第7話 今日も今日とて
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第二章スタートです。
知り合いが自分のことを好き勝手に噂していることはもちろん、地上で<地底闇>の攻略が新たな局面を迎えたことすら知らないノストは、今日も自室で監禁生活をおくっていた。
部屋から出られないことを除けば、最高級の衣食住を完備し、暇を持て余させないユニークな同居人もいるこの生活は、然る筋の人間にとって望んでやまないものだろう。
脱走失敗を繰り返し、そんな生活にどっぷりつかり込んでしまったノストは、「ああ、こうやって人に飼われた獣は野生の本能を忘れていくのだろうな」としみじみ思っていた。
あれほどまでに脱走を心に誓っていた男が、「どうせこいつからは逃げられないんだし、今日くらい休んでもいいか」と毎日のようにぐーたらしているのだ。
恐るべきは、迷宮管理者アンのダメ男製造機としての優秀さ。落ち着きのなかった年頃の男も3年でこの通り。
ああ、ここにノスト・リークの人生は潰える。
彼はこのまま地底の迷宮で日の目を見ることなく、そして誰に顧みられることもなく穏やかに老衰していくのだろう。
すべてを画策した少女は困ったようにノストの世話をしつつも、裏では「情けない人間よ」と、その無様を嘲笑い――
「なんてことにはさせるかってな」
そんな想像を脳内で否定したノストの姿は、48層にあった。
スライムの監視を抜け、アンに気づかれることなく、この日は順当に49層も突破していたのだ。
「俺を甘く見たのが運の尽きだ」
そう、閉じ込められ、懐柔され、脱走を諦めたように見えたのはすべてフェイク。
前日までスライムとくんずほぐれつ組み合っていたのも、朝寝をしようとして「めっ」されたのも、おいしいごはんにがっついたのも、すべてフェイクだ。異論は認めない。
すべては油断を誘うため。
厳重に敷かれた監視を振りほどき、さらには背後から伸びてくる手を振り切るための巧みな演技だったのだ!
現在、スライムはノストの部屋の天井からシーツにくるまれてぶら下げられている。
きちんと口を縛ってあるので、簡単には抜け出せないだろう。
ノストはついに、そうついに、宿敵に勝ったのだった。
「なんか48層来るのも久しぶりだな」
鼻を突く動物臭に顔をしかめながら言う。
第48層は運以上に実力がものを言う階層だ。
大型の魔物があちらこちらに身を潜めている。さらに足元には警報を鳴らすトラップが仕掛けられ、踏んだが最後、強力な個体がこぞって押し寄せてくる。
加えて一定間隔ごとに中ボス、最後にはフロアボスが構える。
凝り性の管理者にしては力押しが目立つオーソドックスな構成だった。
題名は『逃げず退かず ~ボスを倒さないと進めません~』。
その名の通り、何体かのボスに勝ち抜かないと次の階層には進めないことを示している。
魔物は死なない限り、侵入者たちを奥には進ませない。
なお題名のセンスのなさはご愛敬。
「よっしゃ……それじゃ、行くぜ!」
迷宮を逆走しているノストの目の前には早速フロアボスである骸骨の頭が浮遊していた。
刃も通らなそうな強固な骨格に、明らかに魔法的な何かを放ってきそうな怪しさ。
額と両目に埋め込まれた紫の宝石を発光させるボス向かって、ノストは駆け出した。
そしてそのまま――駆け抜ける。
ノストは背後を穿った熱線の衝撃を受けながら、一直線に骸骨の下を通り過ぎてボス部屋を出て行ってしまった。
正直に言うなら、この層の魔物たちはどれも彼が逆立ちしてようやく勝てるかもしれないレベルである。
そんな怪物たちひしめく階層を真正面から突破できるはずがない。
しかし、この階層のルールには抜け穴がある。
すなわち、逆走する分にはボスたちを倒す必要がないということだ。
そうでなければノストに勝ち目はない。
