第二話 理由
朧げな記憶の中に微かに残った九条との会話。儚い夢のように薄れていく過去は、数秒後には仲谷の中から完全に消え去っていた。
それこそ――まるで夢のように。
静寂が二人を包み込む。メトロノームの音だけが控えめに響き、互いに牽制するように言葉を発しない。
教えて欲しいことが山ほどあるにも関わらず、仲谷は最初の一言が口にできなかった。
目の前で座る魔女もまた思案する。突然現れた同級生は意味不明な理由で自分の前へと姿を現した。『九条がいたから』などと到底納得できない。
魔女の瞳に警戒の色が灯る。同級生の男子の姿をした少年に、魔女は質問を投げかける。
「ここに入れるのは普通の人間では無理です。どうやって入ったのですか?」
含みを持たせた言い方で魔女は質問をした。仲谷の反応を観察するために。
質問をされた自称同級生は答えに困惑したかのように腕を組んだ。頻繁に顎に手を当て考える素振りを見せた後、慎重に言葉を選んで返答した。
「扉は九条の後ろをつけたから見つけることができた・・・・・・扉自体は鍵もかかっていなかったし、簡単に入れたんだよ」
「鍵が? そうですか・・・・・・念のため伺いますが、あなたが壊したのではないのですか?」
決定的な質問だ。その問いでようやく、仲谷は九条に疑いの目を向けられていることに気が付いた。
慌てて彼は両手を振り否定の仕草を見せる。
誤解は解かなければいけない。
「こ、壊してないっ! 俺は本当に九条が入った扉に入っただけなんだ。そもそも鍵なんて無かっただろ?」
口にして仲谷は、この回答はマズイと早々に悟った。
案の定、その悪い予感は的中することになる。
「その通りです。この扉には鍵がありません。入るためには許可証が必要となります。ですが許可証をあなたは所持していませんよね?」
ここは仲谷が住む慣れ親しんだ世界と、乖離する場所だと彼は理解していた。
ならばこそ、ほんの少しだけ魔女がいる世界についての常識を考慮するべきだった。
許可証を持たずに扉を開いて入った人間。警戒心を抱かれるのは当然の帰結であり、仲谷は一度、鍵がない扉に鍵云々の話をしてしまった。怪しさ全開である。
「ちょっ、ちょっと待って! 所持してないけど入れたから。なんというか・・・・・・しょうがなくない?」
「・・・・・・」
九条は沈黙で返す。再びメトロノームの規則正しい音だけが響く。
カチ、カチ、カチ、と整然とした狂いのないリズムにとは対照的に、仲谷の心臓は爆音のドラムの如き高鳴りを響かせていた。
張り詰めた緊張感と、平凡な価値観を壊す異質な存在を目の当たりにして。
「ここに来た用件を教えていただけますか?」
疑いの視線を隠す気すらない魔女。敵意ともとれる半眼に仲谷は両手を挙げて降参の姿勢を見せた。
「悪いけどよく覚えていなんだよ。学校で目を覚ましたら九条を見たから追い掛けただけ。それ以上に伝えられることがない。それより、九条こそ、その――」
躊躇いがちに仲谷は問いかける。
「魔女なの?」
魔女。世界中の物語に必ず登場するキャラクター的存在。絵本から映画まで多種多様な種類の魔女が存在し、彼女たちに明確なルールなどは存在しない。
絵本では優しく薬を皆に配り、映画では陰気なやり方で人々を陥れ、小説では少女率いる旅の一行によって消失した。
古来から伝わる怖い魔女もいれば、縁側で寛ぐ穏やかな魔女もいる。
特段、これといって統一性のない存在だが、とある共通点が存在した。
「はい。魔女です」
確実に聞き取れる声量で魔女は返答する。
やはりそうか、と仲谷は納得と同時に湧いてきた好奇心を抑えることなく、覗き込むように魔女を凝視し始めた。
全体的に黒を基調とした服装。片足が長い靴下や、星の形をした袖、かぼちゃパンツ、一般的には見かけない格好だ。魔女とまではいかないが、どちらかというと魔女に近い存在。ここにある一つのアイテムを加えることで、突如といて魔女へと生まれ変わる。
魔女は自分が被る帽子に手を触れた。
大きな、大きな、大きな帽子だ。被られているのか、被っているのかすら分からなくなるほどに雄大な帽子だった。
一般的には見かけない格好。されど妙に似合っていた。着こなしていた。納得させられた。
「本当に存在するんだな」
「はい。我々は実在します」
我々。複数人がいることを暗示させる言葉に、仲谷は戦慄を覚える。
世界とは知らぬことだらけだと、自らの見識の無さに絶望するばかりだ。
「私からも一つ質問があります」
前置きをしてから九条は質問を始めた。
「何故私の名前を知っているんですか?」
自分の名を気安く呼ぶ怪しい侵入者に対しての質問。追及するかのように目つきを鋭くし、不届き者の次の言葉を待つ。
質問された側は困ったように瞬きをして、申し訳なさそうに口を開いた。
「一応・・・・・・俺達、同級生なんですけど」
「・・・・・・え?」
流れる気まずい空気。仲谷はめげずに続ける。
「同じクラスなんですよ」
「へぇ、そうだったんですね・・・・・・失礼しました」
失礼極まりないが仲谷は平静を装った。相手に勝手に認知されているのは自惚れている証拠だ。特段、怒る事でもないだろう。だが入学して随分時間が経過したのだから、もう少し周囲に興味を持っていいと思うし、なにより自分はクラスの中では目立っている自負がある、というか目立っているな? 目立ってますよね九条さん?
