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死ぬためにここに来た

 一人の戦士が王都へ続く街道を徒歩で進んでいる。使い古した革の外套に身を包んだ彼は一文字に口を引き結び、ただ歩を進めていた。背中では十キロを超えるであろう大剣が歩みに合わせて揺れている。


 得物と同じく、本人の体躯も屈強そのものであった。風に揺れる外套の隙間から、岩肌のように鍛え上げられた筋肉が浮いた腕が時々覗いている。身の丈は二メートル以上、体重は百三十キロを超えているだろう。


 黒い髪は短く刈ってある。左眉の上に走る傷跡は魔獣の一撃が掠ったときにできたものだ。いつぞやか退治を依頼された魔獣。その直後に魔獣は真っ二つになっていたが。


 カーン・カープァル。それが彼の名だった。ルイカルネ級冒険者。ルイカルネ……この世界では紫を意味する語で、冒険者等級としては上位であった。


 遠くに街が見えてきた。王都は久しぶりだ。街道は正門へと続いていた。右手を挙げ、城壁の門番に礼をする。


「ルイカルネ級、カーンだ。騎士団長アクトに呼ばれてきた」


 挙げた右手には細い鎖に繋がった紫色の板が下がっていた。冒険者ギルドの認識票。


「その大剣と認識票。間違いなく"剛腕"カーン殿とお見受けします。どうぞ、お進みください」


 槍を捧げ持つ衛兵たちが堵列をなし、カーンはその間を歩いて門をくぐった。


 何年も戦火を受けたことがないのであろう、王都は平和に見えた。以前に訪れた時と変わらない。しかし人々の顔には隠しても隠しきれない不安が浮かんでいた。


 ネフタール。殺戮者がやってくる。


 彼は、彼なら俺を殺してくれるだろうか。そうであってほしかった。もう俺には守るものもないのだから。







 あれはカーンがまだ十八歳のことだった。


 森の中の小さな村で生まれたカーンは、兵士として徴兵された。隣国との間で戦争が起こったのだという。詳しい理由は知らない。拒否することはできなかった。


 恋人がいた。スランという名の少女だった。出立の日、彼女に必ず帰ってくると言い、口づけをした。彼女は泣きながら見送ってくれた。


「待っているから」


 涙声で叫ぶ彼女の声は今でも覚えている。


「帰ってくるまで、ずっと待っているから」


 カーンは狩人で戦士ではなかったが、投げ槍の腕には自信があるつもりだった。村の男たちの中で、獲物に最初に槍をぶち込むのはたいていカーンだった。小さなものだったら魔獣を仕留めることもできた。


 それでも、戦場は地獄だった。


 空を覆わんばかりの矢が降り注ぎ、魔術師たちの作り出した火球が飛び交う。そんな戦場で生き残るのはもはや運次第というほかはない。剣を片手に死の網の下を弾けて飛んで掻い潜る血みどろの日々が続いた。


 戦いの合間に手紙を書くことで無事を知らせることはできた。震えた字で書かれた返事を見るたびに望郷の念が弥増さる。


 守るべき彼女から離れることは不安だった。そばにいてやりたかった。しかしいまやカーンは前線にいて、彼女を抱きしめてやることはできない。


 戦争はカーンの国が優勢だった。軍は国境を越え街道を通り街や村を落としていった。占領した地域で略奪を行う兵士たちを苦々しく思ったりもした。カーンが戦うのは守るためであって誰かを傷つけるためではないのだ。いや敵にも家族がいるだろう。思い至って気分が重くなる。だからといって死んでやるつもりもない。


 日を追うごと、軍が進むごとに敵の抵抗も激しくなった。いつしか手紙を書く暇もなくなった。死に物狂いで剣を振り、生き残ることだけに集中する。他のことは考えられなくなった。


