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ラスト・ボス ~囚われの探索者は今日も脱走する~  作者: 浮谷柳太
第四章 地底の未来は明るく
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第20話 おやすみ

 たとえどんなに追い込まれた状況でも、最後まで足掻き切る。


 ノストが堂々とそんな宣言をしたのはついこの前だ。


 その言葉に偽りはない。彼のさして優秀ではない頭の中の辞書には”諦め”という文字は存在しない。


 しかし、足掻いたところで変えられない現実は存在する。

 ノストにまだ戦う意志があったとしても、力が伴わないことはままある。


 要するに――


「もしかして、俺は馬鹿だったのか……?」


 生まれてこの方18年と少し。

 ノストはついに、己が根本からして策士には向かないことを自認した。


「おいそこ! 今更? みたいな顔してんじゃねぇよ!」


 驚きのあまり溜め息も出ないとでも言いたげなスライムを注意した後、初めて判明した事実のショックに深く沈んだ。


 そりゃあ、抜きんでて賢いなどとは思っていない。ツヴァイのように全体を見て適切な作戦を考えると言ったポジションからは無縁の人生であったし、くくりで言うならばドランドと同じく猪武者だ。

 しかし地底生活で多少の落ち着きを身につけ、頭を働かせながら脱走計画を立てていた身としては、もう少し自分の脳細胞の秘めたる輝きというものを信じたかった。


「俺は意地っ張りって自覚はあるけど、意地を張り続けて最悪の状況まで引っ張るほどのアホではないつもりだ。お前にもいろいろ助けてもらって、ぎりぎりまで粘ったけど、ここがもう限界だろうよ」

「……(ふるっ」

「ああ、悲しませるかもしれないけど伝える。もう最終手段、迷宮を捨てるしか思いつかないって」


 ぼよぼよとしたスライムの体を撫でて、ノストは立ち上がった。












「……ノストに、みんな? どうして土下座?」


 その日、勤めを終えてノストの部屋に転移したアンを待っていたのは地面にひれ伏すノストと、スライムにアザラシだった。

 スライムはどうして自分までと不服そうで、アザラシは床に突っ伏したまま寝息を立てていた。


 ただ一人、真剣に土下座をするノストは無念さをにじませながら謝罪する。


「すまん。俺にはもう他にあいつらをどうにかする方法が思い浮かばない。これ以上は最終手段の準備をする時間もなくなる。あれだけ大口をたたいておいて本当に申し訳ないが、俺にできるのはここまでだ」

