二十一、ラダと師匠?
場所を外に移して、ラダは剣を片手にイルと対峙している。イルもまた、剣を腰に据えている。しかし、抜こうとはしない。
「ああ、本当に変わらぬな、ソナタは」
「俺だって、アナタと別れてから修行してきた。師匠にだって劣らぬ――」
はずだ! と、ラダが地面を大きく蹴った。
シュ、と俊足でイルとの距離を詰め、剣を振りかぶり、切り下ろす。
イルが抜刀した勢いでそのままラダの剣を受け、いなした。ラダの剣の勢いを、きれいに殺して横に流したのだ。
ラダの体勢が崩れる。しかし、瞬時に立て直して次の構え。
左下から右上へ切り上げる。それを、イルは笑いながら後ろに退いてかわした。
ラダの身体能力もさることながら、イルはその上を行く。
「ラダ。なかなかやるな。だが」
イルが剣を振る。
「魔法……?」
イルの剣に風がまとう。その風ごとラダを切りつけて、ラダの服がはらりと切れ、胸のあたりから血が流れた。イルには、剣だけでなく魔法の心得があるらしかった。
ひるむことなくラダがイルに剣を向ける。真っ向から突っ込んで、しかしイルは、ラダの力づくの剣を柔の動きですべていなした。
最後に、ラダの剣が手から弾かれて、ラダの敗北が決まった。
「ほうら、ソナタはこんなに弱い。あの時、俺のもとを去らずに修行を続けていれば、こんなことにはならなかった」
ラダが顔をしかめて胸の傷に手を当てている。
「帰れ。俺はソナタに教えることなんてない」
「あ。あ……皇子さま!」
ライラがラダのもとへ走る。ライラはいまだ、魔法のなんたるかがわからない。わからないのに、体が勝手に動いた。
「なに……!?」
ぽっとライラがラダの傷を回復させるさまを見て、イルが目を見開いた。ライラだって意外だった、自分に回復魔法が使えるなんて。ライラは王族ではない、単なる一般市民だ。稀に、こういった異端者は現れるらしいが、まさか自分がとは思わなかった。
「ラダ。ソナタの妻は、魔法の――回復魔法の才能がある……聖女なる資格だ」
はっと頭を抱えて、イルが笑った。
「しかし、師匠」
「なんだ」
「……この娘は、契約結婚――本来の妻ではないのです」
「ら、ラダくん! その話は」
「いい。師匠はこう見えて口が堅い。それに、オマエを縛るつもりは毛頭ない」
ライラたちのやり取りを見て、イルがはっは、と笑った。
「そういうことか、ラダ。ソナタが自ら帰ってくるなど、ありえぬと思っていたところだ」
イルが再びライラに向き直る。ライラは回復魔法を使ったせいかひどく疲れて、そのまま気を失った。
「ライラ!?」
ラダがライラを支えてくれるところまではわかった。けれどライラの体は動かず、ラダはライラを横抱きにしてイルの家へと入るのだった。
翌朝、ライラが目を覚ますと、ベッドの横にラダが眠っていた。ライラを看病していたのか、椅子に座ってベッドに突っ伏す形で眠っている。
「ラダくん?」
呼んでも起きる気配はなく、ライラはベッドを降りて毛布を取り出す。イルの家のものを勝手に使うのは気が引けたが、ラダの体を考えるとそうもいっていられない。ライラはラダにそっと毛布を掛けて、部屋を出た。
キッチンで料理をするイルの後姿に、一つ深呼吸をしてから話しかけた。
「あの、アナタが皇子さまのお師匠さまですか?」
「ああ。俺がまさしく。ソナタ、ラダとは?」
「わ、私、小学院で同じクラスで……でも、そのころは太っていて、だからラダくん、私のことをかわいそうだから一緒にいてくれた、みたいで」
ライラは事実を話したまでだ。話していて自分で悲しくはなったが。ライラはきっと、ラダからしたらただのお飾りの妃なのだ。とたんに惨めになってくる。しかし、
「ラダはな。よく食べる女の子が好きだと。その子を守りたいと、幼き頃稽古をつけていた時、よく話していた」
「へえ、好きな子、いたんですね」
「これは一本取られたな」
イルが豪快に笑っている。ライラは手を洗って、イルの手伝いに入る。イルがライラの方を見ないで、
「ソナタは、なぜ魔法の力が、剣の力が欲しい?」
「え? 私は……ラダくんの手伝いがしたくて」
「足手まといにはなっても、ソナタが助けになることはない。わかっているんじゃないのか?」
昨日会った時とは違って、イルは手厳しい人だった。ライラは言い返す言葉もなかった。なかったはずだ。それは最初からわかっていたことだし、イルが正しいことだって知っている。それでも、ライラにだって譲れないものがある。ライラは無力な妃でいるつもりはない。
「私は、魔物たちを……ラダくんの呪いを解きたい。それに、ラダくんを一人で戦地に送りたくないんです」
「それが迷惑だと言われてもか?」
イルが料理の手を止めてライラをまっすぐに見た。ライラもイルをまっすぐに見る。ライラに魔法の才能がないのは知っている。だけど、だからってそれは、努力しない言い訳にはならない。可能性があるのなら、ライラはラダとともに戦う道を選ぶ。それがライラがラダの妻としてあり続ける覚悟だ。
「魔物と人間。どちらかが滅ぶまでその戦いは終わらんよ。ソナタ、それをラダに押し付けるのか?」
「それ……は」
「ラダは心根の優しい子だ。ソナタが言えば、魔物を殺すことだっていとわない」
