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ラスト・ボス ~囚われの探索者は今日も脱走する~  作者: 浮谷柳太
第四章 地底の未来は明るく
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第17話 朝

 地底の朝は静かだ。


 差し込む朝日も、小鳥のさえずりも、生活の営みの音も聞こえない。それゆえに安眠を妨害するものは一切なかった。


「ん……」


 しかしこの日は違った。

 ノストが4年間一人で独占し続けていた聖地(ベッド)に意図しない揺れが起こったのだ。


 同時にどこか幼げな声。普段よりも布団の中が温かい気がする。

 しかし地底ということもあって室温は低めの部屋だ。その温かさがむしろ心地よく、ノストは半ば夢現でその抱き枕を強く抱きしめた。


「ふぁ……ん」


 やはり温かい。このまま白髪色白の少女が起こしに来るまで二度寝に洒落こむとしよう。


 そう思ったところではて、と思う。

 果たして自分は抱き枕など持っていただろうか。


 腕の中の抱き枕がもぞりと動く。


 途端に意識が覚醒し、背筋に嫌な汗が発生した。

 そこはかとなく目を開くのが迷われる。


 まさか。いや、まさか。

 そんな馬鹿みたいなことが、まさかあったというのか。


 ノストは戦慄とともに凍りついた。

 自分が抱きしめているものは間違いなく人肌のぬくもりだ。そしてこの地底においてこのようなぬくもり、感触を生み出す生命体は一つしかない。実はスライムでした、などというオチは断じてない。


 昨晩何があればこんなことになる?

 確かにいろいろとあってアンと和解し、気持ちを伝えた記憶は存在する。しかしその後、こんな状態になるほど盛り上がる何かがあっただろうか? どうにも思い出すことができない。


 まさか、記憶にないだけで自分はもう大人の階段を昇ってしまったというのか。

 いや、それ自体に問題はない。覚えていないのは惜しまれるが、そういう関係となるのも吝かではないわけで。でも、もうちょっと、こう猶予というか、気持ちの整理をつけてから致したかったというのはある。