「……ノスト」


 自分の名を呼ぶ少女の声に、しかしノストは顔を上げることができない。


 これからアンは自分の命か大切なもののどちらを捨てるか決めなければならない。ノストとしては命をとってほしいが、それを強要させるつもりはなかった。


「わかった」

「……え?」

「これから迷宮と核のつながりを切断する作業に入る。魔物や仕掛けを少しずつ回収しながら、タイミングを見て私も眠りにつくからその後はノストに全部お願いする」


 淡々と決められていく段取りにノストはついて行くことができなかった。

 呆然と頭を上げ、不安そうな顔でアンを見上げる。


「それって、お前……そんな簡単に。この前だって悲しそうにしてただろ」

「あれから考えた。本当に大切なもの、私がやりたいことは何か。もう私の心は決まっている」


 毅然と告げたアンの表情に迷いはなかった。

 ほんのこの前まではノストの顔色を窺って判断に従おうといった感じだったのに、今はきちんとアン個人の意思を感じた。


 本人の言う通り、たくさん考えたのだろう。

 その末に出した答えを、すでに決めていた心をより強固なものとして口にする。


「私はここを捨ててでも生きる。この地底でやっと手に入れた明るくて楽しい生活を終わらせるつもりはない」


 そう言って膝を折ったアンは両手でそれぞれスライムとアザラシを撫でた。

 スライムはぴくぴくと震えて喜びを露わにし、居眠りをこいていたアザラシも少し目を開けて気持ちよさそうに彼女の手にすり寄る。


 どちらもアンが創造した魔物だ。その意向に完全に服従し、創造主の望まないことはしない。

 そんな魔物との戯れは一種の人形遊びでしかない。自分の作った魔物ではアンの退屈を満たすことはできなかった。


 しかしたった一人、地上の人間を加えるだけで見える風景はまったく別のものになる。ノストが関わるだけで特別でもなんでもない魔物の一匹や二匹がひどく愛おしく感じる。


 まさしく暗闇に慣れきったアンの視界は、一筋の光によって眩いまでに彩られたのだ。

 それこそが、独りぼっちだった迷宮管理者が見つけた”大切”。この景色と、それを生み出す青年が何にも代えがたい”大切”なものだ。


 もうアンの中に『分からない』は存在しない。


「一度知ったら、もう離したくない」


 アンは両手を魔物から離すとそのままノストの両頬を優しく包み込んだ。


「アン……」

「もちろん悲しい気持ちはある。でも、迷宮はまた作り直せる」

「……ちゃんとまた、会えるんだよな」

「核がその地に根付いて迷宮として成立すれば私も実体化できるようになる。そうすればノストと会える」


 ノストはアンの色白で小さな手に自分の手を重ねた。

 細くて小さくて、ひどく弱々しい。一時的にとはいえ消えると聞かされるとその体が途端にはかないものに思えて苦しくなった。


 核で眠るアンを安全なところまで連れ出し、迷宮がつくれるような場所まで運べるのはノストの他にいない。役目を譲ろうとも思わない。

 しかし、途中で奪われるのはご法度。中途半端な場所を選んでしまえば迷宮が成長する前に探索者がやってくるかもしれない。


 自分の働き次第でこの手を再び握れるかは分からなくなる。その責任の重さに心が臆しそうだった。


 それでも。


「よっしゃ、任せとけ。俺がお前をここよりもいい場所に連れて行ってやる。地上の世界を、太陽を見せてやるよ」


 あらゆる不安を仕舞って自信満々に告げて見せる。

 これからしばらく後に眠りにつき、知らないところで自分の命運が決まるアンに少しでも安心してもらえるように。


 アンは迷宮を捨てでも生きるという覚悟を示した。ならば、ノストはそれに応えなければならない。


 強く優しくその小さな手を包み込む。言葉では言い表しきれない、それ以上の何かを余さず伝えるように。

 するとアンは一度手を解き、しかし翻って手のひらを合わせると自ら指を絡ませた。


「信じてる。ううん、私は知っている。ノストは実はやればできることを」

「いつもはダメダメみたいな言い方やめろ……って前もやったな、こんなやり取り」

「だって、その通りだから。ノストは私がいないとダメ。私がご飯を用意して、住む場所を作って、危ないことをしないように見ておかないといけない。ノストはもう、私なしで生きていけない」

