桃花の節句
三月三日、桜花白蘭学園校内。
校内を彩る桜の木々はいまだ蕾もつけておらず、やや寂しい校内。加えて誰もいない構内の道を二人の男女が歩いている。ただ、近くの校舎からは騒がしい声が聞こえるので、外に人がいないというだけなのだろう。
「龍先輩、今日はひな祭りですよー、女子の日ですよー! 私を敬ってくださーい」
桃花は愛嬌をふりまきながら隣を歩いている龍に話しかける。確かに今日はひな祭りであるのだが、なぜ桃花がここまで自信に満ち溢れ、にこにこしているのか、彼には理解できなかった。
「え、敬うって何!?」
だから、龍は桃花にツッコんだ。そして、彼女は彼の反応に大げさに驚く。
「ええー、知らないんですかー? 今日はひ・な・ま・つ・り!」
「だから?」
「もう! なんだかノリが悪くないですか? 望海みたいにテンポよく行きましょうよ!」
「いや、俺からすればどうしてそんなにお前のテンションが高いのかが謎だよ」
桃花が明るいのはいつもと変わらないのだが、龍の目にはそれ以上に、はしゃいでいるように見える。何か理由があるのだろうか、と疑問に思う龍。
「よくぞ聞いてくれました! 今日はひな祭り! そして、桃の節句です!」
「あー、なるほど。桃花だけに桃花の節句だと?」
「That’s right ! ですよー龍先輩」
「ほんと、大丈夫かよお前――」
桃花の勢いに圧倒される龍。さらに桃花は、龍にもたれかかるように彼の腕をぎゅっと掴む。ふにっと柔らかい感触が制服越しに伝わってきた。いつもの事なので、内心ドキドキしながらも顔色は変えない龍。
「大丈夫ですよー。今日はいっぱい龍先輩と遊びたいなって思って。私、ひな祭りって好きなんですよね。この日はいつもご馳走でしたし、加えて桃の節句だって知ってからは、さらに親近感が湧いてきて」
自分の名前が入ったものを見ると親近感が湧くという経験をした事がある人は多いだろう。
例えば、自分の名前と同じような商品を見つけた時、それが必要でなくとも手を伸ばしてしまう。自分と同じ店名を見つけると、自然と足を運んでしまう同じ名前の有名人を見ると他の有名人よりも注目してしまう、などなど。
挙げればきりがない程に、人は自身の名前を意識しているだろう。
「なるほどなー。そういうのってあるか。なら、今日はお前の好きにするといいぞ。どこえでも付き合ってやるからさ」
「ほんとですか! やったー! もう大好きです、龍せんぱーい!」
満面の笑顔で自身への愛情を表現してくれる後輩を可愛く思いながら、今日は桃花のために付き合ってやろうと龍は思った。
***
二人の姿は桜花白蘭学園がある桜花エリアではなく、七つのエリアに囲まれた中央エリアにあった。このエリアは≪ホーリーフェスタ≫が開催される白桜スタジアムがある事もあって、流行の最先端が集まる場所となっている。そのため、遊ぶための様々な施設や店舗が多い。
二人がやってきた大通りは桃色一色の景観だった。ひな祭りという事で、どこの店もそれを意識しての広告を打ち出しているためだ。
「すごいですねー。お祭りムードって感じです」
「まあ、実際ひな祭りだからな」
「でも、ひな祭りって内々のイメージがありません?」
「ああ、確かに」
龍は桃花が言う事に一理あると思った。家でひな人形を飾り、ちらし寿司を食べるなどして過ごすのが一般的なひな祭りだろう。そう考えると、夏祭りのようなものとはかけ離れているだろう。
そうは言うものの企業の戦略的に、ひな祭りのようなイベントを利用しない手はないだろう。だからこそ、ここまで大々的にどの店も力を入れているのだ。
「ですよねー。でも、こういうのも好きですよ。私が祝ってもらってる気がして!」
「流石、桃花の節句ってか?」
「ですです! まさにそれですよ、それ!」
龍がおどけて言ってみた冗談を、真に受けて盛大な反応を見せる桃花。さらに体をぎゅっと密着させて、見上げる姿は愛らしい。すっと龍の腕が動いて桃色の髪を撫でた。
「龍先輩……えへへ」
今までの勢いから一転、猫撫で声の桃花。そのギャップにドキッとしてしまう。こういう姿には慣れているはずの龍でも、不意打ちには弱い。
