第19話 とりあえず全身鎧を着ればOK
「スライム~助けてくれ~」
世にも情けない声で粘液状生物にしがみついたのは目を充血させて隈をつくったノストだった。
「寝てないのかって? 寝れるわけねぇだろ」
スライムに訊ねられたノストは寝不足で目をぎらつかせながら吐き捨てた。
原因はアンだ。
一緒に寝たいというからどきどきそわそわしながら就寝時間を待ち、ついに大人になる時が来たと息巻いていたのに、アンはすぐに寝てしまったのだ。
寝ているアンを叩き起こすことはもちろん、ヘタレゆえにその間いたずら心を起こしても実行に至ることはできず、さりとて開き直って寝ることもできなかったノストは一睡もできずに朝を迎えたのだ。
できたのは暗がりでアンの寝顔を堪能することくらいだ。それはそれで大変ありがたいことだが、彼女には男と同衾することの意味をもっとよく考えてほしいと思う。
ノストはアンの情操教育を急務事項に定めた。
「いや、そんなのは今はいいんだよ。それよりも助けてくれ」
同じベッドで寝た女性に何一つ行動を起こせなかったどころか、その翌朝に恥もなく泣きついてきた宿敵に、さしものスライムも呆れを隠しきれない。
やれやれというようにノストの背をたたいて話を促し、語られたのは次のようなもの。
「またなんかいいアイデアをくれ」
昨日、戯れにスライムと行ったアイデア勝負からもう一歩惜しいところまで解決策に漕ぎ着けたノストは、調子に乗ってアンに『もっとすごいのを考えてやる』と言ってしまったのだ。
これまでになかった『逃げる』という選択肢を見つけ、迷宮を捨てるという代償を受け入れれば実現は可能ということでアンに褒められたノストだが、そもそも考えたのはスライムだ。それをあたかも自力で思いついたかのように言ってしまい、自分でハードルを上げた結果がこの醜態である。
新しく斬新なアイデアなどそうあるはずがなく、翌朝にして他力本願に縋ろうという下種な魂胆だった。
スライムの『こいつ馬鹿か』という視線が深く突き刺さる。
「ま、まあ百歩譲って俺が馬鹿だったとしてな」
「…………(ふすっ」
「ああ、待て、行くな。行かないでください。言い間違えました俺は間違いなく馬鹿ですだから話を聞いてくれぇええ」
ずりずりとその場を後にするスライムと、それにつかまってずるずると引きずられていくノストの姿がその後50層で見られたとか。
♢ ♢ ♢
いくらノストが平穏を願い、アンやスライムといつも通りに過ごしていても地上の状況は刻一刻と変化する。
2つの探索者パーティによる未曽有の攻略レースが繰り広げられる中、周辺からも多くの人が集まり<地底闇>はアンもびっくりなほど大盛況となっていた。
その多くは今か今かと<地底闇>完全攻略の朗報を待ちわびており、どちらが攻略を果たすか駆けも行われている始末だ。そうした盛り上がりにかこつけて商売人もやってきては、火に薪をくべるように熱狂の渦を加速させていく。
その渦中にある探索者たちはその熱に浮かされているのか、休暇すら十分にとらずに地底を潜り続けていく。
特にノストと旧知の仲である者たちは劣勢であると自覚しているだけに攻略に対する気持ちが強かった。装備に圧倒的な不利を抱えていながらも拮抗できたのは偏にチーム一丸となって強く気持ちを持ち続けたからだ。
しかし――その無理も最後までは続かない。
最年少であり『氷結』属性をもつ後衛ライラがついにその早すぎた足並みについていけず体調を崩したのだ。
それにより彼らの攻略は中断。第37層で探索を終えることとなった。
一方で、死神集団こと探索者パーティ『墓荒らし』はついに前人未到の第40層に到達する。
♢ ♢ ♢
「ライラには悪いが、あいつらがリタイアしてくれて助かったな」
その日、ノストの姿は第40層にあった。
