第一話 二人の始まり
仲谷 蓬は高校生である。
友人が多いタイプの学生である。人に優しく、適度に面白く、中々に勉強ができるやつである。
部活はバスケ部である。とりあえず運動部に入った方がモテるかな、といった甘い考えで入部した大馬鹿者である。
しかし目論見は見事当たり、クラスの女子からはそこそこ人気が高い幸せ者である。
彼は高校一年である。年は十六歳である。先月誕生日を迎えた。入学して半年は過ぎている。
学校に不満はない男である。人間関係は概ね良好であり勉強も苦手ではない。学校が得意な人種である。されど彼は満足はしていない。
日々、言いようのない憂慮に支配される今どきの高校生である。
――蓬ってなんか人気者だよな。
よく耳にする台詞である。だが仲谷は良く思っていない。
いくら人気者と呼ばれようとも、想いを寄せる異性には彼氏がおり、部活ではベンチ入りどころか補欠である。
評価されるのは嬉しいが、人気者と言われるのは心外だ。
彼としては人気者ではなくても、女子にモテたいのが本音である。
――蓬、飯食おうぜ。
仲谷はバスケ部の仲間たちと昼飯を食べる。
最初は十人程の大きな集団だったが、一人、また一人、彼女ができた男たちは無情にも恋仲と仲良く食事をしている。残ったのは五人である。仲谷には彼女はまだいない。
――蓬君、○○先輩の連絡先って知ってる?
女子に聞かれる質問第一位である。残念ながら仲谷の連絡先を知らない女子は、仲谷の先輩に興味があるのである。最初は少なからず愚痴を口にしていた仲谷も、慣れた手つきで先輩の連絡先を教えている。
無論、先輩の許可済みである。仲谷はそこら辺しっかり者だ。
このように仲谷 蓬は普通の高校生である。
普通である。普通であるが――現状に不思議と満足していない男である。
――仲谷はやりたいことないのか?
担任からの言葉に仲谷は口を閉ざした。
ない。と断言できるほど、仲谷には将来への希望も期待もなかった。多分、今みたいにうまく生きていけるのだろうと、根拠の無い自信しかない。だが事実でもある。
世渡り上手は存在する。仲谷はそこに該当した。
そんな世の中を舐め腐りながらも上手くいく男だ。自分の将来が気になり考え出した。
彼は本気で考えた。人生で一番考えた夜だっただろう。熱がでるほど頭を悩ませた。実際に熱はでなかったが答えはでた。
自分が何になりたいのか、自分が何を目指しているのか、どうして今は幸せじゃないのか?
――そうか。俺は、主人公になりたいんだ。
仲谷 蓬は学生である。普通の学生である。それが嫌なのである。
異世界に飛ばされたいのである。人を助けるヒーローになりたいのである。世界を守る救世主になりたいのである。もう適役のドラゴンでもいいから何かになりたいのである。
有名になりたいとかではない。強くなりたいわけでもない。
ただ現実にはない何かになりたいのである。
馬鹿である。大馬鹿者である。中学生によくある妄想である。
しかし仲谷にはその答えがしっくりきた。納得してしまったのである。理性ではなく、本能的にこの回答が最も正しいと脳が認識してしまった。
究極的に馬鹿である。馬鹿であるが彼は本気でこの意見が正しいと信じているのである。
故に仲谷は気付いてしまったのだろう。クラスで異質な存在感を放つ少女に。
九条 真琴はクラスメイトである。
長いボサボサの髪に、やる気の無さそうな目つき、病弱に見える白い肌、クラスで一番の小柄な体躯。どれをとっても普通の人には持ち合わせない特徴である。
それが仲谷の琴線を強烈に刺激した。
話をしてみたい。突然の衝動に抗うことなく彼は九条に近づいた。
――私になにか用事でもあるの?
声を掛けようとした寸前、九条の方から彼に話しかけた。
驚いた仲谷は固まるもすぐに返答する。
話しかけてみたくなった、どんな子か気になった、彼が今まで磨いてきた会話術を駆使し、心の距離を縮めようと精一杯やった。全力を尽くした。
――へぇ。そうなんだ・・・・・・そうなんですね。
若干、気になる物言いだったが仲谷は続ける。
好きな食べ物や、学校のことや、部活をやっているかなど。相槌が多いため仲谷も調子に乗って質問攻めをした。
すると段々と九条は顔を顰めた。やりすぎたか、と仲谷も止まる。
彼は空気も読める男だ。伊達にバスケ部に所属していない。
ごめん色々聞きすぎたと、彼は素直に謝罪を口にした。
――いえ、気にしていませんよ。全く、全く、気にしていません。むしろ感謝しています。
やはり気になる物言いだ。だが仲谷は深く追求しない。
何故なら、そこが彼の好奇心を高めたからだ。
――仲谷君。君に、貴方にお願いがあるのですが。
試すように九条は仲谷を見上げる。
――聞いてもらっても?
