三十六、ラダとキリ王妃?
メルの戦火をしずめたことで、リノアにもかりそめの平和が訪れた。もう、戦争なんてなかったかのように、人々は平和に酔いしれている。誰もが他人事で、それこそが平和の証なのだと、ライラは一つ息を吐き出した。
ライラとラダに傷跡を残した隣国の戦争を、ライラはずっと、忘れられずにいる。毎日、毎晩、毎朝。今日も平和に過ぎて行くことに感謝して、なのにライラは自分がわからない。この平和のために、魔物を殺さなければならないのだろうか。ラダの呪いだってそうだ。ラダはいずれ、黒きドラゴンに変貌してしまう。その前に、なんとか呪いを解かなければ。
呪いのことなんて、深く考えたことがなかった。ライラは城の自室に眠り込む。明日はオスロの宰相たちとの外交に出なければならない。そういえば、ラダの母を殺したのは、オスロの人間だというところまでは絞れた。あれは、暑い夏の日、一年中雪に閉ざされたオスロの宰相たちが、ラダの母の生誕の宴に持ち込んだ氷を凶器にした犯行だった。夏なのに暖炉の火が燻っていたのは、凶器の氷をそこに投げ入れ消す必要があったからだ。
そして、その場に居合わせたのが、第一発見者のオスロの王妃、ルイス、そしてハルト皇子の母親――ハレ妃だった。
「もう少しで、わかりそうなのに」
ラダからは、オスロの王妃の娘――マリ王女の婚約破棄について説明されたが、未だにライラは納得できなかった。ラダに相応しいのはマリの方ではないか。そんな気持ちが日に日に膨らんで、ラダの隣に立つ自分が、憎らしくさえ思う。
外交は昼から催された。そこにはマリ王女も同席し、マリ王女の母王妃――キリ王妃もラダに鋭い視線を向けていた。まるで、仇でも見るような視線に、いたたまれなくなったのはライラである。
「ラダくん。キリ王妃さまが……やはり、外交のためにも私とは離縁した方が……」
「ソナタ、本気で言っているのか? 俺はソナタ以外は考えていない」
カツ、とヒールの音がライラたちの前に止まった。キリ王妃だった。スラリと背が高いのは、マリ王女には似ていない。キリ王妃がラダを一瞥したあと、ライラの方を向き直った。ラダの腕に手を絡ませていたライラは、ふと転びそうになった。
「アナタが、ライラ妃ですか」
「あ、はい……わたし……」
その時、キャア!と侍女の悲鳴が響いた。ライラはその悲鳴の先を振り返る。ハルト皇子が倒れ、胸を押さえている。血は出ていない。息が苦しそうだ。ライラはハルト皇子の元に走った。傍には紅茶のカップが落ち、割れていた。
「ハルト皇子さま!?」
先だって、ハルト皇子に乱暴されてなお、ライラに迷いは一切なかった。そういうところが、ラダは好きだった。ラダはライラの元に走り、しゃがみ込む。ライラはハルト皇子の脈を取った。脈が弱い。心臓が弱っている。吐血はない、となれば、これは毒だ。
ライラは場を混乱させないように、ラダに小さく耳打ちした。
「心の臓が弱っています。皆さんを混乱させぬよう、毒であることは伏せて、この場の食べ物を避けるように頼んでください」
ラダは首肯して、
「皆さん! この場にあるものは飲食せぬように!」
宰相たちは、食べたものを吐き出さんと手を喉奥に突っ込んでいた。
これは、ハルト皇子を狙ったものだった。証拠に、ハルト皇子以外のものはなんともない。
「しかし、紅茶が毒ならば」
ライラもラダも、同じ紅茶を飲んでいたはずだ。
ラダは侍女をつかまえて、
「兄上の紅茶を淹れたのは誰だ?」
「わ、わたくしでございます」
侍女が膝をつき、「殺してください」と弱々しく泣いた。ラダは引きつけを起こす侍女を立ち上がらせて、なるべく怖がらせないように言葉にした。
「茶葉は、同じものを?」
「は、はい。ハルト皇子さまの紅茶は、いつもオスロの雪解けの水を使うよう言われており……」
ちら、と侍女がキリ王妃とマリ王女の方を見る。しかし、これが毒ならば、砂糖を混ぜる際に銀のスプーンが変色したはずだ。砂糖に毒を混ぜるにしろ、他の者はなんともないのだから、やはり水が毒だったのだろうか?
