第6話 今、『何でもする』って……
やってしまった。
あのスライムに乗せられて、一日をあやとりに費やすなどという無駄な時間を過ごしてしまった。
部屋にやってきた白髪色白少女の、あの微笑まし気な表情がなんとも癪に障る。
「なんだって俺はこうも意地っ張りなんだ……」
雑魚魔物であるスライムにプライドを刺激されるなど、ノスト自身の価値を貶めているようなものだ。
スライム相手にあやとりで勝ったからと言って、いったい何の自慢になる。こんなことを自慢話にすれば失笑ものだ。
「まあ、触手が大丈夫になったのはプラスだが」
あんな馬鹿みたいなやり取りの中で、得るものがあったことを喜ぶべきか。
それはそれでまた空しい気持ちになる。17歳の少年心は複雑にひん曲がっているのだ。
このむしゃくしゃとした気持ちを治めるにはどうすればいいか。
「そうだ、脱走しよう」
触手恐怖症が治ればノストに怖れるものはない。
今日も扉の前を陣取っている通称『スライムくん』だって敵ではない。
「ぬおお! 離せ、俺は外に行くんだぁああ!」
勢いで突破しようとしたノストだが、あえなく失敗。
触手に捕まり綱引き状態になっていた。
これまでであればこの時点で諦めていただろう。
だが、今日からのノストは一味も二味も違う。
「はっ、いいだろう。このままお前ごと引きずっていってやる!」
「今日は、綱引き?」
部屋の中でぜいぜいと息を吐くノストと、ずれた絨毯を見て少女は訊ねた。
長時間にわたる激しい戦いだったが、勝敗はつかずにタイムアップを迎えることになってしまった。
渋い顔の少年に対し、少女は微笑ましい表情をしている。
「仲がいい、ね?」
「よくねえよ。敵も敵だ、こんなやつ。おい、やめろ、肩組んでくるんじゃねえ!」
スライムは「連れねえなあ」と言うように触手で肩を組んできた。
ノストは全力でそれを引き剥がそうとするが、頭をぽんぽんされる始末。
「ちょっとぉ!? このスライムすっげー馴れ馴れしいんだけど! まじでごめんなんだよ!」
いくら迷宮暮らしが続いて友達がいないからと言って、スライムを友達に選ぶほど落ちぶれてはいない。
なおオーガを師匠と仰いでいる時点で手遅れな模様。
じゃれあう1人と1匹を置いて、少女は夕食の準備をしていた。
「え、マジで!? 28層攻略されたのか!?」
その日の夕食の席で、ノストは少女から衝撃的な事実を聞いていた。
「そう。あの6人組」
「ついに歴史をつくりやがった」
これまで探索者たちに長く足踏みさせていた階層の攻略。
それは彼らの野望を一歩先に進めることであり、ひいては人類にとっての大ニュースだった。
この先ますます迷宮攻略は活発化していくだろう。
トップをひた走る例の6人の存在が、探索者たちを大いに刺激するからだ。
「ま、29層がお前の力作っていうんならまたしばらく足止め喰らうだろうけどな」
この少女の作る迷宮がどれほど鬼畜かは身に染みて分かっている。
もしかすると快進撃はここまでで、ノストの知り合い連中は命を落としてしまうかもしれない。
それは今更なことだ。仮にそうなったとしても、少年が少女を責めることはない。
探索者は迷宮と管理者の命を狙って潜っているのだから、相応のリスクを折って然るべきで。
むしろこうして自分が生きながらえているのはなんとなくズルい気もしていた。
「お前の予想ではどれくらいで攻略されそうだ? 1年? 10年?」
「まだ分からない。けど1年半が妥当なところ」
「微妙だな」
1年半もかかると言うべきか、自信がある割にそれだけしかかからないのかと言うべきか。
脱出のために早く攻略してほしいと思いながらも、そう簡単に少女に負けてほしくないと思ってしまう。
それがなぜかは分からなかった。
「にしても、順調に攻略できたところであいつらが50層に来る前に歳で引退か。助けを待つのは得策じゃねえな、やっぱり」
そんなことをしていれば助けがくる前に老衰で死んでしまう。
ノストはまだ17歳。若い間に十分に人生を謳歌したいと思うのは当然のこと。
そう、本来であれば地上で成功を収め、女の子にキャーキャー言われていたはずなのだ!
その前に14歳で死んでいただろうということは考えない。
また、多感な時期を地底で過ごしているせいでややイメージが古臭いのは仕方のないこと。
悲しいかな、ノストの性知識は10代前半の頃に酒場で必死に盗み聞きして得たところで止まっていた。
思春期の彼に女性を誘う度胸もなく、その体は清いままだ。
このままでは属性に関係なく魔法使いへ至ってしまう!