 脳裏に東の島国出身の探索者、ひそかに性の師匠と呼んでいた人物の声がこだました。


 ――手籠めにしたら責任をとらねばならぬ。


 ――手籠めにしたら責任を――


 ――責任を――


「ぬあぁぁあああ!? これは腹を決める時か!? そうなのか!?」

「んあ、ノスト、苦しい」

「うおぉ!?」


 身もだえするうちに力が入っていたらしい。腕の中の存在が目覚め、活動を始めようとしていた。


 抜け出そうとしてもぞもぞと動かれるたびにぞくぞくするような感覚が襲ってくる。

 このまま離して顔を突き合わせれば絶対直視できない。そう思ったノストは腹をくくり、より強い力で彼女を抱き寄せた後耳に口を近づけた。


「アン、聞け。こうなった以上は言い逃れなんかしない。昨日の今日でなんだが、きちんと責任をとって面倒見るから安心してくれ」


 決まった。そう思った。

 決意を込めた低い声は、その本気度を余すことなく届け切ったことだろう。

 頭の中でははるか上にいる師匠に「俺、やったよ」と報告をしていた。


 しかし期待するような返答は返ってこなかった。


「寝ぼけて、る?」

「え?」

「それにノストの面倒を見ているのは私」

「…………」

「朝ごはんにするから離して」

「ハイ」


 腕の中の彼女はするりといなくなってしまった。

 ベッド脇に降り立ったアンはいつもの白いワンピースを着ており、その長い髪にすら乱れは一切ない。


「ごはん持ってくるまでに着替えてて」

「了解でございます」


 尻に敷かれ切った男は何一つ反抗することなく少女の言いつけを受け入れた。


 とたとたと部屋を出て行くアンを見送って、ノストは自分の恰好を見下ろした。彼もきちんと寝間着を着ている。


 つまりは、そういうことだ。









「なに黒歴史増やしてんだよ、俺は! とんだ自爆じゃねぇか!」


 起き抜けの寝ぼけを顔を冷たい水で吹きとばしたことで、ノストは自分の失態を遅まきながら悟った。


 そう、昨日は脱走の疲れもありノストは食べた後にすぐ眠りについたのだ。当然男女のあれこれをする余裕もなかった。


 問題はなぜアンが同衾していたかということなのだが――


「なんで人の布団に入ってきてんだお前は」

「……ノストの寝顔を見てると、眠くなってきて」

「この場合は人の寝顔を勝手に見るなと言うべきなのか、それとも眠いからってその場で寝るなと言うべきなのか」


 相変わらずの自由奔放さであった。


 とはいえ、こんなことは今まで一度もなかったことからすると距離が縮まったと言えることなのかもしれない。

 問題は当の本人が一切の曇りもない純粋さでもって動いているということか。


「いや、待てよ」


 突如ノストは額に手を当てた。


 見かけで勝手にアンを女性として扱っているが、本当にそうなのだろうか。

 彼女は迷宮の化身とも言うべき管理者で、人間とは生物の括りからして違う。性別がない可能性や人体の構造が人間と異なる可能性がある。


 そのときノストは心から彼女を受け入れることができるのだろうか。

 想像してみて、しかし驚いたことにそれほどの嫌悪感はない。


 どんだけこいつに首ったけなんだよ、と自分で自分に苦笑した。


「どうしたの?」

「いや、なんでもねぇよ」


 こてん、と首を傾げる姿すら愛らしさを感じてしまう。

 こんなふうに過ごして行けるなら多少の不都合は問題なかった。


 それにまだ付き合っているわけでもないので、そういったのはもっと先の話だろう。

 今はただ何も問題なく、穏やかに過ごしていられればそれでいい。


「あ、ノスト」

「ん? なんだ」

「36層が突破された」

「大問題じゃねぇか!」


 そんな儚い願いは一瞬で崩れ去った。


 そう、今この迷宮は過去に例がないほどの勢いで侵略されつつあるのだ。忘れていたわけではないが、もう少しこの余韻に浸らせてほしいと無粋な探索者たちにムカつきさえ覚える。


「あいつらの余裕はどんな感じだ? そろそろ力尽きそうか?」

「効率よく最短ルートで進んでいるから、まだまだいけそう。むしろより勢いに乗っている」

「はぁ、反則ばっか使いやがって」


 件の死神集団のもつ迷宮産アイテムについて、次のような効果が判明している。


 階段の方向を指し示す羅針盤。

 魔物除けのお香。

 危険を感知するアクセサリー。

 隠れた罠を透視する眼鏡。

 その他、戦闘で役立つ攻撃用・防御用のものが数多く。その中にはリーダー格がもっていた大鎌も含まれる。


 どれも迷宮を攻略するためにピンポイントなものばかりだ。

 おそらく核を確保した管理者を脅して直接作らせているのだと思われる。


 ただでさえ初めから強いのに、こんなに武装を固めてしまえば手に負えなくなるのも当然だ。


 問題はそれを前にしてただ天運に身をまかせて座して待つのか、それとも彼らが辿り着けぬよう足掻くのかだが――


「私はどうすればいい?」

「……俺に聞くのかよ」

「昨日ノストは言った。私には危機感がないと。危険な時、どうすればいい?」


 アンは真剣な表情でそう訊ねた。


 アンがノストの意見をきちんと聞き入れ、尊重しようとしている。少しは彼女の中でノストの立場が向上したということだろう。

 その期待を裏切らぬためにも、彼も真剣に対応する。


「確認だが、アンは助かりたいってことでいいんだよな?」

「助かりたい。もう私の毎日は退屈じゃなくなったから。今の生活をもっと続けていたい」

「よし来た。俺に任せろ」


 望む答えを聞けたことで俄然やる気がでてくる。

 意気揚々と彼は語り出した。


「何するかなんて簡単だろ。下に続く階段なんか作らなきゃいいんだよ」


 ずっと思っていたことだ。なぜ管理者は自分のいるところまで律儀に道をつくるのかと。そんなことをすればいずれ探索者に辿り着かれてしまうことは必定だ。


 真に安全を得るならば管理者の力で誰もたどり着けない場所を創り出してしまえばいい。


 そんなことを得意げに言ったのだが――


「それはできない」

「はぁ!? なんでだよ」

「迷宮の決まり。必ず階層間は行き来できる形にしなければならない」

「じゃ、じゃあ階段の前を分厚い壁で遮るってのは!?」

「それもできない。49層のように不定期に道が開くというのならできるけど。それにしても大幅な変更には時間がかかる」

「時間ってどのくらいだ?」

「この場合は3ヶ月くらい」


 ノストは頭を抱えた。時間的猶予はぎりぎりあるだろうが、それで死神集団を確実に止められるとは限らないからだ。


 下手に他の階層を49層と同じ仕組みにすれば、本命である49層を早々に攻略される可能性もある。強力であろうと同じネタというのは対応されやすい。


「40層とかをめちゃくちゃ難易度上げるのは?」

「それも同じで時間がかかる。基本的に大幅な変更は月単位の時間が必要」

「まじかぁ……」


 それでは今から探索者に不利な状況をつくるというのは不可能ということだ。

 管理者だからといってすべてを思い通りにできるかというとそうでもないらしい。


「ちなみに、アンが戦ったとして勝てる見込みは?」

「勝てないとは言わない。しかし不確定要素が大きい。なぜなら管理者には同じ迷宮の力でできたアイテムが通じる。一つ二つならともかく……」

「あの量を持ち込まれるとなぁ」


 あまりに詰んでいる。

 できることといえばちょっとした迷宮構造の微調整と、途中で力尽きてくれるのを願うことだけだ。


「俺が戦う、ってのもありえないし」


 アンができないことをノストができるはずがないし、そうでなくてもさすがに真っ当な人間と敵対するのは避けたい。アンを選んだノストだが、そこまで人間であることを捨てたつもりはなかった。


「これはいよいよやばいか……?」


 腹案が前提から不可能だと分かった今、最初の自信は完全に消え去っていた。

 じっとこちらを見るアンの視線が痛い。何か思いつかなければ、と考えながらも口から出た案はその場しのぎ的なものだった。


「……とりあえず、これまで通り監視して戦力を分析しよう」

「わかった」



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