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苦痛に満ちた人生

「ええ、先ほどの条件でよろしければ、ですが」


 ネフタールが確認した。


「それで構いません」


「では報酬の話をしましょうか。後払いで結構ですよ。如何ほど頂けますか」


「他の国の王族や貴族からの贈り物に価値のある宝石や装飾品があります。おそらく、一つだけでも数千万ルルはくだらないでしょう。それを差し上げます。それから……」


 エリサ姫は覚悟を決めてその先を告げた。


「……私の、命です」


 目を丸くしたネフタールが重々しい声音で聞いた。


「本気ですか」


「どうせ死ぬ命ですから。それに、病気の発作で死ぬのはきっと耐えがたいほどの苦痛だと思います。身勝手なお願いとは承知していますが、苦しまずに逝きたいのです」


 エリサ姫はレンズの下の目を悲し気に伏せた。何をどうあがいても、死ぬのだ。もう私にはそういう人生しか残されていない。せめて最後くらい自分の命をどう使うかは決めたかった。


「僕としては構わないのですが。もう少しご自分を大事になさった方がいいのでは。お姫様なのですし」


 エリサ姫を見つめるネフタールの目は困ったように細められていた。


「念のため確認しておきます。僕は、殺戮者(ネフタール)です。隠形はそれなりにできますが、一国の警備体制を出し抜けるほどではありません。本業の暗殺者や盗賊でも難しいでしょう。どういう意味かは、おわかり頂けますね」


 エリサ姫は返答に詰まった。警備の兵士も片っ端から殺して強行突破するつもりなのだ。冷たい光を帯びた彼の瞳はそう語っていた。彼ならきっと、できるだろう。数秒もかけずに二人の人間の首を素手でもぎ取って見せたのだから。


 何の罪もない民を大勢犠牲にして望まぬ生を与えられるのと、どちらがましなのか。エリサ姫は葛藤していた。兵士たちにもそれぞれの人生もあれば、家族だっているのだ。彼らを犠牲にすることは許されるのか。


 懊悩の果てにエリサ姫は決心した。


「はい」


「では、契約内容をまとめます。目的はあなたを生きたまま王都から脱出させること。報酬は、所有する貴金属類と、あなたの命。以上でよろしいですね」


「それでお願いします」


「期限はいかがいたしましょう。とりあえず一か月の間に達成するということでどうでしょうか」


「構いません」


 本当にネフタールは細かい。神経質、というわけでもないのだろうけど。


「最後に、僕は依頼を果たすために全力を尽くしますが、その過程で何が起ころうとも免責事項とさせて頂きます。精神的苦痛も含めて。いいですか」


 答えはすでに出ている。エリサ姫はしっかりと頷いた。


「わかりました」


「契約成立ですね」


「あの、ネフタール、さん。なぜ、こんな話を信じて頂けるのでしょうか。証拠なんて何一つないのに」


「わざわざ魔法の道具を使ってまで来られたんですから、よほどのことだろうと判断しました。それにですね、こういう仕事をしていると騙されたり、裏切られたりは結構あるもので、嘘かどうかはだいたいわかるようになってしまったんですよ。あなたからはそういう雰囲気は感じませんからね」


 エリサ姫は続けて問うた。


「あなたに関する噂は、本当なのですか。誰でも平気で殺すという」


「言うまでもないことです。僕は殺戮者ですから」


 軽く胸を張ってネフタールは肯定した。やはり変な人だとエリサ姫は思った。殺戮者という時点でまともではないのはわかり切っているのだが。


「その殺戮者が、なぜ私などの依頼を受けてくださるのでしょうか。世間のことに疎いので、場違いな質問でしたらすみません。しかし、いくら大金と引き換えとはいえ、一国の軍隊を敵に回そうとするのは割に合わないような……」


「そうですね。割に合わないかもしれません」


 あっけなくネフタールは言った。


「ですが、殺戮者(ネフタール)にだって自由意思はありますし、感情だってあります。笑いもすれば泣きもしますし、お腹が空くからご飯だって食べますよ。……あなたを見ていたら、昔の、友人たちのことを思い出しました。僕はその人たちの役に立ちたいと思っていましたが、そうすることができませんでした。当時はまだ若かったから、ということもありましたが……僕がもう少し頑張っていれば、こっちに来ることもなく、もっと別の人生があったのかもしれません。僕があなたの依頼を受けたのは、そういうことです」


