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ラスト・ボス ~囚われの探索者は今日も脱走する~  作者: 浮谷柳太
第三章 地上を結ぶ道は狭く
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第14話 悔い、願う

 ノストがいなくなった。


 もう47層を超えて46層まで行っている。


 いつもなら、気づいたところですぐに追いかけている段階だ。


 でも、彼女はそれをしなかった。


 彼のことを、ずっと放置していた。


「私が、ノストに興味を失ったから?」


 そうなのかもしれない。


 ここ最近、頭にあるのはずっと別の人間だった。


 丹精込めて作った迷宮を次々に攻略し、最下層を目指す探索者。


 彼らを見ていると、悔しいような、嬉しいような、いろんな感情が湧きだしてくる。

 この静かな地底に変化をもたらした彼らに差し込む光のようなものを感じて、つい見入ってしまう。


「だから私は、ノストを捨てる?」


 いや、そんなつもりはない。

 初めから、ノストのことを用なしだと捨てるつもりは微塵もなかった。


 多少他のことに気をとられていたからといって、彼があれほどまでに怒るとは思っていなかったのだ。


 常に一人だったせいで、人間関係の機微に疎いのが原因だ。

 アンの世界は自分を中心にまわっていた。だから、彼が怒っているのは分かっても、それがなぜかは分からない。


 しかし、初めての本気の怒りに触れて、彼女は初めて自分の行動の結果と責任に向き合おうとしていた。


「私の、せい」


 自分の都合で彼を閉じ込めた。

 管理者としての力に物を言わせて彼に望まぬ扱いを強いた。


 それなのに、蔑ろにした。


 ノストの視点から考えると、なんと傲慢で我儘だっただろうか。

 怒るのも当然だ。理由を問われ”分からない”で済まされる問題ではない。


 彼が恩を感じていたから、そして優しかったから許されていただけだ。

 ままならぬ4年もの月日を、彼はただ我慢していてくれただけなのだ。


 それに甘えていた。

 そしてツケを払う日が来た。それだけのことだ。


「ノストを解放するべき?」


 彼は怒って行ってしまった。


 今さらかもしれないが、彼を迷宮の外に出してあげるべきだろうか。


 姿を見せぬまま、転移で地上に送ってやるだけだ。

 そうすればすべて解決だ。ノストはずっと願っていた太陽の光を拝むことができ、知り合いたちと再会を果たすだろう。


 しかしアンは違うと思った。

 仮に実行した時に思い浮かぶノストの表情は喜びではなく憎しみだった。それだけはやってはいけないと、想像上の少年が呼びかけているようだ。


「なら、言われた通り救済措置を消す?」


 本人が言っていたことだ。


 ノストを迷宮に縛る鎖をすべて解き放ち、彼の脱走を認める。

 失敗すれば当然死ぬことになるが、それは彼自身の望んだことだった。


 アンの見立てではほぼ100%の確率でノストは死ぬ。

 強くなり、深層の情報に精通しているのはアンも認めるところだったが、それで攻略できるほど優しいつくりはしていない。


 ましてや44層以降はまったくの未知な状態。

 ここまでは順調に進んでいるようだが、遅かれ早かれ死ぬことは確定的だった。


 それを知ってなお、彼の望むように命を解放してやるべきか?


