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きもちわる

作者: 木瓜庵

その日あたしは高校へ入学した。

入学式のあとのHRが終わり、この日はそのまま下校。

あたしは最寄りの駅前まで歩いてきたところで、HRで配られた高校生活のガイダンス冊子を机の中にわすれたことに気付いた。


あたしは学校の方を見上げた。

あたしたちの学校は丘の上にあって距離はないけど、歩いて登るのは大変なので、スクールバスを待たなきゃいけない。

さすがにあの坂を歩いて登る生徒はいない。


超重要でもないけど、クラスメイトの席名簿も挟んだままだし、明日からの時間割もそこに書いてあるので、しかたなく学校行きのスクールバスを待って校舎へと逆戻り。

上履きに履き替え、今日から自分たちのクラスとなった1-Bの教室の扉をガラッとあけて、


そいつと目があった。


「えっ……」

「あ……」


そいつはあたしが今日座っていた椅子に顔をギリギリまで近づけ、血走った目で今にも椅子を舐めそうな体勢だった。

いや、マジでこれはほんとに、こう言うしかない。


「きもちわるっ……」


あたしはその場から逃げ出していた。

忘れ物とかもうどうだってよかった。

家に帰るまでの間、体中をあいつに舐め回されている気がして、電車の中で吐きそうになった。

えずくあたしを、隣に座るリーマンが迷惑そうにちらちら見てたけどそれどころじゃなかった。


帰ってすぐにシャワーをした。

体中をごしごし洗って、ようやく落ち着いた気がする。


次の日、あたしは始業の1時間前に登校して、担任にガタガタするとか適当な言い訳をつけて椅子を代えて貰うように頼んだ。


あたしは教えてもらった屋上階段の踊り場にある机の保管場所から、代わりの椅子を探した。

足が折れてたり、落書きまみれだったりと、使えない机や椅子を押しのけて、ようやくこれだという椅子を見つけたあたしは、教室のあの気持ち悪い椅子と交換した。


一息ついたあたしは机の中に忘れてきたガイダンスの冊子を探してみたけど、どこにもなかった。

まあ、持っていかれてるかなって予想はしてたけど。


そんなことをしているうちにクラスメイト達が教室に入ってくる。

嫌なことはあったけど、気持ちを切り替えて今日から本格的に高校生活の始まりだ。

そのためにはまず友達作りをしなくちゃいけない。

あたしは、近くで雑談している女子グループに声をかけようと立ちあがった。

そのとき、ガラッと教室の扉が開いて。


あいつが入ってきた。


目の前がまっくらになった。


あたしはあいつを見たことがある。

そりゃそうだ。

あいつは同中の男子だ。

背が低く太っている。特に腹が。度のキツい眼鏡で、いつも髪がポマードをつけたように汗ばんでいる。

その外見で、社交性ゼロの性格だから、正直関わったことはない。

幸い同じクラスになったことはないので名前も知らないし、10メール以内に近づきたくない。

臭そうだから。


あいつの苗字は、木田というらしい。

今日あった自己紹介でぼそぼそとそう言っていた。名前は聞き取れなかったけどどうでもいい。

とりあえずよかった。

あたしと苗字が近くなくて。席が遠くなって。


「ね、野中さん」

休み時間の女子トイレでクラスメイトに声をかけられる。

ちなみにあたしは野中夏芽って名前だ。

自分で言うのもなんだけど、背が低いのと、髪が茶色なのと、胸の大きさと、鼻の形と、二重じゃないところを除けばちょろっとかわいい。


「野中さんってさ、中学遠いんでしょ?」

「あー…うん」

「なんでウチ来たの? ここってほとんど地元の中学からしか来ないからみんな固まるでしょ?」

「えっと……その……なんとなく、かな? あはは」


この質問は予想してたけど。いい理由が結局思い浮かばなかった。


「あ、野中さん。ねぇねぇ」

また別のクラスメイトに声をかけられる。

あたし人気者?


