第1話 凄絶な争い
『迷宮とはビジネスである』
どこかの偉い人はそう言った。
魔物が出現し、攻略には命の危険がつきまとう代わりに、資源や秘宝、食料などが得られる迷宮は、一国の宝物庫を優に超える価値を持っていた。
迷宮は超神秘的なもので、人の手で操作することはできない。
どこに現れ、どれくらいの規模で、どんな危険があるかは神のみぞ知る、というわけだ。
しかし、迷宮には生まれながらに管理者がいる。
迷宮と命を共にし、その全権がゆだねられた知能を持つ存在だ。彼らは迷宮の最終階層にて己の命でもある核を守り続けた。
人類の安寧を保つためにそんな迷宮管理者を狩り回っていたのは一世代も昔の話。
自衛のための十分な力と技術、ノウハウを積み上げた人類は、迷宮を破壊するのではなく資源の調達場とするべく方針を転換していた。
あるときは管理者と平和的に交渉し。
あるときは力づくで叩き伏せて言うことを聞かせる。
管理者の命と同義である迷宮核を人質(?)にとって脅しをかけるというものもあった。
迷宮もある意味では命を持った生物だ。
自分の生殺与奪を握られてしまえば逆らうことはできなかった。
そんなこんなで世界中に散らばる迷宮を手中に収めようと、探索者ブームが舞い降りたのが現代である。
すでに人類の傘下に下った迷宮では、比較的安全な条件の下で探索をし、必要な資源を得てはその日の稼ぎを貰う。
まだ未踏破で、管理者と交渉できていない迷宮では、華々しい栄誉と莫大な報奨を目当てに激しい競争が繰り広げられている。
現在において未踏破である迷宮は10個確認されているが、その中でも探索が難航しているのが3大迷宮である。
迷宮名<天空塔>
迷宮名<氷海流>
そして、迷宮名<地底闇>
立地の関係から入り口に辿り着くまでが楽で、多くの人間が夢を見て集まるのが<地底闇>だった。
地面にぱっくりと空いた裂け目の奥に存在する迷宮。
過去から現在に至るまで多くの探索者の命を奪ってきた迷宮であり、地獄の入り口とも言われていた。
そんな<地底闇>の奥深く。
人類の最高到達階層が28層であるのに対し、最終階層である50層では――
――燃え尽きてベッドに沈む少年を慰める迷宮管理者の少女、という構図が出来上がっていた。
♢ ♢ ♢
「もうだめだぁ……俺なんか一生日の目を見ることなくここで死ぬんだぁ……」
地底の奥底に似つかわしくないほどに小綺麗な部屋の一角に取り付けられたベッドで、布団にくるまっているのはブロンドの髪をしたまだ年若い少年である。
ノスト・リーク。17歳。
ごく普通の一般家庭の生まれで、探索者。
将来を有望視されて探索者になり、偶然の成功を経て勘違いを起こし、そして愚かにも分不相応な迷宮に挑んで命を散らすはずだった、どこにでもいる男だ。
「元気、だして?」
「誰のせいだと思ってんだよぉお!」
ノストが一命をとりとめた理由と言うのが、彼を傍らで励ましている(つもりの)少女である。
その可憐な見た目で惑わされることなかれ。
彼女こそ、3大迷宮<地底闇>の管理者。
名前はまだない。
「おい、なに『それってもしかして私?』みたいに首傾げてんだよ! 一から十までお前のせいだよ!」
「……驚愕の事実」
「自覚がないことが驚愕の事実だわ!」
やってられるかとばかりにノストは布団に頭ごと潜り込む。
布団の上から背中をさする手の優しさが今は恨めしい。
白髪色白の少女の見た目でなかったら、ノストは容赦なく彼女を突き飛ばしていただろう。
年頃の少年は、見た目だけであろうと少女を手荒には扱えないという無駄な紳士力を発揮していたのだった。
そうしてしばらく経った後、不意にノストの腹が鳴き声を上げた。
心身に疲労をもたらしたあの死闘からまだ何も口にしていない。布団の中でノストは羞恥に顔を赤くする。
「待ってて」
すると少女は立ち上がり、とことこと部屋の外へ出て行った。