逃げて逃げて逃げて、ひたすら戦いを避けてこそ、彼に勝機が訪れる。
警報トラップは踏まないように。
見つかって余計な戦闘はしないように。
戦うにしても、機動力を奪うだけにとどめ、どこまでも無駄を省く。
そうしながらノストは長い長い迷路をどこまでも駆け抜けていった。
「――はっ!?」
目を覚ますと、そこはよく知った天上だった。
迷宮内における自分の部屋。
脱走におけるスタート地点。
つまり自分は。
「負けたかぁ……」
次々と襲い来る魔物たちから逃げ切ることができなかったというわけだ。
「当然。あれは一人用に作ったものじゃない」
枕元に侍る少女の声は呆れを含んでいた。
「それでも7回に1回は成功するんだぜ」
「うち6回は死んだということ。ノストは自分を過信しすぎ」
「それ昔もよく言われてたわ」
よっこらせと起き上がる。
服は新品になっており、傷は一つも存在しなかった。
記憶では巨大な虎の爪が深々と体に突き刺さっていたにもかかわらず。
「逃げられない代わりに死ぬこともない、か。至れり尽くせりで涙が出るぜ」
ノストの身には管理者によってある楔が打ちこまれていた。
すなわち、迷宮内で死に瀕するようなことがあれば、自動的に回復して50層まで戻ってくるというもの。
迷宮に囚われた彼は、その命さえも手中に握られているのである。
逆にそうでなければ最初の脱走の際に彼は死んでいる。
「拾ったからには責任をもって面倒を見る。私が忙しい時でも問題ないようにするための措置」
アンにとってはこの通り、単なる安全装置以上の意味はない。
口ぶりからして、大した手間はかからないのだろう。さすが迷宮の全権を握っているだけのことはある。
『それなら自分が脱走した瞬間に転移されるようにすればいいのでは』と思わないでもないが、もしそれを言って本当にそうされたら目も当てられないので、ノストは好奇心を心の中にしまっておいた。
するとそんな彼に、ずんぐりむっくりとした何かがのしかかる。
「ぶわっ!?」
ぶよぶよてらてらとしたその物体は、ノストに吊るされておかんむりのスライムだった。
「なんだ、怒ってんのか? ははは、ざまあないな! これでどっちが上かはっきりと……む!? んぐんんん!?? むー!!」
反射的に煽り口調になった人間の口をスライムは物理的に塞ぐ。
始めは激しかった抵抗もすぐに限界のタップへと変わった。
「ぶはぁ……あのなあ、俺はやろうと思えばお前を斬れるんだぞ。むしろあれで許してやったことに感謝しろよ」
「それでもノストは斬らなかった。優しいから」
「……誰に気を遣ったと思ってんだよ」
ノストはため息をついた。
探索者と魔物。
それらは相容れぬものだ。
表面的にはここまで気を許し合っているこのスライムでも、ノストは斬ろうと思えば斬れる。殺せてしまう。
それは師と仰ぐオーガでも同じことだった。もし本気で襲ってくるようならばどんな魔物でも殺す気でいる。
しかし、本当にそうした時、少女はどんな顔をするだろう。
迷宮の魔物と同様に、何の感情も浮かべないのか。
いつものように困ったように笑うだけなのか。
それとも、それを為したノストを見る目を欠片なりとも変えるのか。
そのことが怖くて、安穏とした上辺だけの関係が変わるのではないかと恐れて、50層で剣を振るうことができない。
「へーへー。アン・チテーさんには敵いませんよ。アン・チテーさんには」
結局、ノストは自分を閉じ込める少女の顔色を窺い続けなければ生きていけないのだ。
続けると都合の悪い話を打ち切るために、適当に両手を上げて降参を示す。細やかな意趣返しにそのダサい名前を主張して。
「ノスト。そんなに私の名前を呼ばれると……」
「呼ばれると?」
「……嬉しくなる」
彼の反撃はわずかなりともダメージを与えられないどころか喜ばせる始末。
『マジ敵わねえ』と天を仰ぎ、今日もノストは完敗を悟った。