おまけ、のようなもの
最終話、最後の方の別バージョンです。
はっきり言って小説でこんなもん出すのは蛇足でしかないとは理解していますが、どうしても捨てきれませんでした。
なので、供養、ということで一つ。
エリサ姫の「戦います」という告白の台詞の後から派生します。
ネフタールが微笑んだ。
「いい返事です」
次の瞬間、彼の身体がほんのわずかだが、揺れた。
胸の、ちょうど心臓のある位置から、血が絡んだ鏃が生えていた。エリサ姫が色を失っているうちに、二本目と三本目が追加された。四本目は肝臓のある所からだった。
ネフタールが血を吐いて崩れ落ちた。
エリサ姫は何が起こったのかわからなかった。矢、弓で射られたのだ。いったい誰が。皆殺したのではなかったのか。
顔を上げた先に見えたのは、弓を構えたシャーリエルだった。
「エリサ姫、怪我はない」
駆け寄ってくる彼女の声には答えず、エリサ姫はただ茫然と立ち尽くしていた。
「どうして……どうして」
せめてシャーリエルだけは殺さないでほしいと直前に伝えたのはエリサ姫自身だ。でも、だからといって、こんな……。もう誰も死ぬ必要なんて、なかったのに。
「ネフタールさん、ネフタールさんっ」
縋りついて名前を呼んだ。ぴくり、と頭が動いてエリサ姫を見つめる。
その瞳は、気にするな、とでも言うように澄んでいた。一かけらの憎悪も後悔もなく。
やがて瞼が眠たげに閉じられ、彼はそれきり、動かなくなった。
「ああ、あ、嫌、嫌あああああああぁぁぁぁぁっ」
しばらくの間、エリサ姫は泣き続けた。シャーリエルは理由も知らず、ただ戸惑いながらそれを見ていた。
朝日だけが二人と、動かなくなったネフタールを照らしていた。
エリサ姫はシャーリエルに全てを説明した。自分がネフタールを呼んだことと、そうせざるを得なかった理由も。
「……そういうことだったのね」
被害を免れた民家の一室で、シャーリエルは話を聞いていた。大きな胸の下で腕を組みながら。ネフタールに斬り落とされた腕は、持続式回復魔法の効果が残っていたため生え戻ったのだという。
殺す必要のない相手を射てしまったことを自覚してか、さすがの彼女も神妙な顔をしていた。
「申し訳、ありません。でも、私、私は……」
まだ赤い目を伏せてエリサ姫は俯いた。
ネフタールを射たことを恨んではいない。何も知らなかったのだから仕方のないことだとはわかっている。
でも納得がいかない。どうして世界はこうも理不尽で、残酷なのか。死ななくていい人ばかりが死んでしまうのか。
「あの状況じゃ本当のことを言ったとしても誰も信じなかったと思うし、エリサ姫は悪くないわよ。悪いのはその邪神の司祭なんだし。それに、あなたはまだ生きているじゃない」
唯一生き残った彼女がそう言ってくれたのは有り難かった。
「それにしても、ネフタールはいったい、何者だったのかしら」
家に残されていた菓子を勝手にかじりながらシャーリエルが呟いた。
「わかりません。ただ……彼は、満足していた、みたいです」
依頼を告げた時、彼は言っていた。友人の役に立ちたかったけれど、それができなかったと。
具体的に何があったのか、知ることはもう決してないだろう。
しかし、思うのだ。無関係の人のために命を懸けて、何万人も殺して、最後は自分も死んだ。しかも満足げに。
それはなんと、壮絶な人生なのだろうか。
「それで、エリサ姫はこれからどうするの」
これから、か。その言葉で思い出した。私の人生はこれで終わったわけではないのだ。
生きるんだ。何があっても、あがいてもがいて、死ぬまでは生きるんだ。そう決めたのだから。
「シャーリエル様についていこうかと思います。迷惑でなければ、ですが」
エリサ姫は決心を告げた。
「国のことは、いいの」
「はい、王弟殿下がいらっしゃいますから、彼が王位を継ぐことでしょう。もう何かに縛られているのは、嫌なのです」
ネフタールが父……ヤネック王だけを殺せば済むことではないと思っていたのだと、エリサ姫はなんとなくだが理解していた。世間には仁君として知られた彼ですら、ああだったのだ。疑うわけではないが、王弟が姫をどう扱うかは未知数だ。その立場にも未練はない。
これからは、せめて自分の運命は、自分で決めたい。いや、決めてみせる。
「わかったわ、私があなたを守ってあげる。今度は絶対に、ね」
シャーリエルが優しく笑い、エリサ姫も微笑み返した。
当然、ただ守られるだけのつもりはない。自分でできることはやらなくては。その権利を手にしたのだから。
エリサ姫は新たな人生を踏み出したことを自覚した。
二人はすぐにアフトーサを離れ、姫を知るものが少ない、遠い異国の地へ向かった。
病弱だったエルサマリル姫は、旅の途中で少しずつだが体質も改善され、人並み程度の健康を手に入れることができた。宮殿では見れなかったもの、聞けなかった話、食べたことのない物を楽しむことができて、とても幸せだった。
"天弓"と呼ばれたシャーリエルは姫を守ることに専念した。前世では本当の意味での親友を持たなかった彼女にとって、それが全てになった。スリルへの渇望も、ほんの少しだけ落ち着いた。旅の途中で会ったイケメンにちょっと目を奪われることもあったけれど。
事件の後、他の街にいて難を逃れた兵士たちが王都を調査したところ、見つけることができたのは夥しい数の死体だけだった。
ヤネックの後を継いだ王弟はエリサマリルは死んだものとして扱い、荘厳な国葬を執り行った。多くの国民と、彼女に熱を上げていた諸外国の王侯貴族も参列し、彼女の死を悼んだ。
センダ国の旧都、ラピテントスの旧市街地を男が歩いている。黄昏時のこの場所は、どことなく不吉さを漂わせている。
やがて彼は片手に持った紙片と目の前の一軒家を交互に見た。古さは否めないが他の家と比べて手入れはされているようだ。二階建てでそこそこ広い。裏庭もあるようだがここからではその様子を伺い知ることはできない。小さな庭を杭柵が囲み、その入り口には看板が立っていた。
戸惑いながら玄関の扉に近づくと、細い三角形の穴が開いているのに気が付いた。まるで、剣が貫き通したかのような。反対側から板を打ち付けて塞いでいるらしく内部は見えない。扉の下端に血痕のような赤い染みがついていた。
彼は穴の前に立たないように手を伸ばしてノックした。ややあって、扉の向こうから声がした。若い男の声だった。
「はいはい、ちょっとお待ちください」
何かを片付けているような音がした。黙って待っていると一分もしないうちに再び声が届いた。
「どうぞ、お入りください」
「お、お邪魔します」
男がドアを開けた。
「こんにちは。お客さんですね。どうぞおかけ下さい。それで、本日はどういった依頼でしょうか」
机の向こうに座った青年があるかなしかの微笑を浮かべながら尋ねた。




