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せめて残された時間を

 サルカルが王都を訪れたのはネフタールの予告が届いてから数日たった昼過ぎごろだった。


「やあ、儂じゃ、サルカルじゃ」


「どうぞ、お通りくださいサルカル殿」


 衛兵はにこやかに礼を返した。


「今日も姫の診察ですか」


「まあ、そんなところじゃ」


 そう答えてサルカルは門を抜ける。


 サルカルはつばの広い三角帽子を被り、濃い緑色のローブを纏った好々爺だった。年齢は六十代ほどであろうか、髪と同じように長く伸びた白髪交じりの髭を、顎の下で軽く結わえていた。鼻はやや鷲鼻気味だがそれすらも愛嬌として感じられる。


 衛兵たちはサルカルを治癒師だと思っていた。エリサマリル姫の儚げな容姿と、年に数回しか姿を見せないことから病弱であると皆が噂していた。それ故に、王はしばしば各地から腕がよい治癒師を呼び寄せていた。


 宮殿にやってきたサルカルを迎えたのは、騎士団長のアクトだった。


「お疲れ様です、サルカル様。今日はまず診察からでございましたね。姫のお部屋へご案内します」


「やあ、アクト殿。今日はお主が迎えてくれるとはのう」


 恭しく頭を下げるアクトに、サルカルも帽子を胸に抱えて礼をした。後ろで結わえた白髪交じりの長髪が揺れる。


「ええ、ご存じでしょうが、いろいろと立て込んでおりまして。サルカル殿もそのためにいらっしゃったのではないのですか」


 サルカルは口髭を撫でた。


「儂はただの、治癒師じゃ。戦の役には立たん。怪我を治すことはできるが、それだけじゃ」


「またまたご謙遜を。では、参りましょうか」


 苦笑を浮かべたアクトは宮殿へ入っていき、サルカルもそれに続く。綺麗な草花の彫金が施された扉の前に立ったアクトがノックしてから告げた。


「サルカル様がいらっしゃいました」


「どうぞ」


 姫ではない女性の声が答えた。扉を開けると、椅子に腰かけたエリサマリル姫が待っていた。傍に控えているのは侍女だ。答えたのは彼女だった。


 姫の部屋は本人の気質を反映してか、気品を滲ませるよう整えられていた。中庭に面した側はガラス張りになっていて、色とりどりの花が咲き誇っているのが見える。宮殿からほとんど出られない彼女の数少ない趣味がそれだった。


「よろしくお願いします、サルカル様」


 立ち上がり、エリサ姫は丁寧に頭を下げた。


「やあ、エリサ姫。最近身体の調子はどうじゃ」


 皺の刻まれた顔が人のよさそうな笑みを浮かべた。


「あまり変わったところはありません」


 座り直してからエリサ姫は答えた。


「時折、胸に疼痛があります。突然呼吸が苦しくなることも」


「薬は飲んでおられるかな」


「はい」


「ふぅむ」


 サルカルは道具袋から水晶玉を取り出し、エリサ姫の前に翳した。目を細めながらサルカルはそれを覗き込んだ。角度を変えてまた覗き込む。そしてサルカルは姫の周りを一周した。


「あの、どうですか」


 エリサ姫が控えめに聞いた。


「大して進んでおりませんな。今すぐどうこう、ということはまずないじゃろう。薬を出しておくから、いつも通りに飲んで頂ければよい」


 エリサ姫はまた深くお辞儀をして礼を言い、診察は終わった。


「次は王の元へ参りましょう」


 アクトが告げた。通されたのは謁見の間ではなく、ヤネック王の居室だった。机の前で政務に取り組んでいたヤネック王が顔を上げる。


「ご苦労だった、アクト。下がってよいぞ」


 静かに一礼しアクトは居室の扉を閉じた。


「いつもすまぬな、サルカル。一杯どうだ」


「いただきましょう」


 ヤネック王は棚から酒瓶とグラスを取り出しテーブルに置いた。琥珀色の液体が注がれる。


 勧められたソファに座り、サルカルはグラスを傾けた。少し苦く、強い酒。ヤネック王も一口飲んだ。


「それで、姫の様子は」


「あまりよくない」


 サルカルは言った。


「心臓と肺の病は薬と魔法のおかげで抑えられてはいますが、根本的治療は少なくとも儂にはできぬ。原因が、どうにも掴めないのじゃ。このような病は初めて見る。もしかしたら、邪神の呪いの類かもしれませぬ。やるとしたら醜き者共の神、ミナリィンあたりでしょうか」


