バレンタインクッキングバトル!
――二月十四日。
まるで命を懸けた決闘を行おうとしているかのような緊張感がそこには流れていた。
戦場に立つのは、二人の少女。一人は鮮やかな赤い髪を両側で結んだツインテール少女――雨宮朱莉。もう一人は鮮やかな青い長髪に前髪をセンターで分けている少女――朝日奈葵だ。
二人とも戦闘服を身に纏い、戦闘開始の合図をいまかいまかと待っている。そして、二人を見つめるのはその戦いを引き起こした張本人――立花龍。
彼の不用意な一言がこの二人の魂に火をつけた。今なお、合図を待つ朱莉と葵は見つめ合い、火花を散らしている。いや、実際朱莉の体からは炎が噴出している。それに対抗して葵からは冷気が漏れ出している。
「……どうしてこうなった」
龍は二人を見つめながらそうつぶやいた。そう、彼自身は気付いていない。自分が発端だという事に。
***
――遡る事、二月十三日夜。
朱莉と葵は、エレメンタル・アカデミーにある寮の龍の部屋にいた。ベッドに寝転がり、想い人である龍の両脇をがっちりと固めていた。
「お兄ちゃん、大好きー」
「兄上、愛しています」
「俺も二人の事、愛しているよ」
龍は二人の少女の頭を両手で撫でる。二人はくすぐったそうに目を細め、その華奢な体を龍に密着させる。
言うまでもないが、龍は彼女たちと恋人関係にある。朱莉と葵はお互いが、龍の恋人である事を認め合っている。ゆえに、三人の関係はとても良好だと言っていいだろう。
「明日はバレンタインですねー、お兄ちゃん」
「そうだなー」
「兄上はどんなチョコがお好みですか?」
朱莉も葵も龍のためにチョコを作ろうとしていた。そのために彼の好みを聞き出そうとしているのだ。
「俺はお前たちが作ったものなら、なんでもいいよ。やっぱり手作りが一番だからな」
「えへへ、任せてください! 私がお兄ちゃんにとびっきり美味しいチョコを作ります!」
「私も兄上のために一番美味しい物を作ります!」
その瞬間、二人がお互いの顔を見合わせる。当然、一番美味しいというのは一つの物に対して与えられる評価。しかし、朱莉と葵は一人の男を愛している。であれば、どちらかが二位の座に甘んじる他ない。お互いにらみあって、一歩も譲らない姿勢を見せているが、これはいつもの事だった。
一人の男を二人で愛しているのだから、そのような事は日常茶飯事。だから、朱莉と葵はそれを切磋琢磨するための恰好の材料にしているという訳だ。
ただ、今回はいつもと違うのはここからだ。
「やっぱり俺の愛する人は一番でいて欲しいよな」
「「なっ!」」
朱莉と葵は同時に声を上げ立ち上がる。今の言葉は龍にとっては、彼女たちへの愛情表現の一つに過ぎなかった。さらに言えば、一人の誰かを指したのではなく、朱莉と葵、二人の事を指していた。しかし、二人は今の流れからこう判断したのだった。
一番美味しいチョコを作る。
↓
龍が最も愛する人。
という風に脳内変換されてしまっていた。これは二人が龍を愛しているがゆえに起きたものだ。女なら誰しも、愛する男の愛を一身に受けたいもの。
「葵ちゃん、どっちがお兄ちゃんにふさわしいか、勝負だよ!」
「望むところ。朱莉、私が兄上に最も愛されていると証明してみせる!」
ビシッと葵に人差し指を突きつける朱莉。それに対して葵は平然と両腕を組んで仁王立ちだ。突然の急展開に、体を起こし困惑気味の龍。
「えっと、二人ともどうしたの?」
「「お兄ちゃん/兄上は黙っていてください!」」
「は、はい……」
二人の剣幕に押されて黙り込んでしまう龍。そして、二人は本来龍と一夜を過ごすつもりであったが、それぞれが龍に贈るチョコについて考えるために部屋を出ていった。
「一体何が……」
龍はその場で呆然とするしかなかった。
***
そして、現在に至る。いつの間にかエレメンタル・アカデミーの調理室が開放され、やる気十分でキッチンに立つ二人。そして、連行されてきた龍。
「では、そろそろ始めましょうか!」
と、なぜかノリノリで司会をやっているエレメンタル・アカデミー教師――桂吹雪。ギャラリーはいないのだが、調理室には現在この四名がいる。
