作戦会議
他国からの援軍や噂を聞きつけてやってきた冒険者たちが王都に集合していた。ネフタールの首を手土産に姫に近寄りたい者が大半だった。
宮殿はアフトーサの騎士団を中核とする精鋭たちで固められていた。魔物や山賊の討伐などで実戦経験はあるし、訓練も行き届いた彼らの士気は非常に高い。それは主にエリサ姫への敬愛によるものであった。
各地の防衛に当たっていた兵士たちも続々と王都にやってくる。総数はおよそ三万に上る。王は最低限の防備を残し、すべての兵を王都に集めるよう指示していた。
そして、ごく一部だが住民も残っていた。彼らは避難勧告を断固拒否し、代わりに兵士として志願した。気持ちがわかる故か、騎士たちも志願を受け入れざるを得なかった。
総勢で五万を超える兵力が王都に集っていた。
それでも、もしネフタールが噂通りの力を持っているのならば、ほとんど役に立たないだろう。アクトとヤネック王はそう考えていた。
決め手になるのは呼び寄せた精鋭たちであることについても、二人の意見は一致していた。
彼らはそれぞれの時間を過ごしていた。カーンは広場で素振りをしながら、オルソンは従業員のいなくなった宿屋で物思いに耽り、サルカルは城壁の外で他の魔術師たちと自動防御機構の設置に当たり、ただ一人特例として姫と会うことを許されているシャーリエルは、旅で見聞きしたことを彼女と話していた。
彼ら精鋭と部下たちを食堂に集めて、昼食が開かれた。当然、作戦会議を兼ねてのものだ。
「シャーリエル様がこちらにいらっしゃるということは、やはりネフタールと戦うおつもり、ということでしょうか」
食が細いエリサ姫はすぐに切り上げ、代わりに文通相手であったシャーリエルに尋ねた。誰にでも丁寧に話しかける彼女でも、声音には一定の親しみが込められていた。
「ええ、もちろん」
料理をつついていた金髪の幼い少女が顔を上げた。
「そう、ですか。申し訳ありません。シャーリエル様までこんな危険なことに巻き込んでしまって、なんとお詫びしたらいいか」
大陸一の美姫の顔が物憂く沈み、口から細い溜息が漏れた。
「大丈夫よ、私だってまだ死にたくないし、あなたのことも絶対に守ってあげるから」
「ありがとうございます。でも、申し訳ありません」
感謝と謝罪の言葉を口にし、そしてエリサ姫は静かに微笑んだ。ただ守られることしかできない彼女にできることはそれだけだった。
「ところでネフタールについてですが、奴のことはギルドの公式発表以外のことはよく知りません。皆さまはどれだけのことをご存じでしょうか」
料理を片付けたカーンが言った。
「私もそれは気になっていました。彼がどのような人なのか知っておきたいのですが、ギルドの発表ではどのようになっていますか」
エリサ姫が言った。
片眉を上げてカーンは姫を見た。彼女から水を向けられるのは意外に思えた。
「名前の通りの人物だと聞いています。殺戮者の名が示す通り、気分次第で誰でも殺す、と。数年前にギルド支部の一つが襲撃され全滅してから、奴の首には多額の賞金がかけられています。しかしいまだに討ち果たした者はおりません。ルイカルネ級のパーティが立ち向かっても返り討ちにされた、とも聞いています」
「冒険者ギルドが人相書きを出しておるな、見るか」
「是非」
ヤネック王が頷くとサルカルが水晶玉を取り出した。テーブに置くとその上に一枚の絵が浮かび上がった。
「へぇ、男だったんだ。っていうか絵に描いたようなブサイク」
シャーリエルが率直な感想を述べた。実際絵なのだが誰もそのことは突っ込まない。
人相書きはぼさぼさの黒髪を持った男だった。じろりと睨め上げるような目つきに、押し潰されたみたいな鼻、唇は妙にねじくれていて明らかな悪人の顔を作っている。
「これが、ネフタール、なのですか」
不思議そうに見上げながらエリサ姫が呟くように言った。
「ギルド側の主観が入っているな。情報を取り扱う組織としては問題がある」
やはり仮面を被ったまま食事には手をつけていないオルソンがくぐもった声を出した。
「オルソン殿はなにかご存じですか」
アクトが尋ねた。
「目標に対して単一の情報源に頼るのは危険だ。特に因縁のある相手からは」
「ふぅん。さすがその筋、、と言ったところかしら」
言葉の途中でシャーリエルが口を挟んだ。彼女はテーブルにその豊満な胸を乗せて仮面の男を見ていた。オルソンのことは彼女も知っているらしい。
「俺も知っていることは、大筋ではお前たちとさほど変わらない」
オルソンは続けた。
「無意味に無慈悲に死をまき散らす殺戮者、というところは変わらないが、それ以外の話も聞いている。どうも、奴は依頼を受けるらしい」
「依頼って、冒険者みたいに」
「そうらしい。だが奴は殺しの依頼は受けないということだ」
「なに、それ」
「俺も聞いただけだ。詳しくは知らん」
「ふぅむ、となるとあの予告の意味はそういうことかもしれん」
ヤネック王が顎に手を当てた。彼は生首の口に入っていた紙片のことを言っていた。
「誰かがネフタールに依頼して姫を拐うとしている、ということですか」
カーンが腕を組む。
「否定できませんね。念のため、他国の兵も宮殿へはできるだけ近づけないようにしておきましょう」
アクトが頷いた。
「ネフタールが婚活しようとしている、ってことはないかしら」
「コンカツ、とは」
「ごめん、忘れて」
