エピローグ ある迷宮のはじまり
――それから起きたことはあえて語るほどのことではない。
ノストが迷宮を脱走し、そのままどこかへ消え去った時点で分かりきっていたことだ。
まず、探索者パーティ『墓荒らし』は攻略の失敗を報告した。
次いで、迷宮が衰退をはじめて魔物やとれる資源がどんどんと減っていった。
その後、『墓荒らし』が再度迷宮に潜った時にはすでに50層は地中に埋まっていたという。
探索者協会は迷宮核が何らかの理由で破壊され、迷宮が死んでしまったことを認定した。
こうして3大迷宮の一角である<地底闇>は消滅した。
これから長い時間をかけて迷宮は跡形もなく地に埋もれていくだろう。迷宮によって賑わっていた街も徐々に廃れていくだろうが、それもまだ少し先の話だ。
♢ ♢ ♢
数年後、人の寄り付かない森の中にて――
「おい、朝飯にするぞ」
「うぅん……」
「まーた夜更かしか」
粗末な小屋で青年が掛け布団にくるまる少女を起こしていた。
小屋は二人が入るだけで手狭になるほどの狭さだ。炊事場も洗濯場も外にあり、ここは本当に寝起きと雨風を凌ぐためだけの場所である。
そんな小屋の扉を大きく開けっぱなしにし、木漏れ日を中へと通す。
少女はそこから逃れるように狭い小屋の隅っこまで転がっていった。
「ほら逃げるな。地底じゃ見られない太陽の光だぞー」
「……明るいのは、苦手」
まるで夜に生きる吸血鬼のように太陽を嫌う少女に対し、青年は容赦なく布団を剥ぎ取っていった。
現れたのは白いワンピースに白髪、色白と全身真っ白な少女だった。薄っすらと開かれた目だけが黒い。
このだらしなさ全開の彼女こそ、あの<地底闇>の管理者であったアン・チテーである。
ノストを自分の迷宮に監禁し、衣食住のすべてを掌握することでノストを堕落の道へと落とし込んだその人だ。
しかし、今ではすっかり立場が逆転してしまっているように見える。寝坊助な少女をノストが起こし、さらには食事まで用意しているのだから。
「まさかアンが夜型だったとはなぁ」
しみじみとそうつぶやき、本格的に少女の目を覚まさせに行く。
あの日、迷宮と切り離した核を無事に持ち出し、次の迷宮候補地に設置したところまではよかった。
そこから待つこと1年。核が定着し、ようやく迷宮の第1層のひな型が完成したことで実体化したアンは、生まれて初めて太陽の光を浴びたのだ。
そのときの彼女の第一声はこれである。
『……眩しすぎて目が開かない』
長いこと暗い地底で過ごしすぎた弊害だろうか。アンはなんと極度に光に弱いことが判明したのだ。
感動の再会を待ちわびていたノストは姿を見てもらうことすらしてもらえず、泣く泣く第1層を遮光することに邁進したのだった。
つくづくお約束というものを無視する少女である。
とはいえ、色白の肌をいきなり日に晒させようとしたノストにも配慮が足りないところはあった。無敵の管理者の弱点がそんなものであるとは思いもよらなかったのだ。
「ほれ、うまいか?」
「うん……」
「まったく、しょうがないやつだな」
今でも食事をノストに介護してもらっている状態だ。
口もとを拭ってやるとまるで猫のような反応を示す。そんな無防備さも新鮮で、ノストとしては好意的に受け取っているが。
「あれだけ俺には自分がいないと生きていけないとか言ってたくせに、今ではすっかり立場が逆転しちまったな」
「……エネルギーが足りない。まだ迷宮も狭い。つまり、本調子には程遠い」
「そういうのを意地を張るって言うんだ」
「ん……ノストのが移った」
憎まれ口を叩きながらも穏やかな雰囲気が流れている。
今も昔も食べている間は二人の大切な交流の時間なのだ。
その裏でノストは迷宮が迷宮として成立できるために必要な条件の厳しさに頭を悩ませ続けていた。
まだこの小屋の中という第1層しかない現段階から迷宮を拡張するためには、どこからかエネルギーを引っ張て来なくてはならない。そのエネルギーは迷宮に人間が入ることで満たされていく。
エネルギーが溜まれば迷宮をつくれるほか、食事や家具なんかも生み出すことができるのだ。今はその段階にないため、ノストらはかなり貧相な暮らしをしていた。
ならば人間を呼び込んで来ればと思うかもしれないが、ふつうの人間にとってはできたばかりの迷宮など素人でも攻略可能なお宝でしかない。探索者などもってのほかだ。
幸いにしてノストがいるので少しずつエネルギーは溜まっているらしいが、それでもかつてのような優雅な生活をおくるにはあと何十年かかるか分からない。
アンへの好意とは別に、逆玉の輿で優雅な生活を夢見ていたノストにとっては大誤算だった。
今や夜中にせっせと迷宮をつくるアンを生活面でサポートする家政夫だ。こんな毎日でも楽しいと思えるのが救いだろうか。
