本能のままに
「かーーれしっ!バイト初日はどうだった?」
「いたたたっ、触らないで、筋肉痛なんだよ。」
次の日、学校に登校中珍しく芹奈と時間が一緒だったみたいで僕を見つけた芹奈が抱き着いてきた。
しかし、僕の体は昨日の外周、更にストレッチの後にミット打ちからのスパーリングで料理のバイトに行ったのではなく、まるでボクサーのような運動をさせられた。その結果僕の体は全身筋肉痛に襲われている。
「だらしないな。運動不足だから筋肉痛になるんだよ。もっと日頃から体動かしな。」
日頃から運動していないのは否定出来ないが、昨日のは異常だ。絶対芹奈は皿洗いや、ウェイターをして筋肉痛になってるに違いない。昨日のはバイトではなく、トレーニングだった。しかも料理じゃなくて格闘技の。
「譲くん、その顔どうしたの?」
後ろからひょこっと芽依が出てきて、僕の顔を心配そうに覗き込み、僕の顔を優しく触る。触られた頬は腫れていて少し痛いが、芽依の優しさが伝わってくる。いつも影の薄い僕としては、ちゃんと見てくれているようで、素直に嬉しい。
僕の顔は昨日のスパーリングでかなりやられている。これでよく芹奈はこの怪我を無視して普通に話しかけてきたものだ。
「大丈夫?」
心配してくれる芽依の瞳は本当に綺麗で、胸がドキドキしてつい見惚れてしまう。
芽依って彼氏いるのかな?
「なに見つめあってんだよ。譲、七原さんという可愛い彼女がいながら、俺の女に手ぇだすんじゃねぇよ?」
横から割って入るように英都が僕と芽依を引き離した。
俺の女?おお、二人は付き合い出したのか。少しガッカリした気もするが喜ばしいことだな。
「私がいつアンタなんかの彼女になったのよ。」
芽依の顔がさっきまでと違い、悪魔のような殺気を放ち出す。
これはマズいかもしれない。
芽依はまず英都のお腹を右手で殴り、そのまま連打でみぞおちへ、そして左手からのアッパーが正確に顎を捉えてのけぞった所を更に右手で掴み、自分の方へと手繰り寄せると左手の拳が、顔面を捉える。顔が歪むような左ストレートを受けた結果、英都は鼻血を出しながらその場に倒れ込んだ。
英都はピクピクしている。
良かった。ちゃんと生きてるみたい。それにしても凄い連打だった。まさか英都が手も足も出ないなんて。
「芹奈、先に行くね。」
足早に歩き出した芽依を芹奈が追いかける。
芽依ってやっぱり強いな。けどツンデレなのに英都に対するツンはかなり強めだよね。
普通のやつなら死んでるかもだよ。
「そうだ、彼氏言い忘れたことあったんだ。」
芹奈がいつの間にか僕の前へと戻ってきていた。芽依は少し先を歩いている。英都の様子を心配して振り返るつもりはないらしい。
「芽依を見つめてんじゃないわよ、この浮気者」
左の頬を思いっきり殴られる。デジャヴのような光景に、そんな昔でもない動物園の時を思い出す。あの時はビンタまではされなかったのに。頬にじんじんと痛みが走る。きっと赤くなってるだろうな。
最近思うのです。芹奈って噂だと妖精のように可愛いくて優しくて非の打ち所がないなんて言われて、みんな僕の事を羨ましがり、未だに妬んでいる人もいる。けれど、実際の芹奈はすぐに殴るし、すぐに怒るし、思いついたら周りを気にせずすぐに行動するし、自己中だし、いろいろ大変なんです。みんなが思う程良いことばかりじゃないのです。分かってはくれないだろうな。前に芽依に聞いたことがある。芹奈は僕たちと一緒の時以外は猫かぶってる方が多いから、あのビジュアルもあり、良い噂ばかり流れているのだと。
「芽依はどこだーーー」
「うわぁぁ」
突然大声を出して起き上がった英都に驚き、心臓がバクバク言っている。
「芽依はどこだ?」
起き上がった英都は周りを見渡す。芽依はもうはるか先に行っているので見えない。状況を確認しているのだろう。
