三十四、ラダとハルト皇子?
部屋に入って、ラダがおもむろにライラを振り返った。銀色の髪は揺れ、青い瞳は泣いているようにも見えた。ライラに宛てがわれた部屋は広く、なのに今日は、逃げ場がない。ラダがライラの手を取る。ふう、とひとつ息を吐き出した。
「ライラ、マリ王女のことは、黙っていたことは謝る」
「いえ、謝らないでください。でも、婚約破棄だったとは」
「ああ。……勘違いしないでほしい。俺の妻は、オマエだけだ」
「はい……」
言葉尻が小さくなって、ラダはいぶかし気にライラの顔を覗き込んだ。ラダにそんなことを言わせて、嬉しさと申し訳なさが綯い交ぜになる。ラダはライラが好き。だけど両思いは望んでいない。ならばライラは、ラダに深く踏み込んではいけないのだ。ライラは思わず顔をそらして、
「こ、国務がまだお残りでは?」
「はあ。そうだな。ライラ、くつろいでいてくれ。夜には戻る」
「はい」
ラダは後ろ髪惹かれるようにライラを何度も振り返りながら、ライラの部屋を出ていった。
ひとりになって、どっと疲れが襲う。ライラはベッドに横になるも、やはり落ち着きそうにない。こういう時は熱いお湯を頭から被るのがいちばんいい。すべてを洗い流したかった。だからライラは一人で風呂に向かうことにした。イルの家お風呂は狭くはないが、やっぱり城のものと違って少し窮屈だ。だから今日は、広々したお風呂で息抜きをしようと思ったのだ。それに、マリと話して冷えきった心と体を、温めたかった。その考えが、甘かった。
本来ならば、ラダと別行動は絶対にしない。するなときつくラダに言い聞かされているからだ。だけれどライラは、ラダの気持ちを知ったからか、気持ちが大きくなっていた。
ライラは一人で風呂場へ向かう。見張りの兵や、侍女たちが傍にいないことに、不自然さを感じることもなく。
目を覚ます。体が鉛のように重かった。自分はなにをしていたんだっけ。目の前には、第二皇子、ハルト皇子の姿があった。ライラの体はロープで縛られ、見動きを封じられている。
「知っているかい? 解呪は清らかな乙女にしか務まらない」
「……知りませんね、そんなこと」
「いやね、君がわたしのものになるというんなら、乱暴なことはしないよ?」
風呂場に向かう途中で、ライラはハルト皇子に拉致された。地下室で縄に縛られ、ライラはハルト皇子に尋問されている。
「もう一度聞く。わたしのものにならないかい?」
「なぜ私なんです」
「だってそうだろう、オマエ、ドラゴンの呪いを一時的にでも解呪できる聖女なんだろう? なら、オマエが俺の妻になれば、俺の呪いはもう、半分は解けたも同然だろう!?」
つまりハルト皇子にとってライラは単なる聖女に過ぎず、そこに愛もなにもないのなら、ライラがハルト皇子に付く必要性なんてまるでなかった。そもそもライラは、ラダの妃だ。ライラはベッと舌を出して、
「お断りします!」
びきびき、とハルト皇子のこめかみに青筋が浮かぶ。
「そうかい、ならば仕方がない。君にはラダの解呪から降りてもらう」
「降りる?」
「言っただろう? 解呪は純潔の乙女にしか務まらない」
ああ、本当にゲスな人間だ。ライラを穢す、そう言っているのだ。
別に、ライラはそれでもかまわない。けれど、そのせいで一時的とはいえ解呪の力を失ったら、ライラはラダの役に立てない。いや、そもそも、ラダからも愛想をつかされてしまうのではないだろうか。自分の価値なんて、少しでも解呪できることくらいなのに。
「い、や……」
「うん?」
「いや! 助けて、誰か、誰か!」
じたばたと抵抗するも、なにもできない。ハルト皇子の魔法は、相手を眠らせる力。
ライラの抵抗むなしく、だんだんと瞼が重くなる。重く、おもく……。