脱走時代でさえ自力ではたどり着けなかった階層だ。ここはすべて地底湖となっており、船がなければ進むことができない。
泳げばいいのでは――そう思い実行した人間はことごとく死ぬことになるだろう。迷宮の地底湖に何も潜まぬはずがないのだから。
当然船などもっていないノストは、たとえ脱走がうまくいっても40層で足止めをくらったはずだ。改めてこの迷宮の理不尽さを思い知る。
「ぐおぉ」
「なんだよ。もう腹減ったのか。ほれ」
「ぐおっぐおっ」
そんな地底湖の水上でノストがまたがっているのはぶくぶくと太った空色のアザラシだった。
オーガ師匠、監視役のスライムに続き、ノストのためだけに生み出された魔物だ。その目的は水上での移動。今回の任務を果たすに至ってこのアザラシの存在はどうしても必要だった。
太っているだけあってノストが乗っても十分スペースに余裕がある。難点は燃費が極度に悪いため、数分に一度餌を与えてやらねばならぬことか。
ノストの背中には魚が入った背負い籠があり、ねだられるたびにその不細工な口に一匹ずつ放り込んでやっていた。
「さて、そろそろかね」
ノストは現在岩陰に潜んでいる。
しかし地底湖の真ん中では今、激しい戦いが繰り広げられている真っ最中だった。
首長の恐竜のような階層ボス。
それに対抗するは――海賊船。
なんとあの死神集団は豊富なアイテムの中に船までもっていたのだ。それも小舟などではなく、大砲を取り付けた大きな船。どんな仕組みなのか、小ビンのような迷宮産アイテムの中に小型化した状態で持ち込んできたらしい。
ぼろぼろな見た目はデザインで、その機能や耐久力に一切の不足はなかった。
まさか大型船と戦う想定はなかったのか、首長竜は劣勢に陥っている。そもそも迷宮の構想からしてあれは水中から一方的に侵入者を襲う目的で存在していたはずだ。
それゆえに戦う力はそれほどないらしく、砲弾を数回も打ちこまれただけで水中に身を翻させて逃走を図ろうとした。
その瞬間、海賊船から飛び降りた人影が手に持った大鎌を水中深くまで切り裂いた。すると予期せぬ追撃に驚いた首長竜の頭が悲鳴をあげて再び水中から出現した。
首長竜の背中に着地した大鎌の探索者はそのまま無防備な長い首を断ち切り、この階層のボスは倒された。
「はぁ、相変わらずの反則っぷり。正面から戦うにしてもあの鎌が厄介だな」
戦いの一部始終を直接見ていたノストはそう分析した。
さきほど首長竜を追撃して水中を切り裂いた一撃。もしあれほどの大物で湖面を斬れば抵抗力によって軌道がずれ、あんなにもきれいに斬ることはできない。
ノストも『斬撃』属性を使えばできるだろうが、あの鎌の男は『斬撃』属性ではない。
ならばその腕が達人級なのかと言えばそうでもなく、からくりはあの大鎌にあった。
アンの観測により、あれは生物だけを対象に実体化する鎌だということが判明している。
そのため相手の盾や鎧を無視して人体だけを斬ることができるし、迷宮の壁を無視して振り回すことができる。水中であっても、抵抗を生む水を無視して振るうことができし、障害物越しの攻撃も可能だ。
弱点は相手の剣なども透過するため武器を受けることができないことだが、それさえ分かっていれば防御無視のとんでもない武器である。当然、これは迷宮産だ。
「よし。じゃあ、行くか」
そんな武器を持つ人間を遠目に、ノストは小さく息を吐き戦闘前のように鋭く目を尖らせた。
そして手に抱えていたフルフェイスの鎧兜をかぶると、その顔はすべて隠れてしまった。
頭部だけではない。ノストは黒い全身鎧を着ており、肌が露出している部分は一切なかった。
見た目だけ黒騎士となったノストはその後光に包まれ、またがっていたアザラシごと姿を消した。
『――見事だ』
突如くぐもった声が地底湖の天井に響いたことにより、首長竜を倒し安堵の息をついていた探索者パーティ『墓荒らし』の面々は再び緊張を張りつめさせた。