「カーン、お前はいいよな。戦が終われば故郷に妻がいるんだろ」


 マティスが言った。遠くに見える城壁の上で、敵兵たちが戦いの準備を進めている。まもなく号令が下され、カーンは死地に飛び込んでいくのだろう。兜の隙間から見る敵兵は小さくて、どのような顔をしているかまではわからない。


 この時、お前が戦で手に入れたものがあったとしたらそれは何かと問われれば、マティスと剣の腕だと答えただろう。マティスは同じ部隊の戦友だった。大工の息子だという。カーン程ではないが立派な体躯の持ち主で、敵の魔獣使いと戦いになったとき背中を預け合った仲だ。その時は二人だけで五十匹の魔獣を片付けたのだ。戦いの中で自然に磨かれた剣技がカーンを助けた。存外に、自分にも剣の才能があったのだと知った。


「お前はどうなんだ、マティス。恋人の一人ぐらいいるんじゃないのか」


「いないよ、知ってるくせに。戦が終わったらゆっくり探す……いや、やめよう。こういう話をする奴は生き残れない。転生者や転移者が言うところの、フラグ、ってやつだ」


 戦いの前に彼は必ずこういう軽口を叩く。緊張が紛れるのでカーンもそれに付き合うことにしていた。


 城壁に向かって戦列の後方からいくつもの火球が飛ぶ。展開された魔術防壁を破壊するための攻撃。むろん敵も黙ってはいない。お返しとばかりに壁の向こうから光球が浮かび上がり地上の兵士たちに向かう。飲み込まれた兵士の上半身が一瞬で蒸発した。残った腰から下がくたりと地面に倒れる。空中では翼竜兵や飛行魔術の使い手たちが飛び交い空の支配権を奪い合っている。膝から下を切り落とされた翼竜兵が悲鳴を上げながら落ちていった。


 再び魔術師たちの一斉射撃が魔術防壁を襲う。鮮やかだった青い光の壁が輝きを失い、やがて甲高い音を立てて割れた。火球が壁の背後に着弾して火災を引き起こす。


 破城槌が城門にとりついた。ただし、それは人力によって門を破壊するのではなく、錬金術師が作り出した特殊な爆薬の力で杭を打ち出す強力な兵器だった。攻撃を阻止しようと城壁の上から矢や槍が降り注ぐ。直後に轟音を響かせて城門が吹き飛んだ。城壁にいた兵士たちが魔術の炎で焼かれる。人がゴミのように死んでいく。


「進めっ」


 指揮官の号令が響いた。兵士たちが打ち破った城門へ向けて雪崩れ込む。


「ここで最後だ、生き残ろう」


「ああ」


 戦友に向かってカーンは頷いた。


 この戦争における最後の戦いは敵国の首都にほど近い、人口二万人ほどの小都市が舞台になった。背後に首都を守るものは何もなく、陥落はそのまま敵国の降伏を意味するだろう。敵国の王がまともなら、の話だが。


 カーンたちの軍は都市を完全に包囲していた。事前に住民たちが避難した様子はなかった。ひどい戦いになるだろう。誰もがそう予想していて、そしてそれはその通りになった。


 市内に突入した兵士たちが見たのは、敵兵たちに混じって雑多な武器を持たされた市民たちだった。女、子供、果ては老人までいる。怯懦に濡れた彼らの瞳は、意思に反して戦わされていることを示している。逆らった先に待つのは死と臆病者の汚名だけだ。


 降伏勧告は行われていたが、それは無視されていた。その上で、これか。カーンの胸にやり場のない怒りが宿る。


 時間稼ぎの捨て駒としての立場を理解しているのか、敵兵たちが悲鳴にも似た雄叫びを上げて突進してくる。カーンはそれを片っ端から切り伏せていった。突き出された槍を弾き剣を薙ぐ。鎧の隙間を通った刃が敵兵の胴を輪切りにする。ずれた胴体の間から血に塗れた内臓が零れ落ちた。