 エリサ姫にはよくわからないことも含まれていたが、ネフタールが冗談を言っているのでないことはわかった。彼の顔に仄かな翳りが見えたから。それはきっと、思い出すのも辛い記憶だったのだろう。


「すいません、嫌なことを思い出させてしまったみたいで」


「いいんですよ。準備をしたらさっそく出発します。お帰りの際は気を付けて……その必要はありませんでしたか」


 ネフタールが苦笑してから、エリサ姫は席を立ち深々と頭を下げた。身体が薄れていく。


「ありがとうございます、ネフタールさん」


 依頼を受けてくれたことにひとまず安堵はしたものの、本当にこれでよかったのだろうか。いまでもエリサ姫は思う。無数の死は世間知らずの姫が背負うにはあまりにも重すぎた。


 いや、背負わなければならないのだ。それが自らの選択なのだから。






 ネフタールに会いなさい、とその女性は言った。


 シンドッホに驚愕の事実を告げられてから、エリサ姫は宝物庫で偶然手に入れた夢現の紅玉を使い、王都から少し離れた街の冒険者ギルドに駆け込んだのだ。魔術師と王の暴走を止めてくれる勇者を求めて。


 しかし世間知らずなエリサ姫は依頼をするにもお金がいるのだとは知らなかった。飛ばせるのは意識だけで、金貨の一枚だって持ち出せない。念のため依頼内容だけ教えてほしい、と言われたがこれも憚られた。王が邪神の司祭と組んでいるなど知られたら大騒ぎだ。そもそも信じてもらえないかもしれない。


 ギルドを出たエリサ姫が途方に暮れて項垂れていると背後から冒険者らしい女性に声をかけられた。曰く、ギルドに依頼できないようなことなら直接聞いてあげてもいい、と。親切で言ってくれているらしい。そしてエリサ姫は聞いた。


「あなたは、一国の軍隊を相手にすることができますか」


「それは、私には無理ね」


 同い歳程度であろう彼女は言った。


「さすがに例え話よね。一国の軍隊と戦うなんて下手したらお尋ね者よ。それに私はまだ下から三番目のマリンナ級だし。悪いけど、できない依頼は受けられないわ」


 考えてみれば当然だ。そんな人、いるとしたらおとぎ話の中だけだろう。エリサ姫が肩を落としたところで彼女は付け加えた。


「でも……センダ国のことは知ってるわよね。ここからはちょっと遠いけど、そこの旧都にいる……ネフタールならできるかもしれない」


 お話し好きの召使たちの噂話でネフタールの話は聞いていた。誰でも殺す、名前通りの殺戮者。とてつもなく恐ろしい人物、いや、人であるかどうかも疑わしい存在だという。


「あの、ネフタールですか。相争う二つの軍隊を一人でまとめて壊滅させた……あの話は、本当なのですか」


「ええ、本当よ。保証するわ。彼にそう依頼したのは私だもの」


 驚いたエリサ姫が言葉を失っていると、彼女は続けた。


「もう五年、いや六年位前かな。当時私は、三つの国が国境を接するあたりの、小さな村に住んでてね。そのうちの二つの国が戦争を始めたの。戦火が私たちの村にも及びそうになったけど、王様は村を守ろうとはしなかった。小さな村一つのために他の国とことを構えたくなかったのよ」


 そんな王もいるのか。父は少なくとも民を見捨てはしなかった。いまは生贄にしようとしているが。


「まだ十二歳の小娘だった私は、村の酒場で飲んでた人に助けを求めたの。いま思えば馬鹿だったわね。でも、軍隊が近づいているのに酒を飲んでいるのは彼だけだったから」


「その方が、ネフタールさんだったのですね」


 相槌を打つと彼女は続けた。


「そうよ。お願いすると、彼は大真面目に依頼の細かいところを聞いてきたわ。契約が成立したら立会人として一緒に来てほしいって言って……両軍の兵士を皆殺しにしたの。魔法も弓矢も全部躱して、片っ端から兵隊をぶった切っていったの。すごかったわ、ちょっと怖かったけど」


 エリサ姫は半信半疑だったが、一筋の光明に縋った。


「その方はセンダ国にいらっしゃるのですね」


「また依頼があったらいつでもどうぞ、って詳しい住所を教えてくれたわ……はい、これ。でも、気を付けてね。何かの間違いかもしれないけど、他に何人も殺してるって話だから。それでもあの人は、私にとっては勇者なんだけどね」


