第13話 こども
昨日は更新できませんでした。
すまぬ。
結局その日もノストは死ぬことで50層に帰還した。
相変わらず迷宮を進む死神集団にご執心のアンをひっぱたいて食事を用意させ、夕食を取り始める。
「そんなにいいもんかね。あんな気味悪いやつらを見てるのは」
食事中にもそんな嫌味が口から出てくる。
自分でも感じが悪いと思うが、言われても仕方のないことだと正当化する。
「……ごめんなさい。ノストのことを蔑ろにして」
「いや、別にいいんだぜ? お前の退屈を晴らしてくれるいい相手が見つかったんだからな。もう俺で紛らわす必要はないだろ?」
「別に、そういうわけでは」
珍しくノストの言葉を聞き入れて殊勝な態度をしている少女につい意地の悪い笑みを浮かべてしまいそうになる。
しかし今はまじめな話をしているということで、きつく表情を引き締めた。
先ほどの言葉の中に、これまで曖昧で済まされていた疑問の答えを含めている。
予想ではあるが強い否定は返ってこない。
「そういうことだろ? お前は迷宮を作ったもののなかなか攻略されなくて暇だった。だから浅層で死にかけた俺を連れて来て、好きに遊んでたんだ」
「…………」
「いや、俺は恨んでるどころか感謝しているんだぜ? あのまま死んでたら、ただの馬鹿で笑い物だ。それをやり直すチャンスをくれたんだからな。ここで得た知識を生かして、<地底闇>完全踏破の栄誉を手にするチャンスを」
精一杯、アンを小ばかにするような態度をとる。
お前が遊び半分で助けた人間に、内心を言い当てられて見下される気分はどうだ。
顔色を窺ってどんな扱いでも許容してへらへらするだけだとでも思っていたか。
興味や好感でなくてもいい。
今、この少女は間違いなく自分の言葉に耳を傾けている。
「無理だと思うか? まあそうだろうな。俺は多少腕っぷしがあるだけで、経験も頭も、貴重なアイテムの数々も持っていないのは知っての通りだ」
そう自分の未熟さを皮肉る。
比較対象は言うまでもなく問題の探索者たち。
彼らと比べるとノストがちっぽけでしかないというのは彼自身理解している。
それでもどこかで期待する声があった。
『そんなことはない』
そう言われれば、きっとまた彼は甘さの檻の中に身を落とし込んでいたかもしれない。
しかしそんな現実は訪れず、だからノストは予定の通りに話を進めた。
「今日、俺は第44層の直前まで辿り着いた」
「え……?」
「知らなかったか? そりゃそうだよな。なんせお前の頭はアイツらのことでいっぱいなんだから。まあ最後の最後で血が足りなくなって倒れちまったが、次は突破できるだろうよ」
その言葉に嘘偽りはない。
ノストは身を削りながらもあの食肉コウモリの群れの中をゴール直前まで辿り着けたのだ。
もう大体の道筋は頭に入っているので、今度は力尽きる前に上階に到達することができるだろう。
彼の中ではもう攻略したも同然だった。
それなのに、少女がひと欠片もそのことを知らなかったという事実は、分かっていながらもノストの心を深く傷つけた。
黙りこくるアンに向けて言い放つ。
「なあ、アン。もう俺のことは必要ないよな?」
「…………」
「黙るってことは、肯定と捉えるぞ」
「……分からない」
「今に至ってまだ誤魔化す気か。お前は新しいオモチャを見つけたから俺のことなんかどうでもよくなっちまったんだよ。ああ、せいせいするね。これでようやくお前から解放されるんだ」
往生際の悪い少女に苛立ちを増したノストは、さらに厳しい言葉でそれを糾弾する。
そして思ってもいないことが次々と溢れて止まらない。
「どうせあの鎌男が死んだらまた監禁するんだろ? そしたら俺のことなんか邪魔になるよな? 安心しろ。出て行ってやる。こんなところ、今すぐにでも脱走してやるよ! だから俺にかけた呪いを解け。死んでも死ねないあの呪いを解けよ! 今すぐに!」