「俺ってクラスの中で目立ってる?」
「あんまり学校に興味ないから分からないです」
無表情で回答する九条。
「じゃあ、なんで登校してるんだよ・・・・・・」
魔女にも教育という概念があるかは不明だが、魔女も学校に登校することは分かった。
仲谷が好奇心から詳細な理由を尋ねようとした矢先、制止するように九条が質問を投げかけた。
「名前を聞いてもいいですか?」
九条にとっては初めての対面に近い状況。仲谷は喉を整えてから言葉を発した。
「仲谷 蓬です。よろしくね九条」
友好の印として差し出した右手。九条は一瞥して手を掴むことなく彼女は話し出した。
「仲谷君。私はここの管理人をしています。私にはこの場所を守る義務があります」
「それは・・・・・・大変ですね」
「えぇ、大変です。特に仲谷君のようなイレギュラーな存在が厄介です。理由もなく入ってきた同級生。仲谷君、ここがどういう場所か分かっていますか?」
周りを見渡し仲谷は首を振った。その反応を確認して九条は続ける。
「ここは仲谷君の世界と異世界を繋ぐための案内所です。あちら側とこちら側で様々な種族たちが目的を持って行きかう場所です」
あえて九条は『種族』と口にした。その意味を仲谷は後に知ることとなる。
「強い願望、又は特定の手段を持って入室できる部屋です。ですが仲谷君にはどちらも存在しない。不思議というか不可解です。ハッキリ言いましょう。仲谷君は私に弁明を行う必要があります。さもなければ私はあなたを殺さないといけません」
「・・・・・・ハッキリ言ったね」
鳥肌が立つほどの重圧が仲谷に押し寄せる。小さな身体から発せられる殺気は、同級生の九条ではなく異世界の魔女だ。
魔女が納得する回答である必要がある。後ずさりしながら、仲谷は何故ここに来たのかもう一度考えた。
そして包み隠さず話すことを選んだ。
「俺は元々こういう世界に憧れていたんだよ。なんていうか・・・・・・今とは違う世界について。だから憧れてたから行けたというか。言語化が難しいな・・・・・・」
行きたい理由はある。だが九条を追いかけて辿り着けた理由が分からない。まるで記憶が欠けているような、忘れているような、夢からさめたような感覚。
「誰かが導いてくれた気がするんだ・・・・・・」
口にし出した途端、自分の言った内容に仲谷は驚いた。
記憶もなければ証拠もない。だが何者かの介入があったことの断言だけはできる確信があったからだ。
奇妙な感覚。確信だけが仲谷の口を動かした。
「俺は誰かの意志で来たのか?」
問い返すような仲谷の言葉に、考えるように頭に手を置いたのは九条だ。
おぼつかない記憶の中で仲谷が絞り出した説明の数々。あえて現象と表現しよう。九条にはこの現象に覚えがあった。
よく知る人物が使用していた『魔法』だ。彼女が関わっているならば、全ての説明がつく。
故に彼女は――。
「今日は帰ってください。後ろの扉から出られますから」
「え、なに? 急にそんな突き放す感じ・・・・・・辛いよ」
「もう大体分かったので。謎は解けましたから」
九条は手を振り無視を追い払う動作をして帰りを促した。やられた本人は思いのほかダメージを受ける払いのけ方だ。現に仲谷もちょっぴり傷ついてしまった。
「冷たいな。案内所がそんなんでいいのかよ」
「仲山君は招かれざる人ですから。早く帰ってください。私面倒ごとは嫌いなんですよ」
「・・・・・・仲谷だよっ!!」
追い打ちを掛けられて、仲谷は涙目で出口へと向かった。
後ろを向いてから真っ直ぐ正面に扉があり、そこから出ることができる。
「・・・・・・あれ?」
扉が存在しない。仲谷は近づいて目を凝らすも、なにも見つけることができない。
「あの・・・・・・九条さん」
恐る恐る仲谷は声を掛けた。背後で大きな溜息の音が耳に入る。どうやら嬉しくない事態が発生したようだ。
「見えています。見えていますよ。仲曽根君の見ている通りです」
再び九条は溜息を吐いて一言。
「面倒ごとは嫌いなんですよ」
そう言って頬杖をつく魔女に仲谷は小さく『仲谷』ですと修正をいれた。