第四話 魔女の従者
仲谷と九条は教室へと戻ってきた。
二人とも制服の姿だ。最も仲谷は元から制服の姿だったので違和感はない。
問題は九条だ。先程まで魔女の格好をしていたせいか、制服姿がコスプレのようになっていた。制服が似合わないのか、魔女衣装が似合いすぎるのか、真実は個人の感想に委ねられるが、仲谷は後者だと判断した。
「巻き込んでしまいましたね」
先程と同一人物とは思えない発言。気遣っているような口調に仲谷は首を傾げた。
「別に巻き込まれてないけど。そもそも俺が持ち込んだ厄介事だと思ってたから」
少し話が長くなるのか、九条は教室の椅子に腰かけた。
月明かりが彼女を照らす。自然の力も相まって神秘的な姿に見えた。
美しいと言葉が出かけたが、今の流れで言う内容でもない為、慌てて仲谷は口を噤んだ。代わりに九条が口を開いた。
「あなたを連れてきたのは私がよく知る魔女です。時折、無理難題を課せられたりしていたのですが、今日みたいに周りの人間を巻き込むようなことになるとは」
はぁ、と九条は嘆息する。
「あそこまで辿り着いたのは自分の意志だ。誰のせいとかじゃない。俺が選んだんだ」
フォローを挟む仲谷。本心から気にしていないと感じている彼にとって、九条のリアクションは大袈裟に見えた。
彼自身、ノコノコと入ってはいけない扉に足を踏み入れたのだ。リスクはあって当然だ。
それに弁明も弁解も不要だ。破滅へと導くリスクですら彼には魅力的に見えたのだから。
「仲谷君は主従関係をよく理解していないようですね」
「・・・・・・あの契約のこと?」
そう言って仲谷も椅子に腰かけた。話はすぐに終わらなさそうだ。
「順を追って話しましょう。まず私と仲谷君が記載した誓約書ですが、あれは悪魔が作成した物です。契約破棄はできないものと考えてください」
「悪魔じゃなかったらできたってこと?」
「程度にもよりますが可能です。ただ今回は相手が悪かったです。まさか大悪魔がでてくるとは」
震える九条。気丈に振る舞っていた彼女だが、あの悪魔には恐怖の感情を抱いていたようだ。仲谷も異論はない。あれは違う世界の大いなる何かだ。
コホンと九条は咳払いをして話を戻す。
「肝心の契約内容ですが・・・・・・見ましたか?」
「いや怖くて全然見てなかった。悪魔が書いてるから読めないかなとも思って、見る気すらなかった」
たはは、と笑う仲谷。九条は半眼で彼を見つめ。
「仲谷君は詐欺師と仲良くなれそうですね」
皮肉交じりの回答を彼に送った。
「まあ書いちゃったことは今更どうにもならないからいいとして。あの契約書にはなんて書いてあったんだ?」
「誓約書です。結果的に契約した形にはなりましたが」
「・・・・・・契約?」
ようやく仲谷は九条が難しい表情を作っていた訳を理解した。
青天の霹靂だ。なんてことはない。仲谷は誓約して契約を交わしたのだ。誰と?