大真面目に聞き返すカーンにシャーリエルが苦笑を返した。
「それで、オルソン殿。他に知っていることは。依頼を受けるというなら依頼人は彼と会って生きているということになるが、その筋からの情報はあるのかの」
ギルドが開示している情報を見ているのだろうか、サルカルは水晶玉に触れながら続きを促した。
「一部では有名な話らしいが、『ネフタールと会ったならまず依頼をしてみろ、少しだけ寿命が延びるかもしれない』と言われている。依頼の話をする前に殺されることも多いそうだから、結局は運任せになるが」
「『らしい』ばかりね。信用できるの」
「仕方なかろう、奴に会った大半の人間は死んでいるのじゃから。ギルドの情報によると、武器は主に剣を使うそうじゃな。魔術の類については特に記載がない。となると、アウトレンジ戦法が有効かもしれんのう」
シャーリエルを窘めつつサルカルが水晶玉を見つめていた。
「ならば先鋒は俺が務めよう。俺は奴にせめて一太刀、いや時間さえ稼げればそれで十分だ。サルカル殿、シャーリエル殿、よろしく頼み申す」
捨て石になってカーンは死ぬつもりなのだ。その場の誰もがそう感じ取っていた。エリサ姫の顔が曇る。
「……では、二番手は俺か」
仮面の奥でオルソンの瞳が光っていた。カーンが首を動かして仮面の男を見返す。彼も死ぬつもりらしい。死を覚悟した者同士が心の奥底で呼応したのだ。
「ネフタールに仲間はいるのか」
ヤネック王が疑問を発した。
「いいや、聞いたことがない。奴は一人だそうだ。仲間も全部殺してしまったからだ、と言う奴もいたが」
オルソンが答える。
「交戦中の軍隊を両軍まとめて倒したという噂は本当なのか」
「さあな。噂は誇張されるものだが、逆に控えめに伝わることもある。何とも言えん」
重ねて問うたヤネック王に答えたオルソンは、嘘を言っているようには見えなかった。少なくとも彼が知る限りの情報を伝えようとはしているようだ。
「あの、すみません、先ほどネフタールがギルドの支部を襲った、と仰いましたよね。なぜ、そんなことをしたのかはご存じありませんか。私には……」
「姫、ネフタールは理由も意味もなく人を殺します。そのような問いは無意味でしょう」
エリサ姫が言い淀み、アクトが首を振った。
「そう、ですか。すいません、変なことを言ってしまって」
「気になってることがあるんだけど、万が一にもネフタールの名前を騙った悪戯って線はないの」
お茶を飲んでからシャーリエルが聞く。
「それだったらありがたいことこの上ありませんが、しかし悪戯というには手が込んでいます。王都周辺の早期警戒魔法にも引っかからない遠距離から生……失礼、メッセージを届けられるとなると、まともな人間ではないでしょう」
まだ食事中だということを思い出し、カーンは一部訂正した。力づくで投げたのか、魔術的投射手段か、それ以外の何かにせよ、警戒魔法の範囲外から飛んできたのだ。普通では考えられない。
「俺からも質問がある。どこから投げたかわからないにせよ隣国から、というほど遠くではあるまい。国内にいるのなら探し出してこちらから仕掛けるという手段もとれると思うが」
オルソンが指摘した。頷いたヤネック王が答える。
「もしネフタールが大軍を通しにくい地形に逃れたとしたら、こちらの数的優位は限定的なものになる。王都周辺には普段から能動的、受動的魔術防御手段が敷かれておるし、これを活かさぬ手はない。万が一にも陽動や欺瞞情報に踊らされて王都を手薄にするわけにもいかんから、これが最善じゃと思っておる」
「姫を王都から逃がす、ということについては」
「無理でしょう。移動そのものは転移魔法でどうとでもなりますが、もしネフタールが何者かの依頼によって動いていた場合逃亡生活は長期化するでしょう。姫の身体が耐えられません」
続けてオルソンが発した問いに、今度はアクトが説明した。
「奴がどういう仕事を受けたかはわからんが、依頼人を探し出して撤回させるかすればチャンスはあるかもしれんな。少なくともいまは時間がないが」
思うところがあるのか、皮肉めいた口調でオルソンが言う。
「あ、あの、すいません」
控えめにエリサ姫が手を挙げた。自分の振る舞いが場違いではないか気にしているように面々を見渡しながら。
「今からでも遅くありませんから、皆さんだけで逃げるというわけには、いかないでしょうか」
「何を、言っているんだ、エリサ」
ヤネック王の声が厳しいものに変わっていた。それでもエリサ姫は続けた。
「ですが、お父様、ここに集まった方々も、兵の皆様も、私一人が我慢すれば助かるのでしたら……」
言葉の後半は涙声になっていた。
「お心遣い痛み入ります。ですが皆、あなたを守るためにここへ来たのです、姫」
諭すように静かな声音でアクトが言った。
「兵の一人に至るまで、命を捨ててでもあなたを守る覚悟はすでに決まっています。もちろん、この私も含めて」
「そうだ、エリサ。お前は何も心配することなどない。アクトたちに任せていればいい」
エリサ姫は顔を伏せて黙ってしまった。
その時食堂の扉が開いて兵士が入ってきた。食事中であることは知っているだろうが、よほどの緊急事態らしい。アクトに近づいて何事か耳打ちした。
兵士が下がる。アクトは難しい顔をしていたが、やがて重々しく口を開いた。
「……ロルドールの街が襲撃を受けています」