「あの木田って男子と知り合いなの?」

「えっ…」


あたしは絶句した。


「なんかさー、さっきのHR中、ずっと野中さんのことちらちら見てたし」

「まじで、うそっ、ストーカー」

「野中さん可愛いからなー」

「んで、どうなの? 知り合いなの?」


いつの間にか4、5人の女子があたしの周りに集まっていた。


「えっと…、同中…だと思う。話したことないけど」


「え、なにそれ。やばくない、マジでストーカー?」

「こええ。キモ男こええ」

「大丈夫だよ。野中さんには私たちがついてるからさ!」


なんというか。

この場合、木田に感謝するべきなのだろうか。

あいつのきもちさるさのおかげで、私はこの高校で初めての友達を作ることができた。

彼女達は瀬田さんというギャルっぽい女子が中心のグループ。

ちょっと過激なところもあるけど1人でいるよりはずっとマシだった。



それから一ヶ月。

あたしはできるだけ木田から距離を取るように生活した。

あいつの視線に入ることすらも避けた。

見られただけで、何だかいやらしいことされてる気がしてきもちわるい。


木田を背景からも除外して、学校生活にも少し慣れてきた。


今日、学校へ登校すると。


下駄箱の上履きが盗まれていた。


身の毛がよだつって言葉をあたしはそのとき初めて実感した。

全身に悪寒が波打つように何度も襲ってきた。

膝ががくがく震えいている。


気持ち悪い。

気持ち悪い。


あたしはこのままうちに帰り、お風呂に入って、自分の部屋で、ぬくぬくの布団にくるまって全部忘れて寝てしまいたかった。


でもそれは違う。

それはただの逃げだと、心の中の強気なあたしが叫ぶ。

ここで止めないと、あいつはもっといろんなことをしてくるに違いない。


あたしは、職員玄関で来客用の上履きを手に入れると、教室へ直行した。

始業前の教室。クラスメイトたちが雑談している中で、一人背中を丸めて座っているデブ。

腕を組んで背筋を伸ばし、木田の1メートル手前で木田を見下ろす。

ずっと下を向いてノートに何かを書き込んでいた木田は、最初あたしのことに気付かなかった。


「木田」


あたしは出来るだけ最小限の呼びかけをする。

そ声に木田はびくっとなって、左を見て、右を見て、最後に正面のあたしを見上げた。


「あ……」


木田があたしに気づいておどろいた表情を見せる。


「上履き、返して」


用件だけを伝えると、すぐにその場を立ち去った。

1秒でも早く木田の近くから離れたかったから。


その日は来客用の上履きで一日過ごした。


放課後、昇降口で木田に呼び止められる。


「……夏芽ちゃん」


背筋が凍った。


こいつまじやばい。

早く離れないと。

おかされる。


あたしは木田から距離を取るように後ずさりを一歩。


木田が下ろしていた腕をあげる。


慌ててさらに2歩後ろに。


「あの…上履き」


木田の手にはあたしの上履きが乗っていた。


やっぱりこいつが盗ったのか。


「きもちわるい」


「あ…洗ったから」


「は?」


またすごいのをぶち込んできた。

洗ったって何?

ナニをしたら洗う必要に迫られる?

あたしの上履きでナニをしたってこと?

それをあたしに受け取れと?

