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ラスト・ボス ~囚われの探索者は今日も脱走する~  作者: 浮谷柳太
第一章 地上はまだまだ遠く
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第4話 難易度アップ!

 地下深くにおいて昼と夜の感覚はない。

 昇るべき太陽も、沈むべき月もないのだからそれもそのはず。


 ならば、ノストや管理者の少女が昼夜逆転した生活をおくっているのか、と言われれば意外にそうでもなく、地上に暮らす人々と同じような時間に寝起きをしていた。


「ノスト、起きる」

「……起きるから、もうちょっとだけ」

「めっ」


 ノストに規則正しい生活を指せるのは保護者、あるいは飼い主である自分の務めとばかりに、朝の少女は譲らない。

 布団からはみ出た手を引っ張って、寝坊助な少年をベッドから引きずり出そうとする。その力は見た目相応に弱々しい。


「分かった、分かったから」


 安眠を妨げられノストはしぶしぶ起き上がる。

 見ればベッド脇には衣服が、テーブルには朝食がきちんと並べられていた。


 うつらうつらとしながらも慣れた手つきで用意された服に着替える間、少女はノストの寝癖を直す。

 彼が顔を洗いに行っている間、彼女はベッドのシーツのしわを伸ばし布団をたたんでいた。


 3年の日々の中で、管理者少女の懐柔策によってノストはすっかりと飼いならされていた。

 傍から見ればかなり情けないことになっているのだが、彼は気にしないことにした。だって悲しくなるから。


 だから、「地上に戻ってから一人で生活できるのか?」とか、「むしろここに永住した方がいいのでは?」などと考えてはいけない。

 そう、これはノストの心を惑わすために用意された罠。

 おのれ、管理者め。見た目に似合わずなんと卑劣な手を。許すまじ。


 そう思っても、バスケットに入った焼き立てのクロワッサンを見ると頬が緩まずにはいられない。

 手を伸ばし、頬張らずにはいられない。


「……今日もおいしゅうございました」

「ん、よかった」


 そして敗北の言葉を口にする。

 通算での戦績は黒星続きだ。きっとこれからも積み重ねられていくことになるだろう。


「にしても、迷宮って何でもありだな。欲しいもの何でも手に入るって反則だろ」


 腹が満たされるたびに何度も実感させられる。

 迷宮というものは、本当に規格外だと。


 食べ物をはじめ、衣類、家具類。これらはすべて管理者が権限を使って迷宮から生み出したものだ。

 そうした雑貨に限らず、武器、防具、さらには宝石類。目の前で金貨を出された時は驚きの余りひっくり返った。


 喉から手が出るほど人々が迷宮を欲するのもよくわかる。

 迷宮を支配すること、それは際限なく欲望を満たすことと同義なのだから。


 そんな事実を、目の前の白い少女は自覚していない。

 こてん、と首を傾げて不思議そうにしている。


「そう、なの?」

「そうだよ。無限に金出し放題とかよだれが出るわ」

「お金? お金食べる?」

「そういう意味じゃねえ! おい、やめろ、金出すな! 出さなくていい!」


 俗的な思考に染まり切った発言を本気にしたのか、空中からテーブルの上にじゃらじゃらと金貨が発生しては落ちていく。

 ノストの目の前にはあっという間に大金が積み上がった。


 その派手な輝きを前に、つい目を隠す。

 この男、欲に対する耐性は低いにもかかわらず、いざ大金を前にすると手を伸ばせない小心者であった。


「いらない?」

「はい、いらないです。衣食住を頂いているだけで十分ですので」

「でも、せっかく出したからあげる、よ?」

「やめろぉお! これ以上俺を追い詰めるのはやめてくれぇえ!」


 ノストは全面降伏の白旗を上げた。


 まるで価値を知らない子供相手に金をだまし取ろうとするような後ろめたさ。

 あるいは、自分は働かず女性から金を貰おうとするような情けなさ。


 心の中で「俺は詐欺でもヒモでもない!」と叫ぶが、後者について今更なのは言うまでもなく。

 自覚なき精神攻撃の果てにノストはテーブルに沈んだ。






「ところで、最近迷宮の方はどんな感じだ?」


 気を取り直してノストは話題を転換する。

 と言っても二人の間に共通する話題は少なく、あるとすれば迷宮についてだけだ。


「大盛況。挑戦人数は横ばいになってきたけど、中層まで来る人が増えた」

