第9話 迷宮のお仕事
ノストの目の前には、美しく神々しい宝玉があった。
遠目からしか見たことはなかったが、こうして触れられる距離で見るとそこに込められた力がどれほどのものか分かる。
内部で炎のように揺らめく赤色は、そのまま星のエネルギーのようだ。
さすが、確認されている限り世界で最も深くまで続く迷宮なだけはある。
これを手にした時、おそらくあらゆる願いが叶うほどの力を得られるだろう。
「はい、持って」
「…………」
手にしてしまった。
あらゆる願いが叶うほどの力をもつ宝玉を、手渡されてしまった。
両手をおわん型にして万が一にも落とさないようにしているが、それを持つことに対するあまりの重みに肩から指先まで固まってしまったようである。
しかしこれは一世一代のチャンスではないか。
過程を全部すっ飛ばして、迷宮を攻略してしまえる最初で最後かも知れないチャンス。
そのあまりの魅力に生唾をごくりとのみ込んだ。
「アン、動くな。こいつがどうなっても――」
「あ、核は悪意に反応して攻撃するから」
「あががががが!?」
まんま強盗が人質を取った時と同じような文言を口にした時、少女から今さら過ぎる注意点を聞かされる。
時すでに遅しで、核から全身をしびれさせるような電流、さらには持っていられないほどの熱を発し始めてノストは悶絶した。
そりゃそうだ。
自分の心臓を他人に預けるのに、防衛策を何も用意ししていないはずがない。
ノストの短絡的すぎる考えはすべて読まれていたのだ。
「アンさんや、そういうの先に行ってくれ……」
「言う前にノストが悪いことをしようとした。当然の結果」
まったくもってその通りであった。
その後もなんとか核を我が物とにしようと画策するノストだったが、その度に邪な気持ちを察知されて反撃されること数度。
ようやく落ち着いてアンの説明を聞こうという頃にはノストの髪の毛の先はチリチリと焦げきっていた。
「じゃあ仕事について教える」
「さっさと終わらせてくれ……もうこいつ手放したい」
すでに心は挫けきっており、今はいかに早くあの安全で平和な自室に帰るかしか考えられない。
世の探索者たちはこんな力を持つ管理者相手に交渉の場に引きずり出すどころか、従わせているというのだから、とんでもないことだと思う。
また改めて、自分の世界の狭さを知った瞬間だった。
ノストは知らぬことだが、これほどアンが自由に力を操っているのは彼女の迷宮がそれほど古く、そして大きいからである。
自分の心臓に自衛機能などつけられぬように、他の多くの迷宮の管理者は核を他人に奪われた時点で万事休すである。
迷宮の規模、生きた年数。それらがアンを管理者として、前例がないほどに成熟させていた。
「ノストは迷宮の核を通じて迷宮の中を自由に見ることができる」
「え、それって各階層の仕掛けとか見放題ってことじゃ……熱痛い!?」
「仕事以外のことに使うのは禁止」
この管理者は迷宮については大変厳しい。
その下につくことになってしまったノストも、超高性能な邪念感知器を持たされて一切の遊びなく働くことを強制される。
黒いことで有名な鍛冶師の下積み以上に厳しい管理体制。
ノストは職を得られたことに喜んだのは間違いだったと後悔していた。もうすでに投げ出したい気持ちでいっぱいだ。そしてそれを感知されてまたひりつく手のひら。
「ノストは浅層を中心に見て回る。そして問題があれば私に言う」
「問題ってなんだ? 誰かが殺されかけたりとかか?」
「それは普通のこと。例えば、迷宮の中で倫理的に許容しがたい行為が行われようとしている時。それによって訪れる人の足が遠のき、私の迷宮の評判が落ちると判断した時に、ノストは言う」
探索者が殺さるのは普通のこと。
残酷なことだが、その通りだった。自分のことを棚に上げておいてなんだが、もし人が死にそうになるたびに助けるなんて言えば苦言の一つでも出るところだった。
しかし迷宮には魔物に殺される以外の厳しい現実もある。
隠れられる場所が多い。
人が小人数になりやすい。
そして罪を取り締まるような人間がいない。
迷宮は、犯罪の温床になりやすい地でもあった。
「……なるほど。そういうのって、管理する側からすれば評判が落ちて人が遠のくって認識なのか」
これはノストに強く興味を抱かせた。
例えば犯罪者の集団が根城にしていたり、頻繁に強盗や殺人、そしてそれに類するようなことが起きていれば、誰だって迷宮に入りたくはなくなる。
攻略した時に得られるあれこれよりも、命を失うリスクのほうが勝ってしまうからだ。
人間側も何とかしてそうした犯罪を取り締まろうとしていたが、なんと管理者の側でもそんな動きがあったとは。
動機はきれいなものではなく単なるリスクマネジメントであるが、結果として探索者たちは守られている。