 敵兵ならばいい。だが市民は。カーンの内心など知らぬ市民が襲い来る。


 その瞬間、閃光が武器を持った市民たちを包んだ。上空から投げ込まれた爆弾が市民たちも巻き添えにして吹き飛ばしたのだ。耳鳴りがする。反射的に伏せていたカーンは手足を失い裂けた腹から腸をはみ出させて呻く人々の姿を目の当たりにした。


「カーンッ」


 遠くなっている耳にマティスの声が届いていた。


 こんな戦い、早く終わらせよう。声には振り向かず、カーンは怒号と悲鳴が響き渡る通りから路地に入る。


 狙うのは指揮官だ。ここまで攻め込んでいるのだから、あとは頭さえ落とせば他の兵士たちも投降に応じるはずだ。


 幸いなことに裏路地には敵兵の姿は見られない。住宅街に入る。その中心部にある執政官の館が臨時司令部として使われているはずだ。指揮官さえ仕留めればすべて終わる。そしてスランが待つ故郷に帰ることができるのだ。


 石造りの角を曲がったとき、敵兵の姿を認めた。驚いたような顔、それはすぐに歪んで泣きそうな顔になる。手が腰の剣に伸びていた。カーンが大剣を振った。首が飛ぶ。頽れる兵士の後ろにもう一つの気配。鈍く光る刃。剣を。


「あ……」


 それはどちらの声だったのか。咄嗟に突き出したカーンの剣が貫いたのはまだ十歳になろうかという少女の胸だった。身体の前に抱えるように包丁を持った腕を半ばまで裂き、分厚い刃が胸骨を貫通して背中まで抜けていた。小さな鼓動が柄を握る手に伝わる。次第にそれは弱くなっていき、少女の口から赤黒い血が溢れた。


 唖然としたカーンの手から剣が離れた。鉄塊を胸に刺したまま少女が倒れた。ゆるゆると広がる血だまりが、兵士の首から流れ出すそれと繋がった。


 その場に蹲り、カーンは胃液を吐いた。戦いの音が遠くに聞こえる。無辜の市民を手にかけぬようここまで来たはずなのに。これは、なんだ。なんなのだ、これは。


 少女の顔を見ないようにして剣を引き抜いた。嫌な感触だった。どんな顔をして死んだのか、見るのが怖かった。その横の、首を失った兵士の死体も。


 あるいは、二人は親子だったのかもしれない。娘の身を案じ、戦火が過ぎるのを待っていたのだろうか。それを、俺は。


「……カーン」


 背後から声がかかった。見開かれたマティスの目が少女の死体を、次に兵士の死体を捉えた。


 彼の顔が歪む前に、渾身の力を込めて振った剣がマティスの首を刎ねた。いや右顎から斜め上へと向かった刃は口を割ってそのまま左頬から抜けた。首の方に残った舌が捲れた唇の間から見えていた。切り飛ばされた頭の上側が地面に当たる湿った音と、彼の巨躯が後ろざまに倒れる重い音が重なった。


「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ」


 その後は、何がどうなったのか自分でもよく覚えていない。気が付けば、カーンは執政官の館の前でひときわ豪華な兜を被ったままの、敵指揮官の生首を片手に立ち尽くしていた。どれだけ叫んだのか、喉が枯れていた。足元には解体された人間の部品が浮かぶ血の海が広がっている。


 兵士たちの勝鬨の声が、妙に空しく聞こえていた。


 その翌日に敵国は降伏し、ほどなくしてカーンは故郷へ凱旋を果たすことになった。


 帰路で、なぜマティスを殺したのか、何度も何度も、自らに問うた。目撃者を殺せば罪から逃れられるとでも思ったのか。罪を重ねただけではないか。誰もこのことは知らない。だから責められることもない。それ故にカーンは己を責め続ける。


