三十二、ラダとライラの思い出?
ラダはまだ起きているだろうか。部屋のドアをノックすると、
「誰だ」
「あ、ライラです」
やや沈黙ののち、ドアが開かれる。ラダが暗い部屋からライラを見下ろして、その顔には疲れがにじんでいた。衣服が乱れている。
「入れ」
「あ、いえ、お疲れのようですし、日を改めて――」
しかし、ラダがライラの手を取って、ライラを部屋の中へといざなった。
ラダは国務の上書を読んでいたらしく、書斎の上が散らかっていた。ルイスとも久しぶりに顔を合わせた気がする。ルイスはライラと入れ替わりに出ていって、部屋の前に帯刀する音が聞こえた。ルイスは、いつ眠っているのだろう。
「ライラ、オマエから訪ねてくるのは珍しいな」
「あ、はい……あの、つい来てしまったといいますか」
よく考えたら、こんなくだらない用事で訪ねてきてよかったのだろうか。ラダが紅茶を淹れてくれて、ライラはふかふかのソファに沈んだ体を起こして、熱い紅茶を口に含んだ。甘い。
「あ、ジャムを入れたのですか?」
「ああ。好きだと思って」
「はい、私これ、好きです」
ルーシという国では、紅茶にジャムを入れて飲むのだとか。あと、お酒を入れる国もある。寒い国では、飲み物にお酒を入れて、体を温めるのだ。ライラは下戸だから一生飲めないが。ホットワインの件を思い出して、ライラは紅茶のカップをソーサーに置いた。紅茶がライラを潤して、緊張がじゃっかん和らいだ気がした。
「ライラ?」
「あ、はい。あの、私」
ラダが、ライラの言葉を待っている。ライラは深呼吸して、
「私、自分を卑下している自分に、気づきました」
「ほう? というと?」
「私……太っていたころから自分に自信がなくて。私なんて、とか、私なんかが、って。そういう考えばかりで。でも」
でも、ライラは変わりたい。自分は自分として。ライラは望んでラダの妻になったのだ。呪いを解きたい気持ちも本当だ。純潔の乙女が現れたら、それはその時に考えればいい。いや、決めるのはラダだ。ライラはそれまでに、自分は生きていていいのだと、思えるようになりたい。
「胸を張って、ラダくんの隣にいたいのです。私は私として、ラダくんの妻としての役割を、果たしたい、なんて……」
気づいたところで、そう簡単に性格が直らないのも事実だ。自信は行動に伴う。ならばライラは、ラダの妻として、ノアの店員として。サリーの友人として。そうして経験を自信に変えて、ラダにふさわしい女の子に、なりたかった。
「なんで泣く」
「いえ、いえ。私、本当は、ずっとラダくんのお嫁さんになりたくて」
ラダが立ち上がって、ライラの隣に腰かける。客用のソファは二人座れる大きさで、ラダの体重でライラの体が沈み込んだ。ラダがライラを抱きしめる。
「オマエがオマエだから、俺はオマエを妻に迎えた」
「私が私だから?」
「オマエは、昔から人に平等に接してきた。それを見て、俺は――」
昔昔、ライラとラダは同じクラスだった。小学院二年生まで。ライラはそんなたいそうなことなんてしていない。けれどそれは、また自分を卑下する言葉で、この先もライラは、少しずつでいい、変わっていきたい。
「私、ラダくんの優しさに、救われたんです」
「俺が?」
「そう、ラダくんは」
ラダは、いつも一人だった。いつも一人で、休み時間になると校庭の方にふらふらと歩いていって、誰も見ないような裏庭の花壇に水をやっていた。ある時は羽を怪我した小鳥を拾い上げて、人知れず介抱していた。ライラは、そんなラダが好きだった。
「ラダくんって、優しいのね」
「俺が?」
「花にお水をあげたり、鳥を助けてあげてたじゃない」
話しかけたのは、ライラの方が先だったかもしれない。ライラみたいな白豚が、話しかけても迷惑じゃないか。そう思うのに、この優しい少年が一人ぼっちなのが悲しかった。ライラは勇気を振り絞って、ラダに話しかけた。ラダはライラを振り返って、眉間にしわを寄せた。
「オマエ、」
「私はライラ。あ、白豚って言った方が、わかるかな」
「そんな風に言うなよ! 俺、オマエが放課後の教室で、泣いてんの知ってるんだからな!」
見られていたとは思いもせず、ライラは恥ずかしくなって走り出す――はずが、ラダに手をつかまれて、ライラは逃げ場を失った。その頃のライラとラダは身長も大して変わらなかったはずなのに、力はラダの方が上で、ライラはラダに掴まれて動けなくなった。一刻も早く逃げたかった。自分なんて、ただの白豚なのに。
「ラダくん、離して」
「俺だって、オマエのこと、知ってる」
例えばそれは、みんなが放課後の掃除をやらずに帰っても、ライラ一人だけで掃除した日。例えばそれは、ノートを忘れた子の机に、そっと余っているノートを入れておいた日。
誰も見ていないだろうと思っていたのに、ラダはライラのことを、いつから見ていたのだろう。ラダが掴んだライラの手を、離した。けれどライラはもう、逃げなかった。ライラはラダを見る。かすかに笑った口元が、妙に印象的だった。
「オマエのそういう……自己犠牲的な部分、反吐が出る。って、思ってた」
「あはは、そうだね、ぎぜんしゃ、って言うんだっけ、大人の言葉だと」
ライラはしゅんとうなだれる。しかし、ラダは再びライラの手を握った。今度は逃がさないためではなく、熱を分かち合うように。ラダは握っていたライラの手をより一層強く握ると、
「そういうの、お人よしって言うんだよ」
「お人よし、かあ。そうだね、私、馬鹿みたい」
「馬鹿じゃない! そういうオマエに、救われる人間だっているんだよ!」
どこに、と首をかしげると、ラダが押し黙った。
「ここに」
それがライラはうれしくて、いつしかライラは、ラダに恋をしてしまったのだった。
「俺がドラゴンで、ライラは気持ち悪くないのか?」
ライラたちが秘密を共有しても、関係はなんら変わらなかった。ライラはその日もラダと一緒にお弁当を食べていて、ラダが不安そうにライラに問うた。春の南中の太陽の光はあたたかく、ラダの髪の毛が儚げに照らされていた。膝に乗せたお弁当、中庭のベンチ。周りには木々が揺らめき花は歌い、まるでおとぎ話の中にいるかのようだった。
「私、ラダくんが好きだから、ドラゴンでも何者でも、なにも変わることはないよ」
「そう、か。だけど、オマエもいつか、俺のことを」
「だから! 嫌いにならないって。だったら、そうだ。ラダくん、大人になったらけっこんしよう?」
「結婚?」
「うん。私が減量して、誰も私を白豚なんて呼ばなくなったら、そうしたら、ラダくんにふさわしくなるでしょう? だから、結婚しよう?」
「減量する必要、ないだろ」
「え? でも、私今のままじゃ白豚――」
ラダの笑顔を、ライラはこの時初めて見た。そうだ、その笑顔はなによりも輝いていて、ライラはこの笑顔を守りたいと、強く、強く、強く――
「オマエが何者だろうと、俺もオマエが――」