それって軽く犯罪だよね。


けど拒絶したらもっと状況が悪くなるかもしれない。

ここは命令通り返してくれたことを重視しよう。

こいつはあたしのいうことを聞かないわけじゃないらしい。


「二度ととらないで」


あたしは木田から上履きを乱暴に受け取り、うちへ帰る途中にコンビニのゴミ箱に捨てた。

新しく買った上履きは毎日持ち帰る事にした。



木田のことでいろいろあったけど、それ以外のあたしの高校生活は順調そのものだった。


クラスでは瀬田さんたちのグループにいることができたし。

部活もはじめた。

吹奏楽部だ。

別に楽器が上手くなりたいわけじゃなかったけど、

なんとなく手持ち無沙汰にはなりたくなかった。


1年生の夏休み。部活の夏合宿で、あたしは部活の先輩から告白された。

別に嫌じゃなかったけど、もっといい相手が見つかるかもしれないし、少し思う事もあったので、あたしは保留にした。


2学期にはいってあたしは部活の女子全員からハブられていた。

「みんなの先輩」に告白されて、振るなんて信じられないというのが理由だった。

いつの間にか先輩の告白は周知のことになっちゃてた。

あたしは、そのときまだ先輩を振ってはなかったけどね。


そういうわけであたしは部活をやめた。



文化祭の日。

あたしは木田が瀬田さん達にいじめられるのを偶然目撃した。

体育館裏の空き地で、地面にうつぶせで丸くなる木田を、瀬田さん達が取り囲んで足蹴にしていた。


あたしは迷った。

瀬田さんに交じって今までの鬱憤を木田にぶつけてやるか、見なかったことにするか。


たぶん、あたしは木田に復讐をする権利がある。

木田に散々気持ち悪いことをされたのだから当たり前だ。


今までのことを考えていると、だんたんと怒りが込みかげてきた。

許したくないという思いに駆られる。


と。

考えている間に顔をあげた木田があたしを見つけてしまった。

瀬田さん達はまだあたしに気づいてない。

木田はあたしを見ると、すぐに何もなかったように視線を逸らした。


なにそれ。


まるであたしに興味ないみたいじゃない。

今までさんざんストーカーしてたくせに。


なんとなくやる気を削がれたあたしは、瀬田さん達に見つかる前にその場から立ち去った。


途中ですれ違った「文化祭実行委員」の腕章をつけた生徒に、体育館裏の焼却炉で煙草を吸ってる他校の男子がいたと嘘を話した。



冬休み。

クリスマスの日にあたしは瀬田さんから合コンに誘われた。

急に来れなくたった子がいるからその代わりに来てほしいということだった。

特に断る理由もなかったから、少しおしゃれをして、街へ向かった。


駅前の待ち合わせ場所へ行くと瀬田さん達が待っていた。その後ろには背の高い男子達がいる。

瀬田さん達とあたしを入れて女子4人、男子4人の合コンだ。

ちなみに相手は、近くの大学のバスケ部員だそうだ。どうりで背が高いはず。


合コンの会場はカラオケボックスだった。

カラオケ自体は何度も行ったこともあるけど、見ず知らずの人の前で歌うのはちょっと恥ずかしい。

あたしの隣に座った人は、息がかかるほどの距離で、


「夏芽ちゃん。歌うまいね」


と耳元に囁くようにそう言った。

たしか、古賀ケントと自己紹介をしていた人だ。

あたしは初対面で下の名前を呼ばれても嫌な気はしなかった。木田とは大違いだ。


「古賀さん…は、瞳が少し青いですね」

「ケントでいいよ。俺、クオーターだから」

「ケ…ケント君」

