第2話 真っ白の少女
3年前。
生まれて初めて死に直面し、最初こそショックに寝込んだノストだったが、それで諦めるほど軟な性格をしていなかった。
囚われたのならば、抜け出せばいい。
いや、わざわざ逃げなくても、迷宮の核を押さえてしまえばいい。
あの少女のような見た目の管理者は、愚かにも敵を懐に招き入れてしまったのだ。しかも、その敵を拘束することもなく。
最終層ということはどこかに核があるはずで、それを手に入れることこそ探索者の本懐だ。
ノストは自分が神に愛されているとすら思った。
それも勘違いであったことに気づくのに、そう時間はかからなかった。
少女が、自分の心臓ともいえる迷宮核を野ざらしにしているはずがないのだ。
それらしき扉を開けて、台座に鎮座する紅い玉。その前にとぐろを巻く巨大な大蛇。
目が合って数秒。しゅーっと息を吐きながら「どっか行け」とばかりにひと睨みされたので、そっと扉を閉めた。
理解する。あれはやめよう。
ならば少女を直接叩きのめして逃がしてもらおうと考えるも、困ったような顔のまま撃退され失敗。
迷宮の全権をもった相手に、迷宮の中で勝てるほどノストは強くなかった。
蠢く木の根に全身を縛り上げられ、情けなさに泣いて許しを請うた。
これが二度目の挫折である。
ならば迷宮を下から攻略して脱走しようと試みるも、49層で死に体となり少女に回収される始末。
これが三度目の挫折であった。
その後しばらく引きこもったり、少女にお願いして鍛錬のために戦う相手を用意してもらったり、その結果オーガと一騎打ちをさせられて死にかけたり、繰り返し戦ううちにオーガと師弟関係が芽生えたり、今では『オーガ師匠』と呼ぶようになったりなど、いろんなことがあった。
そうこうするうちに早3年。
成長したノストは十回に一回の確率で49層を抜けられるようになったし、七回に一回の確率で48層を抜けられるようになった。
この前など、苦節何百回目かの挑戦の末、見事46層を抜ける手前まで到達したのだ。
「よし。このままあと30年くらいすれば外に……ってそんなに待てるか!」
ざっと脱走までのプランを紙に書いた後、ノストはペンを投げた。
「くそ……あいつに連れ戻されることがなければ……!」
ノストの脱出を困難にさせているのは何も迷宮の難易度だけではない。
脱出に気づいた瞬間、少女が一瞬で連れ戻しに追いかけてくるという超ド級の問題があるのだ。
48層までは「自由に遊んでいいよ」とさも敷地に犬を放し飼いするかのように自由が認められているのだが、それより上に行くと脱走と見なされる。
追いつかれればゲームオーバー、転移にて50層まで戻されて初めからやり直しだ。
つまり、ノストが外へ出るためには少女に見つかる前に最速最短で高難度迷宮を駆け上がらなければならない。
少女が気づくまでの時間は割とまちまちだが最長でも3時間、短い時には30分で連れ戻される。
普通に考えれば3時間で50層を攻略することなど不可能だ。
しかし、人類最高到達階層である28層まで行って、探索者に遭遇して保護してもらえばこちらの勝ちである。
狙われる対象である管理者はそう簡単に人前に出ることはできない。
少女はノストが帰るのを見送るしかなくなるだろう。
「問題は、3時間で下から22層をクリアできるかってことなんだよなぁ……」
これもほぼ不可能に近い。
各階層のパターンを覚え、最短のルートを全速力で駆けあがってもできるかどうか。
そのパターンを知るのにも何年と時間を要するだろう。
ちなみに少女から攻略法を教えてもらえるのは、一度でもその階層を自力で攻略した後である。
彼女は自分の作った迷宮に大層こだわりがあるらしく、最初からネタバレはご法度らしい。
そうでなくても、様々な運が絡むことになるだろう。
少女に気づかれないか。
都合よく28層に人がいるのか。出会えるのか。
自分に、そこまで辿り着けるだけの力があるのか。