「ほう、そいつは大変だな。ってことはなんだ、万が一失敗すると俺はどこかで野垂れ死にするってことか?」


 いつしか両手を正面からつなぎ合わせたまま二人の目線は同じ高さになっていた。

 それ自体は好き合う者同士の逢瀬。しかし男も女も表情を甘くとろけさせることなく、からかいを含む笑みを浮かべていた。


「違う?」

「ああ……その通りだよ、情けないことにな。お前のせいですっかり至れり尽くせりに慣れちまった。今さらへまをしてほっぽり出すなんてこと、してくれるなよ」

「心配いらない。全部うまくいく。そしたら新しい迷宮に閉じ込めて一生面倒見てあげる」


 冗談のようで冗談ではないやり取りに、二人はさらに笑みを深める。

 そして通じ合ったように同時に目を閉じると一瞬だけ唇を触れ合わせた。


 初めてのキス。

 身震いするほどの快感にもう一度と訴える体を抑えて、ノストは少女の顔を正面から見つめた。


 少し赤らんだ頬。黒い目は所在なさげに揺れ、ノストの目と合うたびに横に逸れる。繋いだ両の手は緊張をはらみ、しっとりと肌に吸いつくようだった。

 なんとも人間らしい反応を示すようになったものだ。人の形をしていても根っこは違う生命体なのだと思わせるような違和感はもうない。


 ただただアンという女に魅了される。心の底から彼女を美しいと思った。


「……それじゃあ準備といくか。生きるために」

「……うん」






 ♢ ♢ ♢






 それは誰にも知られないところから始まった。

 探索者のいない25~35層の間で極端に魔物の数が減少し始めたのだ。


 迷宮で機能するあらゆるギミックはすべて迷宮核に起因しており、迷宮核とはいわばエネルギーを収集・保存するためのものである。


 いま<地底闇>は侵入者の直接的排除を不可能と判断し、最後の手段をとる決定がなされた。

 それは迷宮と核を切り離すというもの。すなわち迷宮にはこれ以上エネルギーが行かず、ただ地底深くまで続く穴になるということだ。


 一方で、迷宮との繋がりがなくなった核はエネルギーを集める手段が消滅する。迷宮も成長するという点では生物的であり、成長するためのエネルギーがなくなれば『死ぬ』。

 そうならぬよう、少しでも多くのエネルギーを持った状態で迷宮と切り離すために、迷宮内のものを還元して再利用するのだ。


 やがては20層、10層と少しずつ魔物の数を減らしていく。

 それは探索者たちの迷宮攻略を有利に勧めさせるものだが、背に腹は代えられない。


 差し迫った危機はもう第44層まで近づいてきているのだから。






 ♢ ♢ ♢






 ノストは核を通して44層の様子を見ながら悔しい気持ちになっていた。


 脳に浮かぶ映像では、倒れ伏す巨体のオーガとそれを囲む探索者たちの姿が映っていたからだ。


「くそ……師匠」


 それほど良い関係性であったとは言えない。

 ひたすら肉体言語で戦い方を学び取っただけの相手であるし、知能があるのかないのか再会の時には容赦なく殺されかけもした。


 しかしあのオーガと戦うばかりの日々も確かな思い出であり、地底での生活を良いと思わせてくれた魔物の一体なのだ。


「安心して眠ってくれ。師匠の仇は俺が討つ……ことはできないけど、アンのことは助けて見せるから」


 オーガの冥福を祈り己の白い剣を胸に掲げていると、ふと後ろにずしんと重い物が落ちた音がした。


 振り向いてみると、見上げるほどの巨体。


 まさしく鬼のように怒りの形相に染まったそれは目下に佇む人間を見下ろしていた。


「えっ、えええぇぇええ!? 師匠、なんでぇえええ……って、あぶな!? ちょっと、踏み殺す気かよ!?」


 驚きの余り絶叫するノストを、人間憎しとばかりに踏み潰そうとするオーガ師匠。まさかここでデスマッチになるのかと剣を抜くノストは、視線の端のアンに向けて呼びかける。


「おい、アン!」

「このオーガにはノストと同じ救命措置をつけていた。ノストと仲がいいから」

「これのどこが仲良いって!? 今にも殺されそうなんですけど!」


 文字通りの鬼ごっこを繰り広げるノストは核の間(執務室デザイン)をひたすら逃げ回る。

 守護神の大蛇がひどく迷惑そうにノストを威嚇していた。自分は悪くないのにと少し傷つく。


「私は今から眠りにつく。その間、オーガにはノストのことを守ってもらう予定」

「守ってもらうどころか襲われてんの! ていうか、今からって……!」

「それじゃあ、計画通りに。ノスト、よろしく、ね?」

「ね? じゃねぇよ! そこはもっと感動的に……って、おおい!」


 そうしてアンの姿は光の粒となって核の中に吸い込まれていった。


 猛ダッシュでそこまで到達したノストは核を持ち上げ覗いてみるが、そこにアンの姿はなく、ただ炎のように赤い光が揺らめくだけだった。


「ったく、自由過ぎなんだよ。少しは別れを惜しむ時間くらいくれってんだ……はぁ」


 ノストは深い深いため息をついてその場に座り込んだ。



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