二十八、ラダとネル国王?
「今日は、第三皇子さまのもてなしと聞いているが」
西域の国王、ネル国王が、ラダと固く握手を交わしている。かたわら、我が国の王さまは、ふたりを見守り、やや不安げだった。ネル国王の言う通り、今日のもてなしはラダが担当した。王さまは、ラダを信頼しているが、珍しく国務を自分から買って出たラダを心配しているようだった。皇子とはいえ、まだ十八歳。今回の国務は、すべてがラダに任されたと聞いている。皇子は妻をめとって一人前。ならば、今日の国務は、王さまなりの祝いなのだろう。同時に、ラダの覚悟を、見る。
「今日のもてなしは、カリーだと聞いているが。わたしは肉食はできぬ」
「存じております。存分にお楽しみください」
本当なら、コース料理でも出せればよかったのだが、長旅で疲れているであろうネル国王に、少しでも疲れを取ってもらえるよう、故郷の料理を出すことにした。それはライラの提案だし、ライラはこの料理に自信がある。レシピを作ったのはライラで、試作したのはラダ。ふたりでひとつのことをするのは、契約結婚とはいえ、ライラを満たした。
しかし、出されたカリーを見て、ネル国王の手が止まった。スプーンを手に取るそぶりもなく、
「これは、我が国を侮辱しているのか!?」
声を荒らげるネル国王に、ラダが冷静に答えた。赤いカリーには、油が浮いている。ほかほかと湯気が立ち、香りは鶏肉そのものだった。ネル国王が怒るのも仕方がない。しかしラダは冷静に答える。
「これは、トウフ――大豆で作った、肉を模した料理です」
「なんだと、これが豆?」
ネル国王は、すぐに冷静さを取り戻して、「すまなかった」とラダに頭を下げた。ラダは、おのずからカリーの肉――凍らせたトウフをスプーンですくい、口に入れた。ぷりぷりの食感、じわっと溢れるカリーのスープ。トマトとココナッツミルクの香り。スパイスが鼻に抜けた。
「本日の料理は、すべて大豆製品でできております」
カリーに、タンドリーチキン、スープの豆も、大豆だった。ネル国王が、恐る恐るカリーのトウフを口にする。鶏肉に近い食感だが、弾力は鶏肉より弱く、歯切れはいい。しかし、豆とは思えないコクがある。
「これは、もうほとんど、鶏肉じゃないか」
「はい。凍らせたトウフは水が抜け、それを戻して揚げることで、肉のような食感とコクをプラスするのです」
「なるほど。これは、わが国でも広めたい。あとでレシピをもらえるか?」
パクパクと、ネル国王はトウフのカリーを気に入ったらしく、あっという間に平らげる。ラダは、あらかじめ用意しておいた上等の紙に書かれたレシピを、ネル国王に手渡した。ラダの字は、美しい。西域の言葉も書けるらしく、その文字は風情があって、ライラには読めないが、きっと整ったものなのだろうなと思った。
紙は淡いピンク色で、表面がすべらかだった。ペンが一切引っかからない書き心地。
「この紙は、本当に美しい」
「我が国の特産です」
「なるほど。レシピもわかりやすくていい」
「それは、わたしの妻が考案しました」
いきなりライラに話題を振られて、ライラはあわあわとラダと王さま、そしてネル国王を見る。三人とも、ライラに注目していて、ライラは「はい」と小さく答えることしかできなかった。小さく肩をすぼめてうつむく。ラダが咳払いして、ライラは仕方なく背筋を伸ばした。みんながライラをまじまじと見ている。
「なるほど、賢い妃をお迎えになりましたな」
「はい、自慢の妻です」
「ははは。この国の後継ぎは、第三皇子で決まりかね?」
ネル国王は冗談だったのだろうが、ライラはその言葉に、現実を突きつけられた。ラダは、第三皇子だから跡取りにはなれない。そう、思っていた。なのに、ここにいる王さままでもが、ラダを褒めて、まんざらでもない様子だった。ラダだけが、居心地が悪そうに顔をしかめている。ラダはいつも、なにかに怯えている。まるでライラのように。それは、なぜ?
「王さまが倒れたと聞いたときは、わたしも驚いた」
「面目ない」
ほっほ、と王さまは顎髭を撫でた。王さまの人柄を伺い知る。暗殺されかけてなお、王さまはそれを隠すことも悲観することもない。死と隣り合わせの生活は、どれだけ孤独だろうか。
「しかし、わたしは水墨画を辞めるつもりはない」
「と、いうと?」
「ああ。墨には、膠ではなく樹脂で固めたものもあると、ライラの助言だ」
「いやはや、賢い妃ですなぁ」
また褒められて、ライラは消えてしまいたくなった。たまたま、なのだ。ライラには食に関する知識があっただけだ。墨だって、たまたま羽国が好きで、よく書物を読んでいただけなのだ。羽国の食文化を知るには、国ごと知るのが早いと思ったのだ。
「わたしも、オスロで水墨画を拝見しましたが、いやはや、奥が深い」
ネル国王が、王さまに笑みをたたえている。今、王族たちの関心はもっぱら芸術に向けられている。こと、水墨画は墨一色で描かれているのに、かすれや色の濃淡で表現する手法が新しく、みながこぞって墨を買い求めているらしい。
その発端が、隣国のオスロ。
「ライラ?」
「あ。いえ……羽国から広まったのではなく、オスロから広まったのですね」
ならば、王さまに墨を贈った人間は、案外近くにいるのかもしれない。ライラが深い思考に落ちる前に、ネル国王がライラの手をきゅっと握った。
「では、今日の会合は有意義なものだった。また、新しいレシピがあったら頼む、ライラ妃」
「あ、こちらこそ、本日はありがとうございました」
ライラが立ち上がってドレスを持ち上げて頭を下げる間、ラダは苦虫をかみつぶしたかのような顔をしていた。ラダの国務は、概ね成功と言っていいだろう。ライラがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間だった。
「ソナタなら、わたしの娘の病気も治せるのだろうな」
ネル国王の小さなつぶやきを、しかしライラは聞き逃さなかった。ラダも王さまも、関わらぬよう聞こえぬように努めていたのに、ライラはそれらに気づくことなく、
「ご令嬢が、どうかなさったのですか?」
「ああ。ライラ妃。わたしの娘が、原因不明の体重減少に悩んでいて」
「体重減少? お食事はなさるのでしょう?」
「うむ、だから困っているのだ」
この件は、ラダも王さまも知るところなのだろう。そして、ふたりも手を尽くしたからこそ、ネル国王の言葉になにも返せなかった。ライラは軽々しく口を挟んだことを後悔した。けれど、どうにも気になる。食事をしているのに、体重が減る。つまり、体の病気か、あるいは。
「お嬢様は、おいくつなんですか?」
「十五だ。昔はふくよかでかわいらしかったのに」
十五歳、となると、難しい年頃だった。そして、昔はふくよかだったという言葉が引っかかる。しかし、食べても体重が減るとなれば、糖が尿に出てしまう病気か、あるいは――
「ライラ妃、なにかあてが?」
「いえ。お会いしてみないと確証は持てないのですが」
放っておけるはずがなかった。ライラは減量にあたって、様々な文献を読み漁った。その知識があるのに、放っておくのは殺すのと同義だ。
「一度お会いしてみても、よろしいでしょうか?」
ラダも王さまも、ため息を隠すことはなかった。それくらい、ネル国王のご令嬢の病は深刻なようだ。