先行きは不透明。この地底の迷宮と同じくらいお先真っ暗だ。
「はぁ……」
「溜め、息?」
当たり前のように背後から聞き慣れた声がする。
「俺の部屋に転移で入ってこない」
「ここは、私の迷宮」
「でも今は俺の部屋なの!」
日常茶飯事のやり取りだ。
囚われの身となったノストにプライバシーはない。
「まったく、はぁ」
「また、溜め息」
「ああ、誰かさんのおかげでな」
本当に分かっているのだろうか、この少女は。
分かっていないのだろう。こてんと首を傾げたその様子から察するに。
見た目は少女であっても迷宮管理者。感性は人間のものとは違うし、何を考えているのかまったくもって分からない。
なぜ、自分をここに捕らえておくのかも。
目的があるのか、単に気まぐれなのか。
それを聞くといつも彼女は困ったようにこてんと首を傾ける。自分でも分からない、というように。
少女は手元の脱走計画書を覗き見た。
「また、脱走?」
「ああ、諦めんぞ、俺は」
「……めっ」
「めっ、じゃねえ」
てきとうなやり取りを交えつつその瞳を隠し見る。
黒い眼だ。
白い髪、色白の肌、白いワンピース。全身真っ白な中、眼だけが黒い。
純粋そうに澄んだ目で、何も裏はないようにも見える。けれど、何を考えているかは読みとれない。
「ノストは」
「ん?」
「ノストは、なんで脱走する? ここにいたら、だめ?」
少し、いや、かなりノストは驚いた。
こんなことを言われるのは初めてだったからだ。
もしや、人様に迷惑をかけているという実感が芽生えたのか。などと茶化せたらどれほどよかっただろう。
何事にも動じぬ黒い眼が揺れたのを、見なかったことにできたなら。
なぜ超常の存在である少女が、自分のようなただの人間を手元に置くのか。その理由を想像したことがなかったわけではない。
その度に一笑に付してしまうような、馬鹿々々しい答えが浮かんでは振り払ってきた。
寂しかったからだとか。
誰か連れが欲しかったからだとか。
そんなこと、あるはずない。
あるはずが、ないのだ。
「……さあ。昔、バカやってた頃に迷惑かけたやつらに謝るため、とか?」
「謝る?」
「いや、どうだろ。正直分からん。太陽が見たいから、とか?」
「太陽? 空にある?」
「それ以外にあるかよ」
地底に太陽の光は届かない。50層は迷宮の力なのかなんなのか、いい具合の明かりが常に灯っている。
「太陽。見たことない」
少女はそう口にする。
とんでもないようなことを、淡々と口にした。
「そう、か」
「そう」
会話にならない言葉を交わす。
ノストはそれ以上言わなかった。
少女も何も言わなかった。
ノストは椅子から立ち上がり、ベッドに寝転がって壁の方を向く。
一瞬、頭に浮かんだ言葉に対する自己嫌悪に押し潰されそうだった。
「もう寝る。部屋から出てけ」
「……分かった」
少女はおとなしく去っていった。
なんで出て行く時だけ扉を使うんだ、と突っ込む気力もなかった。
一人きりになった部屋の中はしんと静まり返っている。
さして大きな声を出すわけでもないのに、少女がいなくなると途端に静寂が主張をうるさくする。
地底の奥底は静かで、冷たくて、なぜかもの悲しい。
あの少女は何も感じないのだろうか。
それとも、感じる機能を持っていないのだろうか。
分からない。分からないことだらけだ。
そして、分かりたくもない。
もし、理解してしまえば。
命を救われた恩。
怪我を治してくれた恩。
鍛えてくれた恩。
美味しい食事を与えてもらった恩。
3年間ともに過ごしてきた情。
引きこもっていた頃、問答無用でただ傍にいてくれた情。
突っ込みどころ満載でも、毎日に彩りを与えてくれた情。
きっと、耐えられなくなる。
危うい均衡の上に成り立ったバランスが崩れ、二度と戻れなくなる。
もう二度と、日の目を見ることができなくなる。
だから気づくな。気づかせるな。
このまま、得体の知れない存在のままでいろ。
いつの日か、地底の奥から這い上がる、その日まで。




