第10話 ハタラクってスバラシイ
ノストに任された迷宮の仕事は本人の想像を超えて彼にやりがいを与えた。
生まれてこの方、彼は探索者という自身の望みを反映したことにのみ専念することが許されていたため、意に沿わぬ仕事をさせられた経験などなかった。
言い換えれば、戦う才能と適した属性があり将来を嘱望されたノストは、とても甘やかされて生きてきた。
ここ3年はアンという理不尽な少女の都合に振り回されているものの、それでも寝て食って脱走と好き放題できた。
よって他者に労働を強制されたのは初めてと言えよう。
今、ノストはまっとうに働くということの本質を知った。
どうすれば相手を満足させると同時に自分も利益を得ることができるのか、そのためには何ができるのか。
迷宮の管理は商業にも通じる。
極論、敵を斬って倒すだけでいい探索者にない奥の深さはノストをいたく感心させ、より一層身を粉にして働いた。
時にはまだ年若い後輩に心の中で声援を送り、魔物との死闘があれば健闘を祈る。
胸糞の悪いことをしようとする輩には怒りを感じ、上司にその旨を伝える。それで悪党どもに制裁が下るかは彼女次第であるが、どんな結果であろうとそれを受け入れた。
働いた後で食べるご飯はいつもよりおいしく感じ、それが労働の報酬だと思うと明日も頑張ろうという気持ちになる。
一ヵ月も経った頃には、探索者を引退した後は次の職に迷宮管理者の補佐を選ぶのもいい、などと思いはじめ――
「って、馬鹿か俺は! すっかり取り込まれかけてたじゃねぇか!」
ようやく何かがおかしいことに気づいた。
肉艇的・精神的疲労によって考える暇がなかったのだが、ノストの現状は敵に捕らえられて強制的に働かせられる奴隷のそれだ。
それに心地よい充足感に騙されていたが、アンの補佐はかなりの激務である。
毎日休みはないし、一日の拘束時間もそこそこ長い。衣食住は完璧だが、外に出て遊べるような報酬も自由ない。そしてどれだけ頑張っても彼が管理者になれるというような昇進はありえない。
これではまだ鍛冶師見習いの方がましだ。
「ボイコットだ、ボイコット! やってられるか!」
もはや部屋の置物となりかけていた剣を手に、ノストは迷宮核のある仕事場ではなく49層へと続く階段へと向かう。
後ろでいつもの出勤とは違うと気づいたスライムが慌てて追いかけてくるが、それも無視してずんずんと進む。
そして勢いよく階段を上り切った先には――
「……おぅ」
赤く煌めく鱗をもったとても立派な大蛇の顔が横たわっていた。
眠っていたのだろうか。静かに閉じられていた目は、人間の存在に気づくとぱちくりとまばたく。
そして少し見つめ合ったあと、口角を上げて牙を剝きだした。
「なんでこんな時に限って……」
鬼畜な難度の第49層に特有のトラップ、”最初から詰み”にぶち当たったノストはおとなしく諦めて仕事に来ていた。
しかしモチベーションの低下は否めない。
迷宮核を手持ち無沙汰に持ち変える様子は明らかに集中力を欠いていた。
「ノスト、今日は疲れてる?」
「疲れすぎて頭がおかしくなってたことに今朝気づいた。お前、狙ってやってたの?」
「なに、が?」
こてんと首を傾げる上司。
本人はノストを職業意欲に満ち溢れた真人間に染め上げようなどとは考えておらず、完全に天然だったのだろう。
「私は嬉しい」
「は?」
「ノストと一緒に何かするの、初めてだから。それにとても助かっている。ノストが頑張っているから、私も頑張ろうと思える。だから、ありがとう」
「ぬおおおぉおおお! お前、まじで狙ってるだろ!? そうなんだろ!」
これらがすべて素の発言であるなど信じられるだろうか。
的確に罪悪感と使命感を刺激する言葉にノストは一人悶絶した。
言えない。この流れで「やっぱ今日からやめるわ」などと誰が言えようものか。
すでに気持ちはもう1日だけ頑張ろうという方向に傾いている。
部下のやる気を引き出すアンの上司としての手腕は見事の一言だった。
「いいか、俺。今日だけだ。今日で終わりだからな」
「明日からもよろしく、ね?」
「やめろぉおおお!」
なんだかんだで流されてしまうのがノストのノストたる所以であり、管理者補佐の仕事はずるずると続いた。
時には仕事を無断欠勤もした。
ふと自分の本分は探索者であると気づき、剣を手に迷宮を脱走したのだ。
幸運に恵まれ第47層まで辿り着き、そこで死んで戻ってきたノストが見たのは、悲しそうな上司の顔だった。
