動物の生態
部屋から出るとシュウコが待っていた。立ち方を見ているとずっと立っていたに違いない。彼は俺を確認するとすぐに歩き出した。俺が慌ててついていく。彼は身長が大きいため少し早歩きで歩く。
「ゆっくり休めましたかな。あの部屋は少し特殊な部屋でして。あまり害虫が近づくことがない部屋になっていましたからご案内しました。寝るだけなら別の部屋も案内できましたが、あいにく人間の構造というか、苦手な物や肌に合わないものがわかりませんでしたので。」
「…ちなみにあの部屋は誰の部屋として使われておりますか。」
「蜘蛛です。」
…聞かなければよかった。そして、補食されなくてよかった。
シュウコは遠くを見ながら答えている。それは人間が時々、遠く見ながら話すしゃべり方とよく似ている。彼も何かを警戒しているのだろうか。シェイラと呼ばれた猫が斥候として働いているのにまだ警戒するべきものがあるのだろうか。この行動は人間でいうところの来賓をもてなす時や要人を迎えるときによく似ている。彼らがもともと人間であるであればそこまで混乱しないのだが。それをなんとなく察したであろうシュウコはこちらを見て話しかけてくる。
「あなたのように不審に思われるのも無理はありませんね。迷い人は異世界の住人ですから私どもよりも驚かれたことでしょう。とはいえ、私たちもここまでの道程が長かったのです。私も長くこの国の宰相をやっておりますが、すべてを知っているわけではないのです。」
「そうなのですか。歴史が長い国なのですね。」
「いや、あなたが思っているほど長くはありません。あなたがた人間と私たち動物ではそもそも生きる長さが違うのです。人間より長く生きる動物もいますが、ほとんどの動物が人間よりも寿命が短い。私たちの国が歴史の長さというのと人間の国が歴史の長さは全く同じではないのです。期間にして何年かは記録していないのでわかりませんが、20年以上は立っているでしょう。」
この世界にどのような動物がいるのかわからないが、ほとんどの動物が人間よりも寿命が短い。そもそも人間が名付けた動物の表記には人間も入っている。寿命が長い亀もいればサルなども人間よりも寿命が短いものもいる。それを考えればこの国の寿命が短いのもわかる。
「そうですね。しかし、でしたらどうやって後世に技術や技能を教えるのですか。あまりに入れ替わりが早いと伝えることも難しくなると思いますが。それにもともと動物であったとしても何かしら言葉以外のコミュニケーションをとっていたのではないですか。」
「先程も言ったように我々はもともと動物です。あなたがおっしゃられたようにしゃべることはできませんでした。確かになわばりの意識とか鳴き声の威嚇、求愛などでコミュニケーションをとっていたのは事実です。ただ、言葉を理解ししゃべることはありませんでした。声帯もありませんしね。それに当時からなくなった技術も多数あります。寿命が短い動物は伝えることもなく、死んでしまいましたから。我々が戸惑っている間に。今も声帯がないまましゃべっている理由もわかりません。」
俺が気になったのはこの知識をどこから学習したのかということだった。彼はもちろん、長く生きているから知っているということにはならない。人間がここまでの知識を得るまでには膨大な研究と労力を使っているのだ。彼らがそう簡単にいることはできないはず。
そもそも、どうして人間の言葉を話すことができるのだろうか。野生のように暮らしていたのではなく、理性を持つことのない動物であったとでもいうのか。しかも2足歩行は珍しくはないが、熊では珍しい。ではどうしていきなりしゃべることができるようになったのだろうか。それに混乱はそこまで長く続かなかったのか。次に生まれたものが言葉をしゃべる状態で生まれてきたのであれば、言葉をしゃべることが常識になる。彼らの歴史はそうやって早い時間での順応を可能にしたのか。