そんな焦りがノストを脱走へと追い立てているのは決して口には出さない秘密である。
「ノスト?」
「いや、お前はダメだ」
「何が?」
目の前に少女の形をした管理者がいるが、彼女はそういった対象としてカウントしない。
もし仮にノストが襲い掛かったとしよう。
そんなことをすれば触手の刑だ。あの時以上の辱めを受けることは確実であり、それどころか殺されたって文句は言えない。
逆に万が一、成功してしまおうものならノストは脱出を考えられなくなる。
手籠めにするということは責任を取ることである。そう東の島国から来た先輩探索者が言っていたのを聞いたことがあった。
(ほんと、俺じゃなかったらとんでもないことになってたぜ)
禁欲生活を貫く自分を自画自賛する。
なお、この場合とんでもないことになるのは少女ではなく、襲い掛かった側である。
「ノスト、熱がある?」
「うぃっ!?」
最悪のパターンを想像して顔を青くしたノストを心配してか、少女はテーブル越しに手を伸ばしてぴたりと額に当てた。
こっちが気を遣わないでいてやっているというのに、こいつは狙ってやっているのか。
ノストはイラっとして少女の手を引き剥がした。
「なんでもねえよ」
「そう。でも変なところがあったら言って、ね?」
「体調悪くても言うか。弱みを見せるようなことはしねえんだよ」
「前に熱を出した時はノスト、『やばい、死ぬ、なんでもするから助けて』って……」
「よし分かった。ちゃんと言う。だからそれ以上はやめろ」
油断すれば紐解かれる黒歴史。
あのときはちょっと心が弱っていただけなのだ。体が熱くて意識が朦朧として、迷宮で狼に生きたまま食べられた記憶が呼び出された。それだけのこと。
そのとき、少女がはっと表情を変えた。
「ノスト、あのとき『なんでもする』って言った」
ギクゥウッッ!!
こいつ、思い出しやがった。
ない意地を張ったせいで見事、自分で埋めこんだ地雷を踏んでしまったことに気づく。
「いや、でもそれって2年も前だろ? さすがに時効だろ、なあ?」
「『なんでもする』って、言った」
強調された。
これはもう、無理なやつだ。
これ以上抵抗しようものならばどんな手に出られるか分からない。
衣食住のすべてを握られたノストに勝ち目はなかった。
「……はい、言いました。スライムと張り合うような雑魚ですが、できることがあれば仰ってください」
人生、あきらめが肝心。
素直に負けを認め従う教育の行き届いた彼の姿をかつての仲間が見れば、何があったと口をあんぐりさせるだろう。
「では発表。ノストは、私を名前で呼ぶ」
…………。
「えっと、すまん。名前って、あの名前か?」
「そう。あの名前」
「まじで?」
言っていることは分かる。
しかし理解できなかった。脳の許容をオーバーし、叫ぶ。
「はああああああああ!? ちょっと待て! お前、名前あったの!?」
そう、そうなのだ。
この時この瞬間まで、ノストは管理者の少女に名前があることなど知らなかったのだ。
だからこれまで「お前」と呼んできたし、二人しかいなかったのでそれで問題もなかった。
同居3年にして衝撃の事実。
しかし、帰ってきた答えはさらに彼の想像を超えていた。
「なかった。だから、つくった」
「つくった!? 今!?」
「今」
「即興かよ!?」
名前がないならつくればいいじゃない。
そう言わんばかりの堂々とした態度だった。
まったく、この少女のやることはまったく頭で追えない。
「あーはい、つくったのね。それで? 俺はお前を何て呼べばいい?」
もはや思考を放棄したノストは投げやりに聞いた。
もうどうにでもなりやがれ、という心境だ。
「アン」
「あん?」
「人間は私の迷宮を<地底闇>と呼ぶ。だから、私の名前はアン・チテー」
即興の割にちゃんとした理由があってノストは少し驚いた。
しかしもはや突っ込む気力もないのでそのままに受け入れる。
「はいはい、アンさんね。これからはそう呼ぶよ」
「よろしく」
こうして名もなき迷宮管理者に、名前ができた。
アン・チテー。
改めて文字にしてみて、ノストはふと思う。
クソダセぇ、と。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ヒロインに名前がついたところで第一章終了です。
一話だけ閑話で地上の住人たちについて触れた後、二章に入っていきます。
続きもぜひよろしくお願いします。