「誰も生き物が寄り付かなくなると、迷宮は地力を失う。どれくらい介入するかはさじ加減が必要だけど、互いにとってこれは有益なこと」
まるで商売の話のようだ。いや、実際にそうなのだろう。
探索者と管理者。相反する者たちが互いに利益を求めあって、ちょうどいい距離感をつくっている。
迷宮の管理なんていわば魔物を好きに作って、適当な迷路でも作るだけだろうなどと思っていたが、なるほどどうして奥が深いものだ。
ノストは感心すら覚えた。
「よし、了解した。俺はとにかく迷宮で犯罪をやらかしそうなやつらを片っ端から教えればいいんだな?」
「そう。私が度を超えていると判断すれば魔物を行かせて妨害する」
「アンはそれまで何をする?」
「私は最近活発になった中層の攻略を監視する」
おそらく、それにも何か深い理由があるのだろう。
ノストは知られざる迷宮の裏側を知ったことで俄然やる気に満ち溢れていた。
先ほどまでとは打って変わった真剣さで迷宮の核を覗き込む。
すると脳内に不思議な感覚が押し寄せ、映像が浮かび上がった。
<地底闇>第一層。『薄闇道 ~足元にご注意を~』
誰もが通る、ノストも通った迷宮の入り口ともいえる階層だ。
ここはまだ5歩先が見通せる程度の暗さで、浅層は下に下がるほど闇が濃くなる。
同時に迷路や仕掛けも複雑になり、魔物も強くなっていく。
(一層はそれほど入り組んでないし、人も多い。ここでやらかす馬鹿はいないだろうな)
いたとしても早々に発覚してしょっ引かれるだろう。
慣れない仕事なので各階層を隈なく見て回る暇はない。ざっと見てすぐに次の階層に移った。
不思議なもので3年も前のことなのに、どのルートを通るのが正解なのか頭はしっかりと覚えている。
ただ今は正解のルートをたどる必要はない。むしろ不正解の誰もいないようなところを見て回らなくてはならない。
第3層。
第4層。
そして、因縁深い第5層。
このあたりから迷いやすさが倍増し、初心者にとっては鬼門となる。
不安を感じ、焦りが生まれはじめ、ただでさえ見通しの悪い視野がさらに狭くなる。
そんな姿は、闇に慣れたものからすれば格好の餌だ。
「……アン。やらかしそうなやつらがいる」
「どこに何人? 内容は?」
「第4層。正しいルートから左に逸れた真ん中あたり。新人っぽい4人を大の大人が7人で隠れて囲ってる。武器構えてるし、強盗と殺人が目的か?」
「確認した。動きがあり次第魔物を向かわせる」
犯罪の予兆を感じ取れたからと言ってすぐには動かない。
アンは彼らを守る正義の味方ではないし、そんなことを繰り返せば貴重な成長の機会を奪ってしまう。
今まさに脅威にさらされている新人には悪いが、ノストとしては魔物がくるまでなんとかして耐えろとしか言えなかった。
事件は同じ時間に一つしか起きないという決まりはない。
アンに伝えるという仕事を終えたノストは、結末を見ることなく別の場所に映像を飛ばした。
強盗を目的とした殺人。
ただ殺すことだけを目的とした殺人。
女探索者を狙った襲撃。
普段からこんな感じなのか。
それともどこかの迷宮が踏破され、人が増えた影響だろうか。
吐き捨てたくなるようなことを考える人間が想像以上に多く、ノストは心が荒んでいくのを感じた。
こんな人間の醜い部分を毎日見るアンの心はどうなっているのだと、声を大にして問い詰めたい気持ちだった。
やがて探索者たちが休息をとり初め、動く人間が少なくなってきた頃にノストは少女に終了を言い渡された。
中層を攻略する人たちも休み始めたので、あとは自分ひとりで大丈夫だという。
彼女一人を働かせ続けることに罪悪感を覚えつつも、胸に沈んだ暗いよどみに耐え切れず言われるままにする。
ようやくたどり着いた自室では、謎のハイタッチをせがむスライムに応じることなくベッドに沈み込んだ。
「迷宮の管理ってめちゃくちゃ大変なんだな……」
3年も共にいながらまったく気づかなかった。
少女が休むことなくこんな病みそうな仕事をしているなど。
「でも、生きるためには必要なんだよな。生物が来なくなると地力がなくなるって言ってたし」
うとうとと微睡みながら、ぼんやりとした頭で今日知ったことを思い返していく。
かなり疲労が溜まっていたのだろう。
微睡みはやがて本格的な睡眠に移行し、ノストは夕食を運びにやって来るアンを待たずに眠ってしまった。
――そういえば。
――人を寄せ付けない<天空塔>や<氷海流>は、どうやって地力を損なわずにいるんだ?
眠りにつく直前、頭にふと浮かんだ疑問は闇に消えていった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
明日と明後日はお休みさせていただきます。再開は11日を予定しております。