「気づいてもらえたでしょうか。普通は動物のはずなのです。ただ、一部の動物を除いては途中から人間の言葉を話すことができるようになり、いろいろな感情を持つようになりました。私もその1人です。しかし、不思議なことにしゃべることができる動物たちは長く生きるようになりました。あくまでもその種族にとっての長生きですが。ただ、それによって私たちの知識や経験を残すことができるようになりました。今、年長者はそういった知識や経験、技能のあるものはそれを残すような指導者となっております。私は長く生きていますが、宰相なのであまり携わっていません。しかし、その年長者もいつ死ぬかは検討がつきません。前例がないため、調べようがないのです。ただ、しゃべることができない動物でも言葉を理解できる動物は普通の動物の倍は長生きします。」
同じ動物ではあるが、人間の声帯はほかの動物とは違い特殊な構造をしている。それが1日で変化するとは考えにくい。この世界に魔法や超能力などがあれば変化する可能性はあるだろう。しかし、シュウコ1人ではないとすると大規模なものとなる。シュウコは俺のほうを見ずに話を続ける。
「私はこの姿になったとき、何が起こったのか、まったくわかりませんでした。私は今のような感情は持っておらず、欲望のままに生きておりました。ただ、その時、欲望を抑えることができるようになったのです。同じように異変を感じたのは私だけではありませんでした。森の中にいたものはすべて動きを止めました。要するにすべての動物が理性を持つことになったのです。森の中に静寂が出現したのです。喧噪が多かった森が…。」
「森が静かになるほど言えば、どれくらいの動物がそのようになったのですか。」
「おそらくは100ぐらいの部族でしょうか。ただ、私の目にも入っていない方がいるのかもしれませんので、正確な数字はわかりません。そのおかげか、見ていただいたように今ではほとんど争うことはありません。各部族も事前に話し合いを行い、すべての部族が協定を締結し好き嫌いはありますが、なんとかやっています。今は平和になってよいことなのかもしれませんが、私の中ではそこまで割り切れていません。むしろ、以前の森のほうが生活しやすかったように思います。」
「不思議ですね。今のほうが争いもなく平和で暮らしやすいかと思いましたが。人間もたまに生きにくい方もいるので同じかもしれません。」
シュウコはやはり森を見ながら答えた。彼の眼には涙が浮かんでいる。人間に近い感情を持つということがそこまでの苦痛となっているのだろうか。別に俺は人間に生まれたことを不幸だと思ったことはないが、シュウコにとっては不幸だったのか。
「私も以前はそのように考えておりました。しかしながら、理性を持つということはほかの感情も育つということになります。例えば友情や愛情などがよい例ですね。その感情は外に向けると非常に恐ろしい結果が待っていることになります。それに悲しい感情も厄介です。今までなら割り切れていた死などが割り切れなくなってしまった。大きな葛藤となっています。」
「俺には以前の感情がわからないので、同じ気持ちにはなりませんが、人間でも長い人生の中でたくさんの死に触れることもあります。精神的に成熟しており、なおかつ自分の信念を持っている方はくじけることはありませんが、普通の人間は精神に異常をきたします。また、寿命が短いというのがどれほどの死を見るのかわかりませんが。」
俺にはそこまでの深い愛情や苦痛を味わったことがないため、シュウコの思いをくみ取ることはできない。人間よりも動物の寿命が短いため死がどれくらいの周期で訪れるのか。ただ、それが身内であるとかなり精神的には辛いかもしれない。
「その感情が芽生えたとき、私は非常に恐ろしくなりました。人間と戦争をしている内に私は死というものに反応しなくなるのではないかと自分が恐ろしくなりました。もちろん、私は武官ではないため、戦争でも最前線で活躍することは少ないですが、どれくらいの人数が死んでいるのか、情報隊に聞けばわかります。初めての戦争の時にはその経験をしていないがために負けてしまったのです。仕方のないことかもしれませんが、死も恐れない武人が人間の中には居て正直、恐ろしかった。どの部族もその覚悟に押され気味になっていたところに我が国の王が現れました。1000人余りを討ち取り、大戦果を挙げました。それが殿となったのはたまたまです。」
