第11話 片や45、片や29
【ネタバレ】主人公、少しグロめに死にます。
あっという間に複数の襲撃者を殺してしまった不気味な集団はその後も安定した攻略を続けた。
最短ルートを進んでいるのは問題ない。
攻略済みの第28層までは金を払えば地図を手に入れることができるからだ。
同様に、出現する魔物や罠などの情報も知ろうと思えばいくらでも知れる。
しかし寄り道をせず真っ直ぐに下層を目指していることから、彼らはちょっとした鉱石やお宝には興味がなく、本気の攻略を目指しているのだと感じられた。
「もう15層まで行ったか……ここからは俺の仕事じゃないな」
ノストの担当は浅い階層までだ。
そこからの動向を観察するのは、本来の管理者であるアンの役目である。
「アン、中層にやばそうな集団が行った。一応ちゃんとした探索者だろうが、こいつらは見ておいた方がいい」
「了解した」
何にせよ、彼女に任せておけばいいだろう。
そう楽観的に考えて、ノストは浅層の監視に戻った。
♢ ♢ ♢
その日はノストにとっての休日だった。
第50層で仕事を手に入れたからといって、彼が脱走を諦めたわけではない。
これでは飼い殺しから体のいい労働力にされただけだ。仕事の内容に関わらず、それは許容できるものではなかった。
そう思って迷宮を彷徨っているのだが、どうにもこの日は様子がおかしい。
ノストのことではない。
もう脱走してから大分時間がかかっているのに、いつになってもアンがやって来ないのだ。
そのおかげで、第49層で少し時間を費やしたにも関わらず彼はかなり久しぶりに第46層まで来ていた。
一面鏡のように自分の姿を映し出す、緑の宝石の通路が入り乱れる階層だ。
その攻略法は以前作成者に直接聞いている。
わざと幻術にかかり意識をもうろうとさせる。
すると、この階層を守るエメラルメルダという魔物が壁越しにやってくる。
「そこを、叩く!」
いつかのように自分の姿を真似てやってきた魔物をノストは殴り飛ばした。
外からは鏡に映った自分を殴ったようなものだが、拳を突き出すノストの対面には鏡写しとはかけ離れて倒れ伏す自分の姿がある。
次の瞬間には、ノストの目の前に上階へとつながる階段へ至る通路が現れていた。
「やり方が分かればここは余裕だな、うん」
そんな言葉で済ませているが、意識的に幻術にかかって任意で解除するというのは誰しもにできることではない。
状況に流されやすい一面。
それでも根っこのところは失わない頑固な一面。
これら両方を持ち合わせる彼だからこそ、この階層を得意とできるのだ。
「にしても、本当に俺このまま上行ってもいいのか? あいつ変なことになってないだろうな?」
ここまで失敗もなく、最高到達階層を更新できそうなのに、あまりに上手くいきすぎて逆に不安がこみ上げてくる。
本当ならアンはもう転移で彼を連れ戻しに来ていい頃だ。
どうせ失敗するからと食料も持ってきていないノストの腹は、今が夕食の時間を過ぎていると主張している。
なぜ来ないのか。
何か、常ならぬことが起きているのではないか。
あるいは――あまり考えられない、いや、考えたくないことではあるが、突然自分に対する興味が消え失せてしまったのか。
本能は後ろを向き、戻れと訴えている。
しかし、ノストは理性でそれを封殺した。
「なんだろうと今がチャンスだ。45、できれば44層も見ておきたい」
無理やり足を進めさせ、あの日登ることができなかった階段をゆっくりと登った。
緑の光を背後に、薄暗い階段を行く。
足を運ぶごとに暗さは増していき、やがて完全な闇が訪れた。
地面の感触だけで45層に到達したことを確認したノストは呆然とつぶやいた。
「ここが……」
その瞬間。
音を発し、空気が震えたことを合図に。
何百もの赤く小さい光が一斉に灯った。
「は?」
反射的に一歩引く。
しかし遅い。
足に痛み。肩に、腕に、顔に。
「う!? あ、あ、あああああぁああ!!」
遅れて耳にそよ風を思わせるような空気の流れを感じ取る。
咀嚼音と同時に、超音波のようにキーキーと甲高い音を捉えた。
それらを意識する前に、ノストは全力で闇の中を駆け出した。
顔を庇う手に何度も何かがぶつかる。
相変わらず目は闇に覆われ、そうでなくとも頭から流れる液体が邪魔して満足に目を開けない。
偶然、手のひらに引っかかったそれは短い体毛をもっていた。
おぞましさに思わず投げ捨てる。
投げ捨てたそれは空中に一対の赤い奇跡を残してこちらに戻ってきた。
闇に慣れ開かれた右目が映したそれの正体は――コウモリ。
「があぁあああ!?」
それが右目の映した最後の光景だった。
脳にまで届こうかというほど、鋭く尖った小さな何かが顔に差し込まれている。
牙だ。
その小さな口を目いっぱいに広げて、人間の眼球を掘り出そうとしている。
――食肉コウモリ。
同じように、様々な箇所で肉が削がれているのだろう。
もうノストの体で血に染まっていないところはない。
それでも走る。
体が死に向かっていると知っていても、早く死んだ方が結果としては助かるのだと知っていても、身に迫る恐怖を前に足は止まらなかった。
気づけば、ノストは倒れ込んでいた。
いつしか彼がまとわりつかせていたコウモリの群れは離れていた。
なぜ?
