第8話 脱、無職生活
あるとき、ノストは聞き落とせない情報を耳にした。
「迷宮に来る探索者が異常に増えた?」
いつもなら休むことのないフォークとスプーンが皿の上に置かれる。
「そう。前年と比べて124%の増加。ここ数十年では珍しい変化」
「んん……」
顎に手を寄せ本格的に考え始める。
当たり前だがさりげなくアンの年齢が数十歳以上であると判明した点についてはスルーした。<地底闇>の歴史は長いのだ。
「時期的に、ドランドたちが28層を突破したのが原因か……? いや、それだと前にも似たような変化があったはず」
たしか27層が初めて突破されたのが5年くらい前だった。
それならそのときにも同じように迷宮への参加者が増えたはずだ。
何か別の要因がある。
「アン、その増えた探索者たちのレベルはどんな感じだ? 入り口付近で手こずってるか?」
「むしろ手慣れている。浅層は早々に攻略して20層にも足を伸ばし始めた。本気でここを攻略しようとしている」
「てことは、大々的な勧誘があって新人が増えたわけでもないか」
ノストの脳内の選択肢がひとつ消えた。
仮に前例のない未曽有の探索者ブームが到来したとしても、同じような現象は起きないだろう。
集まっているのはそれなりの実力を積んだ探索者ばかり。
おそらく、人間に管理された資源供給用の迷宮ではなく、いまだ管理者の管理する迷宮から流れてきたものと考えられる。
彼らを動かしたものは何なのか。
迷宮の踏破を目的とする以上、場所を変えるのは悪手でしかない。また新しく攻略法を学び直さなければならないし、暮らしや人間環境も変わって慣れない生活を強いられる。
しかも、難易度を落とすのならまだしも、3大迷宮と言われる<地底闇>に集まっているのだ。
思いつく理由はひとつしかなかった。
「どっかの迷宮が攻略されたのか……!」
10あるうちの未踏破迷宮の1つが攻略され、人間の影響下に入ったのだ。
だから探索者たちは新たな目標を求めて場所を変え、そのうちの一部がこちらにも流れてきた。
「そうなの?」
「お前が無関心でどうするんだよ! どこの迷宮かは知らないけど、人間に核を握られたってことだぞ!」
「だって、他の迷宮のことは分からないから」
アン曰く、同じ迷宮の管理者だからと言って連絡がとれたりするわけではないらしい。
ちなみにノストは「危機感を持て」と言いたかったのだが、案の定その気持ちは伝わらない。
ため息をついて、再び考え出した。
「どこの迷宮が攻略されたんだろうな……<双漣山>か<蠱惑樹林>か、それか<黄金墳墓>か」
3大迷宮は候補から外してある。
それらが攻略されるなら、他の迷宮などとっくに攻略され尽くしているからだ。
<天空塔>はその名の通り、空に突き立つ雲の塔である。
まず上空に浮かぶそこまで辿り着くのが困難であり、小型飛行船を改良して辿り着いた探索者たちはその後帰ってこない。
また、<氷海流>は海流に乗って移動する迷宮である。
大抵は海の中を動いているのだが、ある一定の周期で海面上に氷山として姿を現す。
探索者はその時期を見計らって氷の中に入っていくのだが、次に海面上に出てきたときに彼らの姿はどこにもないという。
これら2つは禁忌の迷宮とされ、よほどの馬鹿でない限り挑むことはしない。
それに比べると<地底闇>は動くこともないし、何人も生きて帰ってきている。
ゆえに3大迷宮として数えられるには見劣りするようにも感じられるが、ここが他と違う点は一層一層攻略の仕方が違う上に、階層数が多いことだった。
他の攻略された迷宮は多くても20層程度なので、それを超えてなお続く<地底闇>は特別なのだ。
そこに終わりはなく、星の中心まで続いているのではという話まで囁かれていた。
50層までと知っているノストにとってはその恐怖も半減だが、地上ではいまだに終わりなき迷宮として恐れられているのだ。
「どこが攻略進んでたかなぁ。昔もっと他の迷宮について勉強してればなぁ」
かつてのノストは3大迷宮しか目になかった。
それを突破できると信じて疑わなかったうえに、<天空塔>や<氷海流>すら制覇しようと息巻いていたのである。
思い出したくない黒歴史の一つだった。
「なんでノストがそんなこと考えるの?」
「気になるんだよ。完全攻略って、上じゃあ大ニュースなんだぞ。誰かさんのおかげで俺はその話題に乗れないんだよ」
「そうなんだ」
「悪気なしかこのやろう」
びきりと血管が浮き出るがなんとか怒りを抑える。
アンのこうした態度はよくあることだ。いちいち気にしていてはやっていられない。
「そうなるとなんだ、お前また迷宮の仕事が忙しくなるのか?」
なんとはなしに訊いてみる。
「そうなる」
「そっかーそれは残念だなぁ。まあ仕方ないよな」
残念そうな風を装いながらも考えていることは明白だった。
すでにスライムは敵ではない。
なんど戦おうと丸めて包めて吊るせる自信がある。
ネックとなるアンが忙しいとなると脱走のし放題だ。
あとは死なないように気をつけるだけでいい。
そんな未来を思い描き内心でにまついていたのだが。
「だからノストが大人しくできるように……」
「いや、ちょっと待て!」
その後彼女が言いかけた言葉にそこはかとなく嫌な予感がする。
それは以前スライムをお目付け役としてつけられたのと同様な予感だ。
「それは前にこのずんぐりむっくりをつけたことで解決しただろ!? さすがに勘弁してくれよ!」
「でもノストは今日また脱走した。それにさっき悪い顔をしていた」
「くっそ、俺のポーカーフェイス仕事しろ!」
とんだ自爆にテーブルを叩いて悔しがる。
交渉術に必要な能力は未熟どころか未収得だった。
「それで今度は何? 猟犬だろうと番兵だろうと、下手に取り込まれる前にはっ倒してやる」
スライムの件で失敗だったのはノストの懐に入り込ませてしまったことだ。
あれのせいで下級魔物ごときにつけあがられ、また手心を加えてしまうようになった。
だからその反省を生かして、次にやってきたお目付け役には最初に実力差というものを見せつけて、毅然とした態度で対応してやろうと決めていた。
不貞腐れながらも決意を心に燃やすノストだったが、それを挫くようなことを少女は言う。
「スライムくんの他にお目付け役は増やさない」
「え、そうなの?」
「あまりノストを狭い部屋に閉じ込め続けると、ストレスで病気になるかもしれないから」
「待て、お前俺のことなんだと思ってる? せめて最低限人としての尊厳は保たせてほしいんだが」
傍目から見れば衣食住を全て少女に賄わせ、地底の底で引きこもり続ける男。
望んで得た待遇ではないとしても、ありもしない周りの目を気にしてしまう年頃である。
そんな願望もアンには届かない。
「私は忙しい。ノストはおとなしくできない。これらを同時に解決する方法がある」
「ああ、分かってたよ。聞いてもらえないのは。で?」
「ノストに、私を手伝ってもらう」
名案とばかりにどんと胸を張り、少女はそんなこと言った。
ノストは、何言ってんだこいつ、と思った。
「今日からノストは迷宮管理者、の手伝い」
引きこもり兼、ヒモを強要させられてきた男はこの日、職を得た。