「娘は……エリサはあと、どれだけ生きられる」


 ヤネック王が白化けに尋ねた。


「はっきりと申し上げることはできません。しかし、二十歳まで生きられる確率は一割にも満たないかと」


 椅子に座り深い溜息を吐いたヤネック王はひどく疲れているように見えた。


「そうか。そなたがそう言うのなら、そうなのだろうな。感謝している。そなたがいなかったら、エリサは三年前に死んでいただろうから」


 サルカルは酒と一緒に出されたチーズを齧った。もうそんなになるのか。


 エリサ姫が不治の病を得たのは十三歳の時だった。国中の治癒師はもちろん、祈祷師にまで縋っても彼女の病状は一向に良くならず、王は冒険者ギルドの伝手を頼りに病を治せる者を募ったのだ。多額の報酬を約束して。


 病魔はゆっくりとだが確実に命を蝕んでいった。胸の痛みと呼吸困難。酷いときには吐血までした。どの治癒師たちも匙を投げ、十五歳の誕生日まで生きられることはないと断言した。


 そこにやってきたのが、サルカルだった。隣の国の小さな街に大変腕のいい治癒師がいるという噂を聞きつけ、王の使者が訪ねたのだ。


 サルカルは投薬と魔術での延命治療を提案した。さしものサルカルでも病魔を駆逐することはできず、命を永らえさせることしかできないと告げたが、王はそれを承諾したのだった。


 薬は症状をたちどころに和らげ、宮殿を中心に展開させた常時展開永続型の強化魔法はエリサ姫の生命力を高めた。もともと色白だったが病によってさらに青白くなっていた彼女の顔に血の気が戻り、ヤネック王は泣いて喜んだものだった。


 それ以来、ヤネック王はサルカルに絶大な信頼を寄せていた。


「申し訳ない、儂の力不足じゃ」


 サルカルは頭を下げた。


「いや、よい。余にとってエリサは人生のすべてだ。いま生きているだけで十分だ」


 ヤネック王はそう言うが、サルカルの胸には忸怩たる思いが渦巻いていた。


 なぜ、本当に救いたいものが、救えぬのか。そのためにずっと努力してきたはずなのに、なぜこうなるのか。神がそれを望んでいるとでもいうのか。


 娘を思う父の気持ちはサルカルもわかっているつもりだ。いや、儂は、父にはなれなかった。


 もう一口酒を飲む。強い酒が喉を焼きながら滑り落ちていく。軽い酔いが回ってきて、サルカルの頭にある情景が浮かび上がった。






 魔術学院を首席で卒業したサルカルは冒険者として生きることを決めた。


 成績だけ見れば宮廷魔術師という道もあったが、それを拒んだのは性格ゆえだ。当時のサルカルは細面に陰気な表情をへばりつかせた青年で、有り体に言えば人付き合いが苦手な方だった。どうせ宮仕えになったとして、下っ端からのスタートだ。そんなのには耐えられない。


 その点、冒険者稼業は気楽だと思った。学院の首席卒業生なら喜んで迎えるパーティも多いだろう。人付き合いに疲れたら離脱して、また別のところに入ればいいのだ。


 冒険者として実績を積み、貴族のお抱えか、王宮の筆頭魔術師、せめてそれに近いところに収まるつもりだ。冒険者としての実績を評価するところはいくつか知っているし、そういうところは往々にして開明的……性格に難があっても実力さえあれば問題ないのだ。