まさかもう骨になって食う場所もなくなったのか?
そう思い微かに動かした左手の指先にはまだ触角が残っている。
くぼみに溜まっている水の感触を感じることができた。
喉の潤いを感じたノストは、気だるげに手を口へ持っていき付着した水分を舐めとる。
血の味しかしない。喉に絡まるものと同じ味だ。
「……くそ……マズい」
それを最後の言葉にしてノストは死んだ。
彼の体はやがてゆっくりと透明になり、まるで初めからそこになかったかのように何も残さず消えていった。
その空白のまわりには、斬殺されたおびただしい数のコウモリの死体が転がっていた。
「……あ」
目を開くとそこは、いつもの天井だった。
視界は良好。治しようもなくぼろぼろになった彼の体は、迷宮の不思議な力で完治したようだった。
死ぬのは初めてでないとはいえ、今回の死に方はかなりショックが大きい。
「油断してたつもりはなかったんだが、どっちにしても初見殺しだな、あれ」
分かるのは45層に踏み込んだ途端、食肉コウモリの群れに襲われたことだけだ。
ただでさえ暗い中、闇に紛れたコウモリたちを倒すことは困難で、ノストの戦い方では相性が悪すぎる。
ノストが得意とするのは大物で、小物の群れは苦手な部類だ。
「あそこは戦わずに済む方法を考えるべきか……いや、でも……くそ、腹が減って集中できねぇ」
鳴りやまない腹の虫が施行に耽ることを許してくれない。
なにしろ今日は夕食が遅れているのだ。
アンに文句を言ってやろうと部屋を見渡してみるが、珍しいことに部屋には誰もいない。
「は……? まじでどうしたんだよ、あいつ」
いつになっても彼を迎えに追いかけてこなかったこともそうだ。
さすがに迷宮内で死んだら気づかないはずがない。
それなのに彼を訪ねないということは、何かがあったのだろう。
訝しがりつつもノストは服を着替えて自室を出て、足早に核の部屋に向かう。
果たしてそこに、アンはいた。
「おい、いつまでやってるんだよ」
迷宮内を監視するとき、彼女は心ここにあらずとなる。
中空を見つめるその目には別の光景が映し出されているのだろう。
それでも呼びかければ反応した。
こんなにまで集中しているところはみたことがない。
呼びかけてもいいのだろうか。
迷ったノストは彼女の方から戻ってくるまで待つことにした。
その間ずっと腹は鳴りっぱなしだ。
長い、あまりに長すぎる。
もはや我慢の限界に達しようという時になって、ようやくアンは戻ってきた。
「あれ……ノスト?」
「おい、今いつだと思ってんだよ。もうとっくに飯の時間だぞ」
「あ、ごめん」
憤りを顕わにしても彼女はいまだぼうっとしている。
「なあ。どうしたんだよ、いったい」
「うん……」
「はぁ、まあ何でもいいけど。お前がずっと追いかけてこないから、今日は俺45層まで行ったぞ。なんなんだよ、あそこ。コウモリに体食われて大変だったんだぞ」
このとき、ノストはこの話題に少女の興味を引けると思っていた。
彼が45層に到達できたことを驚き、悔しがる。
彼が苦戦したと口にしたことで気をよくし、自慢げにその階層について語り出す。
そんな反応を、ノストは内心のところかなり期待していた。
「……そう」
だから溜め息のように零れ落ちた、たったそれだけの言葉に不満を超えた理不尽な怒りを覚える。
「本当になんなんだよ。言っちゃあ悪いけど、お前すごいおかしいぞ」
「ノスト」
「あ? なんだ」
ようやく対話をする気になったかと憤りを抑えつつ、険しい表情のまま次の言葉を待つ。
少女は、まだどこか遠い場所を見るような状態のままでそのことを口にした。
「第29層が、突破された」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
不穏な空気となったところで少し短いですが第二章は終わりです。
第三章は起承転結の”転”ということで徐々にシリアスになっていきますが、今後もよろしくお願いします。