宝物-TAKARAMONO-
扉を開けるとそこには人がいました。その人は真っ暗な部屋で真っ暗な椅子に座って真っ暗な表情を浮かべていました。もちろん真っ暗なのでその人の姿は見えません。しかしそこに人がいたことはわかりました。さっそく私は話しかけてみました。
「すみません」
当然のように言葉も真っ暗でした。その真っ暗な人は真っ暗な姿勢をくずさずじっとしています。もしかして真っ暗なので私の言葉が聞こえないのではないかと心配しましたが、真っ暗な人は真っ暗な声で喋り始めました。
「何か用かね?」
声の真っ暗さからその人が男だということがわかって私はほっとしました。どうも女性は苦手なのです。
「出口はどこでしょう?」
私は真っ暗と訊いてみました。
「あんたどこから来なすった?」
真っ暗な人がそう訊き返しました。なるほど、出口があれば入り口がある。出口のことを話すのなら入り口を訊くことは当然だろう。私はそう思い真っ暗と思い出そうとしました。しかし真っ暗だからなのかよく思い出せません。
「すみません、わからないのです。仕事の帰り道、気がついたら真っ白な部屋で真っ白な扉を見つけたのです」
私は覚えていることだけをその真っ暗な人に告げました。すると真っ暗な人が不快そうに言いました。
「あんた真っ白な部屋に入ったのかい?」
「いけませんでしたか?」
私は何かまずい事を言ってしまったかなと不安になりました。
「どおりで真っ白臭いと思った!さっさと出て行ってくれ!!」
真っ暗な人が突然怒鳴りました。そして乱暴に私の腕を取り真っ暗な道を歩いて行きました。真っ暗な扉の前で立ち止まり
「さあ、はやく行け!!」
と私を無理矢理扉の向こうに押しやりました。
今度は真っ青な部屋に出ました。真っ青な机に今度は真っ青な動物がいました。なんて動物だったかな?私は真っ青な頭で考えていました。すると真っ青な動物が私に話しかけてきます。
「ずいぶん真っ暗いヤツだな、ここに何の用だ?」
私はできるだけ真っ青な言葉で答えました。
「出口を探しているのですが…。ところであなたはなんという動物でした?」
すると動物はけてけて笑いながら言いました。
「驚いたな、最近のヤツはオレのことを知らないのか。じゃあ、教えてやらん。オレのことを知らないヤツにオレのことを知ってもらっても全然嬉しくないんでね」
そういって真っ青な尻尾(と思われるもの)を真っ青に回しました。なるほど確かにそういうものかもしれない。私は真っ青と納得しました。
「それで出口を教えてもらいたいのですが…」
私はもう一度その動物に訊いてみました。
「驚いたな、最近のヤツは出口を知らないのか。じゃあ、教えてやらん。出口を知らないヤツに出口を知ってもらっても全然嬉しくないんでね」
真っ青な動物は真っ青にそう答えました。そいつは困った。私はどうしたら良いのかわからずただオロオロとその真っ青な動物に眼で救済を求めました。すると真っ青な動物はふう…と真っ青な息をつき私に質問しました。
「お前が知っていることはなんだ?」
私は真っ青と考えてみました。そして
「ここはとても真っ青ですね」
と一言だけ言いました。すると真っ青な動物はぱあっっと眼(と思われます)を輝かせ大袈裟に全身を動かし早口に喋り出しました。
「そうか、そうか、そうか、そうか、そうか!わかってるじゃないか!!この真っ青さを知っている、いや『知る』とはお前なかなか見どころあるじゃないか。そうだな、知っているヤツに知ってもらうということはやはり素晴らしいことだ!!いいだろう、こっちに来い!」
ひょいと真っ青な机から飛び下り、付いて来いとでも言うように尻尾(だと私が思っているもの)を振りました。私はその後を真っ青と付いて行きました。そして真っ青な扉の前まで来たところでまた真っ青な動物が口を開きました。
「さあ、行って来い。お前の知っている場所へ」
バンと大きな音をたて真っ青な扉が開きました。私は真っ青な扉の向こうへ真っ青と足を運びました。
眼に飛び込んできたのは真っ赤な場所でした。全て真っ赤でどんな場所かわかりません。ただ真っ赤だということしか理解できませんでした。
しかし私はこの場所を知っています。この真っ赤な場所を知っています。真っ赤な私の脳、いえ真っ赤な私自身がそう告げています。
私はだんだん真っ赤に眼が慣れてきました。すると真っ赤な地面に真っ赤な人を見つけました。真っ赤な身体が真っ赤に横たわっています。
私です。私でした。真っ赤な場所で真っ赤な身体を真っ赤に横たえているのは私自身です。
そう、真っ白なランプに照らされ真っ暗な道で撥ねられた真っ赤な私自身です。
帰り道で命を失った私自身です。
その真っ赤な私の横にひとつだけ真っ青が在りました。この真っ赤な場所にひとつだけ、真っ青な動物のぬいぐるみが。私は誘われるようにそのぬいぐるみを拾い上げました。間違いありません。そのぬいぐるみはさっきの真っ青な動物でした。
するとそのぬいぐるみから何かが流れ込んできました。それは真っ白でも真っ暗でも真っ青でも真っ赤でもありません。無色でした。透明でした。しかし「色が無い」というわけではありません。なぜならその色が私の中に映し出したのです。
娘の顔を。
今日で6歳を迎える娘の笑顔を。
『ちかは、プレゼント何が欲しい?』
『ぬいぐるみ!』
『…ぬいぐるみ?』
『うん!前おもちゃ屋で見たあの青いぬいぐるみ!!』
『わかった、いい子で待ってるんだぞ。今日の帰りに買ってくるから』
『ほんと!!?』
『ああ、ほんとさ』
『パパ、大好き!!』
私は自分の頬を伝うものがあることに気付きました。それが私の頬を濡らしていることに気付きました。その涙に呼応するように真っ青な動物が私の腕の中で口を開きました。
「お前が知っていることは何だ?」
さっきとはまるで違う優しい声色で私に再び質問しました。
「私は…」
涙で視界がぼやけます。もう周りは真っ赤ではありません。私も真っ赤ではありません。私は自分色をしていました。それに安心したのか私は微笑み、そして告げました。
「…死んだのです…」
真っ青な動物は安堵の表情(と思いました)を浮かべ言いました。
「…そう、お前は自分の死を知っていた。そして、自分の死を知った。知っているヤツに知ってもらうということは素晴らしいことだ………だが…」
真っ青な動物は見えなくなっていきました。
「悲しいことだな…」
その言葉を残して…。私の腕の中から完全に見えなくなりました。そう、見えなくなったのです。消えたわけではないでしょう。
消えてゆくのは、私のほうなのですから…―――
「…さようなら、ちか」
私の大切な宝物…
「ねえ、ちかってさあ…いっつもそれ持ち歩いてるよね?」
「もう来年大学なんだし、ぬいぐるみはそろそろ卒業したら?」
「え~!これだけはダメなの!!」
「も~、なんでよ?」
「だってこのぬいぐるみは…」
――私の、宝物なの!