「あら。ラダ皇子。兄が憎いからと、心の臓が弱る毒を盛ったのですね?」
キリ王妃に言われ、周りの人間がラダに冷たい目を向けた。それは人間がドラゴンに向ける侮蔑と同じ黒さを孕んでいて、ラダははかられたことに気づく間もなく、その場に棒立ちに立ち尽くした。
いずれにせよ、ラダは呪いに蝕まれて死ぬ。魔物の長の説得だって、できる保証もない。もう疲れた。誰かに疑われるのも、自分のせいで誰かが死ぬのも。
「ラダくん!」
呆然とするラダの手を、ライラが握った。あたたかい、血潮が感じられる。ラダはハッと意識をライラに向けた。その目はあたたかく、ラダは自分がまだ人間であることを実感する。ライラだけでもいい、誰かひとりでも、自分の味方がいてくれたら、それだけで生きていこうと思える。
「ラダくん、これは、中毒の可能性があります」
「心当たりがあるのか?」
「はい……ある水を使えば、紅茶で心臓を弱らせることが可能です」
先程、キリ王妃は毒の正体を『知っていた』。となれば、犯人は。
周りの人間は、ライラの言葉など信じない。みな、ラダがハルト皇子に復讐したのだと思っている。ラダの母親を殺したのは、死んだハルト皇子の母親だとは、有名な話だった。
ライラが城の部屋をひとつひとつ見て回る。ルイスの部屋、王さまの部屋、シド皇子の部屋、ラダの部屋。最後に宰相たちの部屋と、キリ王妃の部屋まで見て回った。
そうして、ライラはキリ王妃の部屋を今一度開け放つ。その後ライラは、部屋に飾られた花瓶を全て見て回って、ふうと深呼吸をした。
「犯人は、キリ王妃さまです」
「な……この妃は、なんて無礼なの!?」
キリ王妃が金切り声でライラを否定した。しかし、ライラはキリ王妃の部屋にある花瓶のうち、すずらんが入ったものを指さすと、
「すずらんを挿した水は、心臓を弱らせる毒となるのです」
それに、今気づいた。キリ王妃は、ラダの母が死んだ際、第一発見者だった。その時、ラダの母の部屋の鍵は閉まっていたと断言した。だから、この城の鍵を自由に持ち出せるハルト皇子の母親が、犯人だと疑われるに至った。しかし、最初から鍵がかかっていなかったら?