両手で口元を包み、小声で話す仕草を見せる九条。仲谷は身を屈めて彼女の言葉を聞き取ろうと耳を澄ました。
――ふふっ。スリープ。
可愛らしい笑い声を最後に仲谷の意識は幕を閉じた。
そして訪れる覚醒の時。仲谷は目を覚ました。外は暗かった。
夜だ。いつの間にか夜になっている。
急いで周囲を見渡す。教室だ。毎日授業を受けている場所だ。
携帯を取り出し時間を確認する。時刻は午後十一時五十分。信じられない量の着信と通知で画面が埋め尽くされていた。
仲谷は記憶を探った。自分が寝ていた理由は一体なんだったのか。
すぐに該当の人物に思い当たった。彼女だ――九条 真琴だ。
だが妙に記憶が曖昧だ。まるで夢でも見ていたかのように。
本当に九条と話していたのだろうか? 現実との境目が仲谷には判別できない。
――トン。
足音だ。小さな足音だ。
悩む仲谷だが足音を聞いて身体を強張らせた。
こんな時間に誰が? 悩む間もなく足音は遠くに離れていく。
瞬きほどの間に彼は決断した。足音を追いかけようと。
走ってはいない。歩いている。こんな真夜中に。
もうすぐ時刻は零時となるだろう。肝試しにしては人数が少なく、忘れ物を取りに来たとしては慣れた足取りで歩いている。
――トン、トン。
迷いのない足取り。音だけを聞いて仲谷は追いかける。
姿形は未だ見えない。歩いている人間は明かりすらつけていないからだ。
不思議と仲谷に恐怖はなかった。あるのは確信のみ。この道を抜けた先に待ち望んだ答えがあると彼は考える。
窓から差し込む月明かり。ようやく仲谷はシルエットを目視した。
小柄な体躯だ。まるで子供の様な。
その者は教室へと入っていった。慌てて仲谷も忍び足で教室の前へと辿り着いた。
空き部屋だ。サイズ感は小さい。物置にでも使用されているのだろうか。
扉は閉じられている。引き戸だ。彼は開こうと手を掛ける。
――。
ここだ。間違いなくここがターニングポイントだ。
直感が告げる。運命の分かれ道。引き返せば安寧が、進めば修羅が待ち構えている。
戻るなら今だ。さながら天使と悪魔が二方向から囁くような感覚。
何故進むのか。具体的な理由は仲谷すら知らないのかもしれない。
だが彼は扉に掛けた手を離そうとしない。その状況が答えなのだろう。それが答えなのだろう。
それこそが答えなのだろう。
一切の迷いなく、少しの躊躇もなく、欠片程の逡巡もなく、彼は扉を開いた。
――ッ。
暗転した世界。夜よりも更に暗い闇の領域。目を閉じたかと錯覚するほどの暗黒の中、光が灯った彼の前に現れたのは、ガラクタと宝石が混在する不思議な部屋だった。
折れた杖や錆びた鎧、中身のないガラスや、骨で作成されたお面。かと思えば太陽のように輝く球体上の宝石、薔薇の形状をした発光する植物、機械仕掛けの鳥人形。
仲谷は辺り一面を見渡した後、たった一つしかない扉に向かい歩き始めた。
入ってきた筈の扉は消えており、存在するのは眼前の木製のドアのみ。
始まった。彼はドアノブを捻り、扉を開けた。
――あなたは。
小さな魔女がいた。ドアを開いた場所から真正面に座る人間が一人。木製の下半身を隠すような机の後ろで座っていた。
驚いたように魔女は声を漏らした。大きな帽子を被った小さな魔女だ。
長いボサボサの髪に、やる気の無さそうな目つき、病弱に見える白い肌、クラスで一番の小柄な体躯。仲谷は魔女の名前を知っている。
そして魔女も仲谷を知っている。故に、魔女は尋ねる。
「何故、ここに来たのですか?」
改めて問われると明確な答えが浮かばない。だから仲谷は直感的に答えることにした。
「九条がいたから・・・・・・かな」
そうですか、と小さな魔女は呟いた。
これが二人の始まりだった。