六、ラダは泣いてる?
寝室まで運ばれて、ライラはベッドのうえに降ろされた。きしみすらしないベッドは上等で、絹のシーツがかけられている。ライラは靴を脱いで、ラダはルイスから消毒液を受け取って、ライラのかかとに躊躇いなくかけた。
「い、痛いっ」
「なんだ、やはり歩けないほど痛かったのか」
「や、消毒液がしみるだけで」
足を引っ込めようにも、ラダがしっかり掴んでいてかなわなかった。ルイスが薬をラダに渡す。また染みるそれを塗られて、ラダがそっとライラの左足に包帯を巻いた。だいぶ過保護だな、と思いながらも、むず痒い嬉しさが込み上げて、ニヤける顔を抑えきれなかった。
「なにを笑っている」
「いえ。やっぱりラダくんは優しいなって」
「っ、その呼び方はやめろ」
ライラはベッドに座っていて、ラダはかしづいているから、ラダの視線がライラのだいぶ下にあった。思わずラダの頬に手を伸ばし――しかし、ラダが咄嗟に立ち上がりライラを避けた。怯える瞳に、ライラの手は行き場を失いさまよう。
「ご、ごめんなさい。私……」
「いや、……頭に触れたら、ここでドラゴンになるわけにはいかないからな」
「あ……それもそうだった」
ライラはただ、無意識にラダに触れたかっただけだが、ラダにとってそれは、最も忌むべき行為だった。自分の無神経さに腹が立つ。ライラは素足で立ち上がる。立ち上がってもラダとの距離は縮まなかった。ラダの顔ははるか上にある。ライラは顔を上にあげて、
「ラダくん。ラダくんのその呪い。解く方法はないの?」
「……これは、王家の先祖が受けた呪いゆえに、解く方法はない」
「ご先祖さまはなにをしたの?」
「それは俺にも」
怯えるようにライラからまた一歩距離を取り、ラダが俯いた。薄暗い部屋にルイスがランプの火をともした。あたたかな暖色の光は、ラダの銀色の髪を美しく照らしだし、それが余計に悲しかった。ライラは昔、太っていたことを理由に、領主の娘であることを理由に、学校で仲間外れにされてきた。それを救ってくれたのは紛れもなくラダで、だからライラは、どうしたって。
「ラダくん。私、ラダくんの呪いを解きたい」
「俺はもう、諦めてるがな」
「そんなの! どう考えたっておかしいじゃない! ラダくんはなにも悪いことなんて――」
ラダが顔をあげて、ライラの手を取った。そのままライラの体を引き寄せて、吐息がかかるほどの距離で、ライラの瞳を凝視した。ラダの青い瞳が揺れている。不安げにライラを見、その瞳に映るライラもまた、不安を滲ませた表情をしていた。
「ならば。オマエはもう、なにもするな」
「なにも、するな?」
「オマエは、俺の傍でただ笑っていろ。なにも考えず。呪いのことなど知らず、昔のままに、俺に笑いかけ――」
ラダの顔がライラに近づく。ライラはそれをさけることが出来なかった。唇が触れるか触れないかといったところで、ラダがハッとしたようにライラを突き飛ばした。ベッドに尻をつき、ライラはそこからラダを見上げた。泣いてないのに、泣いているように見えた。なにに怯えているのだろう。ラダの体がかすかに震えている。
「ラダくん」
「呼ぶな」
「ラダくん、私ね」
「呼ぶな!」
立ち上がり、今度こそラダの頬に手を触れた。あたたかかった。ドラゴンの時とは違って、血が通ったあたたかさだった。皮膚だって柔らかで、ラダがドラゴンだと知る人は、きっとライラとルイスと、王族や家族に限られるだろう。ライラとラダを繋ぐ唯一が、この秘密だなんてあんまりだ。
「ラダくん。私はラダくんが皇子だろうがドラゴンだろうが。今でも気持ちは変わらないよ」
「変わらない? 気持ち?」
「……私、契約結婚でも良いって――」
バッとラダが踵を返した。ライラもライラで、その言葉を最後まで言えなかった。契約結婚でもいい、今でも好きだから。それは本当に? ライラはわからない。ラダを好きになった理由も、それが本心なのかも。幼い頃の約束なんて、あってないようなものだ。それにしがみつくライラは、ライラこそがラダを縛り付ける呪いになっていないだろうか。
宛てがわれた部屋はシャンデリアがあるし、ランプもあって、明るく清潔なのにライラには息苦しく暗い。
ラダはライラの寝室から出ていって、ルイスもライラに頭を下げてから寝室をあとにした。残されたライラはひとりぼっちで、自分の気持ちを押し付けようとした自分に怖気がした。