 そして研究に没頭し、世界を驚かせてやる。神々が住まうというアサトゥルリスの秘密を解き明かしてやろうか、この世界を邪神の住処であるゼーブジスから完全に切り離すのもいい。そして世界は称えるのだ、天才魔術師サルカル、と。


  隠蔽、探知、追跡、防御から増強、果ては天候操作に転移魔法まで使いこなすサルカルは、瞬く間に冒険者たちの間で引っ張りだこになった。


 だが一番得意なのはやはり破壊魔法だ。サルカルは考えつく限り残酷な方法で怪物を殺すことを好んだ。結界に閉じ込めたゴブリンに巨大な岩を落として潰したり、同じようにオークを結界に閉じ込めて無数の小石を高速で飛ばし、かき回したりした。太い悲鳴とともに緑色の皮膚が破れて眼球が潰れ肉片が飛び散り最後にはよくわからないどろどろした液体になるのだ。三メートル近いオーガの足元を酸の海に変えたりした。腰まで溶かされたオーガがもがき苦しみながら沈んでいき骨まで溶けて消えた。愉悦の笑みを浮かべながらサルカルは化け物どもを殺した。相手は化け物だから何をしたっていいのだ。


 仲間たちの畏怖もサルカルの愉悦を深めた。残虐だが魔術師としては文句なしに一流。そういう評価が定着するのに時間はかからなかった。


 次第に冒険者仲間からは距離を置かれるようになった。だが干されるというほどでもなく、サルカルの力を求める者はそこそこいて、ギルドも彼に定期的に仕事を回した。


 サルカルはこの生活に結構満足していた。


 冒険者になってから三年が経った。仕事の合間に研究をする充実した時間だったが、決まった拠点が欲しいと思うようになっていた。


 選んだのはどこにでもある小さな街だった。街自体に特筆すべきところはないが、近くに思い切り魔法の実験ができる平原があった。


 稼いだ金で街のはずれに一軒家を買った。そこで研究を行い、冒険に出かけ、帰ってきては酒場で酒を飲んだりした。


 当然、飲むときは一人だ。残虐な魔術師には誰も近づかない。だが力が必要になればおべっかを使って仲間に引き入れようとするのだ。人間なんてそんなものだ。


 そう、思っていた。


「よく来るわね、冒険者かしら」


 酒場でそこの看板娘に声をかけられた。荒くれ者が集う酒場にあって元気に笑う女だった。彼女の尻に手を伸ばした助平男がその手を思い切りつねられて悲鳴を上げているのを見たことがある。


「そうだが」


 サルカルは短く答えた。女は苦手だ。図々しいから。


「いつも一人だけど、仲間は」


「いない。他のパーティに混ざって仕事をする」


「魔法使い、よね。どんなことをするの」


「飯を食っているときにする話ではない類のことだ」


 面倒くさい女だ。そう思いつつもサルカルは無視したりはしなかった。ただ、ぶっきらぼうに、短い返事をするだけだ。


 そうしていたら、彼女は、次の日も、その次の日も、サルカルに話しかけてきた。相手にしないようにしていたつもりだったがやがていろんなことを話していた。魔術の本質や研究の話、なんて女にはつまらないだろう。だからもう近寄ってはくるまい。そう考えたが実際のところは他に話題がないだけだった。それでも彼女は相槌を打ったり、時々笑ったりして聞いていた。


 ある時、仕事が入って数日間街を離れた。帰ってきていつものように酒場に行くと彼女が真っ先に気づいて飛んできた。「最近、見ないから、私、私……」などと言っていた。俺がそんなに簡単に死ぬわけがないだろう。そしてサルカルは冒険の話を聞かせた。少なくとも研究なんかよりはよっぽど聞いていて楽しいだろう。次から冒険に出るときは彼女に知らせることにした。


