二十九、ラダとサリー?
ネル国王のご令嬢の名前は、サリーと言った。ネル国王に連れられて、応接間に通されると、その細さにライラは息苦しさを感じた。あれは自分だ、ライラがなり得た未来。
ライラはたまたま料理の知識があって、それらの知識は、ノフの書いた書物、正しい情報だった。
サリーの食事内容は、ネル国王から聞いている。朝はサラダにパン、昼は豆のカリーが多い。夕食は豆を中心にした炒め物。
「サリーさん、初めまして。ライラと申します」
「ライラさま。初めまして、サリーと申します」
ライラはサリーに手を差し出した。西洋では当たり前の行為、握手だ。サリーは外交に慣れているのか、ライラの手をきゅっと握ってくれた。その時、ライラはサリーの手の甲、指の付け根にある、とあるものを確かめたのだ。
いわゆる吐きダコというものが、そこにあった。吐きダコとは、喉の奥にある嘔吐中枢を自らの指で刺激する際、手の甲の骨が歯に当たることでできてしまうものだ。タコの具合から見るに、それは一回や二回じゃない。
サリーは、食べたものを吐き出している。確信して、だとしたら、ライラにできることなんてあるのだろうか。これはもう、ライラではなく医者の役割だった。
「あ、ライラさまって、お料理をなさるんですか?」
「え?」
「あ。いえ、先ほど握手した際、料理人と同じ場所に、包丁のタコが」
観察力に驚かされる。見定めていたのはライラではなくサリーの方だった。事実、ライラのこれは包丁によるタコだし、サリーはそうやって他者を観察して、粗相のないようにどれだけ心の繊細な人なのだろうか。ライラは、サリーの病を知ってなお、身を引こうとした自分を恥じた。すっと息を吸い込む。
「ネル国王さま。リノアには、どれほど滞在なさいますか?」
「ひと月ほどを予定しているが」
「わかりました。その間、サリーさんと一緒に過ごしてもよろしいでしょうか?」
「で、では、サリーのびょう――」
それ以上は言わないように、ライラは手をあげてネル国王を制止した。病気だ、と言われていい気持ちになる人間はいないだろう。こと、このサリーという女の子は、思慮深く観察眼もある。自分が病気であることなど、本人が一番身に染みているのだろう。
歳が近いので、この王都を案内します。そう嘘をついて、ライラとサリーは滞在期間中、一緒の部屋に暮らすこととなった。ライラの部屋はふたりで暮らしても十分に広く、サリーはベッドの豪華さに顔をほころばせた。ライラはソファに座り、サリーを手招きする。サリーはライラの隣に座って、ライラの手にあるものをじっと見た。
「私、昔は太っていたのですよ」
まずは、ライラの自己紹介もかねて、昔の肖像画をサリーに見せることにした。ラダも同席している。ラダは向かいの席からライラたちを静かに見守っている。本当は、ラダの前で昔の肖像画なんか見せたくなかった。
「まあ、かわいらしい」
「そう? でも、私は、自分が大嫌いでした」
今でも、自分の容姿に自信が持てない。他者と自分を比べてしまう。ラダになんてふさわしくないのだと。
サリーが、ライラの肖像画をひと撫でする。その表情は、恐れや苦悩が浮かんでいた。やはり、ライラとサリーは紙一重だ。
「でも、私もわかります」
サリーが言う。
「そうなんですか?」
「私も、太っていたのです」
それは、ネル国王から聞いていて知っていた。けれどあえて、サリーの口から教えてもらう必要があった。サリーは、「太っていた」と過去形で語った。つまり、今は太っていないという自覚があるということだった。サリーは、自分が病気である自覚がある。
「サリーさん、私ね、減量のために色々な文献を読んで勉強したのです」
「へえ、それで、料理もするようになったのですか?」
「はい。そう、今日のネル国王のカリーも、私が考案したのですよ?」
すごい、とサリーがつぶやいている。ラダも、ライラのやり方を理解したらしく、
「俺も。実はリノアに、ノアという料理屋を経営している」
「え、皇子さまなのに?」
「ああ。俺は、皇子よりも料理をしているときの方が、楽しい」
「そうなんですよ、ラダくんの料理って、本当に美味しくて。私なんか、まだまだなって思わせるくらいに。知識も技術も」
「へえ、食べてみたいな」
食べる気持ちもある。だとしたら、おそらくこれは、誤った知識による減量で、食べたものを吐き出す習慣が出来上がっているに違いなかった。だとして、最初はそういう気持ちで始めた嘔吐も、今は太る恐怖からの強迫観念で起こっているのだろう。
こういった病は、心の病に分類される。だとして、ライラになにができるだろうか。ライラが食べることを促すのは、一時的な回復にしかならない。心のしこりを取らなければ、この嘔吐はとまらないだろう。いや、一時的に止めることはできても、完全に止められるようになるには、一か月では足りないくらいだ。だけれど、きっかけさえできれば、あとは国に帰っても大丈夫だろう。サリーの心を動かす、なにかを。
「私、実はノアで働いているんですけど、サリーさんも来ます?」
「え、ライラさまは王太子妃なのに?」
「秘密ですよ。それに、ノアの料理っておいしいから、食べてみてほしいのです」
そうやってライラは、まず料理がどうやって作られるのか、食べ物に興味を持ってもらうことにしたのだった。




