第五話 紳士的なウサギの秘密 上
九条 真琴は魔女である。あと高校生でもある。
異世界の案内人と学生の二足の草鞋を履いている。中々に多忙な少女である。
最近、従者ができた。従者とはいっても正体はクラスメイトである。名前は知っているような、知らないような。強い関係性ではない間柄だ。
名前を間違えると酷く傷つく少年である。思春期はデリケートである。
高校生の九条 真琴は従者と言葉を交えない。互いの領域を侵すことなく日々、学生生活を過ごしている。従者は友人が多い。だから何だという話だが。
二人は学校では普通の高校生である。大人しく自分から滅多に発言をしない根暗な女子と、いじられキャラで明るく面白い活発な男子。接点のない二人だが強力な繋がりで結ばれている。
学校が終わると二人はとある場所へと向かう。
一緒に行くことはなしない。無駄な説明が面倒だからである。魔女は面倒ごとが嫌いだ。
小さな教室の扉である。異世界と異世界を繋ぐ場所へと行くための扉である。魔女は案内所と呼称している。
案内所では只のクラスメイトから魔女へと変身する。文字通りの変身である。学校指定の制服が魔女っぽい服へと変わる。大きな帽子が特徴的だ。凄く魔女だ。
従者の服装は変わらない。学校指定の制服のままである。本人の要望で変身したいとの意見があるが、絶賛却下中である。魔女は面倒ごとが嫌いなのである。
異世界の案内人の仕事を従者は未だ経験していない。誰もこないのである。いつも魔女と従者の二人きりだ。気まずい状態が続いていたが、十日を経過したあたりから慣れ始めた。なんなら従者はお茶くみを覚えた。
従者は中々に器用な少年である。気が利くし、話もし易い、なにより反論が少ない。
予期せぬ形で手に入れた割には悪くないデキである。否、上出来である。
紅茶を嗜みながら魔女は呟く。
「仲谷君、来客です」
表情一つ変えない仲谷の主は扉に目を向けた。
宝とガラクタが集まる部屋の壁際に存在する扉。只の引き戸だ。珍しくもなんともない。
その扉がゆっくりと動いた。最早誰かが入ってくるのは確定した。
「俺はどうしたらいいかな?」
「とりあえず従者っぽく私の後ろにでもいますか?」
「・・・・・・賛成」
仲谷は従者っぽく九条の後ろへで待機する。
胸の内では心臓が激しく躍っている。緊張と興奮で今までに見せたことのない高鳴りを見せ、仲谷は自身のにやけ面を抑えるのに必死だった。
「仲谷君、キモイです」
「あぁ、ごめん。つい嬉しくて・・・・・・キモイかな?」
同級生の女子が放った言葉に傷つく仲谷。彼の心に刻まれた傷が癒えぬまま、扉の奥から客人が入室する。
小さなウサギさんだ。比喩表現ではない。バニーガールでも、着ぐるみでもない。
二足歩行で歩くウサギさんが魔女の元へと訪れたのだ。
「ウサギだ」
目の前の衝撃的な光景を、仲谷はそのまま口に出した。
「九条、見えてる?」
幻覚ではないとの確認の為、彼は九条にも声を掛けた。
「見えています。ウサギですね」
服を着たウサギだ。茶色のウサギだ。アニメに出てきそうだ。
「彼が今日のお客様のようです。仲谷君、部屋の奥から机と、椅子の用意を。ラビットサイズでお願いします」
「凄く従者っぽい仕事ができそうだな。――喜んでご用意します。我が主様」
「え? あぁ、お願いします・・・・・・なんか最後の方、演技してるみたいな言い方ですね。恥ずかしくないですか?」
仲谷の顔が赤くなる。言葉よりも雄弁な回答を見せて、彼はそそくさと九条の背中、入口とは正反対に位置する場所へと逃げていく。
客人をおもてなしするためのアイテムが多種多様に存在する。お茶くみもその一つ。紅茶セットが置かれているのだ。
雑然と物が置かれたキッチンの上で。
「相変わらず汚いな・・・・・・」
乱雑に物が置かれている。様々な大きさの椅子や机に始まり、縫いぐるみや藁人形、呪物的な何かも床に置かれている。探せば邪神を封印している勾玉とか出てきそうだ。怖いので彼は探さないが。
「掃除しないのか?」
この案内所を管理しているのは偉大な自分の主だ。ウサギと同じくらい気になってしまう。だが今は頼まれごとを優先する時だ。彼は近くにあった小さな椅子と机、それこそウサギが使いそうな見た目をした道具を持って戻った。