 ある夜、閉店まで粘って人がいなくなったところで思い切って彼女に聞いた。


「なぜ、俺に絡んでくる」


「あなたの方から話しかけてくるのは初めてね。ずっと私からだったし」


 彼女は酔っ払いを外に放り出してからそう言った。そうだったか。いや答えになっていない。重ねて問おうとしたところで彼女が続けた。


「そうね、しいて言えば、あなたが寂しそうだったから、かな」


 寂しそう、だと。この俺が。仲間の冒険者からも恐れられるこの俺が。いや、純粋にそう、見えたのだろう。なんて思い込みの激しい奴だ。俺は寂しいなんて思ったことは一度もない。


 だからそれがどういう感情なのか、わからない。


 だが彼女と話すのは嫌ではなかった。それだけは確かな事実だった。


 それからもサルカルは酒場に通い続けた。彼がいつも座る席は、ほとんど専用になっていた。他の常連も彼を恐れることはなくなった。ただ、彼女のように親しげに話してくるようなことはなかったが。


 秋の祭りの当日だった。収穫を祝い、楽器を吹き鳴らしたり仮装したりして街を練り歩く、どこにでもあるささやかな祭りだ。とはいえ、お菓子や料理が振舞われ、魔法使いも来るためみんな楽しみにしていた。


 魔法使いといっても物騒なことはしない。奇術師や手品師程度のものだ。魔法の力を音や光などで表現し、人々を楽しませる職業。サルカルからしたら子供騙しのようなものだが街の人々は首を長くしていた。普通の人生を送る限り、魔術師と関わることなどそういうところにしかないのだから。


 夜になったところでちょっとしたトラブルが起きた。魔法使いが酔い潰れてしまったのだ。落胆する子供たちの前にサルカルを文字通り引っ張ってきた彼女が声を大にして言った。


「大丈夫っ、この街にはすごい魔法使いがいるんだからっ」


 それでなんで俺なのか。サルカルは鼻白んだ。研究がいい具合に進んでいたところをぶち壊しにされて、挙句の果てに子供騙しの魔法を使えと言うのか。


 彼女と、子供たちの期待のまなざしを受けて、サルカルは溜息を吐いた。


「仕方がない、やってやる」


 街の広場に立ったサルカルは手を翳した。中央の噴水から水を浮き上がらせる。子供たちの歓声。光球を作り出す。水の塊がぱっと散って霧になる。虹ができる。夜の街に。大人たちもその美しさに魅入られていた。


 地面を盛り上げて精緻な彫刻を作り出し、水を雪にして降らせたりした。そして最後に空へ向かって腕を振る。次々と生み出された火球が空へと昇っていき、色とりどりの花火になった。人々の歓声が街を埋め尽くした。


 彼女もそれを、目を輝かせて見上げていた。誰も彼もが空の奇跡に目を奪われている中で、サルカルだけが照らされる彼女の横顔を見つめていた。


 それからまた冒険に出かけた。帰ってきて、花屋に寄って店員に花束を見繕ってもらった。酒場に向かう。いつものように。ただ、今日は花束と、綺麗な小箱を持って。


 小箱の中身は指輪だった。素朴ながらも美しさを滲ませる一品だった。


 夕暮れも近くなってきたが、彼女の姿は見えない。店主も特に何も聞いていないらしい。


 誰だって遅刻ぐらいはするだろう。しかし念のため探知魔法を使って彼女を探した。距離にして一キロもない場所に彼女の反応があった。あまり人気のないところを走っているみたいだ。


 誰かに追われているのか。嫌な予感がした。


 サルカルの判断は早かった。転移魔法で現場に向かう。見えていた風景が切り替わって、薄暗い路地裏に到着した。


 彼女は、二人組の男に身体を押さえつけられ、口を塞がれていた。服の胸元が破れている。恐怖に染まっていたその瞳がサルカルを認めると、驚きと、そして喜びに満たされていった。


「な、なんだお前はっ」


 二人の男が短刀を抜いた。


「貴様らああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、ぶち殺してやるうううううううううっ」


 怒りが瞬時に沸騰した。男たちの首が同時にねじ切れた。手足がおかしな方向に曲がった。それもびぢびぢと破断音を立てて千切れた。彼女を犯そうとしていた男たちは文字通りの八つ裂きにされていた。