答えは一つ。決まっている――魔女だ。
「合点がいった。俺は九条と契約を交わしたのか」
「その通りです。そして記載された内容はこうです。『我、汝に誓いを立てる者なり。貴方様の命燃え尽きるまで、我が生を捧げます』。意味はわかりますか?」
「・・・・・・一生奴隷宣言的な感じ?」
恐る恐る尋ねる仲谷。
「その通りです。遥か彼方より存在する魔女の術者になるための誓約です。今となっては古い言葉ですが・・・・・・」
またも溜息を吐く九条。説明を聞いた仲谷は疑問を深めた。一点だけ、どうしても腑に落ちない点があったからだ。
「誓約を立てたことでなにか起こるの? 話を聞く限りだと、九条が奴隷のように俺を扱わなければ無害に思えるんだけど。それに・・・・・・あくまで宣言なんだろ?」
誓約の内容は魔女に忠誠を誓うことしか記述されていない。そして内容は九条にとって悪い物ではないはずだ。無論、仲谷は奴隷契約を結んで嬉しい訳ではないが、何故九条がここまで渋い顔を作るのか疑問に思っていた。
これは魔女に有利な取引の筈だ。
「そうですね、仲谷君の言う通りです。あくまで宣言です。しかしこの宣言には大昔の魔女が宿した強い魔法が込められています」
九条は制服の袖を捲って腕を出した。色白の腕だ。病人みたいな色だ。
だが見るべきはそこではない。白い腕には花のような紋章が刻まれていた。
「これは誓約を交わした魔女と術者につけられる印です。この印は魔女と術者を概念的に繋いでいます。」
「誓約の証ってことか」
仲谷も自身の腕を見た。同じ紋様が存在していた。
「いいですか仲谷君。私達は繋がっています。その繋がりは私の方に主導権があります。私が望めば仲谷君は働きます。闘います。そして死にます」
変わらない無表情で話す九条。彼女は魔女らしい不穏な空気を醸し出し始めた。
月明かりが消えて不気味な闇が辺りを包む。
「私が死んでも死にます。私の代わりに死にます。私が死ねと言ったら死にます。これが概念的に繋がるという事です。あなたの命、身体、魔力、全てが私の手の中にあるということです」
悪魔によって決して破ることができない誓約。文字通り人生を握られた仲谷。
彼はようやく九条の言葉の意味を理解した。
「この契約がある限り仲谷君は二人分の命を守る必要があります。私と自分の命をです。魔女の従者になるということは――そう言うことなのです」
話は終わった。依然として教室内は暗夜のままだ。
暗闇の中でも九条だけはくっきりと輪郭ができていた。まるで夜に愛されているかのような。それも魔女である所以の一つなのかもしれない。
もう時間すらも判別できない二人きりの世界。今宵を締めくくりとして、魔女は最後の真実を告げる。
「私は自分の命が消えそうになったら、あなたの命を使います」
決定的な言葉だった。彼女が凡人でないことを表す内容だった。
その証拠に九条も断言する。
「それが魔女です」
九条は立ち上がり杖を取り出した。その姿に仲谷は少なからず恐怖を覚えた。理由は分からない。ただ本能が告げていた――彼女に逆らってはいけないと。
これもまた従者であることの証なのだろうか。
「外は暗いな」
ふと仲谷は外を見て呟いた。
未だ月光はこちらに見向きもしない。異なる世界の住人を拒むように、優しき月の光が二人を照らすことはなかった。
九条も外を眺める。闇夜に浮かぶ三日月に魔女はなにを想うのだろうか? そんな疑問を仲谷はすぐに掻き消した。只人であった者が思考を読みなどとおこがましい事だ。
真夜中に相応しい閑静な教室。最後の問いが投げられた。
「どうしますか? ――仲谷君」
闇の中で魔女の双眸が映し出される。夜に浮かぶ月のように美しい瞳だ。
同時にとても怖い目にも見える。子供を連れ去り、大人を恐怖に陥れ、世界を破滅させそうな怖い目だ。されど、とても魅力的だ。駄目だと分かっていながら仲谷は席から立ち上がり近づいた。光を追い求める虫のように。無様だと感じながらも、彼はその歩みを止めることができなかった。
「答えになっているか分からないけど・・・・・・」
優しき月の光が仲谷のみを照らした。
最後のチャンスが与えられた。元の世界へと戻るか、闇の世界で生きるか。
穏やかな月光は外の風景を見せる。人の営みがよく見えた。それぞれに家族がいるのだろう。仲谷だってそうだ。戻る場所はある。
後ろ髪が引かれないといったら噓になる。後悔しないと断言できない。
だが彼の決意は揺らぐことはなかった。
あの時、九条を追いかけて扉を開いたその時から、彼の考えは一貫していた。
「俺も連れて行ってくれ」
なにがあろうと受け入れる。扉を開いたのは他でもない、自分自身なのだから。
ふと仲谷は外に目を向けた。
月の姿は見えなかった。