 アンの本心はそのことを拒んでいた。


「分からない」


 彼が望まずとも、手を加えて彼を生かすべきか。

 言われた通りにして、彼を見殺しにするべきか。


 ずっと、ノストの部屋で考え続ける。


 しかし考えども考えども答えは出なかった。


 やがてノストの脱走は佳境を迎える。

 45層を血まみれになりながらも突破し、ついに単身で第44層に到達したのだ。


 それと同時に、休息を経て活動を再開した件のパーティが、第33層を突破すべくの最奥で階層ボスと戦い始めたことを管理者の機能を通じて知る。


 どちらを見るべきか。

 管理者の目をもってすれば同時に見ることもできる。しかし注意力が低下することに加え、アンはどちらかに絞るべきだと直感で思った。


 慣れ親しみ、迷惑をかけた少年が死ぬまでの生き様か。

 新しい旋風を巻き起こす探索者が魅せる華々しい活躍か。


 今、地底に潜む管理者は大きな決断を迫られていた。






 ♢ ♢ ♢






 全身を血で汚し、幽鬼のように体を揺らしながら歩く人間がいた。


 その眼光は刃のように鋭く研ぎ澄まされ、同様に鋭く鈍い光を放つ白い剣は無形の型で構えられていた。


 瞬間、暗闇に白い軌跡が走る。

 地面に赤黒い染みをつくったのは真っ二つに裂かれた食肉コウモリの死骸だった。


 彼を囲む無数の赤い瞳にまた緊張が走る。

 迷宮に潜み侵入者を狩るはずの魔物が、気圧されて行動を抑制されていた。


 それは野生の感覚だ。

 手を出すべきではないと本能的に感知し、事実襲い掛かった仲間はすべて死んでいった。


 血を流させても逆に危機感は増すばかり。

 初めは意思を感じられた目も、今では正常な思考を保っているのかどうかも分からない。

 ただ本能のままに、襲ってくる敵を斬り伏せているだけのようにようだった。


 そうでありながらも正確に最短の道筋をたどって襲い来る刃。

 コウモリたちは迷宮を逆走する謎の存在をただ黙って見送った。






「うっ、あーきっつい……」


 セーフティスポットである階段の途中でノストは壁に背を預け座り込んだ。


 実際のところ彼に余裕など一切なかった。

 あの状態はある種の切り札であり、さらに自分の身を削る必要があったからだ。


 呪剣『慚鬼』。

 ノストのもつ白い剣の名だ。


 その能力は使用者の血を与えることで根源的な力を得るというもの。

 暗闇の中、無音で襲い来るコウモリを斬れた反射能力も、魔物に行動を起こさせない威圧感も、すべてこの呪われた剣に相応の対価を払ったことで得たものだった。


 ノストは初めて特殊な力を持つ迷宮産の武器を本当の意味で扱ったが、なるほど、その威力は絶大だ。

 これなら足りない力を補って余りある。


 あの全身をアイテムで固めた集団が強いのも分かるというものだった。


 しかしその対価があまりに重い。

 45層を抜けるだけでもすでに血が足りず、足元がふらつく。


 剣の力を引き出すためにノストは自傷して血を流したほか、ところどころで傷を受け消耗していた。

 アンには45層を攻略目前と見栄を張ったが、それは先を考えず切り札を切ってようやくというところだ。こんな体たらくでは脱出など夢のまた夢であった。


「どうだ、見てるか? やってやったぜ」


 しかし彼はまだ意地を張り続ける。

 青い顔をして、自分を見ているかもしれない少女に対し虚勢を張って勝ち誇った。


 アンはどうしているだろうか。


 あれほど挑発して癇に障ることを言い、怒鳴り散らかしたのだ。

 さすがにもう愛想を尽かして見放されているかもしれない。


 今もあの死神集団の方を見ていて、ノストのことなど忘れているかもしれない。


 言われるまでもなく彼の命を解放し、いつでも死ねるよう整えているかもしれない。


 重力が増したかのような体の重さが本当の死に近づいている証拠だと思うと、とてつもなく空恐ろしいように感じられた。

 なんだかんだで命の保証がされた探索ばかりしていたのだ。改めて本当の戦いというものに身を乗り出しているのだという実感に怯えが走る。


「馬鹿馬鹿しい。そんなの誰だって普通のことだろうがよ」


 そんな精神的足枷をノストは笑い飛ばした。


 探索者のライバルも、先輩も後輩もみんなすぐそこに迫っているかもしれない死との恐怖に耐えて戦っている。


 そう、誰も彼も怯えながら戦っているのだ。

 痛みに、喪失に、失望に、死に怯えながらも、今日もどこかで戦っている。


「お前はどうだ。もう諦めてるのか? 退屈だからって、他にやることがないからって、生きることを諦めてこれからのこと全部受け入れているのか?」


 答えの返ってこない問いを投げかける。


 まだ少女が自分を見放さずにいて、死に体で生にしがみつく弱くて情けない男を今も見守っていると信じて。


「俺は絶対嫌だね、そんなの。仮に地面の底の底まで落ちて、苦しかろうがつらかろうが最後の最後までもがき切ってやる。それをダサいって笑うなら笑え」


 ――でもな。


 声には出さず、心の中だけで語り掛ける。


 ――今そう思えるのはお前のおかげなんだぜ。


 彼にだって完全に折れて消沈してしまった時期があった。


 死ぬような経験をして、もうあんな目に遭いたくないと地底での生活を受け入れて引きこもっていた若き日のノスト。

 そんな彼に安らぎを与え、もう一度立ち上がろうと背を押してくれたのはアンだ。


 眩い光ではない。

 でも闇の中に薄く灯る明かりは傷ついた心を優しく癒した。


 そしてノストは今も自分の人生を生きている。


「俺は地上に行くぜ。そしたら今度は真正面からここを攻略する。そしてお前が馬鹿にした俺の手で、いらないって投げ出したお前の命に引導をくれてやる」


 だからもう一度自分を見ろ。


 人間の道具にされるくらいなら、いっそこの手で殺されろ。


 自己中心的で倒錯した結論だということは自覚している。

 だけど彼女の心に声が届かないのが悔しくて空しくて、あの諦観じみた感性に耐えられなくて、その両方を片付ける方法はこんなものしかなかった。


「待ってろよ。俺がお前の最後の敵だ」


 そうして立ち上がったノストは残りの階段をすべて登り終える。


 その先に広がるは第44層、そのフロアボスの間。


 ふてぶてしく胡坐をかき、ノストを見据える片角の鬼がそこにはいた。



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