「キリ王妃さま。すずらんの花瓶にだけ水がないのは、それをハルト皇子の侍女に渡したからでは?」
「た、ただ単に、侍女が取り替えてなかっただけよ。それに」
「いいえ。先に侍女の方には伺っております。すずらんの花瓶の水は、昨夜取り替えたばかりだと。それに、先程キリ王妃は、『心の臓が弱る毒』だとご存知でしたね?」
「わ、私が捨てたのよ、すずらんって好きじゃないのよ。それに毒だって」
「私もラダ皇子さまも、心の臓が弱る毒とは、誰にも話しておりません」
ぎり、とキリ王妃が歯噛みした。
ダメ押しに、ライラは侍女に用意してもらった紅茶をひとつ、キリ王妃の前に差し出した。盆の上に、綺麗なティーカップが揺らめく。
「今朝、キリ王妃さまはハルト皇子さまの侍女に、お水を渡しましたね?」
「渡したわ。ハルト皇子さまは、我が国の雪解けの水がお好きでしたし」
「では、この紅茶を飲んでください。ハルト皇子さまの水と同じように、すずらんを挿した水で作らせました」
「……! だ、だから」
キリ王妃の娘であるマリ王女も、不安げにキリ王妃を見ている。キリ王妃が紅茶のカップを手に取る――しかし、盆を叩き、床にティーカップが割れ紅茶が飛び散った。
「なんなのよ、わたくしを害するつもりで!?」
「キリ王妃さま。キリ王妃さまは、ラダ皇子の母君――リノアの王妃も手にかけましたね?」
なんで早く気づかなかったのだろう。ラダの母親が死んだのは、ちょうどマリ王女との婚約が決まった年だ。あの日、氷を持ち込めたのはオスロの人間。そして第一発見者のキリ王妃は、ラダの母の部屋に鍵がかかっていたと嘘をついた。しかし実際は、鍵などかかっていなかった。キリ王妃が嘘をついたのだ。周りは騙され、キリ王妃はドアノブをぎゅっと握り固定しながら、助けに来た人たちとともにドアを破った。
すべては。
「ラダ皇子さまとマリ王女さまの婚姻を、我が国の王妃さまは反対なさっていたのでは?」
キリ王妃はつまり、娘可愛さにラダの母親を殺したのだ。その罪をハルト皇子の母親になすりつけて、獄中のハルト皇子の母親までもを手にかけた。ハルト皇子の母もまた、すずらんの毒で死したのだろう。文献によれば、心臓が弱って亡くなったとある。先日、ハルト皇子が言っていた。キリ王妃は、獄中のハルト皇子の母に花を差し入れたと。その花が、すずらんだったら? 花を差し入れるフリをして、コップにすずらんを挿して獄に入る。その後、すずらんと水を別にして、花を差し入れるついでに、すずらんを挿していた水を飲ませた。すずらんの毒は、ハルト皇子に飲ませたものよりも濃く、命に関わる量の毒が含まれていた。
「わたくしはただっ! 殺すつもりはなかったのよ! リノアの王妃が頑なにマリを受け入れないからっ!」
逃げ場を失い、とうとうキリ王妃から真実が告げられた。
当日九歳だったラダの婚約者として、マリの名が上がった。しかし、ラダはそれを断った。ラダの母は、ラダに想い人がいることを知っていたのだ。それに、前の婚約者は、ラダの呪いを知って婚約破棄を申し出た。ラダの母は、ラダを守るために、この婚約を受け入れるつもりはなかったのだ。それがキリ王妃には気に入らなかった。最初は、氷の彫刻を渡すために訪れたのだが、話がこじれて氷の彫刻で頭を殴った。鋭く尖った氷により、ラダの母は運悪く亡くなる。慌てて、キリ王妃は暖炉に火をくべて氷の彫刻を燃やし溶かしたのだ。あとは、少しの時間を開けて、ハルト皇子の母の部屋に血のついた短剣を隠してから、自らが第一発見者となることで、密室を装った。ラダの母の部屋に入れるのは、この城に住む人間しかいない。まんまとキリ王妃は容疑者から外れ、また、ラダの母が亡くなったことで、無理矢理ラダとマリの婚約を進めたのだ。
それに、王さまのゼラチンアレルギーのことも、キリ王妃が白状した。水墨画がオスロで流行っていたのは、キリ王妃の企てのひとつだったのだ。王族たちの間で芸術が流行っていたとなれば、いずれリノアの王さまも興味を示す。その隙を狙って、アレルギーを起こし国を撹乱させる目的があったのだ。全ては、愛娘の婚約を破棄したラダ憎さゆえの犯行だった。
ラダの母の件、そして王さまのアレルギーの件、さらにハルト皇子の件。すべてがキリ王妃の目論見だとわかり、キリ王妃は王さまによって投獄されたのだった。