迷宮産アイテムの一つである海賊船の甲板上から各々の武器を手に湖面を見渡したところ、一人の鎧騎士の存在に気づく。
「いつの間に……!」
「あいつ、水の上に立ってるぞ」
そう、あれほどの重装備でありながら騎士は水面に直立して立っていた。
動揺が走る中、首長竜の死体に立ったままの大鎌の男だけは冷静だった。
「てめぇ、何モンだ」
距離は離れているが、両者の視線の高さは同じだ。
鎧騎士も彼の方をまっすぐに見据えていた。
『見事だが、しかしまだ足りない』
「なにぃ……?」
『覚悟するがいい。これより下は地獄。生半可な力では通じぬと知れ』
警告ともとれる言葉に大鎌の男は怪訝な表情を浮かべる。
経験豊富な探索者としての直感が、あの鎧騎士を普通の魔物ではないと断じていた。
一方で鎧騎士は相手の態度を気にすることなく、くぐもった声で言葉を連ねた。
『貴様らをずっと見てきた。持つ力、持つ属性、持つ道具。今さら隠せるとは思わぬことだ』
「てめぇ……まさか」
『幾多の試練と恐怖を乗り越えた先に我はいるだろう。だが、果たして貴様らはそこまで辿り着くことができるか?』
「管理者か……!」
その答えに至った探索者たちが戦慄する中で、鎧騎士の体はゆっくりと水中に沈み始めた。
沈みつつ、なおも言う。
『もし仮に、万が一。辿り着けたのなら、そのときは私が貴様らの最期の敵となろう。人生で最期の、な……』
そう言って湖に沈んでいった。
一拍置いてとんでもない跳躍力を見せた大鎌の男が先ほどのように水中を斬り裂くが、手ごたえはなかった。
足場もなく、そのまま着水する。
「リーバー!」
「――ぶはっ! くそ、逃がした!」
「今縄を投げるから早く上ってこい! 魔物が寄って来るぞ!」
大鎌の男リーバーは、縄を待つ間もずっと管理者の言葉の意図を考え続けていた。
♢ ♢ ♢
「あっぶねぇ! あいつ、どんだけ跳ぶんだよ!」
第50層、ノストの部屋にてびしょぬれの鎧武者とアザラシは転がっていた。鎧兜を脱ぎ捨てたノストはあと少し転移が遅れていれば頭が真っ二つになっていたという事実に背中を冷やしていた。
「つーか、おいアザラシ! お前もうちょっと頑張れよ! 話してる間に沈み始めた時はどうなるかと思ったわ!」
「ぐぉ……」
ノストは水面に立っていたのではなく、実際は水中に擬態したアザラシの背中の上に立っていたのだ。
しかし人間一人に加え鎧の重さを耐えることは厳しかったらしく、予定外の退散を強いられた。そのことが意図せず不気味さを醸し出していたことをまだ知らない。
アザラシはもう腹をすかせたのか若干頬をこけさせて力なく鳴いている。
「大丈夫?」
一通りのツッコミを終えたノストに心配そうな声を掛けたのは、あの茶番でノストの移動に手を貸したアンだ。
手にはタオルを持ち、甲斐甲斐しくノストの頭を拭き始める。
「間一髪、助かった。だいたいはうまくいったと思う」
「じゃあ?」
「これでちょっとはビビッて足を緩めてくれると助かるんだが」
あまりに早い攻略ペースを怖れたノストが講じた策は、相手の警戒心を増大させることだった。
鎧騎士という不気味で謎の存在が現れて意味深な言葉を残したことにより、死神集団は本当にこのまま進んでいいのか、もう少しじっくり進むべきではないか、などと疑心暗鬼に陥ることだろう。陥ってもらわなければむしろ困る。
「さて、いよいよもってやばくなってきたな。もうあと10層でここまで来ると考えると」
今回の策では根本的な解決には至らない。稼いだ時間でなんとか攻略の手を完全に止めることが必要だ。
さっき帰ってきたにもかかわらず、ノストは頭を捻り始める。賢いと言われたことのない頭でも、捻って絞れば何かしらは出てくるだろう。今回のように。
そんなノストの身の世話をアンは黙々とやり続けていた。