 苦笑しながら彼女は彼の居場所を書きつけた紙を渡してくれた。


「あの、でも、私、お金は……」


 エリサ姫は思い出した。依頼には報酬が必要なのだ。


「多分、大丈夫だと思う。私の時は後払いだったし、十二歳の私が払ったのはたったの五百ルルだけだったもの」


 二つの軍をまるごとやっつけたのにそれだけの報酬でいいのか。エリサ姫は訳がわからなくなる。


 それでもエリサ姫は最後の可能性に賭けた。冒険者風の女性と別れた後、センダ国の旧都、ラピテントスに意識を飛ばしたのだった。






 窓の外を照らす無数の光が瞬いて、部屋を白く照らした。


 エリサ姫は夢現の紅玉を胸に抱く。発作とは違う、胸の痛みをこらえるように。


 誰にも死んでほしくはなかった。自分のために大勢の人が死ぬなど耐えられない。それなのに、どう転んでも誰かが死んでしまう。


 しかし、一番恐ろしいのは。病の苦しみと死の恐怖から逃れるために、生き延びることを選んでしまうことだった。見目形はそのままでも人は怪物に変わるのだ。そうなってしまう前に。


 ぽろりと一粒、涙が零れ落ちる。


 どうかネフタールが、この苦痛に満ちた人生を終わらせてくれますように。


 大陸一の美姫、エリサマリルは神ではなく殺戮者に祈っていた。






 道中、ネフタールは無関係の村人や通りすがりの旅人や追剥など三十四人を殺した。


 怪物は五十一匹殺した。





 ネフタールは擦り切れた灰色の外套を纏い、夜の街道を一人アフトーサの王都へ向かっていた。


 つい先ほど、依頼人に会った。エリサ姫。自らの死を望む少女。


 夢現の紅玉を用いて彼女が再び姿を現して告げたのだ。殺すのなら最低限にしてほしい、と。ネフタールはそれを拒否した。依頼内容は生きたまま王都から連れ出すことなのだから、万全を期すなら皆殺しにせねばならない。絶望に染まる彼女にネフタールは最大限譲歩した。一人だけなら努力しましょう、と。


 涙をこらえつつエリサ姫はその人物の名前と特徴を伝えて消えた。


 更にしばらく進むと、文官と兵士が転移魔法でやってきた。


「あなたが、ネフタールですね」


 白い衣を着た文官が問うた。その横の甲冑を着た兵士は緊張した面持ちでネフタールを見つめていた。


「そうです」


「エリサマリル様を攫おうとしているのですよね、殺すのではなく。なぜ、そんなことをするのですか。誰かからの依頼ですか」


「お答えすることはできません」


「どうあってもそれを実行するつもりなのですか」


「そうなりますね」


「交渉の余地はない、と」


「はい」


 短いやり取りだった。


 兵士が槍を向けた。


「エリサマリル様には指一本触れさせんっ。ネフタール、覚悟っ」


「王国万歳っ、エリサマリル様万歳っ」


 文官が短刀を抜く。


 二人の首が同時に落ちた。首の断面から心臓の律動に合わせて血が噴き出す。頭部を失った身体が痙攣しながら頽れた。抜き打ちに振られた剣には一滴の血もついていない。


 半秒もしないうちに王都の方角から可視、不可視の無数の破壊魔法が放たれた。認識攪乱、行動阻害といった非破壊性の魔法も来ている。探知されていることには気づいていた。ネフタールの意識が戦闘に向けて切り替わった。主観的な時間の流れが遅くなり、全方位に意識が向かう。


 広い平原、その地平線の向こうにあるアフトーサの王都を目ではなく感覚で捉える。小高い丘の上に建てられた宮殿も。距離は五十キロほど。ニ分もかからずに着くだろう。


 大地を蹴る。猛烈な加速で攻撃を飛び越える。爆ぜた地面に破壊魔法が次々と突き刺さった。灼熱の炎に焼かれた地面がガラス化した。雷撃が落ちた。剣で弾く。白い光球が背後から追ってくる。高い誘導性を持ったタイプだ。その分速度は遅いから振り切った方が早い。非破壊性魔法は探知魔法と一緒に斬り落とした。


