26話 昭和17年1月上旬その2
「戦艦とは、そこに戦艦が存在しているだけで、相手に対して威圧する効果があります」
「戦艦に艦砲射撃をされるという恐怖で、敵の降伏を早められるということか」
「そうなりますね」
まあ、日本軍みたいに玉砕も厭わない可能性も少しはあるのかも知れないですけど、アメリカ本土防衛戦でもない限りは、その心配も杞憂に終わるでしょうね。
「それと、フィリピンの米軍が降伏したあとのことですけど、捕虜の取り扱いには十分な注意が必要かと」
「桜子さんの歴史での、バターン死の行進であったか?」
陛下は太平洋戦争の歴史の細かいところまで覚えてくれたようでなによりです。
「はい、食糧や医薬品も尽きて抗戦できなくなったから降伏するのですから、その時点でアメリカ兵は弱っています」
「それで、捕虜収容所に移動する途中で倒れる者が続出したというわけか……」
「アメリカ人は遠出する時は自動車で移動しますので、日本人みたいに一日で10キロ20キロなんて距離は歩きません」
普段、長い距離を歩かない人間に、長い距離を歩かせるだけでも負担が掛かるのに、ましてやマラリアとかで弱っている人間にとって、徒歩での長距離の移動は致命的だったのでしょう。
「桜子さんならば、当然その対策も考えているんだよね?」
「そうですね。船で捕虜を移送させるしか、死の行進という悲劇は防げそうにないですね。それと、参謀本部からの命令を偽造して、捕虜の虐殺を命じる不届きな輩がいたようです」
「辻政信であったか? 奴はノモンハンでも上官を焚きつけて戦線を拡大させたり、独断専行をやらかしていたと聞く。どうやら陸軍を窮地に陥れる危険な輩みたいだね」
「ご存知でしたか」
「佐官風情なのに、やたらと名前が出てくる人物であったから、桜子さんに貰ったノートパソコンで調べてみたんだけど、なんと言えばいいのか、色々と酷いね……」
陛下はネットで歴史を勉強したことによって、史実での陸軍のやらかし具合いや不甲斐なさを知ってしまったので、陛下の陸軍に対する信頼度も海軍と同じように、マイナスになっていそうな感じがしますね。
もうね。日本の陸海軍には軍隊で一番大切であるはずの、統制という言葉がすっぽりと抜け落ちている気がしますね。
自分たちは統帥権を盾に好き放題しているのに、何をか言わんやであります。
でも、好き放題しているということは、大元帥陛下の統制からは逸脱しているのだから、統制できてない制御不能な状態というのは、ある意味において正しいのか。
「辻みたいな輩をのさばらせておけば、本間中将が部下の不始末の責任を取らされるという結果になりかねません」
「そうであったな。辻の暴走で本間を死なせるわけにはいかん」
「私もちょっと考えてみます」
まあ、私が考えるというよりも、ピコちゃんにヘルプを頼むのですがね。
『ピコちゃん、ちょっといいかな?』
『つじーんのことですか?』
『話が早くて助かるよ』
といいますか、ピコちゃんも辻政信のことを、つじーん呼ばわりでしたか。
まあ、電子生命体であるピコちゃんは、私が生きていた時代の出来事も知っているみたいだから、ネットスラングでもある、つじーん呼ばわりなんでしょうね。
『辻政信でしたら、ピコドローンを張り付けて彼の一挙手一投足を監視してありますので、仮に彼が何かやらかしたとしても、証拠は映像として残りますので安心してください』
『おおっ! さすがはピコちゃん! 用意がいいね!』
『史実で問題行動を起こした人物は、その全員を監視対象としてピコドローンでマークしてありますので、問題を起こしたら言い逃れはできません』
なんですか? その特高や憲兵を上回る監視体制は?