「そうそう」

「ケント君は、クオーターだから背も高いんですね」

「そ。その利点を生かしてバスケやってまーす。夏芽ちゃんは部活やってるの?」

「この前まで吹奏楽を。もうやめちゃったけど」

「えー、すごい。お嬢様じゃん」


それからカラオケに歌を入れるのも忘れてケント君とおしゃべりをした。

あたしより3つぐらいしか違わないケント君はすごく大人だった。

どんな話題でもちゃんと知っているし、あたしのことをほめてくれる。

それになにより、かっこいい。

王子様って言うと言い過ぎかもしれないけど、あたしにはケント君の後ろにいつもきらきらと星が舞っていいるように見えた。


吹奏楽の先輩を振ってよかった。

こんな人巡り合えるなんて思ってなかった。

あたしは生まれて初めて実感した。

きっとこれが恋だって。


ケント君と話しているうちに合コンはあっという間に終わってしまった。

カラオケボックスの前で解散。

少し残念だけど、ケント君とSNSを交換することができた。

これでまたケントくんとおしゃべりができる。

一人でにやにやと笑いながら駅へ向かって歩いていると「夏芽ちゃん」と呼び止められた。

振り返ると、さっき別れたはずのケント君が立っていた。


「もう少し夏芽ちゃんとしゃべりたくてさ」

「ケント君……」

「ごめん。急にこんなこと言って。嫌だった?」

「嫌……じゃない」


ケント君があたしの手をとってくれた。

あたしたちは手をつないて、ケント君がよく行く喫茶店へ連れて行ってもらった。

ケント君はマスターと仲がいいらしくて。

店の中でも一番奥まった静かな席に連れて行ってもらって、おすすめの紅茶を出してもらった。

ケント君と隣同士に座って。

ケント君と楽しくおしゃべりして。

すごく楽しくて。

それから。





その日あたしは夢を見た。

ケント君とあたしの夢だ。


なぜだか、あたしとケント君は小さい子供で、公園で二人で遊んでいる。

ケント君は小さくてもやっぱり王子様で。

どこからか迷い込んできた野良犬を追い払ってくれた。

野良犬がいなくなってもあたしが泣き続けていると、

ケント君は優しい声でこう言うのだ。

「夏芽ちゃんはずっとボクが守ってあげるよ」

「ありがとう! ケント君」

あたしの想像力は単純だなと思う。

いまどき野良犬って。

でも、ケント君の言ってくれた言葉はとても暖かくて、うれしかった…。


はっと気づくとあたしはベッドの上に仰向けに寝ていた。


あたしはいつのまにか下着姿になってた。


そして――


「夏芽ちゃん……」


あたしの上に、木田が跨っていた。


「ひっ!」


ホラー映画でよくアイドル女優が嘘くさく引き攣った声を上げているけど、あれって本当に怖いときにはあげてしまうものなんだなって実感した。


「大丈夫」


木田が下卑た笑みを浮かべてそういった。


まずい。

こいつ本気だ。


あたし迷わず、

自分の右足を、

木田の股間めがけて振り上げた。


ゴッという濁った音と、贅肉に足がめり込む嫌な感触。

苦悶する木田の顔から染み出す汗が、あたしの顔に降りそそぐ。


「キモイ! 嫌! くそ! 豚! クズ! 変態! どっかいけ! 死ね! 死んじゃえ!」


動転していたあたしは股間抑えて丸くなる木田に、思いつく限りの罵声を浴びせた。


「うぅ……」


木田はよほどあたしの蹴りが痛かったのか、丸くなって小刻みに揺れている。

あ、これってもしかしたらチャンスなんじゃない?