「桃花は甘えん坊だよなー」
「そうですよー。でも、こんな姿を見せるのは貴方だけですからね!」
「そっか」
二人はイチャつきながら大通りを歩いていく。道行く人――主に男――ににらまれながらも気にせず、イチャつく二人。
しかし、二人の顔は一様に赤い。二人とも人前でこのように、イチャつく事には慣れていないからだ。今日は桃花が積極的に来るため、彼女に応えようとした結果そうなったのだった。
「それにしても他の高校の生徒も多いですねー」
「まあ、今日は七学園全てが卒業式だからなー」
「そう言えばそうでしたね……もう涼花先輩と俊先輩とはお別れですものねー」
「まあ、琥鈴が俺たちだけでお別れ会やろうって言ってたから、また会えるよ」
「ですよね。だから、今日私たちはデートしている訳ですしね」
「そういう事だ」
三月三日は七つの高校全ての卒業式だった。二人も例外なく三年生を見送った。彼らが最も感謝している三年生は、桜花白蘭学園でも人気の二人であるために今日は遠慮したという経緯があった。
***
「あ、見てくださいよ。大きな雛壇ですね!」
いつの間にか大通りを抜け、白桜スタジアムにやってくる二人。≪ホーリーフェスタ≫だけでなく、イベントにも使われる事もある。
今回はひな人形の展示会なのだろう。たくさんの雛壇が置いてあった。その中でも桃花が声を上げるぐらいに、巨大な雛壇が飾られていた。しかし、よく見てみるとおかしな事に気が付いた。
「なあ、桃花。ごちゃっとしてないか?」
「本当ですね。整然と並べられているって感じには見えませんね。あ、カップルがやってきましたね」
二人が話していると仲の良さそうなカップルがひな人形を持って、巨大な雛壇に近付いていった。そして、軽く眺めた後に上段の方に男女の人形を置いた。
「なるほど、皆で作る雛壇って感じなんですかねー」
「みたいだな。でも、人形の種類おかしくないか?」
二人が近付いてよく見ていると、男女一対のひな人形しか見えない。つまり、内裏雛だらけという事である。三人官女もなければ、五人囃子、右大臣と左大臣などの姿もなかった。
「今来ていたのもカップルでしたし、何かあるんでしょうか?」
二人して首を傾げていると一人の男性が近付いてきた。
「君たちもこのカップル雛壇に人形を置きに来たのかい?」
「「カップル雛壇?」」
「ああ、そうだよ。始まりは割と最近でね、元々は自由にひな人形を置ける雛壇として設置したものなんだけど、何があったのか内裏雛ばかりが置かれるようになってね。いつしかカップル雛壇と呼ばれるようになったんだよ」
と男性の説明をうんうんと聞く二人。この男性は、この展示会を主催した団体の人だった。そして、ひな人形を購入できる場所も教えてくれた。
せっかく来たという事で、二人はひな人形を購入する事に。
「紙で出来ているんですね、これ」
「カップル雛壇の話が広まったからそういう対応になったらしいぞー。まあ、安く手に入ったからいいけどさ」
「それでも、龍先輩が全部出す必要はないと思うのですけど……」
全額を龍が出したことに不満を口にする桃花。桃花は二人の思い出として、折半して購入したかったのだが、龍が勝手に一人で支払ってしまったのだった。
「今日は桃花の節句だろう? だったら、少しは愛する桃花のためにな」
「あ……。えへへ、優しいですね」
その場の勢いで反応しただけだったのだが、龍の口からそう言われると嬉しくて仕方がない桃花。ますます彼への想いが強まってしまう。些細な事ではあるけど、桃花に対する想いに溢れた対応だった。
そして、紙のひな人形をまだ誰も置いていない段に置いた。紙でできたひな人形のために、男女一対のひな人形は寄り添って置く事になっている。
「俺たちもこのひな人形のように、一緒にいような」
「はい、もちろんですよ! ……龍先輩、大好きですよ」
「ああ、俺も大好きだよ、桃花」
巨大な雛壇にある自分たちが置いたひな人形を見ながら、お互いの指の間に指を絡ませてしっかりと繋ぐ。
二人が決して離れ離れにならないように――