そんな。だったらライラは、どうすればいいというのだろうか。魔物たちと人間は、わかり合えないのだろうか。人間と魔物は、相容れない存在にしかなれないのだろうか。
「俺もドラゴンだからな。半分は魔物みたいなものだ。だから、誰とも心を通わせられない。ラダのように素直な呪い持ちは、そうはいまい。上ふたりの皇子が、普通の反応だ」
確かに、自分が化け物だと知っても傍にいてくれる人なんて、早々いないのも事実だろう。だからシド皇子もハルト皇子も、あんな風に育ってしまった。だからこそ、ライラは。
「ドラゴンの呪いは私が解きます。それに、魔物とのことだって」
「ソナタ、自分だけが蚊帳の外だと、気づいていないのか?」
イルはため息交じりにライラを見ている。わかっているが、改めて指摘されると悔しさがこみ上げる、けれど泣かない。涙をぐっとこらえて、ライラは鍋の火を消してから、イルを見た。
「私は、ラダくんの妻です。妻になったからには、一番の理解者になるつもりです」
「それが、迷惑だと。だからラダも、ソナタと契約結婚にしたのだろうな」
「?」
ふう、とイルの顔から険しさがなくなる。そのタイミングで、ラダの部屋のドアが開いた。ライラたちの話し声で目が覚めたのか、ラダが後ろからライラの体を引き寄せて、まるでイルを威嚇するようにライラを後ろから抱きしめた。
「ラダくん、おはよう」
「師匠。いくら師匠でも、俺の妻には手を出さないでください」
「俺は指一本も振れてないが? おうおう、そんなにこの子が大事か? ラダ?」
「師匠、そういうのは今いいので。師匠は知っているんですか、白きドラゴンの伝説を」
「はいはい。冗談もわからんのは相変わらずだな。さて、そうだな。結論から言おう」
すっとイルの雰囲気が変わった。ライラはごくりと生唾を飲み込む。イルもドラゴンの呪い持ちと言っていた。ならば、なにか知っているに違いない。それに、ラダの剣技を鍛え上げたのがこの人物だとすれば、その腕は確かなものだ。
「清き乙女。つまり、純潔の女の子だな。鍵となるのは」
イルの呟き。
「純潔の?」
純潔とはつまり、誰のものでもないということ。だったら、国中の未婚の女性を城に集めれば、その乙女が誰だかわかるのではないだろうか。
「その乙女が、ドラゴンの呪いを解く」
「どうやって?」
「それは俺にも。ただ、ラダ」
イルはライラに気遣うように声を低くした。先ほど、嫌というほどライラを責めたのに、どちらが本当のイルなのか、わからない。そして、イルの放った言葉は、ライラもうすうすは予測がついていることだった。認めたくはなかったが、ラダを救う道がそれしかないのなら、ライラは喜んでそれを受け入れるだろう。
「その乙女がソナタの呪いを解いたとなれば、妻の座は――」
「ならば、俺の呪いなど解けずともいいです!」
つまり、ライラを正妻から廃妃して、その乙女を正妻に迎え入れる必要がある。それはそうだろう、王族の呪いを解くとなれば、それなりの身分は保証されるべきだ。そして、そういう目論見があるからこそ、純潔の乙女がなかなか見つからない。つまり、自分こそがと王妃の座に目がくらんで、偽りの申告をする人間が増えるということだ。純潔の乙女を見分ける方法は、今のところない。ノフすら知らないのだから、ライラたちに見つけることは容易ではないだろう。
「師匠。俺はもう、呪いなんて解けずともいいと思っています」
「それは本心か?」
「師匠?」
「本当は、呪いを解いてこのライラと――」
しかし、その先はラダが阻んで聞こえなかった。ライラはイルを見る。イルはだいぶ老齢だから、もしかすると、もうすぐ黒きドラゴンに変貌してしまうかもしれない。
「俺の呪いは、もうすぐ黒に転じる。その時はラダ。オマエが俺を殺せ」
「師匠!? 俺にそんなことだけ押し付けるつもりですか」
「押し付けるもなにも。ソナタは知ったのだろう? 俺たちの呪いの末路を」
だからこそ、ライラたちはイルに弟子入りしたのだ。魔物や黒きドラゴンが暴走したとき、それを止められるように。
でもそれは、ラダに師匠であるイルや、父親である王さまを殺せと言っているのだと、ライラは今、気づいた。ライラはラダを振り返る。ライラより高い位置にある目をまっすぐに見据えて、
「私、やっぱり呪いを解く方法を探したほうがいいと思います」
「だが、廃妃にした女性の行きつく先は」
「わかっております。一生涯、城の別室に廃妃として暮らすのですよね? それくらいどうということはありません。ラダくんが傷つくくらいなら、私なんて」
その先は、ライラは口を結んだ。ラダはライラを見守っている。
ライラは試されている。この運命に骨をうずめる覚悟はあるのか。
そんなもの、なかった。あるはずがない。生まれ育った場所で生きたいと思うことは、悪いことなのだろうか。それでもライラは、父や母に一生会えなくなることよりも、ラダが心を殺して王さまを、イルを殺すことの方が嫌だった。
「私、私が決めなきゃ、ラダくんも心が決まらないでしょう? 私ね、ラダくん。ラダくんにとって私はお飾りの妃かもしれないけれど」
「そんなことっ!」
ぎゅ、と抱きしめられて、ライラはラダの気持ちがわからなくなった。舞踏会ではキスするし、ライラのことなんてこれっぽっちも好きじゃないと思っていたのに、これはうぬぼれてもいいのかしら?