あたしは我に返ると、ベッドから駆け降りた。

ベッドの下に散乱していていた服を拾い上げると、目の前の扉のドアノブを勢いよく回した。


「助けて! 誰か!」


廊下に躍り出たあたしは、叫んだ。必死に。

すぐに、廊下の別の扉から、心配そうな表情で人がわららと出てくる。

なぜかみんな男女のペアで、下着や半裸の状態だった。

へんなの。

あ、でも私も下着姿か。


その後、蝶ネクタイをつけた男の人に毛布を渡されて。

事務所みたいな場所に連れていかれて、男の人が電話をかけて、警察官がやってきた。

あたしがいたあの場所は、ラブホテルだったてことを警察署で知った。


マジで何考えてるんだ、木田。


警察の人や、親に色々と聞かれたけど。

ほとんどなにも覚えてなかったのであまり答えられなかった。

ただ夢を見て。あと、木田の股間を蹴っただけだ。

診察やカウンセリングみたいなこともされたけど、あたしは何かされる前だったし、このときのショックを引きずることはあまりなかった。


ただ木田のことは、マジで二度と顔を見たくなかった。

あの顔を思い出すだけでも吐き気がした。

これは前からだけど。


三学期。

木田は学校に来なくなった。

親から聞いた話によると、木田は事件の捜査が終わるまで無期限の停学処分になったらしい。

捜査が終わったら退学処分になるので会うことはないから安心してと言われた。


それから変わったことが2つ。


ケント君と連絡がとれなくなった。

あの日ケント君は大丈夫だったのか聞きたかったけど。

ケント君のSNSのアカウントはなぜか消されていた。

少し探してみたけど結局連絡することはできなかった。

あたしはフラれたんだと思うと悲しくて泣いたけど。

泣いた後すっきりして、吹っ切れた気がする。


そして、瀬田さんたちから避けられるようになった。

思い当る理由はぜんぜんなかった。


瀬田さんはあたしの顔を見るとすこし嫌そうな表情になった。

他の子たちは、ちょっとあたしに怯えて避けているようだった。


なんなのだろう。



2年生になったあたしは瀬田さんとクラスが離れた。

あたしたちの高校は2年から進路によってクラス分けがされる。

あたしは文系進学コース。一番クラス数が多い、普通の子たちがあつまる場所だ。

ちなみに瀬田さんは、文系特進コースだ。

あの外見で頭がいいとかチートだと思う。

他の子は、いわゆる就職コース。まあ、いつも遊んでるみたいだったし、勉強はしてなかった。


一度離れてしまうと、あっというまに瀬田さん達とは関係が途切れてしまった。

そのかわり、クラスで新しい友達ができた。

最初は隣の席の大人しそうな女子と休み時間に軽い会話をするだけだったけど、いつの間にかそれが2人になり、3人になって。

気づけばあたしたちはずっと一緒にいるようになった。


今度の友達は、特別目立つ子たちじゃないけど、居心地がよかった。


一緒にテスト勉強したり。

テレビのタレントや、好きな男子の話をしたり。

時々買い物に出かけて服を買ったり、スイーツを食べたり。


あれだけいろいろあった1年の時と比べると、本当に何もおこらない平凡な日常だけど。

とても楽しかった。

沢山笑うことができた。


3年生になってもクラスは一緒だったので、2年から仲のいい友達と放課後に残って雑談をすることが多くなった。

その輪の中にいつの間にかクラスの男子が参加するようになってた。

その男子はどうも友達のカレシだったようで、夏休み前に実は付き合ってるんだとカミングアウトされた。


夏休みにみんなで海に遊びに行ったときには、もう一人男子が増えていた。

その男子も夏休み中に別の友達と付き合うことになったらしい。


「夏芽ちゃんはカレシとか作らないの?」


友達にそう聞かれたけど。あたしは正直、男子とはしばらく関わりたくなかったので、「今は興味ないよ」と返事しておいた。


受験シーズンになると、みんなのエンジンがようやくかかってくる。

休日には図書室や友達の家に集まって勉強会を開いた。


このころ、友達はなぜかあたしと、友達のカレシの関係を疑っていた。

まあ、1年近くも仲良くやってたら気心の知れた関係になるけど、あたしにはそんなつもりはなかった。

でも、カレシの方はあわよくばあたしとも! って気があったみたいだ。


あたしが一番に考えたのは友達のことだった。

最初に仲良くしてくれた子で、いままでずっと友達でいてくれた。たぶん親友だった。

あたしはその子に心から感謝していたし、大切だった。

だからあたしは、このとき友達が幸せでいられることを一番に考えて行動した。


あたしは、そのグループから抜ける選択をした。


たぶん。

あたしはこのとき生まれて初めて、誰かのために何かの決断をしたんだと思う。

こんなに大変なんだと実感した。



3学期になると大学の一般入試が始まる。

秋の推薦入試でかなりいい所の大学を狙って合格できなかったあたしは、まず安全な大学を受験して合格した。

それから満を持して、推薦入試で落ちたかなりいい所の大学を一般で受験することにした。

いわゆる本命受験ってやつだ。


その日は2月なのに寒かった。

朝は雪がちらついていて電車が止まるかと心配になったくらいだ。

かなりいい所の大学は、あたしたちの住む街からは離れている。

電車で1時間半。

合格したら下宿になりそう。


大学最寄りの駅で降りて、かじかんだ手で単語帳をめくりながら受験会場を目指した。


受験の出来については、あまり触れたくはない……。

帰りの電車でかなり落ち込んでたって言えば察しがつくと思う。

あたしは、どうしてもっと勉強しなかったんだろうという後悔を一人ぶつぶつとつぶやいていた気がする。


気づけば電車は市街地を抜けて、あたしたちの住む街へ向かって進む。

乗客もほとんどいなくなり、あたしと、あたしの正面に座る人だけになっていた。

ふと顔を上げると、目の前に見覚えのある顔が座っていて、あたしは二度見をしてしまった。


目の前の席の人は、

瀬田さんだった。


今日の瀬田さんは、ちょと雰囲気が違った。

よく見れば茶髪を辞めていたしピアスもつけていなかった。



気まずい沈黙が流れる。


あたしはその沈黙が耐えられなくて、口を開いた。


「あの……瀬田さんも同じ大学を受験してたんだね」


「ん…。滑り止めにね」


滑り止め……。

滑り止めって!

あたしにとって、とんでもなくハイレベルな大学を滑り止めって!