たとえ、NKVDのベリヤだったとしても、ここまでの監視体制は築けないでしょうね。
このピコドローンによる監視体制は使えますね。国内の不穏分子の動向を監視するの使えるだけでなくて、敵軍の動向を監視するのにも使えますし、敵の首脳陣の会話も盗み聞きできるのです。
はっきりいって、この時代では反則級の技術だと思います。
『ピコちゃん、ピコドローンをアメリカ軍の動向を監視したり、敵国の首脳陣の監視にも使えないかな?』
『マスターに言われるまでもなく、もう既にそれらにも監視を付けてますよ。ちょうどサンディエゴで、空母ヨークタウンを含む船団が出港する準備をしていますね』
私が考えるよりも先に、ピコちゃんが手を打っておいてくれましたか。
『その船団の行き先は分かる?』
『アメリカ領サモアですね。第六艦隊の潜水艦による待ち伏せを提案します』
『わかった、陛下に伝えておくよ』
ピコちゃんが優秀すぎて、私の立場がありません。
でも、ピコちゃんって絶対に私の制御から逸脱しているよね?
ちょっとピコちゃんが怖く思えてきちゃいましたよ。
まあ、私には害はなさそうだし、便利だからいいんだけどさ。
「……子さん、桜子さん?」
「うん? ああ、すみません。考え事をしていました」
「捕虜のことだけど、移送用の商船の徴用と陸海軍の連携を密にする必要があるね」
「そうですね。史実での捕虜の人数は7万人とも8万人とも言われておりますので、最低でも輸送船を三十隻程度は確保しておく必要があります」
いっそのこと艦砲射撃の面制圧で、生きている人間を減らすのもアリのような気がしてきました。
死は全てを解決する…… 誰が言ったのかまでは知らないけど、上手いこと言ったと思いますね。
「そんなにも大勢の人数になるのか。客船や貨客船だけでは足りなくなるぞ」
「そうであるのならば、フィリピン人の捕虜は解放するのも一考の余地があるかと存じます」
「それだと、ゲリラになって抵抗を続けやしないかい?」
「ゲリラが心配でしたら、軍政を敷いて抗日ゲリラを跳梁跋扈させるよりも、いっそのことフィリピンを独立させて戦争からの中立を宣言させてしまうのもアリだと思います」
アジアを欧米列強の植民地から解放するという、今次戦争で日本が掲げる胡散臭いお題目にも適いますので、一石二鳥の方策の気がしますね。
それにどうせ、フィリピンは1946年には独立する予定になっていたのだから、アメリカに代わって日本が前倒してフィリピンを独立させてしまいましょう。
そうすれば、独立という恩に着せられたフィリピン人の日本への敵愾心を減少させることにも繋がるでしょうし、いいこと尽くめの気がしてきましたよ!
「フィリピンを独立させて、中立を宣言させる? またぞろ陸海軍が難色を示しそうな問題だね」
「利点は、アメリカが反撃してきた場合に、アメリカ軍にフィリピンを橋頭保として使わせないようにするためです」
「なるほど、一考の余地はありそうな方法だね」
まあ、この方法の難点は、フィリピンが裏切るかフィリピンの中立を無視して、アメリカがフィリピンを攻撃して橋頭保にする可能性も否定できないのが、問題ではあるんだよね。
「戦争が終わるまでは、南シナ海と太平洋を出入りする敵潜水艦の監視をする必要もありますので、バタンとバブヤン諸島とルソン島北部のアパリ周辺と、サンベルナルディノ、スリガオ。この二つの海峡を監視できる場所を租借できれば十分です」
「それだけでいいのかい?」
「パラワン島のニッケルと水銀の利権は欲しいですね。それ以外のフィリピン全土を統治をするのは、日本の負担にしかなりません」
フィリピンも金銀銅はそこそこ産出するのですけど、それらの資源は戦争を遂行するにあたって直接的に必要な資源とまではいえないのですよね。
日本が欲しいのは、石油、鉄、ボーキサイト、ニッケル、タングステン、すず、生ゴムとかの資源ですので。金銀銅は日本でも取れるのだから。
まあ、金が絶対に欲しくないかといえば多分それは嘘になるけど、そこまでしてしまったら、本当にただの押し込み強盗になってしまいますので、少しは自重しましょう。
「仮にフィリピンを中立にするにしても、戦争当事国が中立国の土地を租借するのは大丈夫なのかい?」