やはり、あの王は人智を超えた怪物なのだろう。1000人以上の人間を討ち取るとなれば戦略が通用しない相手として軍師はとらえる。軍師は常に怪物を視野に入れながら戦術を組み、確実に討ち取れる戦術で怪物を捉える。しかし、それは犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけない。その上、人間でないことは戦術を考える上では頭が痛いことだろう。
シュウコはその話をしながらも森林に向けて歩みを止めることはない。だが、彼が森林に近づいていく度に緊張度合いが増していく。彼が歩みを止める。
「ついにつきましたね。」
シュウコはそんなことを言っているが、歩いたのは20分ほど。大した距離ではない。
「ふっ。あなたみたいに私は余裕がありません。」
「どうしてです。あなたはここの森林は入っているでしょう。何を恐れているのですか。」
「動物というのは縄張りに敏感です。」
「それはもちろん、人間だっ…。」
「気が付きましたか。」
人間にも縄張りに近いものはある。しかし、その場所を誰かが歩いたとしても喧嘩をすることはない。だが、動物はそうはいかない。すぐに喧嘩ではなく殺しあいに発展する。この森林にも縄張りはあるに決まっている。
「あなたが思っているのほどの縄張りの数以上です。この小さな森林にいるのは200以上の族がいる。これは大別せず、下層の氏族までも含めてですが。」
「200か、多いですね。氏族の構成として基本の形は何名ですか。」
「最低でも5名です。」
やはり、多いな。本当にここまでの族を統率ができているのか。それよりも把握ができているのか。
「そんなに多い族を束ねることができているのですか。」
「多いかもしれませんが、すべての族長が各々統率しております。」
「それはどういうことですか。」
「例えばですが、蛇と蛙が一緒に生活できますか。」
「いや出来ないですね。」
「大きく分けての族です。外見と生活体系から主となる族に分けています。それであればまだ統率しやすいのです。しかし、あなたが思っているようにすべての争いを鎮めることはできず、日頃から族によって調整が行われています。」
その話が本当なら一族を纏める族長がいるということになる。弱肉強食が当たり前の動物の世界で弱い動物が族長になることはない。多少頭が弱くとも力の強いものが族長となる。
「…、かなり荒れているのでは。」
「…、正直なところ、その通りです。毎日、頭が痛いです。」
彼自身が統率をしているわけではないだろう。宰相としてこの森林を纏めているのであれば、族のことはどうしても手が回らないはずだ。
「それにしても、周りには何もいないですね。本当にこの森林に動物が住んでいるのですか。」
それにしても森林の周りを見ても普通の森とは違い、動物の声が全く聞こえない上、気配さえも感じられない。普通ならば鳥ぐらいは見えるはずだ。その上、何かが通った場所がない。けもの道は動物が通ってできる道であるゆえに道ができてもいいはずだが。異様な雰囲気とはこのことだったのか。
「さっき言っていたようにこの森には獣道さえもありませんね。いかに争いがないとは言ってもこれは以上に思えますが。鳥ぐらいはさえずっていてもいいかと思いますが。」
「そうです。すべての動物が理性を持っているため、行動も制限がかかります。特に今は非常時ですので飛ぶことはないでしょう。私たちの王もそれを許しませんので。それに戦争であまりの多くの動物が死んでしまったため、対策に追われているというところもあります。動物としてはどうしても短命なため、どのように子孫を残していくのかが課題となっています。もちろん、私の部族も例外ではありません。」
非常事態…。何かあっただろうか。それにたくさん子作りに励めばという簡単な話でもないのだろう。直情的な感情が強いものは別かもしれないが、理性が邪魔をして、以前のように子作りができず、結果的に生態系を壊しているのかもしれない。
「一応、迷い人がいる場合には人間はもちろん、我々も油断しません。どこの国から来たのかわからないわけですから。ただ、あなたは交戦的ではないことがわかったので森を案内しています。一端の戦士であれば抵抗したでしょうし。」
「ということは人間の僕がいるために静かになっていると。」
「確かにそうとも言えます。しかし、静かにしているだけならいいのですか。




