一、ラダは白豚が好き?
「聞いたかよ。ラダってこの白豚のこと好きらしいぜ」
南中の光があたたかな昼休みのことだった。この学院の校舎は最先端の技術が使われていて、造りも彫刻も豪奢だった。ライラは一番後ろの席から、窓際の席のラダに目をけた。ラダとは、小学院の一年生から同じクラスで、ライラとの接点といえば下校を共にするくらいだった。その下校も会話らしい会話なんてなく、ラダのことなんかライラにはまるでわからなかった。ラダの背中はなにも語らない。いつも無口で、少し怖いなとライラでも思っていた。けれど本当は優しい男の子だということを、ライラは知っている。
クラスの男子はライラを太っているからという理由でなにかと嘲笑した。食べることが大好きで、運動はあまり得意ではない。父は、一人娘だからとライラを甘やかした。ライラは幸せな少女ゆえに、色々な珍しい料理に囲まれて、小学院でも一番太っていた。クラスメイトにからかわれるのはもう慣れっこだったが、ラダを巻き込むことは不本意だった。だからこういった噂が立って、ライラはラダを避けるようになった。ラダまで悪く言われるのは耐えられなかった。ラダはなにも言わず、ライラと距離を作った。ライラが望んだこととはいえ、悲しかった。ライラは教室でひとりきりになった。かに見えた。
「やーい、白豚」
「このブス。ラダも言ってやれよ」
「……あほらし。そんなことして楽しいわけ?」
ライラがラダを避けるようになっても、ラダはライラの味方でいてくれるらしく、ライラをかばった言葉だけで嬉しかった。けれど、ラダはライラのせいでクラスから爪弾きにされて、いや、一年生のときから二年生になった今まで、ラダはいつもひとりだった。それでもライラにだけは心をひらいてくれているようで、時折一緒にお弁当を食べた。ラダのお弁当は色鮮やかで、茶色いライラのとはなにもかも違った。
この関係が終わりを迎えたのは、ライラが転校することになったことに起因する。両親の領地の管理が隣の町に写ったため、ライラは今の学院よりも近い学院に通うことになったのだった。クラスでは、形だけのお別れ会が開かれた。
「ライラ。大人になったらけっこんしよう」
「ラダくん?」
「俺じゃ……嫌か?」
「ううん。私、私、ラダくんに相応しい女の子になるね」
引越し当日、ラダがライラの家まで来てくれて、気休めでもそんな言葉をくれたから、ライラは一念発起して減量したし、淑女のたしなみだって習得した。十二歳で社交界デビューして、窮屈なコルセットだって我慢した。髪を伸ばして、お手入れだって怠らない。流行りのメイクを研究して、だけどやっぱり、食べることが好きだった。
十年の月日が流れ、ライラは十八になった。もうとっくに周りは結婚する年齢だけれど、ライラはまだ結婚していない。ラダのことが忘れられない。いや、ライラはただ、人が怖い。痩せたライラには、沢山の友達が出来て、沢山の婚姻の申し出があった。太っていた頃にライラをいじめた子達さえ、ライラを見る目が変わった。それが気持ち悪く醜悪で、ライラの心はやっぱりラダに囚らわれたままだ。
「仕事でもと思ったけど」
ライラの父はしがない領主だから、結婚しないなら働かねばならない。けれど、女なんてものは力仕事もできなければ、結婚出産で仕事を辞める。つまり、働き口が見つからない。父親がライラを心配して、最近はよく珍しい食べ物をお土産に買って来てくれるようになった。季節は秋。寒くもなく暑くもないちょうどいい気候なのに、ライラの心はいつも曇ったままだった。ライラはこのまま、ラダを思って一生独り身り身なのだろうと覚悟している。空は青く澄み渡り、風が気持ちよくそよいでいる。
「はー、料理しか私には無いのに」
減量するに当たって、ライラは数多の参考書を読んだ。世界中の料理や栄養の文献だ。ライラの頭の中にはそれらが詰め込まれている。自分でも意外だったのは、ライラに料理の才能があったことだった。初めて包丁を握った時は下手だった手つきも今は様になって、なにより、ライラは見ただけでレシピの味がわかってしまう、そんな特技があったのだった。だからライラは、この特技を生かして生きていこうと考えた。女だって、社会の役に立てると証明したかった。
「あそこの料理屋……市内に何店舗も展開しているし、味の改良の余地があるのよね」
ぶつぶつと呟きながら歩く。秋晴れの日には、父の用意した馬車ではなく、自分の足で歩くのが気持ちがいい。それに、なにかを考えるときは体を動かしていた方が落ち着くのだ。最初は苦手だった運動も、最近は難なくこなせるようになった。昔のライラは太っていたがゆえに、運動が苦手だったに違いない。
それにしても、先ほどのお店に、ライラはどうしても勤めたかった。断られても、何度も頼み込もうとすら思っている。考え事をしていたせいで、前を見ていなかった。人にぶつかり、転びそうになるところを、そのひとに支えられた。服を着ていてもわかる、ライラの体を支えたその腕はたくましく、しなやかな筋肉の体温が高かった。
「す、すみません」
「前見て歩け、って……」
ライラを支えた紳士を見上げる。見間違うはずがない、白い髪に青い瞳。服は上等なものを着ているけれど、面影がある。鼻梁がすっと通っていて、瞳はきれいなアーモンド形。幼さは消えたけれど、ライラは彼を知っている。会いたかった、ずっと。
「ラダくん?」
まぎれもなく、十年追い求めた人だった。目に涙が溢れてくる。ずっと探していたんだよ。会いたかった、忘れたことなんてなかった。ライラの体を支えるラダの名前を呼ぶも、その紳士はライラを見ても眉一つ動かさなかった。ライラの体を起こすと、そのままそっけなく離れていく。
「誰だ、オマエは。知らん」
「……! わ、私……ライラ」
「だから、知らないと」
後ろから、帯刀した兵士が走ってくる。キラキラと髪の毛が輝いていた。ラダほどじゃないが、中世的な顔立ち。グレーの髪の毛と瞳は、りりしくも優しさのある、好青年だった。ラダが振り向き、その男性に手を挙げて静止した。そのしぐさひとつとっても美しく、ライラはついラダに見惚れてしまう。
「いい。これは無害だ」
しかして、ライラたちの運命が回り始めるのだった。