 わずかに返り血を浴びた彼女に気づいて、サルカルは激しい後悔に襲われていた。


 やってしまった。冒険譚を聞かせるときにも隠していたのに。よりにもよって彼女の前で、しかも、人を殺してしまった。一番見られたくないものを、一番見られたくない人に、見られてしまった。


 彼女の眼差しを受け止めながら、サルカルは呟いた。


「すまない」


 持っていた花束を見やる。血に汚れてはいない。よかった。もう何の意味もないかもしれないけど。


「……ありがとう」


 彼女はサルカルが想像していたのとは別のことを言った。


「ありがとう、ああ、ああああ、ありがとう。あなたが、あなたが来てくれてよかった。どうなることかと思った、本当に、ありがとう」


 涙を流しながら彼女はサルカルに抱きついていた。


「俺が怖くないのか」


「怖くない、あなたは私の恩人よ、サルカル。ああ、愛してる、サルカル」


 いま、なんて言った。


「そ、それは俺の方が先に言おうと―――」


「あら、ごめんなさい。じゃあ、言ってもらおうかしら」


 ちょっと意地悪そうに笑ってから、彼女は微笑んだ。


「愛してる、結婚してほしい」


 サルカルは小箱を開けて指輪を見せた。花束を渡した。また彼女が抱きついた。


 ばらばらになった死体が転がる路地裏で、二人はキスをした。


 すぐに二人は式を挙げた。参列者のほとんどは彼女の関係者だった。でも彼女はとても嬉しそうだった。


 彼女は仕事を辞め、家事に専念するようになった。苦しい思いをさせたくなかったから仕事にも身が入った。冒険から帰ってくると彼女はサルカルに暖かい笑みを投げかけて迎えた。研究も続けた。こんなことなら最初から宮仕えをしていればよかったかもしれないと苦笑した。


 結婚から二年目で彼女は身籠った。男の子だったらあなたが、女の子だったら私が名前を付けること、と約束した。思っていたのとはだいぶ違った人生になってしまった。冒険者が行きつけの酒場の看板娘と結婚し、所帯を持つなど、あまりにもありがちなパターンではないか。だけどまあ、こんなのも悪くない。サルカルは幸せを感じていた。


 そして、彼女は病に臥せった。


 珍しい、不治の病だった。罹った者は必ず死ぬ。病を司る醜き者共の神、ミナリィンが戯れに作った病だと言われていた。


 腕のいい治癒師を呼んだがなにもできなかった。なぜ、治癒師が病を治せないのか。理不尽だ。こんなことあっていいはずがない。


 必死の看病も空しく、彼女は死んだ。お腹の中の子供と一緒に。


 俺の人生は何なのだ、こんな不幸を味わうために生まれてきたのか。彼女もそうなのか。こうなるために生まれてきたというのか。生まれる前に死んだ息子、あるいは娘は。


 復讐してやる。サルカルに決意の炎が宿った。


 彼女を殺した病を、この地上から消してやる。俺は天才魔術師だ。治癒術こそ学んでこなかったが、できないはずはない。


 魔術学院に戻り頭を下げて教えを請うた。治癒術師は驚きつつもサルカルを弟子にした。彼は一から学んだ。傷を癒す魔法も、薬学も、人体の構造も。寝る間も惜しんで文献を読み漁り知識を身に着けた。すべては愛する妻を奪った病に復讐するためだった。三年で師から知っていることはすべて教えたと言われ、それからは自力での研究に没頭した。


 サルカルは、まさに天才だった。


 狂気にも似た努力が実を結んだのは彼女の死から十年が過ぎたころだった。ついにサルカルは彼女を殺した病を完治させる薬を作り出したのだ。


 師に頼みその製造方法を世界中に広めた。並行して予防薬の開発も行い、成功した。辺境にまで赴きその病に苦しむ人々を救った。彼は報酬を求めなかった。この世からあの病が駆逐されること、それが彼にとって最高の報酬だった。