瀬田さんの脳を一日貸してほしい。


あたしが、自分の能力なさに落ち込んでいると、瀬田さんは何か、意を決したような表情で、

こう、

あたしに言った。


「私は、謝らないから――」


その言葉について。


考えてみるけど、あたしには何のことかわからなかった。


ただ、なんとなく予感はあった。

違和感っていったほうがいい。

あたしの、あの1年間に対する違和感だ。

だから恐る恐る聞き返してみる。


「……なんの話?」


「………あなた、やっぱり何も知らないんだ」


瀬田さんは少し驚いていた。


「古賀ケントよ。まさか眠剤まで使って無理やりしてるなんて、私知らなかったから」


「――――――――――――え?」



あたしは自宅じゃなくて、高校のある駅で電車を降りた。

ホームに出ると、全力で駅の階段を駆け上がる。

あたしの脳裏に、電車の中で瀬田さんと会話した内容がリフレインする。


「あの日私たちは、野田さん、あなたと古賀ケントを合わせるために嘘の合コンをしたのよ」


どうやら古賀ケントは女遊びで有名だった人だったしい。

いろんな女子に手を出して、ヤリ捨てする男。

だが、その実体は、睡眠薬を使って女を眠らせてレイプをするという犯罪を続けていたのだという。

あの合コンの後、別の女の子に睡眠薬を飲ませて捕まり、あたしのことも自白したらしい。


「でもあの時、あそこにいたのは木田だった」


あたしの疑問に、瀬田さんは、少し言いずらそうに答えた。

合コンから別れたあと、瀬田さん達は木田を偶然見つけた。

かねてから木田を苛めていた瀬田さんは、その日も同じように木田をATMにしようとした。

そのとき古賀ケントのことをうっかり喋ったらしい。


「木田は、あなたのストーカーだからさ」


木田は捕まった後、自分は無実で、あたしを助けに来たと訴えた。

瀬田さんに話を聞いた後、ラブホテルに入っていく男とぐったりしているあたしをみつけて、後をつけてあたしを助けたけど、男の方には逃げられたと。

でも学校はとりあわず木田を停学処分にした。

でも、すぐに古賀がつかまり、木田の言ってることが正しいとわかった。

学校は木田を疑ったことを謝罪したが、木田の親は不信感を払しょくできず、木田を転校させたのだという。


「なんだそれ」


あたしはつい、思ったことをそのまま口に出していた。

そもそもなんで、あたしはその古賀ケントにレイプされなきゃいけないのかがわからない。


「だってあなた、私達のこと学校に言ったでしょ?」


瀬田さんの言い分はこうだ。

文化祭の日、瀬田さん達が木田を苛めてる現場に、生徒会と教師がやってきた。

瀬田さん達はその場を上手く取り繕ったが、あとから聞きこむと、あたしがあの場所のことを実行委員に告げ口してたことを知ったのだ。

古賀はその落とし前のためにあたしに用意された道具だった。


あたしは吐き気を感じた。

本当に久しぶりに、すごく気持ち悪くなった。


「そもそも、私は……別にあなたと仲良くするつもりは全然なかったから」


瀬田さんがなにか言ってる。

なにそれ。

本当に全然っ意味が分からない。


「桐生友記子っているでしょ」


「――!」


その名前に、あたしは身震いした。

今でも。

3年たった今でもあたしにとって、彼女は、こんなにトラウマなのか。


「あの子、あたしの従妹なんだ」

「あの子から、私たちの学校に入学する野田夏芽って子がマジで最悪なビッチだから、追い出した方がいいて言われたのよね」


「あたしは…別にビッチじゃないし……」


最初はちょっとした行き違いだった。

桐生さんが好きな男子と、あたしがつきあってるって噂が流れた。

あたしは桐生さんにそんなんじゃないって説明して納得してもらったたけど。


そのあとその男子に告白された。


あたしはそれから、中学卒業まで、彼女にずっと嫌がらせをうけた。


あたしは彼女から逃げるように、今の高校を選んだ。


「今ならなんとなくわかるけど。あの子、ちょっとヒステリックだからね」


瀬田さんはため息を漏らす。


「まあ、1年のころのあたしはそれを真に受けて、あなたを追い出そうといろいろやったのよ」


まただ。

瀬田さんの話は、本当に何を言ってるのか判らないことだらけだった。



あたしは、駅から出るとバス停まで走っていく。

学校へ向かうスクールバスまであと40分待ち。休日だからしかたない。

あたしは学校の方を見上げた。

あたしたちの学校は丘の上にあって距離はないけど、歩いて登るのは大変だ。

だれも歩いて登る生徒はいない。

あたしは大きく息を吸った。


まさか、もうすぐ卒業というときに、この坂道を走って登ることになるとは思わなかった――。



「あたし、別になにもされてないけど……」


瀬田さんの言い分に、あたしは反論する。


「………」


「あー…………、そっか」


瀬田さんは、何かを納得したようだ。

納得して、目を瞑って、じっと何かを考えはじめた。

なんなんだ。

何を納得したんだろう。

そして。何を考えてるんだろう。

しばらく無言を続けていた瀬田さんはおもむろに口を開いた。


「私は――」


「私は、入学式の初日にあなたの机に嫌がらせの落書きをした。それから下駄箱の上履きを焼却炉に捨てた。あと、教科書も隠したし、吹奏楽部の女子にあなたの悪い噂を流した。それと、古賀」


「―――っ」


いや、なにそれ。

全然知らない事とか含まれてるんだけど。


「ねえ、夏芽ちゃん……。私達がどうして木田を苛め始めたか知ってる?」


…ちょっとまって。

その答えは、ちょっと待ってほしい。


あたしの鼓動が早くなる。


あたしは、もしそれが本当なら。


あたしは、酷いことを言ってなかったか?