 カーンの挙げた武勲は故郷の村にも伝わっていた。英雄の帰還を歓迎する村人の中に、スランの姿はなかった。


 スランはどこか、カーンが尋ねると村人たちの顔が忽ち曇っていった。


 まさか。


 カーンは駆けた。彼女の家の扉を開ける。スランの姿はなかった。


「スランはどうした。どこに行った。誰かにさらわれたのか。教えろ」


 村の顔役の一人、転生教会の神父の元に押し掛けたカーンは鬼のような形相で聞いた。


 神父は教会の裏手にある墓地へ導いた。彼が示した墓石にはスランの名が刻まれていた。


「自殺でした」


 背後に立つ神父が告げた。


「家の中で首を吊っていました。顔には何日も泣きはらした跡がありました。遺書の類はありませんでしたが、おそらく、あなたからの便りの絶えたことを、死んだと受け取ったのでしょう」


 あの時は生きることに必死だった。それ故に手紙を書くことを怠ったのはカーンの責任だが、それがこのような事態を引き起こすとは考えていなかった。


「……手厚い埋葬、感謝いたします、神父様」


 カーンはそれだけを言い、神父は去っていった。


 膝をついて墓石に手を触れる。ずっと待っていると言ったのは彼女だ。だからといって墓の下で待つこともなかろうに。


 空しい。すべてが、空しい。罪を重ねてまで生きてきたのは、再びスランに会うためだ。しかしもう彼女はいない。では自分のこれからの人生は何のためにあるのだろう。


 王に呼ばれたのはスランの死を確認した翌日だった。今回の戦争におけるカーンの戦働きを高く評価し、騎士として働くつもりはないか、と提案した。お主の腕なら将軍の座も夢ではないぞ、と。


 カーンはそれを丁重に断った。武勲のため帯刀したままの謁見が許可されていたため、王を斬ってやろうかとも考えた。戦争を引き起こした王はスランの死の遠因でもあった。そんなことをしても彼女は戻ってこない。


 冒険者として世界を回ろうと考えていると伝えると、王は残念がったが最後には納得した。そして城を出たカーンはその足で冒険者ギルドに向かい、登録を済ませた。


 もう王や貴族などのために戦いたくはなかった。せめて市井の人々の役に立って、そして死のう。無茶な怪物退治の依頼でも受けてみようか。


 家を含めた家財道具をすべて売り払い流浪の冒険者として旅を始めることにした。二度と戻らないつもりだった。妻の墓前に花を手向け、カーンは村を去った。







 もう十年以上前になるのか。


 旅をしながら様々な依頼をこなしてきた。全長十メートルを超える怪物の頭を叩き割ったこともある。そのうちに"剛腕"などと呼ばれるようになった。無数の触手を生やした化け物とも戦った。死ぬかと思ったし、そのつもりだったのだがまだ生きている。


 まだ届かない、死には、許しには。


 門を抜けたカーンを出迎えたのは若き騎士団長、アクトだった。


「ルイカルネ級冒険者、カーン・カープァル。招致に応じ馳せ参じた。アクトルン・オーリィン・トールランス殿。この命、王国のために捧げる所存です」


「ようこそお越しくださいました、カーン殿。かの有名な"剛腕"の力添えがあれば、心強い限りです」


 上級とはいえ一介の冒険者相手にもアクトは丁寧に返礼した。


 王侯貴族は好きではないが、この国は別だ。このアクトという騎士も、ヤネック王のことも気に入っている。


 前に一度、この国の騎士にならないかと持ち掛けられたことがある。王は噂に聞いた通り争いを好まぬ仁君で、街は彼の治世になってから戦乱を経験したことはなく、住民も皆幸せそうだった。


 好感を抱く理由としては、十分に過ぎた。彼のような王が治める国に生まれていれば、もっと他の人生があったのかもしれない。


 敵は、音に聞こえた最悪無比の殺戮者、ネフタール。相手にとって不足はない。


 せめて一太刀でも、いや時間稼ぎができれば十分だ。そして奴の手にかかって死ぬのならば、マティスもスランも、あの世で俺を許してくれるだろうか。


 カーンは死ぬためにここに来たのだった。

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