「ポルトガルは中立ですけど、イギリスにアゾレス諸島を貸していますし、スウェーデンも中立ですけど、ドイツ軍の国内通行を認めていますので、それと似たようなモノだと思っておけばよろしいかと」
スペインも自国の港内で、ドイツの補給船からUボートへの補給を黙認していましたしね。
私もビーゴの港には、よくお世話になったものです。
「ふむ? フィリピンを独立させて中立が可能かどうか、軍や外務省にも話を聞いてみることにするけど、この件はあまり期待しないで欲しいな」
「わかりました。それと話は変わりますけど、陛下、第六艦隊の潜水艦の一部をサモア近海に回せませんか?」
「アメリカ軍に動きがあるのかい?」
「空母ヨークタウンを含む船団が一両日中に、西海岸のサンディエゴを出航してサモアに向かうようです」
このサモア行きの船団には、海兵隊が連隊規模で輸送されていますので、ヨークタウンだけでなく兵員輸送に使われている客船や弾薬運搬船も同時に撃沈しておきたいところであります。
潜水艦で狙う獲物は戦闘艦よりも、むしろ輸送船、給油艦、工作艦とかの、後方支援の船を優先して撃沈して欲しいと思います。
まあ、戦闘艦でも空母だけは可能な限り撃沈しておいて欲しいですが。
「サモアで確定なのかい? ハワイとかの可能性は?」
「陛下にも見ていただいた真珠湾を偵察した映像と同じ方法で判明しましたので、サモアで確定です」
「あの技術には僕も驚いたよ。わかった、軍令部には伝えておこう」
どうやらこれで、ピコちゃんのお願いは達成できそうな感じでしょうか?
「お願いします。一隻でも多く敵の空母を沈めれば、それだけ味方の被害が少なくて済みますので」
「そうだね。いかにして少ない被害で戦争を終わらせられるかが課題だからね」
※※※※※※
東京 大本営
「フィリピンを降伏させたあとで、直ぐにでも独立させられるか検討しろだと?」
「ああ、フィリピンを中立の壁として使えんか?」
「独立させて中立を宣言させるのか? 無茶を言う……」
「しかし、意外と悪くはない案の気がしないか?」
「うーん…… 数年後に反撃してくるであろうアメリカに使わせないようにするのか?」
「そういうことだな」
「だが、一方的に中立を宣言したとしても、アメリカはフィリピンの中立を無視してくるかも知れんぞ? アメリカもフィリピンを独立させる予定だったけど、現状ではアメリカの植民地、つまりアメリカの領土なのだからな」
「問題はそこなんだよな。敵という相手がいることだからなぁ」
「しかし、軍政を敷いて地元住民の反発を食らうよりもマシかも知れんな」
「ああ、統治コストも馬鹿にならないし、フィリピンを中立にすれば兵力を他方面に転用できるという利点もある」
「ふーむ、抵抗するゲリラにも悩まされずに済むということか……」
「一度独立させてしまえば、フィリピンを追い出されたアメリカ軍が戻ってきたとしても、フィリピン人はアメリカ軍を歓迎しないだろう」
「フィリピンを我が国の陣営に取り込むことも可能になるということか?」
「あくまでも建前上では、最初は中立だよ。そして、戻ってきたアメリカ軍は解放者ではなくて侵略者だ」
「フィリピン全土でフィリピン人ゲリラと戦うのが、日本人じゃなくてアメリカ人になるのか」
「一度独立したのに、再度植民地に戻りたいと思う酔狂な人間は少ないだろ?」
「まあ、そうなのだろうけど…… しかし、そう上手く行くものか?」
「そこは腕の見せ所というものだよ。情報や思考の誘導とか色々とやりようはあるだろう?」
「検討の余地はあるということか……」
「パラワン島を除いてフィリピンは資源も少ないから、軍政を敷いて統治する旨味も少ないそうだ」
「パラワン島? パラワン島に何があるんだ?」
「ニッケルと水銀とか聞いた。パラワン島と太平洋へ抜ける海峡の要所だけ租借する方針で行きたいようだ」
「なるほど、ニッケルは重要だな」
「今回のアメリカとイギリスとの戦争は、資源を禁輸されたから戦争を始めたようなモノだからな」
「違いない」
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