それだけでライラは、この先の人生が閉ざされても構わないと思えた。ライラの人生は、だって。
「私、ラダくんのことがずっと好きだったんだよ。だから平気。その、純潔の乙女を探しましょう。そうすれば、きっとみんなの呪いも解けるはずです」
ラダの目にうっすらと涙が浮かんでいる。イルは眉間にしわを寄せて、ライラたちはすれ違う。ラダがこの時、なにを決意したのか、ライラにはわからない。わからないけれど、ライラはただ、ラダにだけは幸せになってほしかった。
「イルさん。そもそもこの国は、いつからドラゴンの呪いが?」
「ラダ。それも話していないのか?」
「必要ないでしょう。この者は……契約結婚の飾りの妻なのですから」
ラダの声音は、もういつも通りに戻っていて、ライラの心も凪いでいた。
ライラはラダに向き直る。
「教えてください、ラダくん」
しかし、ラダは首を横に振るだけだった。なぜ、なにも教えてくれないのだろうか。
ライラは再びイルのほうを向き直った。イルがすっと息を吸い込む。やがて穏やかな声音が、語り出す。
「はるか昔、人々と魔物は手を取り合って生きていた。そりゃあ、仲良くとまではいかないが、不可侵条約を結んで、各々の土地で平和に暮らしていた」
ならば、なぜ今、こんなことになっているのだろうか。ライラは先の言葉を促すことなく、ただ静かに聞き入った。
「だけど、約束を破ったのは人間のほうだよ。戦争は儲かる。ある貴族が、魔物の子供を殺したんだ。戦争を始めるためにね。あとはもうお察しさ。不可侵条約を破った人間は、魔物を国外へ追いやった。その腹いせに、魔物たちはこの国の王族に、ドラゴンになる呪いをかけたんだ。その呪いはやがて本人をむしばみ、最後には魔物になるって呪いだ」
「そんな……じゃあ、私がしようとしていることは、戦争に加担するようなもの……」
だったらもう、自分の役割なんてないのではないか。ライラはただ、ノフのような、魔物におびえる人たちを守りたかった。そのために、ラダと一緒に戦地に赴きたかった。けれど、どう考えたってライラは足手まといにしかならなくて、だったらもう、魔物も、呪いも、ライラの手の負えるものではないのかもしれない。
「ラダくん、は……最初から、私と契約結婚、でしたもんね」
つまりラダは、この呪いを生涯自分だけのうちに秘めて、ライラに看取られることなく死ぬ――いや、黒きドラゴンになって、やがてこの国に生まれ落ちる新たな王族に殺される。ドラゴンを殺すには、ドラゴンの力が必要なのは、ライラもこの目で見たからよくわかった。
それこそが、魔物たちが王族にかけた呪いだった。この呪いは、王族たちをむしばむ。きっとラダの兄皇子たちは、全部知っていて、だからあんな風に強がるのだ。そうならざるを得なかった。やがてそれは曲がった信念につながって、ラダも、ラダの兄皇子も、いつも呪いにおびえて生きている。
「ラダくん、は……すべてをあきらめるために、私を飾りの妻に選んだんですか? どうせ自分の呪いが解けないなら、契約結婚して、王さまだけでも安心させようと?」
「なんとでも言え」
ライラは暴力は好きじゃない。そういう現場に立ちあったこともない。なのにライラは、あさましくも自分の感情を右手に乗せて、ラダの頬を思いきり叩いていた。
「馬鹿にしないで!」
「ライラ……」
「私、私はそれでも、それでも、私、私はラダくんの、呪い、呪いを解く!」
バタバタと走ってライラは後ろ手に、
「皇子さま。私、やりたいことができましたっ!」
「……だからソナタをここに連れてきたくなかった」
「王家の呪いを解いて、そして、魔物との不可侵条約を結びなおします。この国に、真の平和が訪れるようにっ!」
ライラは誓った。自分はもっと、強く、強く、強くなって、この世界を救いたい。
ライラはこの世界のことをなにも知らない。知らないからこそ、知らねばならないと思った。
戦争はどこの世界にも存在する。呪いはもっと身近に、ライラの隣に。それがいたく悲しくて、どうにかなりそうだった。