そして時間を置かずに今度はワゴンを押して戻ってくる。
ワゴンには出来立ての豪華な食事が乗せられていた。
少女はそれを部屋のテーブルに並べる。
椀を置いた時になる音。じゅうじゅうと肉汁がはじける音。からんと氷がグラスに音を鳴らせば、思い出したかのように喉の渇きが沸き上がる。
「さあ、お食べ」
配膳を終えた少女がノストに呼び掛ける。
今、ノストの中では意地と本能が凄絶な争いを繰り広げていた。
管理者は打倒すべき敵であり、その敵に送られた塩を受け取れるものか。
それに「お食べ」とはなんだ。これではまるで飼い犬に餌をやる主人ではないか。
人の尊厳を弄ぶとはおのれ迷宮管理者め、許すまじ。
いやいや、腹が減っては戦ができぬというではないか。
ここは雌伏の時。今は屈辱を受け入れて体力を回復させるべきだ。
そもそも、彼女にはもう数え切れぬほど食事を与えられた後だ。今更、一食分我慢したところで意味はない。
大丈夫大丈夫。
ほら、冷えたらおいしくなくなるし。
こんな豪華な料理、食べない方がもったいないって。
さあ、布団から出て、テーブルの方へと――
「いただきます!」
「召し上がれ」
本能、今日も圧勝。
ノストが<地底闇>の第5層で命を落としかけたのは、もう3年も昔のことであった。
地元でちょっともてはやされ、地方の街でも期待の若手と呼ばれた。
実際、そう言われるだけの才能はあった。
このまま成長を重ね、一度か二度ほど挫折を経験して糧にすれば、若くしてトップクラスの探索者にもなれただろう。
しかし、おだてられて鼻を伸ばしていたノストに襲い掛かった初めての危機は致命的なものだった。
優秀な探索者ばかりが集まる<地底闇>で功を焦り、単身で5層に降りる。
<地底闇>はその名の通り、地底に沈む暗闇の迷宮である。
46層まで来れば趣も変わってくるが、浅層は先も見通せぬ闇の中で手元の明かりだけを頼りに進む迷路である。
当然、魔物も襲ってくる。
目の利かない中を進むには才能だけでなく経験も重要になる。
自分を過信しすぎたノストは案の定そこで迷い、さらに闇に紛れた狼に襲われた。
死ぬと思った。
馬鹿だった、とも。
送り出してくれた両親、兄弟。喧嘩別れした元仲間たちの顔が次々と浮かんでは消えた。
慢心の代償は自分や仲間の命かもしれないと、言われ続けたことを初めて実感し、そのときにはもう遅く。
焼けつくような痛みと、流れ出す血。
絶え間ない痛みと咀嚼音を聞きながら、ノストの意識は闇に沈んだ。
次に目を覚ましたとき、傍らには管理者を名乗る少女がいて。
ここは<地底闇>の最終層である50層だと聞かされ。
――自分はここに囚われたのだと悟った。
「今回は何が悪かった?」
「46層に時間をかけすぎた。あそこは階層主のエメラルメルダを倒さないといつまでも迷い続ける仕組み」
「エメラ……そのなんとかって、あの俺の見た目を真似たやつか?」
そんな出会いから3年後、ノストは自分を捕らえた少女とともに食後のデザートを食べながら会話をしていた。
「そう。エメラルメルダは宝石の中を自由に行き来できる幻術の使い手。敵が正気の間は姿を見せず、幻術にかかったところで初めて姿を偽って現れる」
「へー、っていや待て。それだとまず幻術にわざとかかって、そのエメルラメルメダをおびき出せってことか? そんで、出てきた瞬間に正気に戻って倒せと?」
「エメラルメルダ。でも、そう」
「はぁ!? タチ悪すぎだろ!」
ノストは管理者本人から迷宮の攻略法を聞くという、他の探索者が聞けば嫉妬に荒れ狂いそうな好待遇を得ていた。
問題は、聞いたところでそれを実現するのが困難を極めるということだ。
天を仰ぐノストを見て、少女は満足げにむふーと鼻を膨らませる。
「そう。私の迷宮は難易度最高。だからノストは脱走を諦めるべき」
分かりにくい勝者の笑みに、少年はがっくりと肩を落とした。




