弥生先輩とハイタッチを交わし、新たなトイレトレーニング計画を確認し合う。夜のオムツはもう不要――そう言い切れる日が、確かに近づいている。真希はスマホにメモしたスケジュールを見つめながら、そっと笑った。
――次の夜も、きっと大丈夫。だって、私たちには「乗り越える力」と「分かち合える仲間」がいるのだから。