「って、吹雪先生、一体どういう状況ですか!」
「どうもこうも、今日の朝一番で二人が調理室を貸して欲しいってお願いされたから叶えただけ、立花君も男の甲斐性を見せなさい」
と言われてしまった。ここに至って、龍は観念して二人の戦いを見守る事にした。改めて静寂が訪れる。そして、吹雪の片手が大きく上げられる。
「それでは、調理開始!」
振り下ろされたと同時に、二人は動き出す。最初に取り出したのは、カカオ豆。
「一気にいくよ!」
「朱莉、お前まさか――」
朱莉はカカオに向かって自身の事象系練気“炎”を用いてローストする。カカオ豆が絶妙な火加減で炒られていく。龍はその光景を呆然と見つめている。
一方、葵に炎は扱えないためは、オーブンにカカオ豆を入れる。
「そもそも、豆から作るんですね?」
「二人には不公平が出ないように食材は全て同じものを用意したの。そして、あのカカオ豆はカカオハートと言って白桜市ではエレメンタルエリアでしか、取り扱っていない特別なものよ」
龍の疑問にさらっと答える吹雪。二人が話している間にも作業が進む。
すでに二人ともカカオハートをローストし終え、フードプロセッサーへ。ペースト状になるにはまだ時間がかかるために、二人はそれぞれ別の準備を始める。
朱莉は卵白を用意して砂糖を入れ、メレンゲを作り始める。小気味よく動く泡立て器の音は、耳に清々しい。
「――朱莉、手際がいいな」
「おおっと、ここで立花君が朱莉の手際を褒めたぞ!」
「ちょ! 何言ってるんですか、吹雪先生」「やった!」
ぼそりとつぶやかれた龍の言葉を拾い、声高に叫ぶ吹雪。ちなみに吹雪はマイクを持っている訳ではない。
そして、喜ぶ朱莉に歯ぎしりする葵。
葵も負けじと同じようにメレンゲを作り、ゼラチンを水に溶かしている。さらに別のボウルを用意し多めの薄力粉や卵黄、牛乳を入れかき混ぜる。
「葵は良いお嫁さんになりそうだよな。見ていてほっこりするし」
「お嫁さん、いただきましたああああ!」
激しく体を動かし、声を上げる吹雪。普段の姿からは想像できない、ノリの良さに若干引き気味の龍。しかし、言われた葵は少しある胸を張っている。
「兄上、私の事そんなに想ってくれているなんて……」
「いや、俺は二人の事、すごく大切しているんだけど……」
「負けられない! お兄ちゃんの愛は私のものなんだからああああ!」
まるで熱い心が顕現したかのように、朱莉の体を炎が包み込む。葵も触発されて、さらにやる気をだしている。
そうこうしているうちに、フードプロセッサーのカカオハートがペースト状になる。二人はすぐに、ボウルに取り出して砂糖を加える。この時、葵は二つのボウルにペースト状のカカオハートを分けている。片方のカカオハートを型に流し込み、事象系練気“氷”で急速冷凍した。これで、葵は液体と固形のチョコを作った事になる。
朱莉は先程メレンゲに出来立てのチョコを少量混ぜる。それからはゴムべらを使って、ささっとマカロナージュしていく。それが終わった後は、できたものを絞り袋に入れた。クッキングシートをひき、力強く絞り出す。龍はそんな朱莉の様子は熱心に見つめていた。
一方、葵はメレンゲ、ゼラチン、液体のチョコを混ぜ合わせている。多め作った生地をまた二つのボウルに分け、片方には液体チョコ、もう片方には刻んだ固形チョコを入れる。様々な工程を行っている葵を、龍は興味津々で見ている。
朱莉と葵の二人を真剣な眼差しで見つめる龍。二人の少女は、真剣に龍のために調理をしているので気が付かない。そして、そんな龍の姿を吹雪は笑みを浮かべながら見ていた。
***
「「できた!」」
それからしばらくして、二人が同時に声を上げた。しかし、ここで叫びを上げそうな人物の姿がなかった。
「お兄ちゃん、吹雪先生は?」
「あれ、いないな。いつ帰ってくるかも分からないけど、どうする?」
そう、吹雪先生の姿がなかった。龍も二人に熱い視線を送っていたために、彼女がいつ消えたのか分からない。
「兄上、これを」
と言って、葵が渡したのは走り書きしてある紙切れだった。龍、それを受け取ってさっと目を通す。