「芽依さんならお前が寝てる間にさっさと行っちゃったよ。」
「なんだと。譲、頬はどうした?」
「気にするな。そんなことよりいつから芽依さんのことが好きだったんだ?」
芽依の反応からして告白して付き合った感じではなかったので、今の所英都の片思いなんだろう。
「今朝起きてからだ」
またわけのわからんことを言い出したな。
けど、英都の場合はこれが本音なのだ。絶対にコイツは理性ではなく本能で生きているタイプだ。
「きっかけとかなんかあったの?」
「わからん。起きたら一番に会いたいと思ったんだ。これを恋と呼ばずして、なんと呼ぶ」
なんと呼ぶかは知らない。僕にはよく分からないけど本人が恋と呼んでるなら恋なのだろう。
英都にこれ以上は理由を聞くだけ無駄なのかもしれない。多分本人もよく分かっていないだろうから。
僕が朝起きて一番に会いたいと思ったのは誰だろうかと思い出すも特に誰も思い出せなかった。誰にも会いたくなかったのだろうか。いや、今朝は筋肉痛に悲鳴を上げて起きたので、会いたくはないけど、一番最初に顔が浮かんだのは店長だ。ってことは僕は店長の事が・・いやそんな事ではないのだろう。僕の場合は嫌な思い出から連想したけど、英都は恐らく違うと思う。嫌な思い出から好きな人が浮かんだら、それは最早嫌な思い出ではないのだから。
「行動早いな。」
「思い立ったら行動あるのみ。行動した先に結果はついてくる」
フラれるという結果もついて来る可能性はあるけどな。けど英都はそんな事考えてないだろう。フラれても付き合えても、相手の答えを聞いてその時考えるんだろうな。恐らく英都が一番重視しているのは思いを伝えるということなのだろう。だからそれ以外はどうでもいいのかもしれない。
芹奈と英都は似ている。真っ直ぐな所とすぐ行動するところ。
「まだ間に合う。行くぞ、譲。」
マジかよ。今から追いかけるのか。僕には特に走る理由がないので、走り出した英都をこのまま見送っても良かったのだが、振り返った英都は僕のバックを持って走り出した。
僕には走る理由が出来てしまった。仕方なく筋肉痛で悲鳴を上げる足を自分で応援しながら走った。
結局芽依たちは思ったより早く歩いていたみたいで、走らされたのにもかかわらず間に合わず、チャイムがなるまで捜すのを手伝ったのだが、二人は見つからなかった。走り損である。
バイト二日目
アップのランニングからミット打ち、そして今日は店長とのスパーリングまで済ませた僕は遂に厨房へと進む。二日目にしてこの格闘技を習ってるかのような一連の流れに違和感を感じることなくこなす自分自身が怖い。僕は店長に洗脳されてるかもしれない。
「今日からお前に野菜の皮むきを教える。」
目の前には大量のじゃがいもと人参が山盛りに置かれている。
良かった。店長はてっきり僕に料理を教える気はなく、格闘家にでもしようとしてるのかと少し思っていたのだが、やっと料理っぽいことを教えてくれるようで安心する。
「これでしっかりやりや。」
「ピーラー?」
僕は店長から渡されたピーラーを受け取る。
てっきり僕は包丁でのやり方を教えてくれるのかと思っていたので、少しガッカリする。
「お前ピーラーのことナメとるやろ」
いつものサングラスから鋭い眼光で僕を睨みつける。
別にナメてはないですよ。っと思いながらもさっきのスパーリングでもらったパンチを思い出す。結果まだ反論は出来ないので口には出さない。
「包丁だと手を怪我するリスクがあるやろ。その点ピーラーは包丁に比べて圧倒的に怪我のリスクが少ない。これは発明品やで。」
店長は誇らしげに、尊敬するかのようにピーラーを見る。
