「通う亜美佳」⑨
仕事 を終えた充は、東京ジョイポリスの中をぶらついていた。寺内の様子はどこか違和感を残し、距離を取っておきたかった。そんな中、電車の待ち時間を少しでもズラすため、ここで時間を潰していた。
入口の近くには、小物やアクセサリーを扱うショップがあった。充の近くには、商品を手に取っては戻る女性客がいた。目的もない充も、同じように店頭に並ぶ商品を手に取り、また戻す。
「これ、亜美佳が喜ぶかもしれないな」そう思いながら、彼は一つのストラップを手に取る。それはクマがクマの毛皮を着ているという奇妙なデザインだった。毛皮部分はフェルト生地で、触ると心地よかった。
「なんでクマがクマの姿をしているんだろう?」充は首を傾げる。深い意味があるのだろうか。少し心当たりがあった。人間も似たようなものではないだろうか。外見と内面が一致しない心理的な側面をこのクマが表現してる?それは充の行き過ぎた考えかも知れない。
充は、奇妙なクマのストラップを手に、「お願いします」とレジのスタッフに声をかける。
—――
行きと同じ道を、電車を辿るようにして、充は家への帰路についていた。夕方の17時30分、早上がりのサラリーマンたちがスーツ姿で目立つ時間だ。充も彼らの間に混じりながら、一人の距離を保ちつつ、自分のアパートへと帰り着く。
トートバッグから鍵を取り出し、202号室の鍵穴に差し込んで回す。しかし、何の反応もない。無意識に反対方向に回すと、カタンと重い音が響いた。ドアノブを掴み、捻って引くも扉は開かない。再び鍵を元の方向に回すと、次はカチャリという高い音を鳴らした。
リビングに入ると、テーブルの上に薬袋が目に飛び込んできた。それは亜美佳がいつも仕事中に飲む薬だった。
(亜美佳、忘れてるんだ!)
慌ててズボンのポケットから携帯を取り出し、カチカチと操作する。新規メールの作成、宛先の選択と迅速に進め、椎名 亜美佳の名前を選択する。
「薬、忘れてるよ。大丈夫?」というメッセージを亜美佳に送った。少し落ち着かない気持ちで、2分ほど待ってセンター問い合わせを行うと、亜美佳から「もう飲んだ」という短い返信が届いた。
(それなら、いいか…)安堵の息をつきながら窓の外を眺める。西日が窓から差し込み、部屋はオレンジ色に染まっていた。まだ外は明るいが、一人の部屋に漂うその薄オレンジは、ただ暗い時よりもなぜか虚しさを感じさせた。
自宅に戻ってから、夕食の準備、洗濯、シャワー、その合間にテレビと、日常の流れに身を任せる。気付けば時計は22時を指していた。何も特別なことはしていないのに、時間の流れる速さに、ふと感慨にふける。ちょうどテレビではバラエティ番組のオープニングが始まっていた。
その時、玄関から亜美佳の「ただいまー」という声が聞こえた。
「おかえり」と充が言うと、亜美佳は「お腹すいた。なんかある?」と返す。
リモコンを手に、亜美佳は気に入る番組を探していたが、どうやら見つからないようだ。チャンネルは1秒ごとに変わり続ける。
充はキッチンに向かいながら、「オムレツ作ったけど、食べる?」と声をかける。
「食べるー」と亜美佳が言った。
結局、彼女が見たい番組は見つからず、以前と同じバラエティ番組が再び流れ始める。亜美佳は座敷テーブルに頬杖をつき、興味のなさそうに画面を見つめていた。
冷蔵庫から取り出した皿には、既に2つのオムレツが並んでいて、充はそれをレンジで温めながら、白ご飯とお箸を用意する。
「ケチャップもとってー」
「ちょっと待ってね」と充は返し、手際よくケチャップと温かいオムレツを持ってきた。「あとは麦茶だね」と言いながら、忙しなく動く。
準備が整い充が床のクッションの上に座ると、亜美佳は既に充のオムレツにケチャップで落書きをしていた。
「どう、ハートの完成」
「あ、ハートか。キツネじゃないんだ」
亜美佳は不満げに「はあ?」と口をすぼめた。そして、ハートの中心に大きなギザギザを加える。亜美佳は昔から強気で、否定されるとすぐ反発してしまう性格だった。その読みやすい行動を、充はいつも面白く思っていた。
テレビの司会者が「本日は特別なプレゼンターをお迎えしています」と言うのを聞いて、充はふと思い出した。
「そうだ、亜美佳。お土産があるんだ」
充はトートバッグを引っ張り出し、中からクマの着ぐるみを着たクマのストラップを取り出した。亜美佳が興味深そうに目を細めて手を伸ばす。充は、その小さなクマを亜美佳の手のひらに静かに置いた。
「なにこれ?かわいい」
亜美佳が目を輝かせながら言った。
「これ好きそうだと思って、買ってきたの」
「センスあんじゃん」と言いながら、亜美佳は携帯電話にそのストラップを取り付けた。
亜美佳は着ぐるみの部分を指でなぞっていた。その仕草が微笑ましく、充は心の中で「僕もそこが気に入っている」と思った。
「ねえ、あした新宿に行かない?」
亜美佳の大きな瞳が充を見つめ、一瞬ドキッとする。昔から亜美佳の目を見ると、目を逸らすことができなかった。それは磁石のような引力とはまた違う。ただずっと、許す限り見つめていたい、そんな感覚だ。だが、結局は目を逸らすのはいつも充の方だ。
「明日、仕事休むの?」
つい訊く必要のないことを尋ねてしまった。黙っていればいいのに、いつも余計な一言を挟んでしまう。それは充の悪い癖だ。
「あしたは行かないよ」と亜美佳は当たり前でしょと言わんばかりの表情で応じ、続けて「そうじゃなきゃ、誘うわけないじゃん」と言った。
「そっか、僕も明日は休みだ」と充は言い、部屋の隅に置かれた目覚まし時計に目をやった。
時刻は22時34分を指している。
充は、会社に「明日は休む」と連絡しなければならないと思い、どんなメールを送るか考え始めた。