ダンっと拳を机に叩き付ける。
皿からこぼれたスープが机の上を汚し、端に置かれてあったスプーンが床に落ちて甲高い音をたてた。
ああ、こんなことを言うはずではなかった。
死んでもやり直せる機能をとられて困るのはノストの方だ。本当だったらもっとスマートに、アンのことを最大限に利用して逃げ切るはずだったのに。
しかし一度言ってしまった手前、意地っ張りなノストはそれを取り下げることができない。
激情に怯えることもなく、ただ視線を落としているだけの少女に決断を迫るように睨む。
「なあ、何とか言ってみろよ」
「……分からない」
「あ?」
「本当に、私は分からない。自分が何をしたいのか。どうして迷宮をつくっているのか。どうして、ノストだったのか」
そこまでだった。
これ以上のまともな対話は望めない。ノストも、少女も。
「話にならねえ。俺はもう行く」
「…………」
「ごちそうさま。これで最後だ。追いかけてくるなよ。それから俺の言ったこと、ちゃんと守れ」
そう言い残してノストは席を立つ。
剣を手に持ち、服やちょっとした小物を入れた荷袋を背負って扉に向かう。
もはや置き物となっていたスライムを押しのけて出て行く彼を呼び止める声は、ついになかった。
歩く。
「……くそ」
速足になる。
「くそ!」
堪えきれず、駆け出す。
「チクショォオオオ!」
暖かい明かりを背に、暗い階段を登る。
それを超えた先には光あふれる地上があるはずなのに、なぜこうも足が重い。
なぜ、明光よりも薄明に心惹かれる。
誰のせいだ。
あいつのせいだ。あいつのせいで、ノストの中の何もかもが変わってしまった。
あれほどまでに栄光を願ってやまなかった自分が、弱くとも穏やかで温かい光を失うことに、これほど恐れを抱いている。
叫ばずにはいられない。叱咤し続けねば、甘さに溺れた彼はやがて足を止めてしまうから。
「何が”分からない”だ! 俺の方がもっと分かんねぇんだよ!」
自分が彼女にとってどんな存在なのか。
ただ退屈を紛らわせるだけの存在と言ったのはただの当てこすりだ。
未熟な精神がそんな態度しかとらせなかった。自分がそれほどまでに”軽い”存在であることを認められなかったが故、怒らせて気を引こうなどという子供のような主張の仕方だ。
本当は別の可能性があって、違うとはっきり言い切ってほしかった。
そうでなければ、こんなに空しいことはない。
困らせることはあっただろう。でも確かに自分たちは笑い合い、4年という日々を色づかせながら過ごしてきたはずだ。
あの困り顔が、分かりにくい笑顔が、すべて嘘だったなど到底受け入れられない。
「分からない。いや、分かりたくもねえ。俺たちは分かり合えなかったんだ、始めから」
そしていつもの結論に辿り着く。
探索者と、迷宮管理者。
どこまでも遠く対極的な存在。
根幹からして生物としての違いがある。
分かってはならない。
探索者として、人として生きるなら。
分かるべきではない。
少女の胸の内がどんなものかなど。
理解してしまえば、きっと耐えられなくなるから。
ただでさえつり橋の如く揺れ動く心は、ぷっつりと断ち切れて一直線に奈落の底に落ちていくだろう。
だから気づかない。分からないでい続けるのだ。
いつか日の目の下に辿り着く、その後もずっと永遠に。
「慚鬼!」
ノストは自らの手の皮を薄く斬り、浮かんだ血を白い剣に付着させた。
迷宮の階層ボスを任せられるほどの魔物の象徴ともいえる角を、管理者が自ら削り作った剣。
『斬撃』という特殊な属性を受け、さらには下層で数多の魔物の血を浴び続けた得物。
それはノストが初めて第46層に到達した時、死に瀕した使用者の狂気を受けて特殊なものに変じた。
あの死神たちが身に着ける迷宮産のアイテム。
それと同様の剣へと昇華されたのだ。
「うああァアアアア!!!」
野性的な咆哮をあげ、”次”のない戦いへと一匹の鬼は身を投じた。