七、ラダは気遣っている?
ライラの初めての外交の準備が整っていく。すべらかな生地がライラの肌に馴染んで、手に持っても羽のように軽かった。
「もう少し、ウエストを絞りましょうか」
「いえ、これで」
ただでさえ窮屈なのに、服屋のおかみさんが一段階下のコルセットを取り出した。女性はウエストを絞れば絞るほどに美しい。
「ま、待ってください」
「入りそうですよ、ライラさま」
「いえ、あの」
よもや、外交のご馳走を食べたいから、緩めのコルセットがいい、だなんて言い出せる雰囲気ではなかった。
諦めて、おかみさんにコルセットを巻いてもらう。きつく固く締めこんで、上からドレスをまとう。ピンク色のドレスだやはり、着てみてもまるで重さを感じさせない、上等な作りはすぐに体の一部になった。
「入るぞ」
試着が終わり、折りよくラダが部屋に入ってくる。ライラの姿を見るなり、顔を逸らした。胸を強調するデザインに仕上げたのは、服屋のおかみの采配だった。ライラはおずおずとラダを見上げた。
「ラダくん……に、似合わないかな」
「いや……」
「や、やっぱり私、外交なんて柄じゃ」
下を向いてドレスをひらりと翻した。キラキラと絹が輝いて、ピンク色の生地が美しい。ラダの目には、このドレスはどう映るだろうか。ラダが似合うと言ったピンクのドレス。
ライラがドレスを見渡すと、ラダが咳払いをする。ライラは顔を上げる。ラダがライラに跪いて、ライラの手をそっと握った。ラダはライラがまるでガラスであるかのように、ライラの手を恐る恐る取ったのだった。
「綺麗だ、ライラ」
そのまま、手の甲にキスされて、ライラは慌てて手を引く。しかし、ラダは立ち上がってそのままライラの手を引き寄せた。ラダの気持ちなんてライラにはわからない。ライラの体がラダに吸い寄せられて、ドレスの裾が、名残惜しそうに後ろに翻る。
「なな、」
「さすがは、俺の妻だ」
抱きしめて、また頬にキス。ラダの腕に収まって、ライラはラダにされるがままだった。ライラはラダの中でぼうっと立ち尽くし、ラダがライラの耳元に顔を寄せた。
「側妃など迎えられぬくらいに、見せつけねば。協力しろ」
「……!」
つまりライラは虫除けの妻で、ラダはなんとしても、王家の呪いを他者から隠したい。そのためなら、ライラのことだって利用するということらしかった。この行為に意味がつく。単なる偽装にすぎない、いわばライラは単なるビジネスパートナー。泣きたくなるのをこらえて、ライラもラダを抱き締め返した。ラダの体が強ばる。ライラはめいっぱい笑って見せた。
「私もお慕いしております」
服屋のおかみが赤面して顔を逸らす。ルイスも、ライラたちの関係を知りながら、なにも言わずに退室した。
出会ったときは、こんな人だっただろうか。ライラが恋したラダは、もういなくなったのだろうか。
ダンスのコツといったコツはなく、とはいえそれは、ラダのリードがうまいだけで、ライラはなんとかダンスを習得し、今も毎日自由な生活を許されている。例えば、毎朝のランニングだったり、実家への出入りだったり。そんな中、今日は実家に家具を引き取りに戻ると、ライラ宛の手紙を父から渡されたのだった。
「なんだろ」
厳重な封を切って中を見ると、ノアからの最終面談の通知だった。ノアとは、ライラがラダに会った日に面接を受けた料理店のことだ。
ライラは思わず跳ね上がり、父と母に抱きついた。
「やったわ、私、憧れのお店で働けるかも!」
しかし、両親は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。跳ね回るライラを静止して、
「なにを言っているんだ。嫁ぐのだから、仕事なんて必要ないだろう」
「あ……いや。でも、旦那さまもたぶんお許しくださるかと」
なにしろ契約結婚だから、ライラとラダの間に愛などなく、あの城は窮屈で息が詰まりそうだった。
そういえば、旦那さまがラダだと両親に話すタイミングを逸している気がする。
「ライラ。旦那様を支えるのが妻のつとめよ」
そういうものなのだろうか。……確かに、ライラが嫁ぐのは王家なのだから、外で働く訳にも行かない。しかし、最終面談まで来てみすみす諦めることも出来ない。ライラは今一度手紙を読み返す。
「って、え! 面談って今日じゃない……!」
腰から下げた懐中時計を見る。あと一時間。チクタクと音を立て、懐中時計がライラを急かす。
「お父さま、お母さま、この話はまたあとで!」
ライラはドレスの着替えもそこそこに、ノアの一号店へと走るのだった。
しかし、いざ面接官が現れて、ライラは閉口するしかなかった。さぞ紳士な店長だろうと意気込んでいたのに、見知った顔は、ライラを緊張させるばかりだった。なぜなら、
「俺がこの料理屋の主だ」
「え、ええ!? ラダく……皇子さまが?」
そこに現れたのはラフな恰好のラダで、ライラは面談で話そうと思っていた意気込みを全て忘れた。ラダも人が悪い。でも、確かにあの日、ラダはこの店のハンバーグのレシピを知っていた。ならば、少し考えればラダが関係者だとわかりきった事だった。変な汗が流れる。ラダはこの店では皇子であることを隠しているらしく、店員たちがラダを見てにこやかに挨拶をしている。
「からかったのですか」
「何故そうなる。俺はオマエの能力を買っている」
「……レシピから味がわかる能力ですか?」
「そうだ。なにより」
ライラがあの日、この店を庶民の店と侮らなかったこと、ラダの企業努力を汲み取ってくれたこと。ラダは皇子だけれど、上の二人と違って平民の子だ。ゆえに、こうして料理屋を営んで、いつでもあの城を出てもいいように準備しているそうだ。ラダは、庶民の店も高級店も関係なく、偏見なく店を賞賛するライラを見て、今回の面談をすすめたらしい。その話に偽りは見えなかったため、ライラも言及しないことにした。
それらを加味して、ライラに与えられたのは、
「城から出ることは難しい。が、城でもできる仕事があるだろう」
「城でも?」
「新商品の開発をして欲しい。オマエのその能力が、喉から手が出るほどに欲しい。捨てるにはあまりにも惜しい才能だ」
なんとなく、ラダは気遣っているのだと思った。契約結婚するライラの自由を奪ってしまう代わりに、せめて仕事につかせたい。そんな心遣い。
別にライラは、嫌々結婚するわけじゃない。ラダは違うのかも知れないけれど。
「じゃあ、私、その仕事につきたいです」
断ったらラダの気持ちを踏みにじりそうで、ライラは笑顔で答えた。ラダがほっとしたように椅子の背もたれに体をあずけた。
「はぁ、良かった。オマエ、勘がいいから断るかと思ったよ」
「あ……喋り方。昔に戻ったね」
「な……知らん。オマエは余計なことばかり言う……」
あのころ、幼かったライラとラダは、今のように距離はなかった。ただ、今も昔も変わらないのは、ラダが謎に包まれているということだった。