「早くメニューの一品くらいは出せるようになってほしいね」
「あ、ノスト。そういえば昨日、第2層をつくることができた」
「おっ、ついにか! どこだ?」
「ここ」
そう言ってアンが指差したのは下だった。
よく見れば部屋の隅っこに小さな穴が空いていた。
迷宮の拡張は喜ばしいことだ。しかしノストの顔に浮かんでいるのは不満である。
小さくため息をつき、首をこてんと傾げているアンに文句を垂れる。
「なぁ、せっかく新しい迷宮にするんだから下じゃなくて横か上に広げようって話したよな? これじゃあまた地底のアンさんになっちまうぞ」
ノストの不満とは、要するに自分たちのマイホームがまた地面に埋もれてしまうのは嫌だというものだった。
彼は便宜上は地上の民であり、前のように外に出るのに一苦労するような迷宮は望んでいなかった。そのことで一度アンと話もしたはずなのだが――
「今のままだと私には暮らしにくい。ノストの言うことは考えるけど、まずは地下をつくるべき。見つかりにくいという点でも正しいはず」
「そこはちょうど20年後くらいに人が来て見つかりそうな立地を探したんだから大丈夫だろ? アンだって俺のツリーハウス計画には賛成してくれたはずだし、頑張ったんだからそれくらいは譲ってくれてもいいんじゃないか?」
「だめ。ノストは迷宮のことはまだ素人。うまく成長させるにはそれに適した順序がある」
正論を述べるアンと、我儘を垂れるノスト。
さっきまでの穏やかな空気は緊張感に満ちた睨みあいによって支配された。
そうしてどちらも譲らず睨みあうこと数分。自分から視線を逸らしたノストが腕を組んでそっぽを向いた。
「そういうんならいいけどよ。でもあんまり迷宮のことを一人で決め続けるんなら、俺もへそ曲げてまた脱走するかもしれねぇからな」
不承不承と言った感じで引き下がったものの、そんな脅し文句が口から出るくらいには不満が解消されていなかった。
ノストはやると言えばやる男だ。
仮にここでアンが「できるものならやってみれば?」などと挑発しようものなら、即座に脱走して3日くらいは雲隠れする自信がある。変な意地を張ることに関しては誰にも負けない。
ましてやまだ魔物も罠もなく、2層しかない迷宮からの脱走など朝飯前だ。そんな事実があったからこそ、少しはアンの慌てふためいた顔が見れるのではないかといたずら心が湧いていた。
しかし――
「んっ……」
「むっ!?」
アンの取った行動は何ひとつ迷いのないくちづけだった。
その唐突な襲撃に戸惑いながらも拒絶する理由はなく、ノストもその柔らかい感触を存分に味わった。
現金なものでその官能的な幸福感の前にはどんな不平不満も声を潜めて静まり返ってしまう。
やがて薄く口を開き割って出た舌が絡まり合い、清涼な森の中にかすかな水音が発生する。
静謐感のただよう朝の空気に似つかわしくない行為はなかなか終わらない。
やがて短くない時間が経った頃、ようやく2人は顔を離して至近距離で見つめ合った。
動揺を隠せないノストは息を整えながら疑問の声を漏らす。
「なんなんだよ、いきなり……」
「ノストは私の迷宮からは逃げられない」
揺るぎない事実のように、アンはそう断じた。
彼女を押しのけてすぐそこの扉を出ればもう外であるにもかかわらず、自らの言葉に一切の迷いも含んでいない。
その黒い瞳のまっすぐさに貫かれてノストは動くことができなかった。
「もし脱走しようとしても、私がその前に立ちはだかる。ノストは私に勝てず、最後にはこうして捕まる。私と言うラスボスがいる限り、ノストは永遠に逃げることができない。違う?」
事実として膝の上に乗って首に手を回され捕まった状態から、ノストは逃れることはできない。
この温もりを自ら突き放そうなどできるはずがない。
アンはもうずっと前からノストを懐柔し続けていた。その手のぬくもりや、笑顔によって感じる多幸感。今さら手放すにはもう遅すぎた。
ノストはもうアンにぐずぐずにのめり込んでいるのだから。
こんな長期的な策略を仕掛けてくるとは、おのれ。
しかし、これは完敗だ。始めるまでもなく勝てないことが分かっている。
ノストはアンから逃げることができない。きっと、永遠に。
でもそれを認めてしまうのは癪だから、また他愛のない意地を張ってしまうのだ。
「ばーか。完全に俺を閉じ込めたきゃ、最高難易度で50層はある迷宮をもってくるんだな」
――END――
ということで、堂々の完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
語りたいことはたくさんあるのですが、長くなりそうなのでよければ活動報告の方も見てみてください。
今後の活動についてもちょっと述べます。
感想もお待ちしております!