「持ってきたよ。とりあえず前に並べればいいよな?」
言いつつ彼は九条の前に机と椅子を置く。ここにしかスペースはない。
「はい。私の目の前に」
「了解」
位置決めを終えて、仲谷はウサギに座るよう手で促す。その様子を見ていたウサギは彼に会釈をした。
「お心遣い感謝します」
そして喋った。
「ぉ・・・・・・は、はい」
一瞬、彼の中で時が止まった。長い人生の中でウサギに話しかけられた経験などない。極稀に、友人の中に動物と会話ができると声高らかに叫ぶ人はいるかもしれないが、大半は注目されたい嘘つきだ。本当に話したことのある人間などいない。
「失礼。私の顔になにか?」
固まる仲谷にウサギは自身の顔を触りながら質問をした。心地の良い低音ボイスだ。声優が転職かもしれない。
「い、いえ。素敵な耳だなと思って」
仲谷は慌てて返事をした。別に耳の良さなど分からないが、ピンと張った二つの長い耳が目に入ったので、とりあえず褒めてみた。
「ありがとうございます。しがない私の唯一の取り柄です」
そんな事はないと思うが、フォローするほど頭が回らない。仲谷はおいて九条の元へと逃げ帰った。
ウサギは冷静な姿勢を見せたまま、礼儀正しく頭を下げて椅子に腰かけた。
「お茶とかいる?」
「お願いします」
急いで仲谷は紅茶の準備に取り掛かる。自身が紅茶を運ぶ合間に重要な話がされていては困る。なんたって相手はウサギさんだ。何の話をするのか気になって仕方がない。
「お待たせしましたっ!」
「早いですね」
淹れたての紅茶が九条とウサギさんに渡された。ふと、九条があることに気付く。
「仲谷君の分のお茶は?」
「私のことはお気になさらず。お話をなさってください」
「なぜ敬語?」
まあいいでしょう、と九条はウサギに視線を向けた。
ウサギさんも紅茶を一口飲み頷く。ふわふわした耳がピコピコと動いている。喜んでいるのだろうか。
「お久しぶりですね。ヤーハム」
「えぇ。魔女様もご壮健でなによりです」
ヤーハムと呼ばれたウサギは、椅子から立ち上がり頭を下げた。紳士的な言葉遣いと立ち振る舞いに、仲谷も思わず背筋を伸ばす。
中々に礼儀をわきまえたウサギである。
「本日はどこにしますか?」
「魔女様が住んでいる街に。灼熱の宝があると耳にしまして」
「相変わらずあなた達は素敵な言い回しをしますね。ありますよ。ついでにもう一つ囚われし純白の乙女もいます?」
センスある造形語が飛び交っている。思わず仲谷も口に出してしまった。
「水面に写る贋作とかもいいですよね」
「仲谷君、静かにしてください」
「はい。ごめんなさい」
発言権は与えられていないようだ。あったとしても雰囲気でしか話せない仲谷には宝の持ち腐れだろうが。
ははは、とヤーハムは二人のやり取りに微笑んで答えを返した。
「魔女様の世界のことは理解しているつもりです。純白の乙女に触れるような愚かな真似はしません」
無駄に貫禄のあるウサギは再び紅茶に口を付けた。
ピク、ピクと耳が可愛らしい動きを見せる。紅茶が褒められているみたいで仲谷も心が温まる。
「ならば問題ないでしょう。通行証も確認しています。後ろの扉を出れば私達の世界です」
「感謝します。魔女様」
またも立ち上がり仰々しく礼をするヤーハム。その品行方正なウサギを見て仲谷はとある疑問が浮かんだ。
「・・・・・・九条さん、一つ質問が」
小声で仲谷は声を出す。
「なんでしょう?」
仲谷はチラリとヤーハムを横目に見て、先程よりも更に小さな声で。
「俺達の世界に入れて大丈夫なのか?」
流暢に言葉を話すウサギ。仲谷が住む世界には存在しない特異な存在。悪い言い方をすると異物だ。あってはならない生物。
気軽に足を踏み入れさせてよいのか。いくら紳士的なウサギとはいえ、受け入れられない部分がある。
「仲谷君。私達は案内人ですよ」
「そうでしたね。じゃあ、九条さんが案内するのか」
ホッと、仲谷は胸を撫でおろした。魔女が付き添いならば安全だろう。
緩んだ表情の仲谷を見て魔女は一言。
「いえ、案内するのは仲谷君です」
従者に仕事を押し付けた。