あたしは、とんでもない奴ってことにならないか?


「木田が、あなたを追い出す邪魔をするからよ――」




高校へと続く坂道の途中で、あたしは息が続かなくなって足が止まった。

「はぁはぁはぁ」

こんなことなら、高校三年間でちょとは運動しておけばよかった。

まあ、今更いっても仕方がない。


走り出そうとしたところで、嘔吐感が全身を襲った。


「うええええ…」


ガードレールの脇でえづく。

吐しゃ物はなかった。

ただ唾液が口から漏れて、滴り落ちる。


「きもちわるぃ…」


あたしはつぶやきながらも坂の上へと歩き出した。

どうしても、今日行かなきゃいけない気がした。


せめてそれぐらいはしなきゃいけない気がした。


それから何度も立ち止まりながらも、学校の校門までたどり着いたときには、あたりは薄暗がりだった。


あたしは通用門を抜けて校舎の中へと入っていく。


3年間、通いなれた校舎はには誰もいなくて、静かだった。

あたしの足音だけが聞こえる。


わき目もふらず目的の階段の前まで歩いてきた。

そこから階段を上り屋上へ続く、階段の踊り場。使っていない机と椅子の保管場所へ。


新しく置かれたっぽい机を横に押しのけ、ずっと奥の方、埃で覆われ、うずたかく積まれた机を一つ一つ確認していく。


「あった……」


その机と椅子は、三年の間に埃まみれになっていた。


それでも埃の上からでも確かにわかる。

油性マジックで、表面にたくさんの落書きがされている。

良く学園ドラマでいじめられてる生徒がされるアレだ。

「出ていけ」とか「ビッチ」とか「男好き」とか書きたいほうだい。

こんなに一杯落書きするのは一苦労だろうと感心する出来だ。


「…………」


あたしは、その机の中にゆっくりと手を差し入れてみた。


カサッと何かを触る感触があって、あたしはそれをつかんで引き出した。


あたしが手に取ったもの。それは、


『新入生 学生生活ガイダンス』


と書かれた茶色く変色した冊子だった。


本当にあった。


「あは…あはは…」


急に笑いが込み上げ来きた。

なんでだろう、

これを取り忘れた木田の事がおかしくなったのかもしれない。


木田は少し抜けているところあるとは思っていた。


やってることが完璧だったら、あたしは木田の事をもっと早く気づいてあげられたかもしれない。


ううん、完璧だったら、嫌う事はなかったにしろ、全然気づきもしなかったのかもしれない。


知らない人のままだったかもしれない。


でも木田は、いろいろと手際が悪くて。

あたしに、変な形でバレまくって、あたしに嫌われまくった。


木田がアタシのストーカーだったのなら、嫌われるのは本当は嫌だったと思うけど。


それでも木田はあたしを助けようとして、嫌われるんだ。


それを何度も繰り返して。


木田は急にいなくなった。


あたしは、そっと学生生活ガイダンスのページをめくる。


変色して見えにくくなっているけど、まだ字は読める。

何ページかめくると、クラス名簿の紙が挟まっていた。


最初の席順の図に合わせて、クラスメイトの名前が載っている。


そういえば、これがなかったから、最初名前を覚えるの大変だったな。


あたしはクラス名簿を見返して。


木田の名前を見つけ。


最後の。


本当にこれが最後の答えを、思い出した。


気づけば、あたしは泣いていた。


頬から伝う涙の雫が、埃まみれの机と、クラス名簿の上に滴り落ちる。


「う…うう…」


涙が止まらなくて。


嗚咽を上げながらしゃがみ込んでしまった。


あたしは


最後に思い出した。


あたしを野良犬から助けてくれたのは。


木田健太郎くんだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 引き込まれてしまう文章でした。 こういうのをミスリードというのか……。 やりますねぇ!(賞賛) [気になる点] 木田君の外見がオレと一致しすぎます。 オレは木田君だった可能性が微レ存……?…
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