「私は、調子に乗ってノストに無理をさせていた。ノストが優しいから、それに甘えて毎日私に付き合わせていた。これからはもう、大丈夫だから。前みたいに私一人でやるから。もう、ノストに無理やり仕事をさせたりしない。ごめんなさい、今までありがとう」
「ぐおぉおおお!」
ノストの分まで一人でこなしたせいか、心なしか疲れた顔の少女を謝罪させ、さらにはお礼までされたことで彼の罪悪感は限界を突破した。
脱走したことを謝り倒し、自分から仕事を続けると頼み込み、されども週に2回は休みがほしいことを伝えて了承させることに成功。
その後、ついに自分から働きたいなどと言ってしまったことに少し凹んだ。
時には熱を出して寝込むこともあった。
それ自体は軽いものですぐに治ったのだが、アンはしきりに仕事のストレスのせいではと疑った。
「まあ、たしかに核の部屋って普通に岩とか突き出てるし、地べたに座ってやるしであまりいい環境ではないよな」
などと言ってしまったのが間違いだった。
次の日、ノストが格の部屋に訪れるとそこは随分と様変わりしていた。
地面には厚手の絨毯が敷かれ、ごつごととした岩がむき出しだった壁は何重ものカーテンで綺麗に彩られており。
そしてその奥に安置されていたはずの核はなぜか、執務用の大きな机の上にある。
「これで、ノストは頑張れる」
やりとげた顔でむふーと鼻を膨らませる上司の顔を立てて絶賛しておいたが、これが<地底闇>の最奥と考えると夢を壊された感が拭えない。
想像してみよう。暗い地底を進んで苦しい戦いを生き抜き、きれいな宝石づくりの階層などを抜けた先、最後の扉を開けるとそこには立派な執務室があった、などという展開を。
追い求めていた迷宮の核が、意匠を凝らした台座ではなくただの机の上に転がっている光景を。
ノストなら場所を忘れてツッコむことを抑えきれそうにない。
絨毯の上でとぐろを巻く守護神の大蛇の困惑顔がひどく印象的だった。
そんなこんなで7日のうち5日を仕事に、2日を脱出に費やす生活が長く続いた。
攻略が遅れていること、そして自分の仕事に責任を感じ始めたことの二重の意味で地上が遠のくのを感じるノストだったが、それでも毎日が充実していることに悔しさを感じる。
その間にノストの迷宮監禁生活は、暦上で4年目を迎えていた。
「ん? なんだこいつら」
長く迷宮管理を手伝ってきたことで大体の探索者の顔を覚え始めていたノストは、その日ある新顔たちに違和感を覚えた。
雰囲気的にはかなり強い。
年齢的にも初心者ではなく、どこかから新たにやってきた猛者であると分かる。
しかし違和感の正体はそれではなかった。
5人いるパーティのメンバーは皆それぞれ、邪魔になりそうなほどのアクセサリーを身に着けていたのだ。
特に先頭を行く大鎌を持った男は、耳に唇に瞼にまで何個もピアスをつけており、とてつもなく異様なさまをしていた。
「頭の悪い成金集団か? 何でも全部つけりゃあいいってもんじゃねえだろ……それに狭い通路で長物って馬鹿かよ」
若干引き気味に笑いつつも、ノストは彼らから目を離さなかった。
あんな悪い目立ち方をすれば、まわりの強盗からどうぞ狙ってくださいと言っているようなものだ。
実際彼らの後をつけるような男たちの動きが見られる。
「いや、でも……こいつら気づいてる?」
妙なハンドサインを送り合っていることからそう推測する。
見た目とは不釣り合いに、彼らはかなり連携が慣れているように感じられた。
それは探索にもよく表れている。
視界の利かない通路できちんと魔物の接近を感知し、大鎌の男が一瞬で斬り伏せる。
この狭い中で振り回すのは容易でないはずなのに、壁にも味方にも当たらず魔物だけを斬っている。
その異様な風貌で命を刈り取る姿はまるで死神のようだった。
「あっ、動くか」
第3層に到達したところで、尾行していた男たちが行動を開始した。
「アン、第3層に……は?」
そう言いかけたところで、すでに戦いは終わっていた。
別々の場所にいた襲撃者たちがすべて首から血を流して死んでいたのだ。
ノストにはあの一瞬で何が起きたのかまったくわからなかった。
「ノスト? どうしたの?」
「ああ、いや……」
この光景をいったいどう言葉にして伝えようと迷う。
ただ、一つだけはっきりと言えることがあった。
「アン。この迷宮、これからヤバいことになるぞ」