 時間差で飛んできた矢を身を捻って躱す。鏃には毒が塗ってあるようだ。この距離から正確に狙ってくるのだから射手はまともな人間ではないだろう。転生者か、転移者だ。それも神の恩寵付きの。


 地面を陥没させながら駆ける。魔法攻撃、第二波。雷撃と光。闇を切り取るように光る刃が現れてネフタールを狙う。足元が火の海になる。


 ネフタールは上へ跳びながら剣を振り回した。根元から切っ先まで一直線に伸びた片刃の剣。向かってくる魔法攻撃を片っ端から迎撃する。雷撃と光の帯が鋼鉄の剣に裂かれて霧散する。深く斬った手応え。


 空間を蹴って王都を目指す。普通なら全方位から狙われる空中を移動するのは避けるべきだが、地面からも攻撃が来るのなら同じことだ。


 王都までの距離はニ十キロを切った。攻撃の密度が高まっている。距離が詰まった分、届く魔法が使える術師が増えたためだろう。矢や槍も飛んできている。


 矢。真正面から一本。いや上下左右からも弧を描きながら進んでくる。全部で十本近く。これだけの技量そうそういるものではない。最初のと同じ射手だろう。剣が踊る。同時に飛来した矢を叩き落とす。


 次の一歩を踏んでネフタールは目を見開いた。見えない刃が喉元に触れている。隠蔽術で隠されていたか。いや接近してから実体化したのか。思い切り背中を逸らしながら剣を叩きつける。甲高い音を立てて刃が割れた。気づかなければ首が飛んでいただろう。


 速度を落とすか、高度を変えるか。わずかな逡巡。いや直前まで察知できないならどちらにせよ意味がない……と、景色が歪んだ。色が回る。テレポーターか。異空間に飲み込まれかけたが出口が閉じる前に無理やり切り開いて脱出する。行先は大気圏外か、深海の底か、果ては地中深いマグマの中か。いずれにせよろくなところではないだろう。


 王都の城壁が見えてくる。魔法の光が幾筋も打ちあがり夜を白く照らした。照明弾替わりらしい。飴色の火が見えた。やや遅れて砲声。錬金砲か。弾は焼夷弾か榴散弾か。魔法が込められたものかもしれない。砲手は普通の人間だろうから、目標を定めて撃つのではなく地域全体にありったけの弾を叩き込んで確率論的に殺傷する戦術を取らざるを得ない。脅威度は低い。矢が雨あられと降ってくる。城壁から無数の光弾が発射された。自動防御機構だろう。細く伸びながら向かってくる。魔法も合わせれば回避する余地などない。剣を振って進路を塞ぐものはすべて叩き落す。


 動きがわずかに鈍くなる。阻害魔法……違う、結界だ。斬る。音もなく崩壊していく。違和感が消えた。再加速。周囲の地面がめくれあがって壁になる。高く、高く。斬るか。いやその必要もない。空間を蹴って飛び越える。その先に城門が。眼下に。壁の上に陣取った兵士たちの狂騒が聞こえる。


 数十重もの防御魔法が城壁全体を覆っている。向こう側からの攻撃だけを通す理不尽な代物だ。空中で剣を大上段に構える。空間を蹴る。下向きに。


 剣が防御結界に触れた。何百人もの術師と城壁に蓄えられた魔力が合わさった防御機構。握るのはただの鋼鉄の剣。全長九十センチ。重さは一キロちょっと。片刃の刀身は根元から切っ先へまっすぐに伸びている。


 実体のないはずの防御結界が紙でも切るようにあっさりと裂けていき、ネフタールは着地した。壁上の兵たちが唖然とする気配。顔を上げる。鋼鉄の門扉。門扉の表面が蠢いた。飛び出した無数の棘が。それを切り払った勢いで門扉を蹴破った。ひしゃげた金属の塊が内側へすっ飛んでいく。兵士が何人か潰れた。


 武器を構えた兵士たちが顔を引きつらせていた。


 全員殺す。殺さねばならない。じわりと殺戮への期待が渦を巻く。


「かかれえええええええええぇぇぇぇっ」


 指揮官らしき声が響いた。兵たちが殺到してくる。


 愉悦に紛れて脳裏に浮かぶ情景があった。十年前、高校生だったころ。


 ネフタールは剣を振った。

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