「ふーん。最高到達階層は?」

「まだ28。でも、もうすぐ攻略されそう」

「うえぇ、すげえなぁ。あの6人組か?」

「そう」


 少女の見た目をしていても、彼女はれっきとした迷宮管理者。

 それも長年誰にも踏破を許さずにいる、難攻不落の大迷宮の主だ。


 状況の把握に手抜きはなく、毎日休みなくその業務に精を出していた。


 その苦労を知りながら隙あらばと脱走するどこぞの男は天罰が下っても仕方ない。


「でっかくなったもんだよ、本当になぁ」


 頭の後ろに手を組み、ノストは回想する。


 話に出た6人組とは、少なからず彼と縁のある者たちだった。


 同じ前衛職で対抗意識を持っていた同輩。

 彼に慢心の危険性を説いた先輩方。

 いったいどこに憧れたのか、自分を慕ってきた後輩たち。


 出会った時は別々だったのに、そんな彼らが一緒になって迷宮を攻略しているのは不思議な感じがした。それと同時に、羨ましくもある。

 彼らは今、<地底闇>の最終到達階層を更新する勢いで活躍を続けているのだ。

 手にした名声、受ける期待。ノストの知らないところで彼らは輝いている。


 まだ中層とはいえ、この凝り性の管理者がつくった迷宮の難易度は相当なものだ。

 その実力を素直にすごいと思える。


「でも、29層は力作。簡単に攻略はさせない」


 管理者の少女は微笑を浮かべ、自信を窺わせる。


 その姿を見て、ノストは奇妙な感じを覚えた。


 探索者たちは迷宮、ひいては彼女の心臓ともいえる部分を目指して進んでくる。

 仮に実力者たちがこの50層まで到達してしまえば、喉元に刃を突きつけられたも同然。それは彼女の生殺与奪の権利を握られるということである。


 怖くはないのだろうか。


 見たところ、そんな様子はない。

 むしろ、近づいてくることを喜んでいる節すらある。


 この迷宮の各階層の仕掛けは少女の生涯ともいえる傑作だ。

 それを誰かに見てもらえることが嬉しいとでもいうように、自分を従えようと奮闘する人間たちを楽しそうに語る。


 そんなところが、理解できなかった。


「いやいやいや」

「?」


 はっとして首を横に振る。


 理解する必要なんてない。

 自分は人間で探索者。彼女は迷宮の管理者。


 見た目が人間なだけで別の生き物だ。少女には少女の価値観があり、それは自分たちのそれと一致しない。


 考えるだけ無駄。

 どうせ分かり合えない。

 だから、思考終了。


「そんで、その力作の29層はどんな迷宮なんだ?」

「秘密。ノストがそこまで行けたら教えてあげる」

「ばーか。29層まで行けたらそのまま逃げ切るっつーの」


 話の流れでネタバレをするほど甘くはないか、と苦笑する。


 しかし今日は良い情報が聞けた。

 特に、探索者たちの活動が順調なのは良いことだ。なぜならあちらが深く潜ってくる分だけ、ノストが上る階層数は減る。

 つまり、脱走の難易度を下げることにつながるからだ。


 ならばこちらも負けじと攻略に精を出すか、と席を立ったところで、珍しく彼を呼び止める声があった。


「待って」

「なんだよ」


 まだ何かあるのかと面倒臭そうに椅子に座り直す。

 目と態度で早く言えと促した。


「最近、ノストの脱走には目が余る」


 ぎくっ!


 嫌な予感に心臓がざわつき始めた。


「いや、それは――」

「私も迷宮の管理があるから、いつもノストに構ってあげられない」

「別に構わなくても――」

「元気なのはいいことだけど、少しだけ大人しくしてくれると私は嬉しい」

「よし、分かった! 今日は脱走しない! だから――」

「だから、ノストが良い子でいられるように、お目付け役を用意した」


 入って、と言うように少女が合図をすると、部屋の扉がゆっくりと開いた。


 ずるずると体を引きずりながら入ってきた生物を見て、ノストは思わず震え上がる。


 緑色の、透明な体。

 体表はぶよぶよとしていて、非常に滑らか。

 そして何より、存在しない手足の代わりに生えた、たくさんの触手。


「今日からノストのお目付け役の、スライムくん。仲良くしてあげて」


 そう言って少女は立ち上がり、スライムと入れ替わるように扉を開けた。

 最後に、声も上げられないノストへ向けて優しく言い残す。


「良い子でいて、ね?」


 ぱたん、と無情にも扉は締まり、ノストはスライムと部屋で二人きりとなった。



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