「ライラ!」
ダン! と扉が壊される。眠気が消えて、ライラは覚醒する。
「なんだ、早かったな」
ハルト皇子は悪びれる様子もなく、
「これはもう、純潔ではなくなった」
「なん……ハルトオマエ、この娘になにをした!?」
「なにって? 考えればわかることだろう?」
はったりに違いない。心理攻撃。ライラが叫ぶ。
「ラダくん、それは嘘です!」
「嘘だという証明はどうやってする? 君はわたしに穢された。それを隠したくて君は嘘をついている」
「ラダくん、信じてください、私は……!」
す、とラダがハルト皇子に剣先を向けた。ハルト皇子の頬を汗が伝う。
「この娘に、触れたのですか?」
「さあ、それはご想像にお任せするが」
「……! ライラ!」
ラダは剣を収め、ライラに歩み寄る。震えるライラの縄を解きそっと抱き上げて、ラダはそのまま城を出た。城は安全ではないから、師匠のところにいく。ラダがカラカラの声で説明した。あんな嘘に騙されないで。そう言いたいのに、言葉がつかえてなにも言えない。もしかしたら、ハルト皇子という人間は本当に自分になにかをしたのでは。
そんな不安がよぎって、ライラはなにも言えなくなってしまったのだ。
イルの家に着く前に、森の中でライラはそっとラダの腕からおろされた。
「怪我はないか?」
「はい……あの、ラダくん」
意を決して、
「ハルト皇子さまは、私になにもしておりません」
「……ならばオマエ、解呪の力をつかえるか?」
疑われている。しかし、無理もない。もしここで、解呪の力を失っていれば、ライラはラダにとっては用済みも同然。契約結婚の妃として傍に置く理由なんてなくなるのだから。
「わかりません」
「なら、試してみろ」
ラダがライラの手を取り自分の頭に触れさせた。服がほどけてラダはドラゴンの姿になる。
「ラダくん!?」
『戻せるか? 戻せないのか?』
ライラはそっと、ラダの硬い皮膚に口づける。しかし、なにも起こらない。しゅううとラダの息遣いが聞こえるだけで、ラダの姿は人間には戻る気配がない。
「ち、違うんです」
『ハルトに乱暴されたのか?』
「違います、断じて。私は、ただ……解呪の力が今だけ……使えないだけで」
本当にそうだろうか。拉致されて一時間ほどの記憶があいまいだ。ハルト皇子の魔法で眠らされていたからだ。
だったら、その間に自分は純潔としての力を奪われた?
「ちが、ラダくん、わたし」
『そうか。使えないのか。わかった』
「わたし、わたし、」
捨てないで、とすがるライラに、しかしラダはライラを背中に乗せると、今度はなにも言わずに、一目散にイルの家へと羽ばたくのだった。
イルの家について、ラダがライラを先に降ろした。ドラゴン姿のラダが、
『先に部屋で待っていろ』
「あ、ラダくん」
『なんだ』
「いえ……私は、ここにいていいのでしょうか」
ライラの言いたいことはラダにもわかったようだった。解呪の力を失ったライラが、ここにいていいのか、という意味だ。
しかし、ライラにしてみれば、自分が純潔を失ったのか、確信が持てない。本当にハルト皇子に穢されたのだろうか。あれははったりではないのだろうか。
しかし、何分解呪の力が使えなかったから、それがなによりの証拠なのかもしれないとさえ思う。
『大丈夫だ。オマエは俺の妃ゆえ。それは生涯変わらぬ』
「生涯?」
『ああ。そう決めていた。出会った時から、な』
ここでラダが人間の姿に戻った。にこ、とラダが微笑んだ。ずきずきとライラの胸が痛む。
そこまでラダが責任を負うことではない。そもそも、なぜライラをそこまで庇うのか、ライラにはわからない。ライラとラダはただの契約の関係だ。
「わからない……」
ラダの気持ちが、これっぽっちも。