「全く……」
龍ははあ、と大きく息を吐くと二人にも紙切れを見せる。それを見た二人の顔がぼっと赤く染まる。
「『後は三人で楽しんで』って最初からそのつもりだったのかな?」
「さあ、どうだろうな。これで吹雪先生かえって来ない事が分かったし、二人が作ったものを食べさせてもらおうかな」
吹雪先生のメッセージとは、龍たちだけで楽しめというもの。つまり、空気を読んだという事だ。馬に蹴られないようにしたという所だろう。
「えっと、どっちからにしよっか、葵ちゃん」
「朱莉からでいいよ。それ、早く食べてもらった方がいいでしょう? 私のは時間が経っても大丈夫な奴だから」
「えへへ、ありがと! それじゃ、お兄ちゃん。私の手作りバレンタインチョコ、食べてください!」
朱莉が龍の前でクロッシュを開ける。そして、出てきたのはハンバーガー並みの大きなマカロンだった。
「マカロン? それにしては大きいな」
「お兄ちゃんへの愛をいっぱい詰めました!」
にっこりと輝くような笑みを龍に見せる。
「じゃあ、食べさせてもらうな」
龍がハンバーガーを食べる様に両手で巨大マカロンを持つ。
「一気にがぶっといってください!」
朱莉に促されるままに、龍は巨大マカロンにかぶりついた。しっかりと味わうように龍がマカロンを咀嚼する。
「うわっ! これ中に熱々のチョコソースが入ってるのか。朱莉の力で保温状態にしていたのか。ふわふわのマカロンに熱々のチョコソースが絡んで美味しい! 食感が楽しめて朱莉の熱い想いがびしばし感じるよ。ありがとう、愛してる」
「私もお兄ちゃん、だいだいだーい好き!」
お互いの想いを伝え合い見つめ合う二人。しばらく、見つめ合った後、龍は葵の方を向いた。
「ごめん、お待たせ」
「いえ、待つのは慣れていますから」
にこやかな笑みを見せる葵。始まった頃の闘争心はどこへいったのか、朱莉も葵も表情は柔らかかった。
そして、葵がクロッシュを開ける。そこにあったのは、三層のチョコケーキだった。一番下は、純粋なチョコケーキ、真ん中はチョコのムース、そして、一番上は固形チョコを散りばめたスポンジケーキ。さらに余ったチョコでデコレーションされていて、美しかった。
「朱莉とはまた違った感じで美味しそうだ」
「三層まとめて一気に食べてみてください」
そう言われて葵から差し出されたフォークで切り分け、三層全てを一気に口に運ぶ。
「これは! 層ごとに冷たさが違う。チョコケーキはひんやり冷たくて、ムースは舌触りがいいような冷たさ、チョコが入ったスポンジケーキはまるでアイスを食べているような感覚。葵の氷の力か……これはすごいなー。ちょっと感動したよ。俺への秘めた想いを感じる。愛してるよ、葵」
「はい、私も愛しています」
朱莉と同様に見つめ合う二人。しばらくそうしていると、朱莉が咳払いをした。
「私より時間が長いんじゃない? 葵ちゃん」
「そんな事ないと思うけど」
「とりあえず、もう終わり! お兄ちゃん、結果をお願いします!」
「結果って言ってもな……」
そう言われて、龍は二人がクッキングバトルをしていた事を思い出す。
「二人ともそれぞれの良さが全開の素晴らしい手作りチョコだったよ。だから、俺にはどっちが一番なんて決められないよ」
「「ええーっ!」」
「それに愛する人は一番でいて欲しいよなって意味は、別にお前たちのどっちかって話じゃないぞ?」
「「えっ!?」」
一語を連発する少女たち。そして、龍は二人を自分の両腕で抱きしめる。
「お前たちどちらも俺にとっては一番だ。お前たちからしたら、どっちかに決めて欲しいのかもしれないけどさ。二人が好きなんだ」
龍は本気でそう思っているのだろう。だからこそ、勝敗を決めなかった。傍から見れば優柔不断と言われるかもしれない。しかし、三人の中で納得がいく結果が得られているのであれば問題があるだろうか?
龍の言葉を受けた朱莉と葵は軽く頷き合うと、龍の方へ向いて。
「「愛してます! ハッピーバレンタイン!」」
とありったけの想いを籠めて言った。
こうして、三人のバレンタインは波乱があったものの幸せな時間となったのであった。