 そして、復讐は成った。その病で死ぬ者はいなくなった。ミナリィンめ、ざまあみろ。神々め、人の怒りを見たか。


 妻と子の墓に病を駆逐した旨を告げ、サルカルはただの街の治癒師として生きていくことを決めた。後の人生は、おまけのようなものだ。


 月日は流れて、サルカルは再婚もせずに老いていった。







 父になれなかった、救いたかったのに救えなかった。だからこそヤネック王の力になってやりたかった。だが自分にできたのは延命だけだ。なんと歯がゆいことか。


「ところで、アクトからの手紙は読んだか」


 ヤネック王が問うた。


「ネフタールのことか。儂はただの治癒師じゃから、戦うことはできん」


「そなたの力が必要なのだ。もちろん、危険なことだから無理強いはしない。だがせめて、兵士たちに強化魔法をかけるだけでもしてくれれば助かる。やってはくれないか」


 サルカルは少しだけ目を細めながら聞いた。


「他に誰か呼んだかの」


「"剛腕"カーンを呼んだ。それと……"影の”オルソンだ。二人とももう着いている」


「ほう、あのカーンとオルソンか。カーンの方はともかく、オルソンには一度命を狙われたんじゃろう。ずいぶん思い切ったことをする」


「アクトの推薦だ。ネフタールにはそうでもしないと勝てない、とな」


「他には」


「シャーリエル・カーウェンも呼ぶそうだ」


「"天弓"シャーリエルか。ネフタールに対抗するとなると、それだけの戦力は必要じゃろう」


「それから冒険者ギルドを通してフリーの者も受け入れるつもりだ。報酬は弾む、と言ってな。国中の動かせる兵もかき集めている。他の国から支援を合わせれば全部で五万は用意できる」


「それでネフタールに勝てると思うか」


「わからん。だがやるしかない。頼む、力を貸してくれ。かつて凄腕の魔術師だったことは知っておる。もう隠居したということも。だが妻が亡くなってからはエリサだけが余の支えなのだ。この通りだ」


 ヤネック王は懇願していた。


「よかろう」


「本当か」


 サルカルはゆっくりと頷いた。


 父になりたかった。妻を幸せにしてやりたかった。だがそれができなかった。もし、魔術師としてではなく、治癒師としての道を選んでいたらそれができていたのだろうか。無意味な仮定であるとは理解している。それでもせめて、ヤネック王とエリサ姫には残された時間を大切にしてほしかった。


 そのためならどんな犠牲でも払うつもりだった。例え、自分の命でも。


 サルカルもネフタールのことは噂程度には知っていた。たった一人で二つの軍を皆殺しにしたという。それが事実だとして、自分の魔術が通用するのかは正直なところ未知数だ。


 だが、やらねばならぬ。


「恩に着る。この街でも最高級の宿を用意させる、泊っていってくれ。それから、明日は宮殿でカーンやオルソンと会食する予定だ。参加するか」


「同席しよう」


 一度だけ、サルカルはカーンの手助けをしたことがある。街の近くに住む怪物の群れを退治するという依頼を、たった一人で受けようとしていたのだ。


 オルソンのことも知っている。かつてヤネック王を狙って失敗し、いまはフリーの暗殺者だとか。人を殺す生業には感心できないが、同じ目的で行動する以上そのことをどうこう言うつもりはない。


 ヤネック王は重ねて礼を言い、サルカルは王の部屋を出た。


 かつて、若かったころのように胸の内が燃えていることを自覚する。一線を退いたとはいえ破壊魔法の鍛錬は怠っていなかった。


 なにをどうやっても、彼女の命をこれ以上伸ばすことはできない。少なくとも自分には。もしできたとしたら、それは禁術……闇の術法でしかありえないであろう。治癒術の師がそう言っていた。邪神の信徒たちの間には生贄を用いて寿命を延ばす秘術が伝わっている、と。


 あの優しいエリサ姫はそこまでして生きていたいとも思わないだろう。それでいい。それが、自然な死だ。


 死にゆくものを、守ろうではないか。


 老魔術師サルカルは最後の戦いに臨もうとしていた。

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