確かに包丁よりは危なくないと思う。僕の怪我を心配してくれるなんて店長はやっぱり優しい。ひたすら包丁使ってやって、手を切りまくって、体で覚えろって言われなくて良かった。
「これ三十分で終わらせるんやで。」
「いや、三十分は無理なんじゃ・・」
「ああん?」
店長は少しサングラスを傾けて肉眼で僕を睨む。その瞬間、店長に心臓を握られたような恐怖と殺されるような感覚を本能が感じ取る。
反論は危険だ。なので僕は仕方なく、頷くしかない。
「わかりました。」
これは俗に言うパワーハラスメントってやつだろう。立場が上の人間が下の人間に無理な仕事を押し付けるなんて絶対パワハラだろう。
けど頷いてはしまったので、出来る限りのことはやろうと思い、野菜と対峙するすることにした。
「しゅーりょーう。終わったか?」
三十分後店長は再び僕の元へと戻ってきた。
さすがに終わらなかった。結局じゃがいもは二十個、人参は十本程残っている。
「終わっとらんのぉ。残りは合計で十七か・・」
終わるわけないだろう。っと心の中で思いながらも心の声が漏れたら大変なので、心の中でも小声で叫んだ。
店長はじゃがいもを手元で転がしながら、何かを考えている。
即ブチギレではないようだが、また外周かな。
「上出来や。今日はもう上がれ。」
店長は優しくじゃがいもを戻す。僕の予想外の言葉だったので、思考が一瞬止まった。
「疲れもあるやろうから、帰ってええ言うとるんや。おつかれさん。」
もしかしてこれはクビってことなのか?お暇をもらったてきな。やっぱりノルマを達成出来なかったのが良くなかったのかな。いや、けどあの量は無理だろう。
「明後日また来い。」
そう言うと店長は奥の材料が保管されている部屋に消えて行った。
その場に立ちつくして次の行動を考える。とりあえずクビではないようで一安心だ。けど帰れと言われたので帰るしかないか。
僕は机の上の片付けを開始した。切った皮をゴミ袋に入れていく。いったいどれだけピーラー使ったんだろうか。机の上にはお皿の上に山盛りになった人参とじゃがいもがある。各五十個近くは皮むきが出来てると思う。その横にはまだ皮が剥かれていない。剝いた野菜と剥かれていない野菜を交互に見ているとなんだかだんだんと違和感を感じる。あと少しなら全部やった方がいいよな。時計を見るとまだ本来のバイトの終わり時間にはなってない。残りの時間でやれそうな気がする。
やっちゃうか。僕は再び手を洗ってピーラー片手に皮むきをはじめた。
慣れもあって、思ったよりも早く終わって片付けもちょうど終わった頃に再び店長が現れた。
「お前まだおったんか?帰れ言うたやろ。」
店長は両手をポケットにツッコミ下から睨みつけるように僕に向かって歩いてくる。
「片付けも残りの皮むきもやったんか?」
机の上を確認するとサングラスが少しずれて肉眼で睨みつけられる。
「まだ時間早かったんで・・」
僕はなんとか時計を指さして理由を言うことが出来た。これがはじめての反論?ではないけど言葉のキャッチボールだったかもしれない。
店長は僕に更に詰め寄り胸ぐらを両手で捕まれる。僕の体は何の抵抗もなく店長に持ち上げられる。いつもならここで、力が強いとか心の中でツッコミを入れるところだけど、今はそれどころではない。僕殺されるかもしれない。
「疲れナメんなや。休むのも仕事のうちじゃ。あとはワシがやっとくからもう帰れ。わかったか?」
「はははははい。」
怒鳴りながら至近距離から店長に怒鳴られ僕は何を言われたのか記憶が飛んでしまったが、本能的に帰れないと思い、片付けも気にせずその場から全力で離脱した。筋肉痛なんてなかったかのように体は動いた。ただただ全力で走った。走りながら少しずつ疲れも出てきて、冷静さを取り戻していく。まさか皮むきして怒られるとは。あの店長優しいけど怖いな。